セレス港空襲
一方の〈帝国〉側は当然ながら地上のそうした狂態を知ることなく、粛々と任務を実行した。
まず各編隊の先頭位置にいる情報収集機が降下し、霊波探知機と逆探と暗視装置と音響測定器で地上の高射砲や霊波探知機などの位置を特定した。情報収集機はその位置情報を後方の機体に伝えた後、付近に吊光弾を投下して闇夜の中に目標を浮かび上がらせていく。
その過程で1機の情報収集機が被弾して撃墜されたが、引き換えに〈王国〉軍の対空砲陣地は〈帝国〉軍から丸見えになった。
「投下準備!!」
攻撃第1陣を指揮するサザ・ノハリ中佐は墜落していく情報収集機に敬礼を送ると、爆撃の開始を命じた。各機の下部コクピットでは爆撃手が照準器を覗き込み、吊光弾に照らされた目標への投下位置に自機が到達するのを待っている。
なお人間の直感的判断には反するが、爆弾を投下すべき位置は目標の真上ではない。飛行する航空機から落とされた爆弾は、慣性の法則によってそれ自体が前進しながら落下するからだ。
その為目標の真上で爆弾を投下すると、それは目標の遥か遠方に落下する。
ならば爆弾が地表に落下するまでの時間と自機の移動速度を掛け算し、その距離分手前の位置で落とせばいいのかと言えば、それも違う。
落下する爆弾は空気抵抗によって減速し、直線ではなく放物線を描いて落下するからだ。よって投下位置を決めるには、その影響を考慮しなければならない。
しかも空気抵抗というものは高度によって異なる(大気密度が上に行くほど低くなる為)から、一定の式では計算できない。
これだけでも数学嫌いにとっての悪夢だが、実際にはこれに風の影響や気温・湿度による大気密度変化が加わり、計算式は無限に難解になっていく。家の2階から1階に物を投げ落とすのとは訳が違うのである。
〈帝国〉軍ではこの問題に対応する為、単純な方法と複雑な方法の2つを取った。
まず複雑な方法であるが、〈帝国〉軍では各爆撃中隊の指揮官機に大気の状態を測定するためのセンサーと自動計算機を装備している。専用の訓練を受けた技術士官たちがこれらを使って、爆撃時の気象データを測定、それに合わせた投下位置を計算するのだ。
なおこうした機械と人員を搭載するせいで指揮官機の爆弾搭載量は低下するが、それは仕方が無いものとされた。爆弾搭載量の多少の多寡より、正確な照準の方が価値が高い。〈帝国〉軍は演習結果からそう判断したのだ。
次に単純な方法であるが、これはとにかく多数の機体を揃えて大量の爆弾を投下するというものである。先の複雑な方法とは矛盾するようだが、結局この時代の爆撃とは確率論に基づく行動である。
誘導爆弾の技術が未発達である以上、どんなに正確に照準しても爆弾は多少目標からずれて着弾する。ならばとにかく大量に落とすしかないというのも、一面の真実だったのだ。
ノハリ中佐機が投下した32発の10貫(約60 kg)爆弾は、結論から言うと目標とした高射砲陣地のやや向こう側に落下した。
技術士官が算出した爆弾の投下予定位置自体は完璧に近かったのだが、直前にノハリ中佐機の前方で高射砲弾が炸裂し、爆撃手の目を眩ませたのが原因である。
投下された爆弾の弾片の一部は高射砲陣地を襲って〈王国〉軍に戦死3名、負傷6名の損害を与えたが、破壊された砲は1門も無かった。破壊を免れた5寸(約75 mm)高射砲6門は砲撃を続行、そのうち1発がノハリ中佐機の真横で炸裂した。
頑丈な94式重爆の機体はこの爆発に耐えたが、機体の非装甲部を貫通した弾片が機銃手の1人に命中。同機銃手は頸動脈を切断されて即死した。
続いて2番機の左前方で5寸砲弾が炸裂、操縦手を負傷させて機体を一時的に操縦不能に追い込み、更に2番霊動機を停止させた。
この機体が何とか基地に帰還できたのは副操縦手による操縦切り替えが辛うじて成功したこと、及び94式重爆に搭載された自動操縦装置の賜物である。
ノハリの直率中隊は他に5番機と9番機が被弾。合計で戦死2名、負傷5名の損害を出した。特に損傷が激しかった5番機は着陸後に修理不能と見なされ、部品取りの為に解体されることになる。
戦闘機の妨害を実質的に受けなかったにしては非常に大きな損害を、第1中隊は受けたのだ。
これらの結果は対〈帝国〉戦争に臨む〈王国〉政府が、準同盟国〈諸侯連合〉から半ば無理やり買い入れた防空システムの賜物であった。
〈帝国〉との全面戦争になった場合、規模が小さい自国の空軍は短時間で磨り潰される。外交面や内政面ではともかく軍事的にはそこまで無能でなかった〈王国〉政府は、正しくもそう予想した。
そして〈王国〉が〈帝国〉に対抗できるだけの空軍軍備拡張を行うのは、予算面でも人員面でも不可能であるとも。
そこで〈王国〉政府が下した決断が、対空砲部隊の質と量の強化であった。具体的には、〈諸侯連合〉の新型対空砲を丸ごと購入することにしたのだ。この66口径5寸(約75 mm)砲は製造会社の略称から、通称メギンと呼ばれていた。
メギンは非常に優れた砲であった。〈王国〉や〈諸侯連合〉がそれまで使っていた42口径砲の4割増しの初速と3倍の発射速度で、5寸砲弾をばら撒くことが可能だったのだ。
後にこの砲を鹵獲した〈帝国〉軍はその高性能に感銘を受け、コピー品や改良版を自軍にも導入することになる。
もっともメギン66口径5寸砲の真価は初速や発射速度では無かった。近接信管の使用を前提として作られた初の対空砲だったことさえ、あまり重要ではない。近接信管弾の発射自体は旧来の砲でも可能だったのだ。
それらより重要なのは、メギンが世界初の霊波探知機連動型対空砲だったことである。霊波探知機で敵機の位置と速度を精密測定した後に計算機で未来位置を計測、そのデータをもとに射撃を行う。メギンはこれを実用レベルで行える初めての砲だった。
逆に言うとそれまでの対空射撃とは、砲員の山勘と経験則頼みだったということである。目測と音響測定で敵機の位置と速度を割り出し、経験則で未来位置を計算、その方向に向かって砲弾を発射するというのが旧来の対空射撃だったのだ。
これでは当然ながら、非常な幸運と達人レベルの熟練砲員がなければ当たらない。事実石啓教暦1880年公布の〈帝国〉軍対空砲員向け教令などでは、「対空射撃の目的は第一に敵パイロットへの威圧効果である」等と情けないことが書かれている。滅多に当たりはしないと認めているのだ。
光学機器や計算機の技術が発達していた〈帝国〉でこれなのだから、それら技術で大幅に劣る〈王国〉では推して知るべしであった。
故に〈王国〉政府は対空砲部隊の強化に際し、従来の砲を増産するのではなくメギンの購入を選んだ。旧来の対空砲を幾ら沢山配備しても効果はたかが知れていると分かっていたのだ。
一部政治家や軍人は国産砲や照準器の技術が途絶えるとしてメギン導入に反対したが、〈帝国〉との開戦が近づくにつれて彼らも口を噤んだ。
〈王国〉空軍が短期間で壊滅すると予想されている以上、〈王国〉の空を守るものは対空砲しかない。その唯一の頼みの綱は国産の旧式兵器ではなく、外国産であっても最新兵器でなければならなかった。
なお〈王国〉からメギンの購入を打診された〈諸侯連合〉政府は、最初躊躇した。メギンはその価格の高さから、〈諸侯連合〉国内ですら配備が遅れている兵器だったからだ。
国防に不可欠な新兵器を、自国への配備前に外国に輸出するというのはいかがなものか。そんな意見が〈諸侯連合〉軍、及び政府の国防重視派から頻出した。
結局〈諸侯連合〉政府は大量の外貨獲得の誘惑に勝てず、〈諸侯連合〉軍に配備予定のメギンは大半が輸出されることになるのだが。
そんな経歴はともかくとして、メギンは〈王国〉政府が高い金を出した分の働きを示した。セレス港に配備されていたメギンは5個中隊30門に過ぎなかったが、その30門が94式重爆50機以上の撃墜を報じたのだ。
実際にセレス港上空で〈帝国〉が喪失した94式重爆の数は16機であったことが戦後に判明したが、それでも大戦果ではあった。
また帰還した94式重爆のうち45機が修理を必要とする損傷を受けており、中には第1中隊5番機のように着陸後放棄された機もある。高速で防御力に優れた94式重爆でこれであるから、セレス港に来襲した重爆撃機がハギラであれば実際に50機は落ちていたかもしれない。
従来のようなこけおどしではない対空射撃の登場を、セレス港のメギン対空砲は予感させた。
しかしセレス港におけるメギンの活躍が、局所的な奮戦以上の何かを意味しなかったこともまた事実であった。幾ら高性能であっても30門程度の対空砲で、〈帝国〉軍がセレス港に投入した94式重爆400機以上を迎え撃てる筈が無かったのだ。
〈帝国〉軍が制空部隊と名づけた6個中隊が投下する10貫(約60 kg)爆弾の豪雨によって、メギンは次々と破壊された。その最終的な損害は全損が13門、損傷が17門。要は文字通りの全滅である。
損傷を受けた17門の中にはなお射撃を続ける砲もあったが、それが再び上空の94式重爆を捉えることは無かった。メギンの要とも言える射撃用霊波探知機が破壊され、動力となる霊導管も複数個所で切断された為である。
こうなればメギンと言えども、手動で装填・照準を行う旧来の対空砲と変わらない。更にメギンの横に設けられていた旧式砲や対空機銃の陣地、それに他の霊波探知機も、その余波を喰らう形で壊滅していた。
これは後に大きな意味を持つことになるが、この時点での〈王国〉軍にとっては知る由もないことであった。
「対空砲は始末した。後続機は予定通り飛行場と格納庫を叩け」
戦果を確認したノハリ中佐は、意外に大きかった損害に顔をしかめながらも命じた。
地上では〈王国〉軍対空砲陣地が松明のように燃え盛り、周囲を照らしている。時々起きる小爆発は、対空砲弾の薬莢が周囲の炎に焙られて発火したことによるものだろう。地上からの霊波放射も止まっており、〈王国〉軍の基地が丸裸になったことを物語っていた。
ノハリ中佐の指示を受けた第2陣は事前の予定通り、吊光弾の朧な光に照らされている飛行場及び格納庫へと襲い掛かった。
これらの機は制空部隊が搭載している10貫破片爆弾ではなく、100貫もしくは200貫の徹甲爆弾を搭載している。飛行場に短期間では修理不可能な大穴を開け、並行して格納庫内の敵機を破壊するのが、第2陣以降の役割だった。
その少し前、地上の〈王国〉軍基地ではひと悶着が発生していた。セレス港中央から見て5里(約20 km)程南にあるアタン飛行場で、戦闘機パイロットたちが基地司令官に詰め寄っていたのだ。
「何故です? 何故我々に出撃許可を頂けないのですか?」
戦闘機隊小隊長の1人であるカーリ・ドヴィン中尉が、パイロットたちを代表して基地司令官のダン・カザン大佐に詰め寄った。彼の後ろでは各戦闘機隊の小隊長たち、いや中隊長たちまでが頷いている。
彼らは皆出撃を熱望し、司令部に直談判に来たのだった。
「いいか。我々はあくまで〈王国〉軍の指揮下にある。その〈王国〉軍が出撃を命じていない以上、私としても諸君らを出撃させる訳にはいかんのだ」
カザン大佐はもう何度目かになる説明を繰り返した。
アタン飛行場に展開するこの戦闘機隊であるが、名称を国際義勇航空隊という。なお名前の中で現実を反映しているのは「航空隊」の部分だけで、後は見え透いた建前でできている。
隊には〈諸侯連合〉の軍人しかいないのだから「国際」とは呼べないし、〈諸侯連合〉政府の命令を受けて〈王国〉にやってきているのだから「義勇」とも言い難い。
平たく言えば〈諸侯連合〉が〈王国〉への軍事協力の一環として派遣した航空部隊、それが国際義勇航空隊の本質であった。
この国際義勇航空隊であるが、有事には現地の〈王国〉軍の指揮を受けることとなっている。〈諸侯連合〉政府が独自に指揮する案もあったのだが、指揮系統の異なる部隊が混在すれば無用な混乱を招くという正論に勝てなかったのだ。
そしてその現地の〈王国〉軍、すなわちセレス港鎮守府は今に至るまで、国際義勇航空隊に何の命令も出してきていない。代わりに彼らは「ゼードラ夜間戦闘機隊のみ出撃せよ」と言っている。
これはつまり、国際義勇航空隊にも出撃するなという意味であると、カザン大佐は解釈していた。国際義勇航空隊の装備機は全て単座戦闘機であり、そもそも夜間戦闘ができるとは思われていないのだから。
「〈王国〉軍は出撃命令を出していないだけです。出撃するなという命令を出してきている訳では無いでしょう」
しかしドヴィン中尉は、カザン大佐の痛い所を突いてきた。
そう、カザン大佐は別にセレス港鎮守府長官のコッテス中将と会談して、国際義勇航空隊の出撃禁止命令を受け取ったという訳では無い。単に出撃を命令されていないだけの状態である。
だから国際義勇航空隊を出撃させても、命令違反には問われない可能性が高い。特に〈諸侯連合〉と〈王国〉の力関係を考えれば。
「それに〈王国〉が自軍のシグルに出撃を命じていないのは、単に夜間飛行ができないからでしょう。我々なら夜でも飛べます」
カザンの沈黙を肯定と受け取ったらしいドヴィンが更に言い募ってくる。
これもまたその通りであった。国際義勇航空隊の装備機は全てシグル2型。〈王国〉軍に輸出されているシグル1型とは名前が同じだけで別機と言ってもいい機体だ。動力である霊動機はもちろんのこと、翼形や胴体の構造まで異なるのだ。
当然性能はシグル2型の方が段違いに高い。シグル1型は〈帝国〉軍の95式攻撃機や94式重爆撃機に追いつけないので有名だったが、シグル2型であればこれらの機種を邀撃できる可能性がある。
またシグル1型とシグル2型には、カタログスペックには現れない差があった。シグル2型の方が無線機、航法装置、高度計などの性能がいいのだ。この為シグル2型は地上からの情報支援があれば、一応の夜間戦闘が可能だ。
熟練パイロットであればという条件は無論付くが、〈諸侯連合〉は国際義勇航空隊のパイロット全員を熟練者で固めている。準同盟国への見栄である。
つまり国際義勇航空隊は「夜間戦闘可能な単座戦闘機部隊」という、これまでの戦争の常識を覆す部隊なのだ。
「しかしこれは外国の戦争だ。諸君らが危険な夜間飛行をやってまで戦う必要は無いと思うが」
カザンはついに本音を口にした。〈諸侯連合〉が〈王国〉防衛に協力したことを示す為のアリバイ。国際義勇航空隊という仰々しい名前がついた麾下部隊の本質を、カザンはその程度にしか思っていない。
〈諸侯連合〉は〈王国〉滅亡を傍観していた訳では無い。ちゃんと部隊を送る意思はあったが、準備不足と政治上の理由で〈帝国〉軍を止められなかっただけだ。そう言い募る為に国際義勇航空隊はここにいるのであり、実際に戦いに来たのではないのだ。
自分の第一の任務は最善を尽くしたふりをすることであり、実際に〈王国〉の国防に全力で協力することではない。カザンはそう考えていた。
正直〈王国〉と〈帝国〉の戦争など、外国同士の諍いに過ぎない。〈諸侯連合〉の貴重な財産であるパイロットをそこに投入するのは、できる限り避けるべきだ。
ましてや危険な夜間飛行など、絶対にさせたくは無かった。後でカザン自身の責任問題になりかねないからだ。
「何を仰るのですか? 司令官?」
ドヴィン中尉がカザンの言葉を聞いて顔色を変えた。どうやら本気で憤っているらしい。
「我々は友好国を〈帝国〉の暴威から守る為にここにいるのです。地上で時間を潰す為ではありませんぞ」
「それはまあ、そういうことになってはいるが……」
「そうであれば、我々に出撃命令を頂きたい。今ならまだ間に合います」
口ごもるカザンに、ドヴィン中尉がどちらが上官なのか分からない程の勢いで出撃許可を要請してくる。
カザンは頭を抱えたくなった。わざわざ国際義勇航空隊などに入りたがる連中だけあって、彼らの戦意は不必要なまでに高いらしい。
「だが何度も言うがこれは外国の戦争だ。諸君らに出撃する義務はない」
「今日の〈王国〉は明日の祖国です。〈帝国〉の拡張主義から祖国を守るには、今ここで〈帝国〉軍を止めなければなりません」
説得を試みるカザンに対し、ドヴィン中尉が叫ぶように言った。彼のような若い軍人にありがちだが、ドヴィン中尉は〈帝国〉を実際より遥かに好戦的な国だと考えているらしい。
それも無理のないことではあった。〈諸侯連合〉の歴史教育では〈帝国〉の悪行や侵略行為を声高に非難する一方で、〈諸侯連合〉も同じかそれ以上に悪辣な行為を行ってきたことは無視しているからだ。
そんな教育の中で育ったドヴィンが、〈帝国〉を悪の侵略国家と考えるのは当然だった。
本当の所今回の戦争もほぼ〈諸侯連合〉のせいで起きたようなものなのだが、そういう都合の悪い事実が〈諸侯連合〉人に公表される筈も無い。ドヴィン中尉は悪辣な拡張主義国家である〈帝国〉が無垢な被害者たる〈王国〉に攻め込んでいると、無邪気に信じてしまっているようだった。
そしてここで〈王国〉の滅びを座視すれば、次は〈帝国〉の矛先が〈諸侯連合〉に向けられかねないとも。
「……分かった。希望者は出撃したまえ」
カザン大佐は渋々命じた。全く本意ではないが、ドヴィンを始めとするパイロットたちの熱気に勝てなかったのだ。
「頼むから帰って来いよ」
喜び勇んで指令室から出ていくパイロットたちの背中を見ながら、カザンは誰にも聞こえない程の小声で呟いた。