表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

第一章:鏡との邂逅

 1924年、初夏の東京。


 蒸し暑さの中にも、どこか生命力みなぎる空気が漂っていた。震災の傷跡はまだ生々しく都市の至る所に残っているものの、人々の表情には希望の光が宿り始めていた。


 鏑木蝶子は、画室の窓から外の喧騒を眺めていた。二十二の春を迎えたばかりの彼女の瞳には、どこか物憂げな影が宿っている。


 「蝶子さん、お客様がいらっしゃいましたよ」


 女中のお絹の声に、蝶子はゆっくりと振り返った。


「はい…… 分かりました」


 蝶子は立ち上がり、髪を整えながら応接間へと向かった。そこには、中年の紳士が待っていた。


「やあ、蝶子君。待たせてすまなかったね」


 紳士は柔和な笑みを浮かべながら立ち上がった。蝶子の後見人である鷹取恭一郎だ。


「いいえ、恭一郎さん。お待たせしてしまって申し訳ありません」


 蝶子は軽く会釈をしながら、恭一郎の前に腰を下ろした。


「それで、今日はどのようなご用件でしょうか?」


「ああ、実はね……」


 恭一郎は言葉を切り、懐から一通の封筒を取り出した。


「君のお父上の遺品整理が終わったよ。これは、彼が君に宛てて書いた手紙だ」


 蝶子は息を呑んだ。父・鏑木蓮太郎??。彼女が幼い頃に失踪し、つい先日、その死が正式に確認された画家だ。


「……ありがとうございます」


 震える手で封筒を受け取る蝶子。しかし、開封する勇気が出ない。


「それと、もう一つ」


 恭一郎は続けた。


「蓮太郎君が残した蔵の中に、君宛ての品物が見つかったんだ。明日、そちらに届けさせよう」


「父が…… 私に?」


 蝶子の心臓が早鐘を打つ。失踪した父からの最後の贈り物。それは一体何なのだろうか。


 翌日、蝶子の元に届けられたのは、古びた鏡だった。


 蔵から運び出されたばかりなのか、鏡の表面には埃が厚く積もっている。しかし、その下には美しい意匠が施されているのが窺えた。


「これが…… 父からの……」


 蝶子は恐る恐る手を伸ばし、鏡の表面に触れた。


 その瞬間だった。


 鏡の中に、不思議な光景が広がり始めたのは。


 そこには、蝶子の知らない風景が映し出されていた。古い日本家屋。そして、そこで絵を描く一人の男性の後ろ姿。


「お、お父様……?」


 蝶子の声が震える。しかし、鏡の中の男性は振り返らない。まるで、過去の一場面が再生されているかのようだった。


 突如、男性の隣に一人の少女が現れる。幼い頃の自分だと、蝶子にはすぐに分かった。


「なぜ…… こんな……」


 困惑する蝶子。しかし、彼女の目は鏡から離れない。


 鏡の中の父と娘は、楽しそうに会話を交わしている。蝶子には音は聞こえないが、二人の表情から、幸せな時間を過ごしていることが伝わってくる。


 やがて、映像は霞み始め、鏡の表面は元の姿に戻った。


 蝶子は、自分が涙を流していることに気がついた。


「父様…… 私、あなたのことを、ほとんど覚えていないのに……」


 彼女は鏡を抱きしめ、静かに泣いた。失われた記憶。そして、これから明かされるであろう真実。すべてが、この鏡に秘められているような気がした。


 その夜、蝶子は父からの手紙を開封した。そこには、簡潔な言葉が記されていた。


『蝶子へ

 父さんが残した鏡を見つけただろう。

 あの鏡には、我が家に伝わる秘密が隠されている。

 過去を知り、そして乗り越えていくのだ。

 お前なら、きっとできる。

               父より』


 蝶子は手紙を胸に抱きしめた。父の言葉。そして、不思議な力を秘めた鏡。


 彼女の人生が、大きく動き出そうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ