ましゃかの左遷!? 獣人国ってどんなところでしゅ?4
「では、こちらの馬車に乗り換えていただけますか? クロヴァーラ国のお付きの方々も、ありがとうございました。これより、我々が誠心誠意込めて、聖女様を守ってまいります」
平静を取り戻したアレクさんが、私のうしろに控えていた侍女と護衛に向かってそう声を上げた。
その誠意ある言葉に、ふたりはよろしくお願いいたしますと頭を下げた。
うん、なんとなくだけど、アレクさんみたいな人がいる中でなら、なんとかやっていけそうな気がする。
そこで私は、そっとふたりに近付きその顔を見上げた。
「私、たぶん、だいじょぶでしゅ。がんばれそうな気がしてきまちた」
少しだけ涙目になっているふたりに安心してもらえるように、にっこりと微笑む。
「たった二日間だけでちたけど、おちぇわになりまちた。御者の方も、遠くまでありがとうございまちた」
馬車の側にいた御者の方にお礼を言い、そしてここまで馬車を引いてくれた二頭の馬のところにも駆け寄る。
「あなたも、ここまで連れてきてくれてありがとう。帰りも気をちゅけてね」
そう言って顔を撫でると、馬はブルルと鼻を鳴らした。
『これくらい、俺たちにとってはたいした距離じゃないさ』
『おまえさんも、がんばってな』
そして私を元気づけるように鼻先をこすりつけてきた。
ふふ、くすぐったい。
三人と二頭との最後の別れを済ませ、アレクさんのところに戻る。
急ぎたいだろうに、ちゃんと待っていてくれたことに感謝だ。
「お待たせしまちた。もう、だいじょぶです。まいりまちょう」
「はい、それではお手を。お足元にお気をつけ下さい」
アレクさんが黒い手袋をつけた手を差し出してくれて、そっと手を重ねる。
獣人国の馬車、先ほどまで乗っていたものよりももっと大きいし、足場も高い。
手を借りてはいるが、簡素とはいえドレス姿での慣れない高さにちょっと苦労して足をかける。
すると、アレクさんがそれに気付いた。
「……聖女様、お嫌でなければ、持ち上げても構いませんか?」
「も、持ち⁉ え、ええっと、ぅわっ!」
予想外の提案に驚いていると、答えを待たずにアレクさんが私の体を抱き、いや、持ち上げた。
……文字通り、まるで小さい子どもをたかいたかーいするみたいに。
ふわりと体が浮き、そっと馬車の中に下ろされる。
びっくりした、けど、子どもとはいえこんなに軽々と持ち上げるなんて、アレクさんはすごい力持ちさんなんだなぁ。
驚きつつも感心していると、顔に出ていたのだろうか、アレクさんがまた柔らかく微笑んだ。
「ふっ、大丈夫ですよ。聖女様は、まるで羽根のように軽いですね」
「ふにゃっ!?」
イケメンからの甘い台詞に、反射的に変な声が出てしまった。
顔の温度が急上昇している。
いや、こんな幼女相手にそんな深い意味はないとわかっている。
わかってはいるが、そういう問題ではない。
「はは、照れたお顔もかわいらしいですね」
「かわ⁉」
今度は声が上ずってしまった。
そんな私に、アレクさんの笑いは止まらない。
「ふふっ、失礼いたしました。それでは出発いたしますので、ご着席下さい」
からかうのはこのあたりで止めておこうとでも言うように、アレクさんは馬車の扉を閉めた。
ひとりになり、ばたっと勢いよく着席……いや、座席に倒れ込む。
イケメン怖い。
前世と合わせてもまったく恋愛経験のない私には、刺激が強すぎる。
先ほどからのアレクさんの表情と言葉を思い出し、顔に熱が集まる。
ひとりで良かった、きっと今の私は、茹でダコのように真っ赤に違いない。
悶えながら馬車が動くのを待っていると、おそらくアレクさんがかけたであろう号令で緩やかに走り出した。
ううう……ちょっと落ち着かないと。
先ほどまでは温かかったもふもふの上着が、今は暑く感じる。
ぱたぱたと手で仰ぎ、少しでも顔の熱を下げようとしながら窓の外を見つめる。
少しずつ、クロヴァーラ国が離れていく。
それほど愛国心があるわけではないが、ほんのちっぽけでも思い出はある。
「……しゃようなら。ありがとうございまちた」
転生して、たった五年。
されど五年だ。
片手で数えられるくらいしか生きていないけれど、それでも今世の私の祖国。
どうか、みんな幸せに。
そう呟きながら、遠く離れていく景色を見つめるのであった。
* * *
「――行ってしまわれたな」
「はい。……エヴァリーナ様、大丈夫でしょうか」
エヴァリーナを乗せた獣人国の馬車が見えなくなって、役目を終えた護衛の騎士と侍女は眉を下げた。
国の都合で、まるで生贄のように差し出されていった聖女。
まだ幼いから、大人の企みなどわからないだろう。
高位貴族出身とはいえ実家からの便りのひとつも神殿に届いたことはなく、おそらく必要とされていない娘だったのだろうといわれている。
そして、動物好きで、傷を負った獣のために聖女の力を使うほどのお人好しなのだろう。
そう、国にとって都合のいい条件が揃っていて、獣人国に差し出すにはうってつけだと選ばれたのがエヴァリーナだった。
「……たった二日間だけでしたが、私、エヴァリーナ様のことがとても好きになりました。国に残っていたら、きっと民に慕われる聖女様に成長されたでしょうに……」
「そうだな。まだ幼いのに、聡明で、謙虚で、他人のことを思いやれる方だった」
そんな純真無垢な少女ひとりに責任を押し付けるようなことで、本当にいいのだろうかとふたりは胸を痛めた。
「ひとつ救いなのは、私たちが思っていたよりも、獣人たちが紳士的だったことですね」
エヴァリーナを迎えにきたという、獣人国の騎士部隊。
隊長だという赤髪の男を筆頭に、粗暴な言動は見られなかった。
獣人たちは、噂ほど怖くないのかもしれないという印象を受けた。
「……ひょっとしたら、エヴァリーナ様にとっては、クロヴァーラ国なんかで下級聖女をしているよりも、獣人国の方が大切にされて幸せになれるかもしれないな」
そう苦笑いを零す騎士に、侍女は眉を顰めて俯いた。
「だといいですね。……でも、きっとそう思いたいだけです。私たちが、自分たちの罪の意識を軽くしたいから。獣人国の方が幸せになれるなんて保証は、どこにもないのに」
なんて自分勝手なんだろう。
聖女とはいえ、あんな幼い少女ひとりに、すべてを背負わせて。
せめて、獣人国が彼女にとって住みやすい国であるように。
それが利己的な考えであることを承知で、それでもふたりはそう願わずにはいられなかった。