息子(7さい)に買ってあげた変身ベルトが「本物」だった件
都内某所、高くはないマンションの一室――
「おかえりなさい」
「ただいま」
「見つかった?」
「もっといいものがね」
大和は、愛する妻 美琴に向かって微笑んだ。その手には、日曜の朝に放送しているヒーロー番組『鬼面レイダー』のグッズ、いわゆる変身ベルトがあった。とは言っても、今日発売が開始されたばかりの、リアルタイムで放送している最新シリーズ『鬼面レイダー ラセツ』のものではない。ずっと前、大和と美琴がまだ幼かった頃に流れていた、『初代』のアイテムだ。
「どこで見つけたの?」
「たまたま寄ったリサイクルショップ。ラッキーだったよ」
「高かったんじゃない?」
「大丈夫。それで、猛琉は?」
トタトタと、少しおぼつかないリズムの足音が奥から近づいてくる。
姿を現したのは、先日7歳になったばかりの一人息子だ。
「らくしゃーされいだーべると、売ってた?」
「いや、どこも売り切れてたよ。でも――」
大和が自信満々に変身ベルトを差し出すと、猛琉の顔は晴れ晴れとして、輝かんばかりになった。
「それって――」
「ああ。初代鬼面レイダーの変身ベルトだ。本当は今のヤツよりも、こっちの方が欲しいって言ってただろ」
「やったぁ!!」
「コラ、お父さんに「ありがとう」は!?」
母親の言葉は虚しく空を切って、ベルトを手にした少年はまた奥へと走って行ってしまった。
まったくもう、と美琴が口を尖らせる横で、大和は苦笑した。
「まぁ、いいじゃないか。小学校でも嫌な思いするのが続いてたんだろ?」
「悪口言われたくらいでびぃびぃ泣くなんて、名前負けもいいとこだけど。それより、本当はいくらだったの? フリマアプリで探したら、どれもプレミアがついてたじゃない」
「大丈夫だって。俺の小遣いで買える範囲だったから」
クスクス笑って、美琴はスッと顔を寄せた。
「それは、何ヶ月分の?」
「あ~……4、かな?」
「全然大丈夫じゃないじゃない。でも、ありがと」
二人はちらと奥に視線を送り、猛琉がそこに立っていないのを確認してから、軽く口づけを交わした。大和が靴を脱ぎ、妻と二人リビングへと歩いていくと、垂れ流しになっているテレビのニュースが聞こえてくる。
「……――ょう。次のニュースです。今日も、都内で傷害事件が発生しました。連日の事件との関連については不明ですが、SNS上では事件と関係があると見られる人物の動画が拡散されており、その真偽が注目されています」
「また、この手のニュースか」
大和がぽつりとそう言うと、美琴が表情を曇らせて言葉を継いだ。
「今月に入ってもう4件目ね。呟き系SNSでも『怪人』がトレンド入りしてたわ」
「怪人?」
「うん。鬼面レイダーシリーズに出てくる怪人達を彷彿とさせるからって。今日の動画は私も見たんだけど、言い得て妙っていうか……コスプレを通り越して本物みたいだったっていうか――」
へぇ――と大和がネクタイを緩めながら画面を注視する。きっと、その動画がこのあと流れるだろう。
バイクという共通の趣味で知り合い、鬼面レイダーチップスという共通の思い出で意気投合し、そのまま結婚まで辿り着いたのが、美琴という女性だった。その彼女がここまで言うのだから、多分に興味も惹かれるというものだ。
だが、ニュースの画面はなかなか切り替わらなかった。女性キャスターが、なにか怪訝そうな表情を浮かべて、こくこくと頷いている。
「――臨時のニュースが入りました。え――中継。はい、中継映像が映ります。場所は都内地下鉄城北駅。別の取材に入っていたクルーが現場にいるようです」
「城北駅って――」
「うん。ここから遠くない」
画面が切り替わった。
途端に、悲鳴が響き渡る。
映し出されているのは見慣れたホームだが、人がいない。
悲鳴、悲鳴、悲鳴――……
音ばかりだ。
中継というからには現場の様子を伝えるリポーターがいるだろうと思ったが、その姿も見えない。
「どうなってるんだ?」
「もしかして、撮影スタッフの人達も巻き込まれちゃったんじゃ……」
「いかなくちゃ」
ふたりは振り返った。
いつの間にか、猛琉が立っていた。その腰には、買ったばかりの――ピカピカの新品ではなく、あちこちが汚れ傷ついてはいるが――ベルトが巻かれている。
「猛琉、今、なんて――?」
大和は膝をつき、息子と目の高さを合わせ、気付いた。
いつもと様子が違う。
普段はおとなしい顔つきで、両家のじじばばからも「優しい目をしてるねぇ」と言われる。それが、今はキッと鋭いまなざしで、テレビを睨むように見つめている。まるで、何か固い決意を秘めているかのように。
異様な雰囲気に大和も美琴も言葉を失っていると、不意に、猛琉が両足を肩幅ほどに勢いよく開いた。さらに、片方の腕を腰の横に当て、もう片方の腕を体の斜め上にまっすぐ突き上げる。
この構え、いや、ポーズは――大和と美琴は、言葉を交わすまでもなく同じ映像をフラッシュバックさせていた。円月殺法と空手の型と歌舞伎の見栄を総動員させたような、静と動、弧と線を組み合わせた、流麗かつ豪快な動き。そう、これは、鬼面レイダーシリーズのお約束、『変身』のポーズだ。そして、最後には威勢の良い掛け声を発し、超人的な力を持つヒーローへと転じるのだ。
「へんしん――トォッ!」
猛琉が飛び上がった。
部屋が光に包まれた。
二人が目を開けると、そこに立っていたのは見慣れた息子ではなかった。
鬼を模したスタイリッシュな赤いヘルメットに、黒を基調にした硬質なラバースーツ、そして、風の力を使って変身を可能にするという設定のごてごてのベルト。それは、初代鬼面レイダーそのものだった――もっとも、サイズは息子のままだったが。
「あなた――一式買ってきたの?」
驚く美琴の言葉に、大和はぶんぶんと首を横に振って応えた。自分が猛琉の為に買ったのは、変身ベルトだけだ。それに、これほど体にぴったりと――猛琉自身に特別にあつらえたかのようなスーツの準備など、自分達の家計事情で出来るはずがない。
いや、たとえスーツの準備をしておいたにせよ、今、猛琉が目の前で早変わりして見せたことこそ驚きだった。パジャマに着替えるにも手間取り、シャツを着ればボタンを掛け間違う、あの猛琉が、手品のように一瞬で。
「ぼく、いかなくちゃ。テレビに うつってたばしょまで おくって、おとうさん」
「な、何を言ってるんだ。猛琉――だよな? 今、テレビに映ってたのは、本当のことなんだぞ。本当に、あそこでは人が――」
「このほしに あくのさかえた ためしなし」
それは、初代鬼面レイダーの決め台詞だった。
「いそがないと、もっとたくさんのひとが 死んでしまう。おとうさん!!」
大和は思わず横目で美琴を見た。妻は驚きの色を浮かべながらも、夫の視線に気付くと深く頷いた。
まともに考えればおかしなことだ。7歳の少年が一瞬でヒーローの姿になっていたことも。テレビの向こうで番組のような凄惨な出来事が起きていたことも。その現場に息子を送ろうとしていることも。だが、若い夫婦は、なんとも言い表しようのない、逆らい難い力に背中を押されていた。
「バイクで行って」
「でも、ガソリン代が」
「地下鉄は止まってるだろうし、人目につかないようにしないと」
「どうして」
「だって、そういうものでしょ」
短い会話のあと、大和は既に外に飛び出していた猛琉を追って家を出た。
駐車場に停めてある、二台の内の一台に跨る。いつもは猛琉に手を貸して後ろに乗せてやるのだが、今は既に座席で発進を待っていた。普段かぶせてやっているヘルメットは、妻のバイクに提げたままにした。
大和は何も言わず、スロットルを回した。頭の中には疑問符がいくつも浮かぶが、今はまず、背中にしがみついている小さなヒーローを在るべき場所に到着させることに集中した。
ネオンが横に流れ、親子が風を切る。同じ車線に車はなく、反対車線は賑わっている。みな、危険から逃れようとしているのだろう。その危険の真っ只中に、自分達は向かっているのだ。
「おとうさん、ここまででいいよ」
「そんなわけに――」
地下鉄の入り口が見えたと思ったら、背中に居たはずの息子は跳び、宙返りをしてそこに降り立った。そしてそのまま、風のように階段を下へ走っていく。
「たけ――」
思わず名前を呼んでしまいそうになり、踏みとどまる。だって、そういうものでしょ。妻の言葉がブレーキになった。
だからといって、ようやく授かった宝物をみすみす危険にさらすわけにはいかない。
大和はバイクを路肩に停め、ロックをし、辺りを見渡した。何か、武器になるものはないか。ここ数日、テレビでやっていたような危険人物――怪人なのか――が相手なら、拳銃があったって危ないかもしれない。それでも、何もないよりはマシだろう。大和の目に入ったのは、誰かが道に落としていったらしい、バールのようなものだった。
その武器を握りしめて、階段を降りていく。息子の元へ駆け付けたい思いとは裏腹に、足は恐怖に震えた。美琴に「一目惚れしました、付き合ってください!」と叫んだときに匹敵するほどの勇気を振り絞って、無理矢理足を前に進める。
見慣れたはずの、さっきテレビ画面に映っていた場所が近付いてくる。立ち込める異臭が血のものだということに気付くと、むせるよりも先に悪寒が突き抜けた。
声が聞こえる。
「そこまでだ、かいじんめ」
小さな鬼面レイダーが居た。その眼前には、おぞましい生き物がいた。
「貴様のようなチビが、このクモ怪人様に勝てるとでも思っているのか!」
2メートルはあろうかという体躯はゴワゴワした毛で全身覆われ、三対六本の腕がにょきにょきと生えている。その顔からは、ピンポン玉大の赤いもの――おそらく目だろう――が八つ、光を放っていた。
怪人――それ以外に、形容する言葉が見当たらない。
「このほしに あくのさかえた ためしなし」
鬼面レイダーが構えた。ずっと昔に見た、そして今でも、日曜の朝にテレビで見る、レイダーシリーズ伝統のファイティングポーズだ。
クモ怪人が、猛然と襲い掛かる。
レイダーは後ろに宙返りをした――でんぐり返しだってまともに出来なかった子が!
さらに二本、三本の腕で素早く攻撃を繰り出す怪人に、レイダーは器用に体をひねり、かわし、いなし、反対に二度、三度とパンチを返す――「チビ」と言われただけでべそをかいて帰ってくる子が!
大和の目には、小さな鬼面レイダーが巨大なクモ怪人を手玉に取り、圧倒しているようにしか見えなかった。どうやらその感想は的を射ていたようだ。
「グガアァァァ!」
怒り狂った怪人は大きくのけ反り、プピヤァッと口から白い塊を吐き出した。レイダーの拳が、左右ともそれに囚われる。
「それは俺様特製の粘糸だぁ……お前の拳はもう使い物にならんぞ、チビ助がぁ!」
ゲタゲタと笑い声をあげる怪人に向かって、レイダーは構え直す。
あれは――あの構えは。大和の中にあった恐怖はいつの間にか全て掻き消え、代わりに期待と興奮が満ち満ちていた。
「とぉっ!」
レイダーが垂直に跳びあがった。やはり、あれは――!
「レイダーァァァァァ……キィィッッッック!!」
垂直に跳びあがったはずのレイダーの体が、突如弾かれたように前方に方向を変え、猛然、強烈なスピードで怪人に向かった。物理法則的にはあり得ない動きに、怪人はなす術もなくその蹴りをまともに受けた。
「グギャアァァァッ!!」
中に小さなダイナマイトでも入っていたのかと思うほどに爆散し、怪人は跡形もなく消えた。
「これからのこと、ちゃんと考えなくちゃね」
布団をかけ直しながら、美琴は言った。
構内の激闘が終わると、鬼面レイダーはつかつかと大和の元へ歩み寄り、「おうちにかえろう」と一言だけ言った。来た時と同じように二人でバイクに乗り、帰宅すると、小さなレイダーはいつの間にか猛琉に戻っていた。ベルトはつけたままで、戦いの記憶もおぼろげに残っているようだったが、いくつかの言葉を交わしているうちに猛琉はうとうとまどろみ始め、ついには寝入ってしまったのだった。
「そうだな……」
すぅすぅと静かに寝息を立てる息子を見ていると、今日目にした出来事のいくつかが夢だったのではないかという思いに駆られる。
だが、紛れもない現実だ。この子がベルトによってヒーローに変身したことも、運動が苦手な猛琉が大人顔負けどころか人間離れした能力を発揮したことも、その力で凶悪な怪人――あるいはただの危険人物なのか――を打ち倒したことも。どれも、この目で確かに見たことだ。
何が起きてこうなってしまったのか。これからどうすればいいのか。考えなければならないことは山のようにあるように思われた。
ただ、妻の思考は、大和のそれよりもずっと建設的で、現実的だったようだ。
「この子が学校に行っている間に怪人が現れたら、迎えに行って、早退させるしかないわよね。幸い、私もあなたも在宅ワークが基本だから、動きは取りやすいし」
「え? あ、ああ、まぁ……」
「怪人の現場には、私達のどちらかがバイクで連れていくとして……SNSの時代だもの。ナンバーとか何かから正体を特定されちゃうかもしれないわ。何か対策を考えなくちゃ」
「そ、そうだね」
「その度にガソリンを食うから、もうちょっと節約しなくちゃいけないし。警察と協力したら交通費とか出ないかしら……ダメダメ、そんなのヒーローの在るべき姿じゃないわよ」
妻が着々と対策を組み立てていく姿を頼もしいと思いながら、自分達親子はこれからどうなってしまうのだろうと大和は天井を仰いだ。
この日を境に、本道 猛琉(7さい)は、謎の組織KNOCKERとの戦いをスタートさせた。街の平和を脅かす怪人、迫りくる幹部、そして組織の総統。小さな双肩には、今や、比類なく大きなものが乗っていたのである。
また、それは同時に、彼の父 大和と、母 美琴による、息子を守る戦いがスタートしたことも意味していた。毎日の学校、宿題、お友達、近所付き合い、町内行事、身バレ特定を囃し立てるSNS、ワイドショーのネタに群がるメディア、重要参考人の匂いを嗅ぎつける警察組織。
果たして、猛琉はKNOCKERを壊滅させることが出来るのか?
大和と美琴は、愛する息子の正体を隠し通し、平穏な生活を守りとおすことが出来るのか?
だが、そんな一家に、休む間もなく新たな脅威が襲い掛かる――
次回――――「恐怖! コウモリ怪人!!」
あとがき
これはローファンタジーなんでしょうか。ジャンルがよくわかりません。
思いついてしまい、書かずにはいられなくなり書いてしまいました。書いていて面白かったので、現在連載中の作品が完結したら、次はコレにするかもしないかも。
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