包み隠さず、全部話しましゅ4
* * *
「はぁ」
「深いため息ですね。そんなに難しい書類ではないと思うのですが」
エヴァリーナとのお茶会を終えた後、獣人国国王であるエルネスティは、執務室で仕事を再開させていた。
そしてある書類を手に取るとまじまじと眺め、眉を顰めていた。
そんなエルネスティの様子に、リクハルドはあえてなんでもないことのように言葉を返す。
「……おまえ、あのちび……じゃなかったな、あの聖女殿のこと、どう思った?」
「どうとは? 抽象的すぎてどんな意見を求めているのかよくわかりませんね」
獣人は基本、脳筋な者が多い。野蛮だの獰猛だの言われる所以はそれだ。
しかし、銀狐の獣人であるリクハルドは違った。
考えるよりもまず手が出てしまう者がほとんどである獣人の中にあって、彼は珍しく頭脳派タイプだった。
「あのな……俺がそういう、繊細な言葉選びが苦手なこと、知ってるだろ」
「まあ、存じておりますが。ですがあまりにも広い意味の言葉だったので。好感を持ったかとか、これからどう接していけばいいと思うかとか、せめてそんな風に聞いていただけますか?」
リクハルドの正論に、エルネスティはうーんと頭を捻った。
しかし適切な言葉が出てこない。
「陛下、そう悩みすぎず……。リクハルド、おそらく陛下は、あなたの中でエヴァリーナ様の印象がどう変わったのかを聞きたいのではないでしょうか? そして自国の民と同じように扱うとは言ったものの、どこまであの方に踏み込んでいいのか迷っていらっしゃる」
助け舟を出したアレクシスに、エルネスティはそれだそれ!と頷く。
そんなエルネスティに苦笑しながら、アレクシスは再びリクハルドの方を見る。
「あなたは立場上、エヴァリーナ様のことを最後まで怪しんでいましたからね。先ほどのやり取りを見る限り、もう疑っていないのは本当でしょうが……」
「おまえときたら、すぐにあの聖女様に懐かれて警戒を解いてしまいましたからね。まったく、『あの方はたぶん大丈夫だ』などと確証のないことを言われて、あの時は呆れましたよ」
その時のことを思い出して盛大なため息を吐くリクハルドに、アレクシスは苦笑いした。
「……今までは、まさかあのような事情を隠していたとは、思いもしませんでしたからね。疑わざるを得なかったのですよ」
エヴァリーナの過去。
異世界で暮らしていた記憶があるという彼女が、誰も知らない知識を持っていることは納得した。
年齢の割に思慮深いのも、なぜ獣人をそこまで怖がらず、貴族令嬢だった割に生き物たちに慣れ親しんでいるのかも。
……そして、エヴァリーナが前世の両親を亡くした悲しみを乗り越えて、この世界で幸せになりたいと心の底で思っていることに、三人は今日の話を聞いて気付いていた。
「誰かの役に立ちたい、そう思っているのだと思います。あの方はおそらく、そうでなければ自分が捨てられるのではないかと、心のどこかで思っている。利用価値がなければ、自分なんてと思っている可能性もありますね。そして、心根がとても優しいゆえに、誰かを憎むこともできないのでしょう。両親から関心を持たれず放置されて育ち、聖女に認定されてからも利用されるように働かされ、結果、平和協定のための贄として差し出される。普通、そんな境遇に陥ったら、誰かを憎んでも仕方ありませんし、もっと捻くれた性格になりそうなものですが」
「おまえみたいにか?」
珍しく長々と話すリクハルドをからかうように、エルネスティが口を挟む。
そんなエルネスティを、リクハルドはじろりと睨んだ。
「……私とあの方は違う。一緒にしないでください」
リクハルドがそっぽを向いてしまい、アレクシスはまあまあと宥めた。
「しかし、リクハルドがそこまで言うのであれば、やはり私の直感は当たっていたということですね。エヴァリーナ様は悪い人間ではない。獣人国の民たちと同じように扱うと言われて、あのように喜ぶとは」
人間、それも高貴な生まれで聖女という特別な存在の者が、ただの獣人と同じ扱いを喜ぶなんて、普通はありえないことだ。
それでもエヴァリーナがあのように喜んだのは、彼女がこの国での暮らしを心から気に入ってくれているからだということがわかる。
たぶん、母国での暮らしよりも、ずっと。
「前世のご両親の育て方がよかったのでしょうね。それに、あの方は最初から、我々に優しかった。私は、この国に来てくださったのがエヴァリーナ様でよかったと、心から思っていますよ」
含みのあるアレクシスの言い方に、事情を知っているエルネスティはそうだったなと笑った。
「おまえの大事な奴を助けてくれた、恩人だったな」
「ええ、心から感謝しております。……まあ、彼女のことだけではないのですが」
またもや気になる言い方をするなと、エルネスティとリクハルドは首を傾げた。
短い期間とはいえ、この中で一番エヴァリーナと過ごす時間の長いアレクシスだからこそ、思うところがあるのだろう。
「あの方は、本物の聖女だ。私は、自分の直感を信じていますよ。まぁ、予想外だったこともありましたが……」
今まで穏やかな表情でエヴァリーナについて語っていたアレクシスだが、そこで初めて少し困ったような顔をした。
「うん? なにか問題でもあったのか?」
「それならば早めに言ってくださいよ。あなたは獣人の中でも比較的温和な性格をしていますが、本質はそれほど皆と変わりませんからね。わからないことをそのまま放っておかないで、私に教えてください」
難しいことを考えるのは自分の役目だというリクハルドに、アレクシスはそうではないのだと慌てて否定した。
それならばなんなのだと疑いの眼差しを向けられ、アレクシスは渋々口を開いた。
「いや、前世のエヴァリーナ様は、私たちと同い年で亡くなられたと言っていたでしょう? 完全に幼い少女だと思って接してしまったのですが、中身は大人の女性だと聞いて……その、思い起こせば年頃の女性を相手に、色々と不適切な言動をしてしまった気がして」
「なんだそんなことか」
「今さらですね」
思っていた以上にくだらないことだったと、エルネスティとリクハルドは呆れた。
「おまえ、純粋なちびっこが相手だとしても、あの過保護ぶりは異常だったぞ?」
「鳶は子育てをしっかり行う傾向にありますが、あれは少しやりすぎですね」
そんなふたりの反応に、さすがのアレクシスも少しだけむっとした。
「あなたたちにはわからないかもしれませんが、私は結構悩んでいるのですよ! 容易に触れたり、頭を撫でたりしてしまって、もしかして嫌がられていたのではと……」
「さ、馬鹿なアレクは放っておいて、仕事に戻るぞ」
「はい。ああ、アレクシス、ひとつだけ忠告しておきましょう」
真面目に聞こうとしないふたりだったが、リクハルドはなにかに気付くと、すぐに神妙な面持ちでアレクシスの目を見た。
そんなリクハルドの様子に、アレクシスもつられて真剣な表情になる。
そう向かい合って、リクハルドはゆっくりと口を開いた。
「間違いだけは犯さないように」
「ああ、たしかに。中身は大人でも、しっかり五歳児だからな! 気を付けろよ」
「………………なにを馬鹿なことを言っているのですか、あなたたちは……」
こちらも思っていた以上にくだらない忠告だったなとアレクシスは脱力し、もうエヴァリーナは寝ただろうかと、窓の外の月を眺めながら考えるのだった。