鋼鉄の驟雨
30寸(約45 cm)列車砲が発砲を開始した後、前線では〈帝国〉軍の他の砲も一斉に射撃を開始していた。
その数は野砲と野戦重砲を合わせて2万7千に達する。グラートン線に配備されていた要塞砲、野戦重砲、野砲の合計数の約7倍である。
言うまでもなく、史上最大の砲兵集中であった。
この砲兵集中は〈帝国〉アテスク方面軍司令官、カズリナ・リーン大将が前もって行っていた準備の賜物であった。
カズリナは東部のタタ方面軍が残置していった野戦重砲や野砲をかき集めた他、戦争に参加しない他の方面軍からも砲兵を引き抜いていったのだ。
無論弾薬も可能な限りかき集めており、万が一にも弾切れが発生しないよう配慮されている。
カズリナはその大半を方面軍直轄の砲兵集団として纏め、グラートン線の縦深全てに砲弾が降り注ぐように注意を払っていた。
その圧倒的な砲兵火力がグラートン線に叩きつけられると、〈王国〉軍は恐慌状態に陥った。
世界のどこを見渡しても、グラートン線の〈王国〉軍程に大量の鉄量を叩きつけられた軍は存在しない。後に「鋼鉄の驟雨」と呼ばれる猛砲火により、グラートン線は雨に打たれた泥人形のように崩壊を始めた。
無論グラートン線の砲兵も反撃しようとする。だがここで思いもよらない問題が発生した。
対砲兵射撃では音響や閃光から敵砲兵の位置を割り出してその方向に撃ち返すのだが、〈帝国〉軍から感知されるそれはあまりにも多すぎたのだ。
各砲兵隊の音響測定班や閃光測定班は多すぎる情報と無数の雑音に直面し、どこに撃ち返していいか分からなくなった。
その間にも〈帝国〉軍の砲撃は降り注ぎ続け、観測班もしくは砲兵自身を殲滅していく。
別に意図してやったことではないが、〈帝国〉軍砲兵隊は一種の飽和攻撃に成功していた。
「何だこれは? 一体何だ、これは?」
砲撃の中、辛うじて部下との合流を果たしたアタス・キルマ少尉は顔を引き攣らせた。
砲撃では絶対に破壊出来ないと謡われていた筈のグラートン線地下通路は、各所で崩落して通行できなくなっている。
通信用の霊導管もそこら中で切断されており、中隊本部や大隊本部との連絡が取れない。
辛うじて合流した味方小隊は小隊長と小隊付曹長が戦死し、残った30名程の兵を第1分隊長が指揮している有様だ。
周囲には砲弾の破片、もしくは崩落してきたコンクリート片で重軽傷を負った、或いは戦死した味方将兵が溢れている。半刻前までの平和がどこか別の世界の出来事のようだった。
「砲撃が止み次第、敵軍を迎撃する。武器の点検を済ませておけ」
キルマは周囲の兵に、どこか虚ろな声で命じた。
とにかく何か行動方針を示さなければ、自分も部下も正気を失うと直感したのだ。
砲撃はなおも続いていた。コンクリートで固められた天井に大きなヒビが入り、鉄骨が露出する様子が見える。
そのすぐ隣に次の砲弾が落下したらしく、ヒビは更に大きくなった。口の中に僅かな苦みを感じるのは、コンクリート粉末の味だろうか。
「あちらに向かって逃げろ。崩落するぞ!」
キルマは周囲に向かって叫び、まだ天井が崩れていない方を指さした。下士官兵たちが慌てたようにその方向に駆けだす。
最後の1人がその場を離れたのを確認すると、キルマは後に続いた。
直後に後ろから轟音が聞こえ、幾つかのコンクリート片が背中に当たる。間一髪だったようだ。
キルマたちが避難した先には、大隊付迫撃砲小隊の面々がいた。
と言っても半分ほどしかおらず、小隊長の姿も見えない。キルマが小隊長はどこかと聞くと、下士官の1人が無言で上を指さした。どうやら地上での訓練中に突然の砲撃を浴び、小隊長は戦死したらしい。
「一応、1門は地下に引っ張りこみました。弾薬も40発くらいはあります」
その下士官が続いて報告した。
確かに彼の隣には長い筒のようなものが置かれている。訓練で見慣れた6寸(約90 mm)迫撃砲であった。
「そうか、よく砲を回収してくれた」
キルマはひとまず言った。たった1門の迫撃砲でも無いよりは遥かにマシだ。
「中隊本部及び大隊本部との連絡、付きません。崩落で霊波が届かないのか。向こうの通信機がやられているのか。それとも……」
そこに水を差すような報告が、通信機を操作していた兵から寄せられる。上級本部との通信ができなくなっているというのだ。
彼は推測される理由について途中までしか言わなかったが、キルマには言わずとも分かった。中隊本部も大隊本部も、既に敵の砲撃で全滅したのかもしれない。
「敵戦車の履帯音が聞こえます! もうすぐ我々の所にやってきます!」
更に悲鳴じみた報告が、今度は迫撃砲小隊で聴音係を務める兵から来た。
地上に奇跡的に生き残っていた聴音器が、装軌車両が動くとき特有の金属音を拾ったというのである。
「……地下壕から出るぞ。地上で反撃をかける」
キルマは数瞬の間黙考した後に命じた。
敵軍の戦法は規模を除けば非常にオーソドックスなものだ。まずは陣地全体に砲弾を叩き込んでこちらの指揮系統を寸断し、続いて戦車と機械化歩兵で複数個所を突破する。〈帝国〉軍基礎教令通りの動きである。
その後で何が行われるかも、〈帝国〉軍基礎教令を読めば分かる。
戦車と機械化歩兵はそのまま前進してこちらの後方を遮断。続いて後続の歩兵部隊によって陣地全体が包囲され、こちらは降伏か玉砕かの二択を迫られるのだ。
つまりこのまま地下で待っていれば、グラートン線の〈王国〉軍は包囲殲滅される。
この動きを止める方法は1つしかない。
まずは第1線の部隊が反撃して、突破口の拡大を防ぐとともに時間を稼ぐ。そしてその間に第2線以降の部隊が結集し、突破してきた敵部隊を叩くのだ。
その為には第1線のキルマたちが穴の中に這いつくばっている訳にはいかない。地上に出て、微弱でもいいから反撃をかけるのだ。
「しかし今地上に出れば砲撃が……」
イザン曹長が顔をしかめながら言った。
地上には相変わらず〈帝国〉軍の砲撃が降り注いでいる。この状況で外に出るのは自殺行為、というか自殺そのものではないか。彼はそう言いたいらしい。
「もちろんタイミングは見計らう。敵の移動弾幕射撃が通り過ぎていった直後だ」
キルマは答えた。
着弾音の聞こえ方から判断するに、現在〈帝国〉軍は典型的な移動弾幕射撃をかけている。砲兵隊は弾着位置が少しずつ前進するように線状の砲撃を行い、その後ろを機動突破部隊が進んでくるのだ。
つまり砲弾の列が通過していった後で、戦車と歩兵がやって来ることになる。
狙うのはこの、砲弾の列が通過した後だとキルマは説明した。
前進してくる砲弾の列と後続の機動突破部隊の間には、どうしても幾らかの隙間ができる。隙間を作っておかないと、砲撃に自軍の歩兵や戦車を巻き込んでしまうからだ。
要するに移動弾幕射撃が頭上を通過していった後、敵の機動突破部隊がやって来るまでには多少の空白時間が生まれる。自分たちはその間に外に出て反撃する。キルマは部下たちにそう告げた。
このまま地下壕にうずくまっていれば、敵の包囲に巻き込まれてしまう。それを防ぐには、僅かだが確実に存在する好機を掴んでの反撃しかないと。
「今だ。外に出るぞ」
装軌車両の走行音とともに弾着がこちらに接近してくる。その弾着音が極大になり、少しずつ小さくなり始めた瞬間、キルマは号令をかけた。ゲレン短型小銃を抱え、部下たちの足音を背に走る。
塹壕上部に出たときにまず感じたのは硝煙と血の臭いだった。酸と金属が発する突き刺すような臭気で鼻の奥が痛む。
続いて暴力的なまでの音の洪水が襲ってきた。敵装軌車両の大群が大音響を立てながらグラートン線に接近しており、それに対してこちらの歩兵が迫撃砲と機関銃で反撃しているのだ。
「96式戦車か」
接近してくる敵戦車の形状を見たキルマは顔をしかめた。
目の前の戦車は識別表、及びこれまでの茶番じみた戦闘で見た86式戦車より大型で、全体的に平べったい印象がある。また86式戦車が同軸機銃しか装備していないのに対し、この戦車は車体上部に対空用と思われる銃塔がある。
〈帝国〉軍の新型戦車、96式と見て間違いないだろう。
この96式戦車であるが、実は〈王国〉軍では実在が怪しまれてきた兵器であった。パレードには時々登場するが、実戦に参加している所は誰も見たことが無い車両だからである。
タタ山脈を超えて攻めてきたのは86式戦車ばかりだったし、これまで西部国境に現れた戦車も全て86式だった。
その為96式戦車というのは未完成の試作車両、或いはプロパガンダ用の偽兵器ではないかという考えが、〈王国〉軍の中では広まっていたのだ。
兵器としてまだ未成熟の段階にあるか、或いは存在自体がでっち上げなのではないかと。
しかしその考えは甘かったようだと、キルマは認めざるを得なかった。何しろ現物が大量に目の前に現れたのだから疑いようが無い。
〈帝国〉軍は96式戦車を実用化していたばかりか、前線部隊に大量配備する所までこぎ着けていたのだ。
その96式戦車たちは前面に取りつけたローラーでこちらが埋設していた地雷を踏み潰しながら、駆け足程の速さで前進してきていた。
時折小銃弾や機関銃弾が命中するが、全く意に介した様子はない。
それどころか、時々飛来する対戦車銃弾ですら、96式戦車は跳ね返した。どうやら86式より大きいだけでなく、装甲も厚いらしい。
「た、隊長」
「落ち着け。あのデカブツはやり過ごす。後についてくる歩兵を狙うんだ。後は味方の砲兵が何とかしてくれる」
恐慌状態寸前の部下を宥めるようにキルマは言った。
キルマが臨時に指揮している部隊の火器は小銃を除けば、先ほど96式戦車に対して無効であることが分かった対戦車銃2丁と迫撃砲1門でしかない。これで戦車に立ち向かっても無駄だ。
代わりに自分たちは戦車の後方からついてくるであろう敵歩兵を狙うと、キルマは説明した。
歩兵相手ならば、こちらの武器も通用するだろう。そして援護する歩兵部隊を失った戦車は、後方に控えている筈の対戦車砲が片づけてくれる。
(まあその対戦車砲が生き残っていればの話だが)
部下の手前口には出さないが、キルマは内心ではそう思っていた。
まずは援護する歩兵を片づけ、続いて孤立した戦車を対戦車砲で破壊する。これは戦車による攻撃を迎え撃つときの基本だ。
しかし現在のグラートン線がその基本を実行できる状態にあるのか、キルマには甚だ疑問だった。
グラートン線は〈帝国〉軍が放った途轍もない数の5寸(約75 mm)砲弾、7寸(約105 mm)砲弾、10寸(約150 mm)砲弾、それに時折飛来する謎の巨弾を被弾し、ハード面でもソフト面でも機能不全に陥っている。
そして後方には今も砲弾が降り続け、火器の展開や部隊の移動を妨害し続けている。
この状況で対戦車砲は生き残っているのか。生き残っていたとして、適切な位置に対戦車砲を移動させ、敵戦車を迎え撃つことなどできるのだろうか。
だがキルマはそれ以上の思考を中止した。気が付けば敵戦車4両が耳を塞ぎたくなるような軋み音とともに、目の前に近づいていたからだ。
「いいか。撃つなよ。奴はやり過ごすんだ)
キルマは隊員たちに厳命した。小銃弾や軽機関銃弾で戦車の装甲は撃ち抜けない。無駄弾になるだけだ。
また発砲すればこちらの位置を特定され、機関銃による反撃を喰らう可能性もある。ここは黙って通過させる以外無かった。
寄せ集め部隊にしては奇跡的なことに、キルマの命令は忠実に遂行された。誰も目の前の96式戦車に発砲しなかったのだ。
4両の96式戦車は轟音とともに、キルマたちがいる塹壕の横を通過していった。
「来たな」
続いてキルマは小さく声を上げた。
86式戦車に似ているがやや大きめの車体と、前部に装備された小ぶりな銃塔。91式装甲輸送車だ。
それが4両、96式戦車に続く形で前進して来ている。幾拍か後、91式装甲輸送車はキルマたちの真横を通過しようとした。
「対戦車銃、撃て!」
キルマは短いが鋭い声で命じた。
次の瞬間、先頭にいた91式装甲輸送車の側面前部、駆動系がある位置に小さな2つの閃光が走る。
その91式装甲輸送車は見えない手で押さえつけられたように動きを止めた。いや、砲塔はまだ動き、こちらに向かって狙いを付けている。
更に他の3両は旋回し、こちらに向かって装甲の厚い車体前部を向けようとしていた。
「発煙弾」
キルマは通信機で、向こう側にいる迫撃砲手に命令した。
どこか気の抜けたような発射音とともに、辺り一面が白煙に包まれる。
「いくぞ、突撃!」
キルマは叫ぶと右手に対戦車地雷、左手に着剣したゲレン短型小銃を抱えて走り出した。
まずは信地旋回中の装甲輸送車の履帯目掛けて、対戦車地雷を投げつける。爆発音とともに車体が揺れ、履帯が引きちぎられるのが見えた。
飛んできた石片もしくは金属片が頬に傷を刻んだが、戦闘による興奮のせいか痛みは感じない。続いて小銃を両手で構え、装甲輸送車のキューポラ目掛けて連射する。
「少尉殿、危ない!」
そこにイザン曹長の絶叫が聞こえた。
見るとほんの十数歩先に、別の装甲輸送車が見えた。こちらに向かって速度を上げながら前進してきている。キルマを轢き潰すつもりらしい。
「舐めるな!」
キルマは怒声とともに身を躱すと、突っ込んできた装甲輸送車の上部に這い上がった。91式装甲輸送車には歩兵の跨乗を想定した手摺が付いている。それを逆用した形だ。
91式装甲輸送車はジグザグ走行でキルマを降り落とそうとするが、キルマは手摺を掴み続けた。
次は目の前で銃塔が回転し、上にいるキルマを狙い撃とうとする。キルマは射線を避ける為に素早く這いつくばった。
そのまま車体の上を這い進むと、銃塔の傍にあるハッチに向かう。真上を通過していく銃弾に眼もくれずハッチをこじ開け、ピンを抜いた手榴弾を投げ入れた。
次の瞬間、装甲輸送車の後部ハッチが倒された。中にいる歩兵が脱出しようとしているのだ。
その歩兵の集団にも手榴弾を投げつける。悲鳴が上がり、くぐもった爆発音と断末魔の声がそれに続く。
「皆、ここだ!」
キルマは内部を破壊された装甲輸送車から降りると、旗代わりに銃剣を振った。
煙幕弾で白く濁った視界の中で、装甲輸送車が4両とも停止しているのが目に映った。
その周辺には青みがかった灰色の服、即ち〈帝国〉軍の軍服を着た死体と重傷者が折り重なるように倒れている。
キルマたちは敵装甲輸送車全てを破壊し、内部の歩兵も全員無力化することに成功したのだった。
だがこちらの被害も酷い有様だった。突撃に参加した80名程のうち、無傷ないし軽傷で集まってきたのは30名にも満たない。
残りは装甲輸送車の機関銃に撃たれるか、降りてきた敵歩兵との交戦で倒れるかしたのだ。
キルマは続いて負傷者を確認すべく、地面に倒れている〈王国〉軍の緑色の軍服を探した。視界が利く範囲では16人の味方負傷者が藻掻いている。
少し辺りを歩き回ると、最終的に22人の負傷者が確認できた。
「通信兵、衛生小隊に連絡を取ってこちらの位置を伝えろ。他の全員は負傷者に肩を貸して一か所に集めろ」
キルマは命じた。周囲の狂騒はいつの間にか収まっているが、いつ戦闘が再開されてもおかしくない。その前に負傷者を後方の野戦病院まで送らなくてはならなかった。
「衛生小隊との連絡、付きません。砲撃で向こうの通信機が破壊されたのかもしれません」
「それなら隣の第3大隊からでもいい。とにかく衛生兵をここに連れてくるんだ!」
キルマは負傷者の1人に包帯を巻いてやりながら、半ば怒鳴るように言った。
事は一刻を争う。平時の細かい規則などに囚われている場合ではない。
「それはもう試しました。しかし第3大隊所属衛生小隊との連絡は取れません。第1大隊所属衛生小隊もです。それともちろん各大隊本部もです」
だが通信兵は泣きそうな顔で答えた。
キルマはその内容に愕然とした。それ程多くの部隊との連絡が取れなくなっているとは、一体何が起きているというのだろうか。




