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サクリファイスと献花の夜

作者: 祁答院 刻

見栄をはらないでください。

知らぬふりしないでください。

あなたは、野蛮で悪辣で冷酷。

しかし、誰よりも知っているのでしょう?

あまりに不条理な犠牲(サクリファイス)のかたちを。

「世の中は、犠牲にあふれている」


担任の白鳥久美子は、教卓をドンと叩いた。

クラス中に戦慄が走る。


「それなのに、まったく君らは、犠牲…つまりサクリファイスに敬意をまったくみせない」


白鳥はロングの黒髪をワイルドにかき上げ、チッと舌打ちをした。

お調子者も悪ガキも、まるで借りてきた猫のように背筋を正して前を見る。


「敬意、というのはどう示せばいいのでしょう」


突然、大崎くんが口を開いた。

彼は、クラス随一の頭脳派で、普段は飄々とした天然キャラなもののこういう時は一番頼れる。


「いただきます、やごちそうさまのように言葉で伝えるのでもありですか。それとも、もっと適切な、望ましい手段があるのでしょうか。それとも…」


白鳥は黙殺していたが、大崎くんの饒舌ぶりに断念したか、ボソリボソリとつぶやき出す。


「欲を言うよ。いちばん望ましいのは君らが身を捧げて感謝を示すこと。しかし、小心者の君らにそんな立派なことできやしない。だから、献花をする。花壇でもいい、どこからでもいいから生きてる花を引っこ抜いてくるんだ。そして、捧げる」


「酷い!」


没義道な白鳥に、非難の声が上がったが、白鳥はシッと一声かけて鎮める。


「サクリファイスへの献花は夜おこなう。忘れぬように」


「はい」


「あといい忘れてた」


白鳥は声のトーンを変えて、挑発するように言う。


「この献花、365日休みなくおこなう。欠席は禁物だっ。以上」

夜、

街が漆黒に占拠された真夜中、


「開始!!」


戦がはじまった。


「もっと、もっと花を抜くんだ!」


「えぇ!?」


「早く!」


「は…はい」


躊躇する少年に、白鳥は目をむいて、烈火のごとく怒鳴りだす。

わかりました。わかりました。と連句している彼は、ポーカーフェイスを決め込んでいた。


「ごめんね。嫌だ、こんなの嫌。ごめんね」


クラスのアイドル ルミちゃんは、そう独りごちて一掬の涙を注いでいた。

それでも、


「君らの実力はそれっぽっち?見損なった」


白鳥がそう言ってあざ笑うから、みんなやめられなかった。

どんなに利口でも快活でも、白鳥の前では、なぜかみな無力なのだった。

私ももちろん例外ではなく、白鳥の傘下にて、彼女の思うままになっている。


「花を採って満足するな!」


隙をつくように、白鳥の怒号が飛んだ。

せわしく動いていたクラスメイトたちが一斉に止まった。

まるで、機械仕掛けの人形のように。


「本題は献花だ!献花台は教卓前にある。急げ!」


「はい」


バタバタと階段を駆け上がる音に紛れて、誰かがふとつぶやいた。


この夜に終わりはないの?

「花、抜いちゃうの?可哀相」


いつか、大崎くんはそう言った。

彼は、従順そうに見えて実は面従腹背。

白鳥久美子の言いなりにならない唯一の人間で、未だ一本も花を犠牲にしていない。

でも、あの献花に固執した白鳥の目をのがれることは極めて難儀だろう。


「先生にバレない?」


不思議に思い、訊くと、


「いまのとこは大丈夫。重要なのは、位置だよ」


と彼は笑った。


「位置?」


そう、先生から見えないところ。

彼は白鳥から見えない位置、いわば死角にいるという。


「あとは、やばいってなったら造花を使う。造花を何本か操って、抜いてる風を装うんだ」


なるほど、頭いい。

彼はなんて利発なのだろう。

しかも、不思議なことに、彼だと、陰で白鳥に逆らっていても腹黒さがない。


「造花、君の分もあるよ」


そう言って私を見た大崎くんは、天真爛漫、無邪気そのものだ。


「だから、やってみな」


「でも…」


その場しのぎの裏技じゃ、何も解決しない。

すべての事柄には、わけがあるんだ。

握った花の束を前に、唇を噛んだ。

「ひゃあ!」


素っ頓狂な声が、ひそやかな夜の玄関に響いた。

丁度、靴を履き、ドアに手をかけた時だった。


「あんた!なんで!」


見ると、暗がりの中に母が立っている。

音は立てていないつもりなのに、不運にも鉢合わせてしまったようだ。


「今何時だと思ってんの!1時半よ!小6がそんな不良みたいな真似して。情けない!」


「これは…」


「言い訳はいいの!何をするつもりだったか、お母さんに話しなさい!」


母は、青筋を立てて怒る。

下手な嘘を付くぐらいならと、すべて明かすことにした。


「―犠牲への献花があるんだ」


「犠牲?献花?」


「そう。うちの白鳥先生が言うんだよ、犠牲とか献花とか。わけ分かんないよね」


「あっ、それは」


白鳥の名を捉えるやいなや、母は言った。


「いろいろ、かわいそうだったんだよ」


「え?」


「知ってる?妹さんのこと」


「ううん」


寂寥感と慈しみが絡み合った独特の声音で、母は語りはじめた。


久美子ちゃん…白鳥先生にはね、双子の妹がいたの。

留美子ちゃんといったかな。

ほんとうに瓜二つで、はたから見れば区別ができないほど似てた。

確か一卵性双生児で、見た目だけじゃなく声や趣味まで同じだったらしいの。

とっても仲のいい姉妹なんだけど、家庭環境が複雑でね、お母さんが気味の悪い宗教にのめり込んでた。シラス同盟とかいうやつ。

とっても綺麗なお母さんだったけど、そこに手を出してからはもうめちゃくちゃだったね。

そしてここからが本題。

そこの教祖がさ、一緒にきていた留美子ちゃんを悪魔だって言ったらしいの。

全知全能の神、なんとか様の名をけがす悪魔だってまことしやかに。

娘より宗教の方が大事なお母さんは、このまんまじゃ神様の名が…とか言って、教祖に娘を託した。

そしたら教祖は、処刑だってそのまんま殺しちゃったの。

一切の水と食事を抜いてね。

悪魔を殺すのは道理にかなったことだとか言ってね。

久美子ちゃんは泣いてた。

何せ、あの二人は一心同体。お互いを分身と呼び合う仲だったんだから。


母は涙を袖口で拭って嗚咽を漏らす。


「白鳥先生が犠牲とか献花とか言うのには、訳があるのよ」


ふと、献花台を思い出した。

教卓前にしつらえられた献花台、あれは犠牲になった留美子ちゃんを弔うためのものなのかもしれない。

白鳥自身の前にあるのは、彼女が亡き留美子ちゃんの分身だから。身代わりだから。

白鳥の前に献花すれば、留美子ちゃんの弔いになる、ということだろう。


『世の中は、犠牲にあふれている』


いつかの白鳥のセリフが、どこか痛ましく惨めに思えた。

「ルミちゃん!ダメ!ルミちゃん」


女子の素っ頓狂な声で、私はそのことを知った。

教卓前の献花台に、花をのせた時だった。


「うるさい!うるさい!うるさい!」


空っ風の冷たいベランダで、彼女は狂気じみた声を上げて、四肢をばたつかせていた。


「私は花を殺した。殺したんだ。生きてていい理由なんてない!」


狼のように鋭い双眸は、もはや人間ではない。


「ルミちゃん、お願い、生きて!」

「友達でしょ」

「ずっと仲良しって約束した」

「君のことが好き」


誰が何を言おうと、彼女は反応しない。

可愛くて、おしゃまで、優しいルミちゃん。

彼女は―花壇係だった。


「これ、私が育てたの」


パンジーを前に、ルミちゃんは誇らしげだった。


「毎日会いに行くの。だって、パンジーの花言葉は、『ひとりにしないで』なんだもん」


可愛いでしょ、ルミちゃんは気取っていた。


「ルミちゃん、あの、だから」


死なないで、と言いかけて口をつぐむ。

これは、今この時に最善な言葉なのだろうか。


『ひとりにしないで』


パンジーの花言葉が陽炎のごとく揺らめく。

そう、彼女は愛する花を追って逝くつもりなのだ。

なすすべがなく困惑していると、


「君ら…さっきからうるさいな!」


突如、白鳥があらわれた。


「パンジーごときで一喜一憂?馬鹿か」


そう言う彼女の目は、不覚にも血走っている。

私は最後の切り札を出した。

「先生」


「黙れ!」


「先生、あなたは、知っているんでしょう」


「知っている?」


見栄をはらないでください。

知らぬふりしないでください。

あなたは、野蛮で悪辣で冷酷。

しかし、誰よりも知っているのでしょう?

あまりに不条理な犠牲(サクリファイス)のかたちを。


私は、知っているんですよ。

そう、あなたに何があったのかを…


献花台に捧げられたパンジーは夜の冷たい風を浴びて、最後の生気をかすかに漂わせていた。

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