苦難の決意
「……分かった。ひとまず塹壕に戻って負傷者の応急手当を行う。通信兵はその間に連絡が取れる衛生部隊を探せ」
キルマは少しばかり悩んだ後、ひとまずそう命じた。
これが最良の判断である自信は無いが、ここで無為に時間を過ごすよりはマシだろう。
キルマは負傷者の1人に肩を貸してやりながら、自分たちが飛び出した塹壕に向かって歩き始めた。
そしてキルマは発煙弾の白い靄がかかる中で見た。キルマの小隊がいた塹壕、いや辺りの陣地一帯に〈帝国〉軍旗が掲げられ、〈帝国〉語での会話が為されているのを。
「これは……」
キルマは絶句した。少し向こうに、緑色の軍服を着た死体が20個ほど、無造作に放置されているのが見えたのだ。
顔を見ると塹壕に残っていた筈の対戦車銃手や迫撃砲手、それに予備通信手等である。
その脇の塹壕内には装甲輸送車の近くに倒れていたのと同じ青灰色の軍服を着た兵士たちがいて、キルマたちに銃を向けている。
横に目を移すと巨大な黒い影が幾つも見えた。〈帝国〉軍の96式戦車と91式装甲輸送車だ。その傍には見慣れない形状の車両も見える。〈帝国〉軍の新兵器だろうか。
「もうとっくに、突破されていたというのか」
キルマは呆けたようにその言葉を繰り返した。
何が起きたかは、分かりたくないが分かる。キルマたちが発煙弾の靄の中で戦っている間に、周囲の第1線陣地は他の〈帝国〉軍部隊により占領されていた。
キルマが塹壕に残した下士官兵たちはそれを阻止しようと戦い、そして全滅したのだ。
「今すぐ武器を捨て、手を上げてください。さもなくば射撃せざるを得ません」
塹壕内を占拠している〈帝国〉兵、その指揮官と思われる人物が〈帝国〉訛りの〈王国〉語で言った。
キルマは呆然と周囲を見渡した。
ここは何もない平野だ。自分たちが身を隠せる場所など無い。
しかもこちらの半数近くは、戦闘力を失った負傷者と来ている。
そして何より、敵兵の軽機関銃と戦車の重機関銃は既にこちらに向いている。抵抗の意思を示せば、キルマたちは芝刈り機にかけられた雑草より容易く薙ぎ倒されるだろう。
「……皆、武器を捨てろ。〈帝国〉軍に降伏するんだ」
キルマは小銃を投げ捨てながら手を上げた。悔しいがやむを得ない。
「しかし隊長……」
「言う通りにしろ。これは命令だ」
傍にいた上等兵が躊躇の声を上げたが、キルマは彼を押しとどめた。
今ここで〈帝国〉軍に抵抗しても、得られるのは「自分たちは最後まで戦った」という自己満足だけだ。そんなものの為に数十名の生命を捨てる価値はない。
約1刻後、武装解除されたキルマたちは〈帝国〉軍の大型軍用トラックに詰め込まれていた。
トラックはそのまま発進して国境の向こう側、〈帝国〉領へと向かっていく。
道は前も後ろも、キルマたちと同じく降伏した〈王国〉軍将兵を積んだ大型トラックで一杯になっていた。
更に後方を見渡すと、緑色の軍服を着た死体が山積みにされ、〈帝国〉軍工兵が掘った孔に埋葬されようとしている。
「一体どこまで突破されたんだ?」
キルマは愕然として言った。
この光景を見るにグラートン線第1線陣地は全体が突破されたようだ。難攻不落を誇った筈が、1日と持たずに陥落したのだ。
それだけならまだしも、第2線陣地や第3線陣地も怪しい。何故なら上空の〈帝国〉軍砲兵観測機は、どう見ても第4線陣地より後ろの空を優雅に飛んでいるからだ。
「軍事機密につきお答えできませんね」
キルマの独白を質問と勘違いしたらしい捕虜監視係が、流暢な〈王国〉語で答えた。
彼の横では数人の〈帝国〉兵が、軽機関銃を三脚に載せて構えている。逃走や抵抗を試みる者は即座に射殺すると、キルマたちはトラックに乗せられた時に伝えられていた。
「ただ私が言えるのは、あなた方は賢明な判断を為さったということです。もうすぐ滅びる国に忠誠を尽くしても意味は無いのですから」
その頃戦闘は、アタス・キルマ少尉の最悪の予想をも超える形で進んでいた。
カズリナ・リーン大将率いる〈帝国〉アテスク方面軍は大まかに分かれて6つの線からなるグラートン線のうち、既に5つまでを突破していたのだ。
「何とか止められないのか?」
グラートン線を防衛する第1軍集団の指揮を執るアデン・ハーカスト元帥は、戦況図を見ながら怒号とも悲鳴とも付かない言葉を発した。
グラートン線が突破されれば、〈王国〉北西部、いや〈王国〉という国そのものが累卵の危機に瀕することになる。
グラートン線は地形が平坦で大軍の通行に適する西部国境を守る為に作られた要塞線だ。裏を返せばグラートン線が突破されてしまえば、西部に〈帝国〉軍を遮ることができるような地形障害は何もないということである。
グラートン線を突破した〈帝国〉軍はサズハリ市やナキナ市のような重要都市、いやそれらを飛び越えて首都に突っ込んでくるかもしれない。
「無理です。そもそも司令官がご存じのように、我が軍には兵力が足りません。機動予備の殆どが東部に抽出されてしまいましたから」
だが参謀長から返ってきた答えは無情なものだった。
第1軍集団は本来150万(総動員時)の兵力を擁していたが、そのうち110万は東部の第2軍集団に引き抜かれている。残り40万の兵力で〈帝国〉軍の猛攻を止めるのは不可能だというのだ。
「敵の数は70万から100万と聞いている。要は我が軍の2倍程度だ。攻者3倍の法則から言えば、何とかなる筈ではないのか?」
ハーカストは殆ど喚き散らすように言った。
要塞を攻撃する側には、守る側の3倍の兵力が必要。昔からの軍事法則である。幾ら武器や戦術が進歩しようと、この原則に大きな違いは無い。
ならばグラートン線という要塞に籠る〈王国〉軍は、自軍の2倍程の兵力しかない〈帝国〉軍を追い返せる筈ではないのか。
「攻者3倍則が成立するのは、あくまで守る側と攻める側の質が同等の場合です。情報面や火力面で大差をつけられている今の状況では、そんな法則は通用しませんよ」
だが参謀長から返ってきたのは、またしても無情な現実だった。
〈帝国〉軍は入念な航空偵察によって情報上の優位を手に入れ、要塞の弱点を的確に攻撃してきている。
対する〈王国〉軍は〈帝国〉軍について何も知らないに等しく、敵がどこに重点を置いて攻めているかも分かっていない。
敵の兵力が70万から100万というのも、あくまで大雑把な推定値に過ぎないのだ。
また現代戦において重要な火力でも、〈帝国〉軍は〈王国〉軍を遥かに凌駕している。参謀長はそうも指摘した。
グラートン線に配置されている火砲の数はおよそ4000だった。
対する〈帝国〉軍の火砲は少なくとも2万、もしかしたら3万に達するかもしれない。
これだけの火力を前にして、防御側の優位も何もあったものではないと。
「ついでに申し上げますと、こちらには敵が潤沢に持っている戦車や装甲輸送車がありません。特に装甲輸送車の不足は致命的です。敵の砲火の中で部隊を移動させられないということですから」
参謀長が止めのように付け加えた。
第1軍集団には戦車、自走砲、装甲輸送車と言った機甲戦力が殆ど存在しない。正確に言えば本来の編制では存在するのだが、それらは東部を守る第2軍集団に召し上げられてしまった。
よって第1軍集団内の部隊が移動する方法はトラックや列車、ないしは歩兵自身の脚ということになる。
敵の砲火が降り注ぐ中、これでは損害なしに兵力を移動させることができない。参謀長はそう述べた。
軍用トラックは所詮非装甲の装輪車両であり、敵の砲撃中に移動することも、砲撃後に移動することもできない。
砲撃中に移動すれば簡単に破壊されてしまうし、砲撃後に穴だらけとなった地面を通行するのも不可能だからだ。
列車は線路が破壊された時点で走れなくなるし、徒歩移動では遅すぎる。
砲撃下で兵力を高速移動させる能力を持つのは、敵のみが保有している装甲輸送車だけなのだ。
「尋常一様の手段ではどうにもならんということか」
ハーカストは唸り声を上げた。
グラートン線は旧時代の常識では難攻不落の筈だった。しかし〈帝国〉軍が仕掛けてきた新時代の戦争、異常なまでの火力集中とそれに続く機甲部隊による突破により、1日で陥落しようとしている。
「どうなさいます、司令官?」
今度は参謀長が質問してきた。いや質問と言うよりは懇願である。
〈帝国〉軍が司令部に突入してくる前に、さっさと全軍に降伏命令を出してくれ。それが彼の本音なのだろう。少なくともハーカストはそう感じた。
会話の内容や態度を見るに、参謀長は完全に戦意を失っている。
そしてそれは必ずしも非難されるべきことではないとも、ハーカストは思う。ハーカストがここで降伏命令を出せば、少なくとも20万以上の〈王国〉軍将兵の命が助かる。
どうせ勝てる筈も無い戦いを続けるよりは人命を優先すべき。そんな考えもあって当然だろう。
だが。
「……降伏する訳にはいかない。キャッセルの第2軍集団は、我々に背中を預けているのだ」
数瞬の沈黙の後、ハーカストは答えた。
逆説的だが、残っている〈王国〉軍が自分の第1軍集団だけであれば、ハーカストは部下将兵の生命を救う為に降伏命令を出したかもしれない。
だが〈王国〉軍はこの西部だけで戦っている訳では無い。ザオ・キャッセル元帥の第2軍集団が、東部で敵の大軍と対峙しているのだ。
ハーカストの第1軍集団がここで抵抗を止めてグラートン線を明け渡せばどうなるか。
西部の〈帝国〉軍、即ち第1軍集団が今戦っている敵軍は南東に進み、第2軍集団の背後を衝いてくる。そうなれば第2軍集団は壊滅するだろう。
(祖国を裏切らざるを得ない場合はある。しかし戦友を裏切ることはできない)
ハーカストは心の中で呟いた。
キャッセル元帥の第2軍集団は、ハーカストの第1軍集団が降伏しないと信じて今も戦っている。彼らの信頼を裏切るような真似はできなかった。
「第1線から第5線に残っている全部隊に対し、東側を前進する〈帝国〉軍への側面攻撃を命じろ。第6線の部隊は集合し、セカナ市に突出してきている敵軍を叩く」
ハーカストは内心で部下たちに詫びながら命じた。
断片的に入ってくる情報を総合すると、現在〈帝国〉軍はグラートン線の〈王国〉軍を片翼包囲しつつある。
こちらから見て右側(地図でいう東側)の部隊は突出してグラートン線第6線のセカナ市に到達しつつある一方、左側の部隊は第3線で動きを止めているのだ。
交通の要所であるセカナ市を落とせば、グラートン線は無力化することが可能。敵の司令官はそう判断しているのだろう。
ならばやるべきことは1つだ。右側の部隊を側面と前面から攻撃し、セカナ市から撤退させるのだ。
第1軍集団を、ひいては第2軍集団を包囲殲滅の危機から救うにはそれしかない。
「莫大な犠牲が出ますぞ」
参謀長が顔色を変えた。
ハーカストの計画ではセカナ市に向かう敵軍に向かって部隊を次々と移動させ、着いた傍から波状攻撃をかけていく形になる。
波状攻撃と言えば聞こえはいいが、要は兵力を逐次投入するということである。
また今やグラートン線全体が敵砲兵の火制下にあるから、鉄道や徒歩やトラックで移動中の部隊はそれ自体が敵砲兵にとって絶好の目標となる。
つまりハーカストの計画は自軍を敵火力に晒しながら移動させ、その消耗した自軍を敵の各個撃破の標的として提供することになるのだ。純戦術的に言えば最悪の迎撃の仕方だと、ハーカストも認めている。
しかしこれ以外の現実的な迎撃法は、ハーカストには思いつかなかった。
戦術的な理想を言えば部隊は集中投入すべきだし、敵砲兵の攻撃を避ける為に後方を大迂回させるべきなのだろう。
だがこの状況でそんなことをしていれば、準備している間に時間切れになる。セカナ市が陥落して包囲環が完成してしまうということである。
時間その他の理由で実行不可能な最良の計画は、実行可能な最悪の計画より劣るのだ。
「悲惨なものですね。負け戦というのは」
参謀長がぼそりと言った。
言葉の内容とは裏腹に、彼はどこか吹っ切れたような表情をしていた。先ほどまでの戦意の無さが嘘のようだ。
ハーカストは参謀長に笑いかけた。
「そうだな。さてとその負け戦を始めようか」




