転生後の暮らしは 今のところ穏やかでしゅ1
私の名前は、芹沢 里奈。
ペットショップに勤める、平凡な二十五歳の社会人。
人とちょっと違うところといえば、少しばかり動物に懐かれやすいということくらいだろうか。
散歩をしている犬に会えば、必ずと言ってもいいほどすり寄ってこられるし、猫カフェに行けば膝の上に猫たちが集まる。
動物の言葉がわかるというわけではないのものの、なんとなくこう思っているんじゃないかな?ということがわかったりもする。
そんな私は小さい頃から動物好きだったのだが、それは両親の影響もあるだろう。
ふたりは、とにかくもふもふした動物が好きで、私も幼い頃、よく動物園に連れて行ってもらった記憶がある。
だから、私は物心がつく頃には自然と、大人になったら動物に関わる仕事がしたいなと思っていた。
専門学校で学んだペットのストレスケアなんかの勉強も楽しかったし、必死に勉強してトリマーの資格も取った。
そうして今のペットショップに就職が決まり、さあ夢が叶うぞ!……っていう時に、私は両親を揃って亡くした。
交通事故だった。
仲の良かった両親が一緒に車で買い物に出かけた際に、対向車が中央線を無視して両親の車に突っ込んできたらしい。
まるで、世界が止まったみたいだった。
もう会えないなんてことが信じられなくて、最初は涙も出なかった。
けれど、棺の中で冷たくなったふたりを見た時は、ああ本当に死んでしまったんだって実感が湧いてきて、私は棺の前で泣き崩れた。
その時のことはもうよく覚えていないけれど、悲しみに暮れる私を慰めてくれたのは、母が独身の時からずっと飼っていた猫のミウだった。
もうおばあちゃんで、一日のほとんどを寝て暮らしていたミウだったが、塞ぎ込む私の側にずっと寄り添ってくれていた。
そっと撫でると小さく喉を鳴らして、心配そうに私を見た。
両親の父と母、つまり私の祖父母はその頃もうすでに亡くなっており、兄弟もいない。
天涯孤独となってしまった私の、唯一の家族。
私を愛してくれた両親のために、そしてミウのために、ちゃんと生きなくてはいけないと思った。
幸い両親が遺してくれた貯金は十分あったし、仕事も決まっている。
もう大人なんだ、自分の足で立って、自分の力で生きなくては。
そう顔を上げた時、にゃぁ、とミウが鳴いた。
まるで、頑張れって言ってくれたみたいに。
そうして私は悲しみから立ち上がって、卒業後、予定通りペットショップで働き始めたのだ。
「芹沢さん、ケージの掃除、よろしく。それ終わったらフードの発注もね」
「あ、はいっ!」
就職して三年、仕事は思っていたよりもハードだったけれど、大好きな動物たちに囲まれて、そのお世話ができるのはすごく楽しい。
おばあちゃんだったミウは、去年、眠るように息を引き取った。
まるで、私が仕事に慣れて生活が安定してきたことに安心したように。
最期の鳴き声は、もう大丈夫だねって言っているみたいだった。
きっと両親とミウは、天国で一緒に私のことを見守ってくれているはずだって信じて、毎日頑張っている。
「みんなお待たせ。今からお部屋のお掃除するから、ちょっと外で待っててね」
そう一匹一匹に声をかけながら、猫たちが怖がらないようにケージからそっと出して、共用スペースへと移動させる。
抱き上げると顔を擦りつけてくれる子もいたりして、すごくかわいい。
「はい、お部屋、綺麗になったよ。フードとお水も入れておいたからね。たくさん食べてね」
「にゃぁ」
ケージに戻す時も、猫たちに声をかけていく。
中にはこんな風に、ありがとうって言ってくれているみたいに鳴く子もいて、ひとりで癒されたりなんかもしている。
「芹沢さん! 掃除に時間かけてないで、早く済ませて発注やって! それが終ったらまだお願いしたいこと、たくさんあるんだからさ」
「あ、すみません」
店長に注意されて、慌ててケージの鍵をかける。
本当に情けないことだが、私は時々同じようなことで注意を受けてしまう。
ペットショップの仕事には色々あるが、動物たちの世話なんて、やろうと思えばいくらでもある。
できるだけこの子達に快適に過ごしてもらいたいと思って頑張っているものの、手が遅いのか、話しかける時間が長すぎるのか、ほとんど毎日終業時間を過ぎても仕事が終わらない。
まあ、あれもこれもしてあげたい!って思ってしまうのも原因のひとつなんだろうけれど。
店長からは、「残業手当なんて出せないからね。ちゃんと就業時間内に終れるように努力してよ」と言われている。
それはそうだ、私が勝手にやっていることも多いのだから、そんなことまで望めない。
ちょっと疲れは溜まっているけれど、まだまだ頑張らないとと思いながら、掃除を終えて事務室へと向かう。
フードの発注かぁ……。
最近なにかと値上がりしているが、ペットフードも例に漏れず、ずいぶん高くなった。
経費削減! 節約節約!って店長には言われているけれど、あの子たちにはできるだけ良いものを食べてもらいたいし、難しいところだ。
うんうんと悩みながら事務室のドアノブに手をかけると、中から店長と、先輩の小池さんの声がした。
「芹沢さんが来てくれて、ホント助かってるよな」
ひょっとして私、褒められてる? 普段注意を受けることも多いのに、これはちょっと嬉しいかも。
「ははは。店長も人遣い荒いなぁ。あの子ひとりで、店長の倍以上働いてますよね?」
「うるせーな、ほっとけ。だってあの子、手当が出なくても勝手に残業して、動物たちの世話してくれてるからさ。ラッキーだろ?」
え。今の会話って……。
「まぁ、そーっすね。仕事も丁寧だし、飲み込みも早い。こんな店長の店じゃなかったら、もっと頼りにされて、もっと評価されてるだろうに。かわいそ」
ははは!と小池さんが笑う。
私はそれを、呆然と立ち尽くしながら聞いていた。
「頼りにはしてるぞ? あの子が世話するようになって、動物たちの毛ツヤも良くなったし、高く売れるようになった。接客態度も愛想も良いから、客も増えた気がするしな。芹沢さん様様だな」
「ま、動物のためって言って、高いエサ買おうとしたり、余計なモン買おうとするのが玉にキズっすけどね。どーせ売られていくんだから、必要最低限でいいのに」
それなー! と店長が小池さんの発言に同意する。
大きな笑い声。
わなわなと唇が震えて、目頭が熱くなる。
がくがくする足をなんとか動かして、音を立てないようにそっとその場を離れた。
店内の犬や猫のケージが並んでいる前まで来て、やっと上手く息が吸えるようになった。
それでも心臓はどくどくと早鐘を打っている。
お客様がいなくて良かった。
今、笑顔を作れる自信がない。
「今の話、本当なのかな……」
失望と、信じたくない気持ちが入り混じる。
こんな時、家族のいない私は、いったい誰に相談したらいいのだろう。
その日、私はどうやって仕事を終えたのかあまりよく覚えていない。
店長と小池さんの会話があまりにショックで、よく眠れなかったことだけは確かなのだけれど。
それから数日。
私はいまだにあの日の会話の真意を、店長にも小池さんにも確かめることはできず、悶々としながら働いていた。
心配そうにケージの子犬たちが私を見つめてくる。
「
……ごめんね、フードの時間、遅くなっちゃったね」
くぅんと鳴く子犬の首元を、苦笑いしながら撫でる。
あんな話を聞いても……ううん、あんな話を聞いてしまったからこそ、この子たちの世話を適当にはできない。
あの日以来、それまであまり気にならなかった店長の言葉に、少しずつ引っ掛かりを覚えるようになった。
『たくさん食べると元気になるぞー? ペットはやっぱり健康なヤツが喜ばれるからな』
『おい、ブラッシングは丁寧にやれよ? あとトリミングもな。やっぱり見た目は大事だからな!』
お客様に元気な子をお渡ししたい、人間と同じようにケアは丁寧にしてあげたい、そういう意味だと思っていた。
でも、その内心はまるで違うのかもしれない。
そう思ってしまったら、心を込めてこの子たちの世話をするのは、私しかいないんじゃないかって不安になった。
それで、今まで以上に私は、誰よりも早く出勤して、誰よりも遅くまで動物たちの世話に励んだ。
結局誰にも相談できなくて、自分で抱え込むことしかできなかった。
でも、たしかにここはペットショップ。
店長からしたら、お遊びでお店を開いているわけではないのだから、利益とか、そういうものが大事なんだってことはわかる。
わかる、けど。
「でも……。私はやっぱり、この子たちのことを一番に考えたい」
人間の事情なんてなにも知らない、まだ生まれて間もない子猫が私の指をぺろぺろと舐めてきた。
かわいいな。
品種も同じだけど、顔つきもミウにちょっと似ている気がする。
穏やかな性格だし、きっとすぐに飼い主が見つかるだろう。
綺麗ごとだと言われたら、それまで。
店長の考えだって、間違ってはいないと思う。
「それでも、私は……」
にゃぁ、と無邪気に鳴いた子猫を抱き締める。
私くらいは、利益や損得よりも、この子たちのことを一番に考えていたっていいよね?
健やかに過ごせるように環境を整えて、いい飼い主が見つかるように接客もがんばって。
残業手当なんてなくてもいい。
この子たちが幸せになれることだけを考えたい。
そう考えて、無理をしたのがいけなかったのだろう。
まさか、あんなことになるなんて。
この時の私は、全く想像もしていなかった。
「芹沢さん、聞いてる?」
小池さんに声をかけられて、はっとする。
いけない、疲れからの睡眠不足とはいえ、仕事中なのにぼおっとしてしまった。
「す、すみません!」
「いや、別に俺はいーんだけどさ。それ、ケージの鍵。見た感じ、かけ忘れてるやつ何個かあるよ」
ええっ!と見返すと、たしかに並んだケージのいくつかの鍵がかかっていない。
大変だ、逃げちゃった子はいないかしらと思っていると、あのミウに似た子猫がケージから出てフロアに降りたところが見えた。
「あ、だ、だめよ!」
慌てて捕まえに行こうとしたのだが、子猫はたっと駆け出してしまった。
そして子猫が向かった先は、店の自動ドア。
タイミングの悪いことに、お客様が来てドアが開いてしまった。
店のすぐ前は車通りの多い大通りだ。
道路に飛び出してしまったら、子猫は――。
「だめ! 待って、お願い!」
大声で呼ぶけれど、子猫は止まってくれない。
急いでその後を追いかけて店を出た、その時。
道路に飛び出した子猫と、子猫に向かって走って来る大型トラックが視界に入った。
お願い、間に合って!
私のせい。だから、私はどうなってもいいから。
涙を溜めて、必死に走って手を伸ばす。
プップー!
最期に聞いたのは、クラクションの音とドン!という鈍い音。
小さな柔らかい温もりを胸に閉じ込めながら、ものすごい衝撃を感じた。
それが、最期。
胸の中で子猫がもがく感覚がして、安心から涙が頬を伝い、私は空を見上げた。
両親と、ミウと。
大好きな人たちの姿が、見えた気がした。
夜にもう一話投稿予定です!