セカナ市への前進
アゼカン・ナハト中尉が指揮する97式装甲自走砲小隊はその時、道端の交通標識にセカナ市の紋章を発見した所だった。
ぱっと見は今までと変わらない麦畑だが、〈王国〉の行政上はここからがセカナ市であるらしい。
「いよいよ目的地周辺だが、全員気を抜くなよ」
ナハト中尉は部下たちに命じた。
ナハトが指揮する装甲自走砲小隊はこの先にある筈のセカナ駅及び操車場を、他の部隊とともに占領することになっている。
その際に現れるかもしれない敵対戦車砲や装甲列車などを砲撃で撃破するのが、ナハト達に与えられた任務であった。
(妙なことになったもんだ。これなら最初から西部に全戦力を集中して力攻めした方が良かったんじゃないのか)
キューポラの狭い視界の中を過ぎ去っていく標識を見ながら、ナハト中尉はこっそりと思っていた。
この調子ならグラートン線は今週中に攻略できる。
こんなにあっさりと攻略できるなら、「群青」作戦などと言う茶番は果たして必要だったのだろうか。初めからこの西部に主力軍を集中して強襲した方が戦争は早く終わったのではないか。ナハトとしてはそう思えてならなかったのだ。
だがナハトはその後に苦笑した。自分が典型的な事後的予言者になっていることに気付いたのだ。
考えてみれば戦闘開始前のナハトは、今回のグラートン線攻撃に対して非常に悲観的な見方をしていた。
恐らく熾烈な抵抗に直面するだろうし、歩兵支援をすることになっている自分の小隊は壊滅的打撃を受けるだろう。ナハトはそう考え、出撃前に遺書を書いておいた程だったのだ。
それが今や、グラートン線など簡単に抜けると思うようになっている。
人間の思考というのは実に素早く、そして自分に都合よく変わるものだ。ナハトは期せずしてそれを実感させられたのだった。自分でも笑いたくなるほどに。
「どうなさいました? 隊長?」
砲手のアハブ兵曹が怪訝そうに聞いてきた。ナハトが何故いきなり笑い出したのか分からなかったのだろう。
「いや、前の戦争のときよりは随分と楽だと思ってな」
ナハトは答えた。
8年前に起きた小戦争である北方動乱に、ナハトは下士官として従軍している。
あの時と比べれば、今回のグラートン線攻略は気楽なものだった。制空権を味方が取っており、何よりも圧倒的な火力があるのだから。
ちなみに〈帝国〉は北方動乱の公式な参戦国ではない。
北方動乱自体が〈帝国〉から見て北西にあるアゼルカ島を主領土とする小国、〈公国〉内の内戦であるからだ。
ただの内戦である以上、〈帝国〉を始めとする諸外国は介入していない。名目上はそういうことになっている。
北方動乱は〈公国〉の州権派と国権派による国内の勢力争いであり、対立内容自体も実に馬鹿馬鹿しいものだ。そんなものに〈帝国〉は関与していないというのが、政府の公式見解であった。
しかし無論、建前と本質はしばしば食い違う。実のところ〈帝国〉はライバルの〈諸侯連合〉と並んで、北方動乱に最も深く関与した国の1つであった。
事の発端は北方動乱で敗北寸前になった州権派が、〈諸侯連合〉に協力を要請したことである。
〈諸侯連合〉はこれに応える形で、州権派こそが〈公国〉の正当な政権であると国際会議で主張した。
次に〈諸侯連合〉は「国際義勇軍」なる武装組織をでっち上げ、内戦中の〈公国〉に送り込んだ。
「国際義勇軍」の中身が〈諸侯連合〉とその衛星国の軍隊であることは明白だったが、建前上は〈公国〉正当政府を支援する為の国際的な志願兵部隊であるとされた。
〈諸侯連合〉籍の船で運ばれ、〈諸侯連合〉製兵器を装備した「国際義勇軍」はその圧倒的な戦力により、一時は〈公国〉領の8割を占領するに至る。
一転して〈公国〉内から追い出されそうになった国権派がしたことは無論、〈諸侯連合〉の仮想敵国である〈帝国〉への協力要請であった。
州権派を、内戦に外国軍を呼びこんだ売国奴と呼んでいた国権派であるが、自らも追いつめられると同じことをしたのである。
〈帝国〉政府は最初、こんな馬鹿げた内戦に介入するのを躊躇したが、結局「特別軍事顧問団」の名で軍を派遣することになる。
このままでは戦後の〈公国〉が〈諸侯連合〉の衛星国となり、〈帝国〉が〈公国〉内に持っている石炭採掘権が奪われるかもしれない。実業界からのそんな声に勝てなかったのだ。
かくして「特別軍事顧問団」は国権派が辛うじて確保していた港から上陸し、「国際義勇軍」と対決することになった。
陰惨な喜劇であった。
北方動乱における本来の主役である筈の州権派も国権派も、動員した兵力は10万程度に過ぎない。〈公国〉自体の人口が少なかったし、大規模な軍隊を組織化できる程に強力な中央政府は、同国には存在しなかったからだ。
つまり北方動乱は外国軍さえ来なければ、数万程度の犠牲で終わったと思われるのだ。
しかし現実には州権派と国権派がそれぞれ呼びこんだ数十万の外国軍がやってきて、〈公国〉の国土は荒廃していった。
最終的に〈公国〉は人口の2割弱を失い、その国土は州権派支配地域と国権派支配地域に分割されることになる。
どちらの陣営も自らの勝利を主張したが、州権派と国権派両方が敗北したと言った方が事実に近いだろう。
ナハトはこの馬鹿げた戦争に「特別軍事顧問団」の一員として参加し、そこで地獄を見た。
ナハトが属していた第26戦車連隊は、州権派が〈公国〉首都手前に敷いた要塞線であるアギス線の突破作戦に投入されたのだ。
ちなみにアギス線の名は、州権派の英雄(国権派に言わせればテロリスト)とされる人物の名前から取られている。
結果から言うと、アギス会戦と呼ばれるこの戦いは「特別軍事顧問団」の敗北に終わった。
主力の第26戦車連隊はアギス線をついに貫通できなかったのだ。
アギス線は〈諸侯連合〉の国境要塞やこのグラートン線を模して作られた要塞で、何重にも渡る陣地線と多数の火砲群で構成されていた。
そこに突入した第26戦車連隊は下は対戦車銃、上は野戦重砲に至るあらゆる火器で乱打され、徐々に兵力を消耗していったのだ。
連隊が保有していた168両の86式戦車のうち、撤退命令が下された時点での稼働車両は39両のみという、それは惨状だった。
ナハトもまた、アギス会戦で乗車を失った戦車兵の1人だった。
まずは敵野砲と迫撃砲の猛火によって歩兵が引き剥がされ、次に中隊長車が対戦車地雷を踏んで履帯を損傷。これが不幸の始まりだった。
中隊長らが車外に出て修理している所に敵諸兵科連合部隊が現れ、撃ち合いになったのだ。
ナハトの駆る86式戦車は敵戦車2両を撃破し、推定20人程の敵歩兵を死傷させたが、自らも対戦車銃弾を喰らって砲手が戦死する被害を受けた。
86式戦車初期型の側面装甲はたった1寸4分(約20 mm)の垂直装甲であり、距離と当たりどころによっては対戦車銃弾でも貫通されたのだ。
その後は通信手が砲手を代行して戦闘を続けたが、今度は3寸(約45 mm)対戦車砲の射撃を喰らって駆動系を損傷した。
それでもナハトは動けなくなった戦車の指揮を続け、他車の協力もあって最終的に敵を追い返すことに成功したが。
(結局、あの忌々しい陣地は抜けなかった)
右腕に残る古傷を撫でながら、ナハトは黙考した。
ナハトが所属していた戦車中隊は戦車2個中隊相当、歩兵3個中隊相当からなる敵軍を独力で撃退したが、被害もまた甚大だった。
14両の戦車のうち全損は4両に達し、これらの乗員は全員が戦死するか重傷を負っていた。
残り10両も7両が何らかの損傷を受けており、満足に行動できるのはたった3両。無傷または軽傷の兵は70名中32名のみ。つまりは部隊としての戦闘力をほぼ喪失したのだ。
しかも戦死した中隊長に代わってナハトが味方と連絡を取った所、更なる敵軍が接近中という情報が入ってきた。
結局ナハト達は損傷した7両の戦車を爆破した後、無事だった3両の戦車の上に跨乗して撤退する羽目になったのである。
その過程で待ち伏せしてきた敵歩兵部隊との戦闘があり、ナハトはこの戦闘で重傷を負った。
戦い全体を見渡しても、ほぼ同じような結果に終わっていた。
歩兵は敵の防御砲火によって前進できなくなり、突出した戦車は敵のあらゆる武器によって攻撃された。「特別軍事顧問団」はその結果として壊滅的打撃を受け、攻勢発起点まで押し返されてしまったのだ。
それと引き換えに得られたのは、少なくとも損失比率では敵を上回ったという虚しい名誉と、要塞化された陣地帯に正面攻撃をかけてはならないという戦訓である。
戦車というのはそもそも陣地帯を突破する為に生まれた兵器の筈だが、その戦車はアギス線をついぞ突破できなかったのだ。
戦車の存在意義自体が疑われる事態であり、〈帝国〉軍内では戦車無用論が再燃する騒ぎになった。
結局、他ならぬ「特別軍事顧問団」の将兵たち自身が戦車の有用性について訴えた為、戦車無用論は鎮火されたが。
そのような経験をしたナハトにとって、今回のグラートン線攻撃はいかにも無謀な作戦に見えた。北方動乱の戦訓において否定されたはずの、「要塞化された陣地帯への正面攻撃」そのものだったからだ。
各部隊は大損害を出し、自分は今度こそ戦死するのではないか。ナハトはそう思いながら攻撃に臨んだのだ。
だが案に相違して、グラートン線攻略は非常な迅速さで進んでいた。
〈帝国〉軍はアギス線より遥かに強力な要塞線である筈のグラートン線を易々と突破し、今や最深部に喰いこみつつある。
ナハトの心配は、結果から言えば完全な杞憂だったのだ。
このような結果になった理由は、やはり航空偵察と砲兵火力だろうとナハトは思う。
今回の〈帝国〉軍はアギス線攻撃の時と違って航空優勢を握っており、敵要塞の構造や兵力配置、その移動などを監視することができた。
更に敵の数倍の砲兵火力を持っており、敵戦力を航空偵察と連動した砲撃で無力化できた。
その結果、〈帝国〉軍はアギス会戦の二の舞を演じずに済んだのだ。
「しかし見事にやることがありませんでしたね。ただでさえ年代物の砲なのに、これじゃあ錆びついちまいますよ」
砲手のアハブ兵曹が続いて柄にもない冗談を言った。
今回の作戦において、ナハト指揮する装甲自走砲小隊はほぼ何もしていないと言っていい。
砲撃を行ったのは一回だけだし、その一回にしても戦闘と言えるような代物では無かった。
前方の廃屋に敵狙撃兵が潜んでいる可能性があるので、砲撃で潰してほしい。前を進む歩兵からのそんな要請を受け、その廃屋を破壊しただけだったのだ。
なお砲撃後に調べた所、廃屋に敵狙撃兵など存在しなかったことが分かった。
どうやら割れ窓に僅かに残ったガラスに陽光が反射している様子を、歩兵の1人が狙撃銃のレンズと見間違えたらしい。何ともそそっかしいことであった。
「新兵器の実戦テストと言っても、これでは何も分からんな。まあこいつを新兵器と呼んでいいか自体が分からんが」
ナハトは微苦笑を浮かべながら返した。
97式装甲自走砲はその名が示す通り、今年になって採用されたばかりの新兵器である。と言っても新しい技術は何も使われておらず、言ってしまえば既存兵器のコンパチであった。
旧式化した86式戦車の車台に、これも旧式化した60式野砲を搭載して固定戦闘室で覆ったのが、97式装甲自走砲なのだ。
このような兵器が作られた理由は、簡単に言えば86式戦車と60式野砲という両兵器が余っていたからである。
主砲が62口径3寸(約45 mm)砲でしかない86式戦車は北方動乱で火力不足が指摘され、新型の96式戦車への置き換えが進んでいた。
主砲を96式戦車と同じ64口径4寸(約60 mm)砲に換装すればまだ使えるという意見は一応あったのだが、この案も結局お流れになった。
64口径4寸砲の生産は96式戦車用で手一杯であり、86式戦車の分まで作る余裕は無かったのだ。
新型戦車の増産が進んでいるのに、いちいち旧式戦車を手間暇かけて改良する価値はない。そんな判断が働いたとも言える。
次の60式野砲は86式戦車以上に陳腐化した兵器であった。
砲としての出来は悪くない、というか5寸(約75 mm)級野砲の完成系に近いのだが、その5寸砲自体が〈帝国〉では時代遅れになりつつあったのだ。
北方動乱の戦訓もあって、〈帝国〉軍の新型野砲である91式野砲は7寸(約105 mm)口径を採用した。5寸砲の射程や威力は、野砲として今一つであるという意見が多かった為である。
ちょうど砲兵の自動車化が進んでいた時代でもあった為、〈帝国〉軍は思い切った大口径砲を次期主力野砲に据えたのだった。
こうした装備の更新自体は別に悪いことではない。むしろ兵器大系の健全な新陳代謝と言っていいものだったが、その過程で問題が発生した。
旧式兵器に転落した86式戦車と60式野砲がデッドストックと化して、〈帝国〉軍の倉庫に積み上がったのだ。しかも輸出だけでは捌き切れない程大量にである。
維持費も馬鹿にならない為、〈帝国〉軍としては何とかこれらを有効活用する必要に迫られた。
そんな中、歩兵部隊が出してきた要望書が〈帝国〉軍高官の目に留まった。
要望書の内容は、歩兵に直恊する小型自走砲が欲しいというものであった。
北方動乱では準備砲撃を生き延びた「国際義勇軍」の機関銃や迫撃砲が、「特別軍事顧問団」の歩兵にしばしば大損害を与えた。これらの比較的小型の火器は隠匿と再展開が用意である為、普通の準備砲撃では潰し切れないのだ。
砲撃後に突撃を行う歩兵とともに前進し、こうした火器を直接照準射撃で破壊してくれる自走砲が必要。要望書はそう訴えていた。
そういう歩兵直恊用自走砲が1個歩兵師団につき1個大隊程度ついてくれれば、歩兵部隊の前進はより手早く行えると。
また要望書にはその自走砲に求められる具体的スペックも示されていた。
機械化歩兵に追随できる機動力、機関銃や迫撃砲をアウトレンジできる火力、3寸(約45 mm)級対戦車砲に耐えられる防御力というものである。
北方動乱の戦訓を踏まえれば、歩兵直恊に使う小型自走砲と言えどもこの程度のスペックを持つ必要がある。それが歩兵部隊の意見であった。
普通の国であれば、こんな要望はあまりに贅沢な要求だとして却下されていただろう。
歩兵が要求してきている自走砲をその通りに作れば、歩兵直恊用小型自走砲というよりは戦車に近い代物になってしまう。そして当然それは戦車の製造ラインを圧迫することが予想されるからだ。
そんなモノをわざわざ作るよりは本物の戦車を作った方がいい。これが通常の反応である。
しかし90年代初頭の〈帝国〉という特殊な環境では、歩兵部隊が出してきたこの要求は渡りに船であった。
ちょうどいい車台と火砲、すなわち86式戦車と60式野砲が倉庫に山積みになっていたからである。
この2つを組み合わせれば、歩兵部隊が求める兵器が作れるしデッドストックも掃けるという考えが、軍上層部の頭に浮かんだのは当然の帰結であった。
その結果がナハト達が今乗っている車両、97式装甲自走砲である。
研究予算の都合で制式化は今年に入ってからになったが、それからの生産は早く、既に2000両以上が生産されている。
戦時体制に入った〈帝国〉の仕事の速さと、〈帝国〉軍がいかに沢山の旧世代兵器を死蔵していたかが伺える数字である。
そのうち500両ほどが歩兵師団に直恊する自走砲大隊として今回の作戦に投入されたのだが、果たして満足な実戦評価はできたのだろうかと、ナハトとしては思う所だった。
攻撃に先だって行われた準備砲撃と、先鋒の戦車師団や機械化歩兵師団の攻撃で、勝負はほぼついてしまったからだ。
後続する歩兵師団の仕事は敵が放棄していった陣地の占領や敵捕虜の後送だけであり、まともな戦闘はほぼ起きなかったと言って良い。
当然、97式装甲自走砲が活躍する場面も無かったと思われる。これではこの兵器が役に立つのかどうか分からない。
そんな中、戦いはいよいよ大詰めに入ろうとしていた。交通の要所であるセカナ駅とセカナ操車場の攻略である。
本来この駅は第4戦車師団が攻撃する筈だったのだが、同師団は隣の第12機械化歩兵師団の応援に回された。その為後続する第114歩兵師団、つまりナハト達の所属師団にお鉢が回ってきたのである。
(しかしこの編成は、流石に敵を侮り過ぎていないか)
ナハトはこっそりと思っていた。
第114歩兵師団はトラックで移動する普通の歩兵師団であり、本来の担当である第4戦車師団のような機動力は持っていない。しかしセカナ駅への進撃はほぼ時間通りに進んでいる。
どうしてそれが可能になったかというと、師団から高速部隊だけを抽出したからである。
具体的に言うと、師団内で唯一の機械化歩兵連隊である第203歩兵連隊にこれまた唯一の自走砲大隊を付け、更にナハトが所属する装甲自走砲大隊も付けた。
連隊長の名前を取ってアレンタス支隊と呼ばれるこの部隊を使って、セカナ駅を攻略する。師団長がそう決定したのである。残りの部隊は後方地域の確保に当たるらしい。
大丈夫だろうかというのが、アレンタス支隊の編成を知らされたナハトの率直な感想であった。
こういう高速部隊は確かに便利なのだが、敵の本格的な抵抗に出くわすと短時間のうちに磨り潰されてしまう。それが北方動乱でナハトが得た戦訓である。
少数精鋭と言えば聞こえはいいが、大抵は数の暴力には叶わないものなのだ。
しかもアレンタス支隊は「精鋭」とも言い難い。主力の第203歩兵連隊は新兵中心の部隊だし、唯一の機甲戦力である装甲自走砲大隊は得体のしれない新兵器だ。
せめて軍団直属の戦車連隊を借りられなかったのだろうか。
しかし所詮は下級士官の自分が文句を言っても仕方がないことを、ナハトは知っていた。
とにかく作戦は始まってしまったのだから、ナハトとしては本分を尽くすだけだった。




