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戦争計画「群青」

 自らが命の危機の瀬戸際にあったとも知らないまま、カズリナ・リーン大将は話を続けていた。

 衛兵兼副官兼お目付け役のハーリ・アコス中佐は最初それを姫君の戯言として聞き流すつもりだったが、途中で否応なく顔色を変えることになった。


 レナン島危機を受けた〈帝国〉政府は、〈王国〉との戦争を既に決意している。だがその〈王国〉侵攻計画(〈帝国〉政府に言わせれば予防戦争計画)の中身を、カズリナが批判し始めたからだ。


「どうも気に入らんな。あの計画。策士策に溺れるの典型になりはしないだろうか」

 

 美しく弧を描いた眉を顰めながら、カズリナは言った。御前会議で決定された戦争計画に、彼女は公然と異を唱えたのだ。

 

 「はあ、それはどういうことでしょうか?」

 

 アコス中佐は冷や汗半分呆れ半分で、カズリナに聞いた。一兵卒から艱難辛苦の果てに佐官まで上り詰めたアコス中佐に、最後のお勤めとして与えられたのがカズリナ・リーン大将のお守りだ。

 姫君の世間話に付き合うだけの気楽な仕事と聞かされてきたのだが、アコス中佐としては最初から嫌な予感がしていた。カズリナという人物はその、よく言えば自由奔放な性格で有名だったからだ。 

 そしてカズリナの言動は、その評判を裏切らないものであった。彼女が続けて言い放つ。

 

 「考えてもみろ。幾ら道路網が整備されているとはいえ、3小里(約1000 m)の高さがある山脈を地上軍が超えるのだぞ。こんなもの、まともな作戦と言えるのか」

 「しかし、それは御前会議で決まったことで……」

 

 「御前会議で決まったからどうした? あの男… いや違った、陛下の御聖断1つで山が平らになってくれるとでも言うのか?」

 「そ、それは……」

 

 アコス中佐は目の前の姫君と自らの運命を内心で呪った。

 どうして自分は軍務の最後の最後で、こんな目に遭わなければならないのだろう。皆に嫌われているが故に意思決定に参加させてもらえなかった人物の愚痴を、延々と聞かされ続けるという。

 いや愚痴の聞き役をやらされるだけなら別にいいのだ。その手のことには慣れている。真の問題は、彼女が述べているのが単なる愚痴ではなく、正論かもしれないということであった。

 


 「〈王国〉軍の大半はアテスク半島西部に配置されているので、裏を掻いて東部のタタ山脈を超えて〈王国〉首都に攻撃をかけるだと? 全く天才と馬鹿は紙一重だな」

 「ま、まあそういう考えもありますな」

 

 アコス中佐は意味のない相槌を打った。反論して彼女の機嫌を悪くするのも、あからさまに同調するのも政治的に危険である。

 

 「そしてこれは、自分を天才だと思っている馬鹿が立てた計画だ。山を100人で登るのと、100万人で登るのでは訳が違うことを分かっていない」

 

 完璧という言葉を具象化したような美しい顔立ちに怒りの表情を浮かべながら、カズリナは言い放った。言い方はともかく中身は正しいと、アコス中佐は思う。

 〈帝国〉軍による〈王国〉侵攻計画、秘匿名称「群青」は、この規模の作戦計画としては投機的に過ぎる。アコスの40年を超える軍経験はそう言っていたのだ。

 


 〈王国〉との全面戦争やむなし。現在の〈帝国〉政府はその方向で一致している。

 〈王国〉領レナン島に建設中の飛行場が完成してそこに〈諸侯連合〉空軍が常駐するようになれば、〈帝国〉首都は常に空襲の危険に晒されることになる。また〈王国〉と〈諸侯連合〉の軍事協力が本格化した場合、〈帝国〉の生命線である南西航路が〈諸侯連合〉海軍に脅かされる。

 こうした事態を防ぐには、現在の〈王国〉政府を転覆するしかない。いつもいがみ合いばかりしている〈帝国〉枢密院と衆議院が珍しく共同で出した結論である。

 〈王国〉が内政の範囲でどんなに愚かな真似をしようが〈帝国〉の知ったことではないが、外政において火遊びを始めた以上、本格的に燃え始める前に手を打つ必要があった。

 

 

 ただ意見が分かれたのが、その方法であった。最初に注目を浴びたのは〈帝国〉空軍が提出した「浅葱」と呼ばれる計画である。

 これは開戦と同時に空挺部隊による奇襲をかけて〈王国〉首都を占領、速やかに戦争を終わらせてしまおうというものだ。上手くいけば1日で戦争が終わるのが、この計画の利点であった。

 しかし「浅葱」計画はその後、殆どまともに取り合われることなく廃案となった。あまりにも冒険的に過ぎるというのがその理由である。

 「浅葱」計画では、〈帝国〉が保有する9個空挺師団全てが〈王国〉首都に同時に降り立つことになっている。こんな大規模な空挺作戦は〈帝国〉、いや世界のどの国もやったことがなく、訓練実績すらないのだ。

 「浅葱」計画はうまく行きさえすれば非常に効率的な軍事作戦だろうが、実行に移すにはあまりに未知の部分が多すぎた。

 

 

 「浅葱」が廃案になった後、今度は〈帝国〉海軍が「露草」計画と呼ばれる案を提示した。これまた開戦と同時に行われる急襲計画だが、目標が「浅葱」とは異なっていた。

 渦中の地であるレナン島を含む、〈王国〉領イテカ諸島と呼ばれる島々を海軍陸戦隊で占領する。そうすることで〈王国〉と〈諸侯連合〉を結ぶ海路を塞いでしまおうというのが、「露草」計画の骨子だったのだ。

 〈王国〉の産業は〈帝国〉と〈諸侯連合〉からの輸入なしには成り立たない。〈帝国〉との貿易は当然ながら開戦と同時に停止するので、開戦後の〈王国〉の生命線は〈諸侯連合〉との海上貿易ということになる。

 その海路を封鎖してしまえば〈王国〉経済は崩壊し、戦わずして〈帝国〉の軍門に下るだろうというのが「露草」計画の理屈だ。

 「浅葱」と違って技術的に手堅い計画であったし、そもそもの発端であるレナン島の飛行場を開戦と同時に取り除けるという利点もあった。

 

 しかし「露草」には、「浅葱」とは全く異なる方向からケチがついた。〈諸侯連合〉を必要以上に刺激するというのだ。

 言うまでもないが、島を陸戦隊で占領しただけでは海上貿易は止められない。占領した島に艦隊と基地航空隊を貼り付け、〈王国〉に向かう〈諸侯連合〉の船団を拿捕ないしは追い返す必要がある。 

 その過程で戦闘が勃発し、それを口実に〈諸侯連合〉が参戦してくる可能性があるのだ。「露草」は技術的な観点から言えば「浅葱」よりずっと安全だったが、政治的に危険過ぎた。

 


 結局最後に残ったのは〈帝国〉陸軍が提出した計画「群青」であった。〈王国〉の本土にあたるアテスク半島に陸路から侵攻して〈王国〉主力軍を撃破、最終的に首都を占領して城下の盟を結ばせるというのが大枠だ。

 何の意外性も面白味もないが、これが最も安全確実だと議会も枢密院も認めたのだった。

 

 しかし「群青」は空軍の「浅葱」や海軍の「露草」とはまた違った意味で、不必要に野心的な要素を含んでいる。ハーリ・アコス中佐、そしてカズリナ・リーン大将はそう考えていた。

 

 「群青」計画では〈帝国〉と〈王国〉の東部国境を突破し、アテスク半島南東部にある〈王国〉首都に向かって、軍をほぼ一直線に進撃させることになっている。

 しかしその東部国境付近には、タタ山脈と呼ばれる山岳地帯が広がっているのだ。5個軍102万の戦力を山越えで進攻させるなど、アコスには狂気の沙汰としか思えなかった。

 

 一応、「群青」計画が東部を主攻方面としているのには理由がある。

 グラートン線と呼ばれる強固な要塞線が構築され、〈王国〉軍主力が常駐している西部国境と比較して、東部国境はほぼ無防備な状態で開け放たれている。だから東部からの攻撃は戦略的奇襲となるであろうというのが、その理由である。

 またタタ山脈は山岳地帯とはいえ交通インフラが整備されており、10歳の子供でも登れる程度の山だ。だから高低差は大した障害にはならないだろうと、「群青」計画の作成者は述べた。

 初等学校生徒が遠足に行くような山を、鍛えられた職業軍人が超えられない訳が無い。要塞化された西部国境に正面攻撃をかけるより、東部国境の方がずっと突破しやすいと。

 

 しかしこうした物言いは大事なことを忘れていると、カズリナは指摘していた。

 初等学校の遠足なら持っていかなくてもいい重量物を、遠征軍は持っていかなければならない。各種兵器やその部品、動力用の畜霊器などである。

 そうした重量物を3小里(約1000 m)上まで引き上げ、また降ろすというのがいかに困難なことか、「群青」計画の立案者は本当に理解しているのか。アコス中佐としても疑わずにいられなかった。

 また遠足と違って水や食料についても、足りなくなれば売店で買うという訳にはいかない。〈王国〉軍が焦土戦術を取る可能性を考えれば、結局は〈帝国〉本土から糧食や浄水剤を運ばざるを得ないだろう。

 大都市1つ分の人員に山越えでそれらを供給するだけで、控えめに言っても大事業である。

 


 「大体連中は、どうやって山を超えた後の補給を維持するつもりなのだ? まさか鉄道や登山道を使うのか? 敵に1人でもまともな指揮官がいれば、そいつに鴨撃ちの的を提供してやるだけだぞ」

 

 カズリナが更に言った。言い方はともかく中身は正しいと、アコス中佐の軍歴は言っていた。

 タタ山脈は確かに登りやすい山だが、それは鉄道と登山道があるからであって、別に地形が人間の交通に適しているという訳では無い。線路や舗装道路を一歩出れば、そこには急峻な斜面と鬱蒼とした森林が広がっているのだ。

 

 戦時下にこんな場所を通って大量輸送を行おうとすればどうなるか。山岳演習で中隊指揮官をやっていた頃の経験から想像はついた。

 ありとあらゆる車両が限られた通路に集中して大渋滞を起こし、そこに敵の砲爆撃が降ってくる。輸送部隊の大損害は必至だし、それはそのまま先に山を超えた102万人の孤立に繋がる。

 というか、敵の指揮官がアコスやカズリナ程度にまともであれば、間違いなくそれを狙うだろう。

 


 「しかし、私達にはどうすることもできません」

 

 陰鬱な情景が脳裏を過ぎるのを感じながら、アコス中佐は力なく呟いた。「群青」が危険すぎる計画なのは、全く以てカズリナが言う通りである。

 だがアコス、そしてカズリナはそれが分かっていてもどうしようもない立場だ。「群青」作戦を担当するのは新編のタタ方面軍であり、カズリナが名目上の指揮を執るアテスク方面軍ではない。

 お飾りと言えどせめて実行部隊の司令官なら計画の修正もできるだろうが、隣の戦線を担当する部外者にできることはない。できるのはここで愚痴を吐くこと位である。

 

 「どうも私は信用されていないらしいな」

 

 カズリナが長い銀髪を弄びながら苦笑した。アコス中佐は思わず口から出そうになった「それはそうでしょう」という言葉を無理やり呑み込んだ。

 ただ皇帝の孫だというだけの理由で大将になった19歳の女性に、何かを期待する方が間違っている。「群青」作戦の実行にあたるのがカズリナのアテスク方面軍ではなくタタ方面軍なのも、〈王国〉への偽装工作であると同時に、司令官の能力が信用できないからだろう。

 

 そしてそれは当然のことだ。500年前ならいざ知らず現代において、皇族だから生まれつき神の恩寵を受けているなどと考えるのは一部の馬鹿だけだ。

 そういう馬鹿が〈帝国〉軍参謀本部に就職できる筈も無い。

 

 

 「何か勘違いしているようだな」

「は?」

 

 「参謀本部が私を信用しないのはまあ当然として、貴官も私の能力を信用していないようだと言いたいのだ」

 「い、いえ、決してそのような……」

 

 突然矛先が自分に向けられたのを悟ったアコスは、目を白黒させながら弁解した。

 まあ図星ではある。アコスはカズリナを、大将の階級章をつけただけの新米少尉程度にしか思っていない。

 ちゃんと士官学校を卒業しているだけ皇族系の軍人としてはまともだろうが、それ以上では無いだろうと。

 


 「まあその通りだ。私と貴官がそれぞれ同じ規模の部隊を率いて対抗演習をやれば、確実に貴官が勝つだろう」

 

 カズリナが微笑しながら言った。どうやらカズリナはその程度のことは理解しているらしい。

 理解している分、新米少尉の平均よりは大分マシかもしれないと、アコスはふと思った。

 

 「しかしな。私にできて貴官にはできないこともあるのだ」

 

 カズリナは言った。手の込んだ悪戯を企んでいる子供の表情だった。

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