転生後の暮らしは 今のところ穏やかでしゅ2
* * *
――聖女。
それは、人間族の国の中で、クロヴァーラ国にだけ生まれる、特別な存在。
この世界は主に、人間族、エルフ族、そして獣人族のみっつの種族により成り立っている。
精霊の血を受け継ぐエルフ族はその高い魔力から魔法に精通しており、獣人族は動物の血が濃く身体能力が高い。
そして人間族はその知力の高さで国を発展させてきた。
そんな人間族の中に、まれに特別な魔力を持った者が現れる。
それが、聖女だ。
聖女以外にも多少魔法を使える人間がいることにはいるが、その力は脆弱。
対して聖女は、魔力の高さ以外にも、〝癒しの魔法〟という特有の魔法を使うことができる。
それだけでも、聖女の稀少さが分かるというものだろう。
ちなみに聖女の魔力には個人差があり、エルフ族に匹敵するほどの能力の持ち主から、かすり傷程度の治療しか行えない者もいる。
しかし、それでも聖女は人間族にとって非常に貴重な存在であり、国を挙げて守っていくべきであろう。
* * *
『そのため、我が国では、五歳になる子どもすべてに魔力審査を受けさせることを義務としている。魔力のある男児は神官候補に。そして聖女に認定された女児は、すぐに神殿に移り、国の保護下に入る』、か。
読んでいた本をぱたんと閉じる。
五歳まで、あと数か月。
私はそっとため息をついた。
異世界転生した私の今の名前は、エヴァリーナ・オーガスティン。
人間族の国、クロヴァーラ国のオーガスティン侯爵家の長女だ。
この長ったらしい名前にもやっと慣れたところだが、できるだけ愛称のリーナという名前で呼んでもらうようにしている。
前世の里奈という名前に似ているため、呼ばれた時に反応しやすいのだ。
まぁ、私の名前を呼んでくれる人はそう多くないのだけれど。
なぜってそれは、侯爵令嬢にもかかわらず、ほとんどほったらかしにされているからだ。
政略結婚だった両親は、それでよく結婚したねと疑うほどに不仲だ。
営利主義で仕事人間のお父様に、美しいけれど癇癪持ちのお母様。
うん、合うはずがないと娘の私も思う。
お母様は義務のように私を産んだものの、男じゃないのかと失望され、以来癇癪が酷くなっているらしい。
ひどいよね、元気に生まれたなら、男でも女でもどちらでもいいじゃない。
――という考えは、現代日本のもの。
残念ながら、後継者を産むことは貴族の家に嫁いだ妻の責務だという考えが常識のこの世界では、それが当たり前なのだ。
とはいえ、衣食住は確保されているし、貴族令嬢としての教育も年齢に合わせた程度には学ばせてもらえているので、特に不自由はない。
むしろ好き勝手にさせてもらえた方が気が楽だし、私の両親は前世の両親だけでいいと思っている。
まぁ、普通の幼女なら寂しさのあまりにひねくれてしまいそうな家庭環境ではあるけれど。
さすがに転生したばかりの赤ちゃんの時は、色々悩んだ。
たぶん助かったであろう、ミウに似た子猫はあの後どうなったのかなとか、ペットショップの他の動物たちは私がいなくても元気に過ごせているだろうかとか。
両親とミウが天国で悲しんでないかなとか、あんな死に方をしてしまって、店長や小池さんに迷惑かけてしまっただろうなとかも思ったけれど、あの人たちはそんなに悲しんでくれないかもなとちょっぴり落ち込んだりもした。
そんな時に私を慰めてくれたのは、この家で飼われている、大型犬のオールド・イングリッシュ・シープドッグに似た容貌の、ビアードだ。
まるでぬいぐるみのような見た目で、毛がふわっふわのもっふもふだ。
どうやらお父様が、私の相手にと生まれてすぐに連れて来たらしい。
いや、新生児に大型犬ってどうなの?と思わなくもなかったが、中身が動物好きな成人の私にはとても嬉しかった。
使用人たちによると、こいつに相手でもさせておけ、大きくなれば番犬にでもなるだろうって感じだったらしいけれど。
そんなビアードは、今日も読書をしている私の背もたれよろしく、背後で丸まって寝ている。
クッション代わりのようで申し訳ないが、これがものすごく気持ちよくて居心地がいい。
もふもふの毛並み、最高。
そのビアードのおかげもあって、私はこの世界で前向きに生きていく決意をした。
いつまでも前世のことを悔いたり悩んだりしても仕方ないもんね。
ペットショップの動物たちが良いご主人様に出会えますようにと、その幸せを願いつつ、私もビアードや庭園に遊びにくる小鳥たちと穏やかに暮らしていきたいなと思うようになった。
とはいえ、この世界の知識はちゃんと身につけないとねと、こうして日々本を読んで勉強している、のだが。
「聖女……むーっ」
開いたページに書かれている内容をもう一度眺めて眉を顰める。
なにを隠そう、私には魔力がある。
それに気付いたのは、三歳の頃だった。
魔法の存在する世界だと知った時に、もしかして私にも使えるかも⁉とわくわくして使ってみたのだ。
もし魔法が使えたら……なんて夢見たことが、誰しも一度や二度はあるのではないだろうか。
私だってそうだ。だから本を読んで使い方を学んで、やってみた。
それだけのことだ。
使えたとして、まぁちょっとばかり水や火が出せる程度だと思っていた。
実際、人間族で魔法が使える人は、その程度の魔力しかない。
ちなみに魔法が使えるのは、全体の三~四割くらいの人。
いや、実際、私もそんな大した魔法は使えなかったのよ?
やったー使えたーまぁこんなものよねーっていう程度。
でも、ある日気付いてしまった。
それは、ビアードが足を庭園の石に擦ってしまってすり傷を作った時だった。
痛そう、かわいそう、治してあげられないかなって思って、そっとその足に触れた。
その時。
銀色のきらきらした粒子がビアードの足に降り注いで、そこにあったはずの傷が綺麗に消えてしまった。
私はさすがに驚いた。その時にはもう、〝癒しの魔法〟は、聖女特有の魔法だと、本を読んで知っていたから。
まさかと思って、誰も見ていないところで何度か試した。
や、転んで擦り向けた膝に向けて、魔法をかけてみた。
――間違いなく、癒やしの魔法だった。
つまり私は、五歳で魔力審査を受けた後、聖女となるらしい。
これは貴族令嬢としては誉れ高いことだ。
両親も、まぁ、喜ぶかもしれない。
しかしその事実を伝えると、生活が一変してしまうのではないかと危惧した私は、この力のことを隠している。
聖女になることは避けられないだろうが、せめてそれまでは静かに暮らしたいと思ったから。
それに、だいたいの子どもが魔力審査の時にその力が判明するらしいから、不自然ではないはず。
魔法は制御するのにある程度精神的に安定していなければならないため、普通幼い子どもには教えない。
魔力審査の機会に魔力の有無を知り、聖女や神官候補に認定されたら神殿で丁寧に指導を受ける。
そして、選ばれはしなかったものの、魔力があると判断された子どもへの魔法教育は、通常八歳前後かららしい。
こっそりお試しで使ってみた魔法、まさかこんなことになるとは思わなかったが、この際だから、独学で鍛錬しておこうと思うようになった。
いざという時に身を守るためにも使えた方がいいと思ったから。
勝手なイメージだけれど、貴族の幼い令嬢って、危険なことに巻き込まれる印象がある。
正直、私になにかあっても、両親の助けなんてあまり期待できない。
自分の身は自分で守らなくては。
そうはいっても、幼いこの体でひとりで気を張るのはなかなかに疲れる。
聖女になって神殿に入ったら、少しは気にかけてもらえるようになるのだろうか。
もちろんお仕事みたいなものだから、できる限り頑張ろうとは思っている。
他の聖女とも仲良くやれるといいな。
それに、神官の方たちは優しいかしら。
おそらくだが、聖女らしいとはいえ私の魔力はそこまで高くはない。
それならそう目立つこともないだろう。
できることを頑張って、穏やかに暮らせたらななんて、淡い期待も抱いている。
「でも、びあーどと離れる、ってことなんでしゅよね」
舌っ足らずの口で、そうひとりごちる。
……なにを隠そう、私は転生してこの方、あまり他人と会話をしてこなかった。
その弊害だろう、なんとも情けないしゃべり方になってしまった。
異世界チート(たぶん)で、この世界の言葉もわかるし文字も読める。
それなのになぜ言葉だけ。
いや、頭の中ではちゃんと発音しているつもりなのよ?
でも、言葉を発するとこうなってしまう。
ま、まぁ特に支障はないからいい。
ちょっぴりなけなしのプライドが傷つくだけだもの。
まだ四歳だし、そのうちちゃんとしゃべれるようになるはずだ。
そう期待しながら本を閉じると、扉の外から足音が聞こえてきた。
「リーナお嬢様、また図書室にいらしたのですね」
「めりぃ、もう時間でしゅか?」
扉が開かれると、思った通りの人物が現れた。
乳母のメリィ、転生した時にお母様と一緒に私の側にいた、泣かないで下さいと必死だった女性だ。
数少ない、私を名前で呼んでくれる人物でもある。
「はい、家庭教師の先生がそろそろいらっしゃるはずです」
「わかりまちた。行きまちょう」
〝行きまちょう〟って、なんかすごい情けなく聞こえる。
そう内心で項垂れながらも平常心を保つ。
ビアードを起こさないようにそっと立ち上がる。
そのうち起きて、いつものように私の自室に来るだろう。
そうしてメリィと共に廊下を歩いていく。
相変わらずここの使用人たちは、私とすれ違っても軽い礼をするくらいで、声をかけてくれることはない。
チヤホヤしてほしいわけではないし、個人的には気楽でいいのだけれど。
でもお仕事なのにそれでいいのかしらと思わなくもない。
でもその雇い主である両親が、私に関心を持たないんだもんね。
使用人たちの態度を責めることもできない。
大人しくて本ばかり読んでいて、子どもらしさの欠片もない、その上愛想もない変わった子だと思われているだろうし、聖女に選ばれるわけがないと噂されているのも知っている。
しかし、自分で言うのもなんだが、容姿はかなり整っていると思う。
性格に難はあれど、お父様もお母様も美形だもの。
その娘の私の顔立ちが整っているのは、必然というものだろう。
さらりとした銀髪、淡く光る青い空のような瞳。
転生後、身動きがとれるようになって初めて鏡を見た時は、それは驚いたものだ。
そこに映し出された優し気な雰囲気の美少女に、自分のことながら見惚れてしまった。
いかにも聖女!って感じだと私は思うのだが、子ども特有の愛らしさが足りなかったためか、それとも媚びても得にならないと思われたのか、両親どころか使用人たちからも遠巻きにされている。
屋敷の中で、唯一親し気に話しかけてくれるのが、このメリィだ。
愛情深く、我が子のように……とまではいかないが、普通に雇い主のお嬢様に対する扱いをしてくれている。
「本日は、字を書くお勉強になります。……といいましても、リーナお嬢様はかなりお上手でいらっしゃいますけれど」
それはそうだろう。
なにせ中身は大人。
それに、毎日のように読書をして過ごしているのだから。
「ありがとうございましゅ。でも、もっとがんばりましゅ」
とりあえずそう答えておく。
一応貴族令嬢だし、丁寧な言葉遣いとソツのない受け答えをするのにはずいぶん慣れてきた。
そんな私を見て、メリィは眉を下げて困ったように微笑んだ。
こんなに幼いのにいじらしい……とか思われているのかもしれない。
「きっと、お嬢様のその努力が、いつか報われる時がきますわ」
そうだといいな。
そんな気持ちで、私はメリィに笑顔を返すのだった。