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レナン島危機

 石啓教暦1897年初頭の世界は新聞記者にとって話題に事欠かなかった。

 東方のクラリア大陸を主領土とする経済面で世界最大の国家である〈帝国〉と、西方のアンザ大陸を主領土とし面積と人口で世界最大の国家である〈諸侯連合〉。この2つの超大国間の冷戦に、〈諸侯連合〉が新たな火種を投げ込んだのだ。

 

 渦中の地は〈王国〉、クラリア大陸南西部に存在するアテスク半島を主領土とする中規模国家であった。

 正確にはその〈王国〉領であるイテカ諸島レナン島で行われている飛行場建設工事が、両超大国の緊張を高めていたのだ。

 

 この3国の位置関係は、しばしば人体に擬えられる。

 世界を東西に分かつ経度0線を気管に例えたとき、左肺(地図で言う東方)に当たるのが〈帝国〉の主領土クラリア大陸であり、右肺(地図で言う西方)に当たるのが〈諸侯連合〉の主領土アンザ大陸だ。人体と同じで、右肺であるアンザ大陸の方がやや大きい。

 そして両肺の中央、心臓に当たる部分に〈王国〉の主領土アテスク半島がある。飛行場建設騒ぎはそのアテスク半島を取り囲むイテカ諸島の最東端であるレナン島で発生していた。

 



 「〈諸侯連合〉軍機の駐留反対!! 祖国を戦場にするな!!」

 「祖国の防衛力強化は必須である!! 反対派は〈帝国〉の走狗だ!!」

 「祖国に外国軍が進駐することを許そうとする賛成派こそ売国奴だ!! 我々は自主独立の道を行くべきだ!!」

 

 「自主独立などと言っていれば、〈帝国〉に攻める隙を与えるだけだ!! 同盟国軍との協力こそが真の平和への道である!! これを否定する者は現実から眼を背けている」

 「〈諸侯連合〉が信頼できる同盟国だと考える方が非現実的で馬鹿げている。何度あの国が我が国への敵対行動を取ったと思っているのだ!?」

 「それを言うなら〈帝国〉は何度、我が国を属国化しようとした!?」

 

 飛行場の建設現場では建設反対派と賛成派がちょっとした軍隊に匹敵する規模のデモ隊を結成し、互いに罵声を浴びせ合っていた。

 現在建設中のこの飛行場には〈諸侯連合〉軍の大型爆撃機であるハギラが常駐し、〈帝国〉首都に対して睨みを利かせる計画となっている。そのことの是非について、両者は衝突しているのだった。

 

 まず賛成派であるが、彼らはハギラ爆撃機の配備と、それに先だって行われる〈諸侯連合〉との同盟締結が〈王国〉の国防に資すると考えていた。

 〈帝国〉が〈王国〉に手を出せば、ここレナン島に現在建設中の飛行場から飛び立ったハギラ爆撃機の大群が〈帝国〉首都に爆弾の雨を降らせることになる。

 〈帝国〉も愚かではない以上それを理解している筈であり、であれば彼らは〈王国〉への手出しを控えるだろうというのだ。一応の説得力はある主張である。

 

 対する反対派は全く逆の主張をした。レナン島へのハギラ爆撃機の配備は、むしろ〈帝国〉に開戦の口実を与え、戦争を招きかねないというのだ。

 首都を爆撃できる位置に仮想敵国の爆撃機を配備されて安閑としている大国などある筈も無いので、こちらの主張にも一定の説得力がある。

 


 

 (まさか、こんなことになるなんてね)

 

 デモ隊同士の衝突を眺めていた新聞記者の1人、リーナ・カタンは胸中でぼやいた。〈王国〉人にはやや珍しい銀髪(〈王国〉人の多数派は金髪)を特徴とする、理知的な風貌の女性である。30代も後半になろうとしているが、一見すると20代に見える整った顔には苛立ちと焦燥の表情が浮かんでいる。

 目の前で起きている騒動はある意味、彼女のせいだったのだ。

 


 リーナ・カタン記者はやや政権野党寄りの主張で知られる「アテスク日報」紙の政治部編集長を務めている。

 ここ〈王国〉南東部レナン島に建設中の飛行場にハギラ爆撃機が駐留するという話も、元はと言えば彼女のチームがすっぱ抜いたスクープであった。それがめくり巡って、国を2つに割る程の騒動になっている。

 

 

 と言っても、リーナは今のような大騒動を引き起こそうとして記事をアテスク日報に掲載した訳では無い。リーナがレナン島の飛行場について最初の記事を書いたとき、彼女はそれをありふれた汚職事件だと思っていた。

 レナン島出身の某議員が地元の雇用を増進する為に空港建設を計画。その為に幾つかの政治・経済団体に賄賂をばら撒き、政府に圧力をかけることに成功した。〈王国〉ではありがちなそういう経緯で、レナン島にはこの規模の島に相応しくない巨大飛行場が作られようとしているのだろうと。


 だから最初の記事の表題は「レナン島巨大空港に贈収賄疑惑」というものだった。

 あまりに頻繁過ぎて〈王国〉人の多くが怒りつつもどこか慣れっこになってしまった、インフラ整備を巡る汚職事件。自分が突き止めたものはその1つに過ぎないのだろうと、記事を書いたリーナ自身も思っていたのだ。

 

 だが話はそこから思わぬ方向に向かっていった。検察の取り調べを受けた件の議員が、自分は主犯ではなく、ただの実行犯だと言いだしたのだ。

 贈賄に使った金は別の所から出ているのであり、自分はそれを配るよう頼まれただけだと。

 

 リーナや検察は最初それを罪を軽くするための言い訳と見做していたが、調べていくうちに議員が本当のことを言っていると分かった。

 この議員自身は巨額の資金を使って地元に利権誘導を行うような意思も能力も無い、ただの操り人形だったのだ。

 


 そしてリーナと検察が最終的に解明した事件の真犯人は、思わぬ人物だった。〈諸侯連合〉空軍の某将官である。この人物がダミー団体を通じてレナン島出身の議員に金を流し、巨大飛行場の建設計画を進めさせたのだ。

 リーナが最初国内のありふれた汚職事件と思って報道したのは、実は国際的な大規模送金事件だったのである。

 


 では何故〈諸侯連合〉空軍はそんなことをしたのか。リーナには最初分からなかったが、国際部の記者が地図を片手に教えてくれた。

 〈王国〉領レナン島と〈帝国〉首都は、〈諸侯連合〉空軍の新型重爆撃機ハギラが往復できる距離にある。ついでに言うと飛行場の滑走路は、ハギラの離着陸にちょうどいい長さになっていると。

 

 その先は聞くまでも無かった。〈諸侯連合〉空軍は〈王国〉領レナン島を〈帝国〉首都攻撃の基地として使いたがっている。

 彼らはその為に件の議員に巨額の金を渡してまで、レナン島に空港を建設させたのだ。

 



 リーナの「アテスク日報」誌がこの事実を公表すると、〈王国〉国内には賛否両論が巻き起こった。

 

 賛成派はいっそこのまま、〈諸侯連合〉と正式な同盟を組んでしまえと言った。

 〈王国〉は絶えず、〈帝国〉の軍事的圧力に晒されている。その祖国に〈諸侯連合〉が空軍を派遣してくれるというなら、むしろ乗り掛かった舟だと。

 

 対する反対派は、そんな同盟を組めば〈王国〉は利用されるだけだと訴えた。

 〈王国〉の国土が〈諸侯連合〉軍の出撃基地として使われれば、当然〈帝国〉は〈王国〉を攻撃する。そうなれば〈帝国〉と〈諸侯連合〉のどちらが勝とうが、〈王国〉の国土は荒廃してしまうだろう。これが反対派の主張である。

 こうして両者の主張は平行線を描いたまま、現在に至っている。

 

 カメラ班にデモ隊の撮影を命じながら、リーナは陰鬱な表情で工事現場を眺めると、ふと身震いした。

 広大な滑走路と、コンクリート製の巨大半地下掩体。瞳に映るその巨大な灰白色の景色が、人骨の色に見えたのだ。

 

 

 〈王国〉政府が戦時体制への移行を発表し、リーナ・カタン記者の14歳の息子リラに召集令状が届いたのは、その1か月後のことだった。



 



 石啓教暦1897年4月、〈帝国〉首都は「花季」と呼ばれる季節を迎えていた。

 この、長く陰鬱な雪季とひたすら鬱陶しい暑季の間に挟まれた2か月ほどの期間は、一般に〈帝国〉最良の季節と称される。快適な気温と、不安になる程弱くも無ければ焼けつく程に強くもない陽光の下で、雪季の間隠れていた植物たちが花開き、南方に避難していた鳥たちは一斉に帰還してくる。

 日頃は祖国の、変動が激しい不快な気候についての諧謔を挨拶代わりにしている〈帝国〉人も、この花季にだけは一切の不満を述べない。

 〈帝国〉と敵対関係にある〈諸侯連合〉人ですら〈帝国〉の花季の美しさは認めており、「花季は神が〈帝国〉人に与えた最高の贈り物」、「この世で最も天国に近い場所は花季の〈帝国〉首都」とさえ述べている。

 



 「問題があるとすれば、神は我が国に花季以上のものを与えなかったことだな。私は花より〈諸侯連合〉産のケーキが好きなのだ」

 

 まさに天国と見紛わんばかりの美しい庭園の中で、1人の女性、ないしは少女があまり情緒的とは言い難い言葉を呟いた。

 白金を撚り伸ばしたように輝く長い銀髪と、新緑を宝石の中に閉じ込めたような瞳。完璧故の無機質さを除けば、おおよそ非の打ち所がない美貌の持ち主だ。

 


 ただその服装は言動と同様、些か不似合いだった。最高級のドレスを身に纏ってファッションショーに出ていそうな彼女が実際に身に纏っているのは、青灰色のトレンチコートに同じ色の長ズボン、それに軍内での階級を示す略章だったからだ。  

 〈帝国〉軍の士官用第3種軍装である。

 しかもオーダーメイドですらないらしく、華奢な身体の線に対して横が不格好に大きい。ファッションモデルに無理やり軍服を着せてみたような違和感と滑稽さが、この19歳の女性からは漂っていた。

 もっとも彼女の美貌は、その不自然さの中にすら一種倒錯的な魅力を与えてはいたが。

 


 「うーむ、どうせ形式上の軍務とはいえ、服くらいは発注しておくべきだったかな」

 

 ぶかぶかのトレンチコートの裾を白く華奢な手で押さえながら、女性は言わずもがなの言葉を口にした。

 彼女の近くに控えている衛兵兼副官のハーリ・アコス中佐は一瞬失笑しそうになり、咳払いで誤魔化した。

 いかに見かけが滑稽であれ、軍内での実際の立ち位置がファッションモデルと大差ないものであれ、形式上彼女は上官だ。その上官の前で失礼な態度を取る訳にはいかなかった。

 


 この時、豪奢な銀髪で飾られた彼女の頭部を複数の銃口が狙っていたのだが、本人も衛兵もその事実に気付くことは無かった。


 




 銃口を向けていた人々、レナン島で生じている危機を受けて〈王国〉から〈帝国〉に派遣された工作員たちは、標的の実際の姿を見て拍子抜けしていた。

 〈王国〉方面を担当戦区とする〈帝国〉アテスク方面軍の新司令官の動向を観察し、必要であれば殺害する。それが〈王国〉から彼らに課せられた任務であった。

 しかし実際に目に映ったのは件の、窮屈な環境に耐えかねて家出した深窓の令嬢にしか見えない女性だったのだ。

 

 「あれは皇帝の2番目の孫じゃないのか? あの、見てくれが整っている代わりに性格がひねくれていると評判の」

 「多分間違いないな。”あの”カズリナ・リーンだ。大使館で見たことがある。〈帝国〉も何を考えて、形式上とはいえあれを大将にしたのやら」

 「カズリナ・リーンが新任のアテスク方面軍司令官ということは、〈帝国〉は本気でことを構える気はないということかな?」

 

 工作員たちは一寸(約15 mm)重狙撃銃を構えながら囁き合った。

 この重狙撃銃及びその照準器は〈王国〉の軍事技術が生んだ奇跡というべき一品で、1里(約4 km)先にある人間大の標的を撃ち抜くことができる。〈帝国〉が主要政府機関や軍施設の周りに敷いている警備網の外側から標的を射殺する為の銃だ。


 だが今回の標的は、どうも撃つに値しそうに見えなかった。

 いきなりアテスク方面軍司令官が交代、それも極秘の人事と聞いて誰かと思えば、その新任のアテスク方面軍司令官がどうやら目の前の女性、カズリナ・リーンらしいと分かったからだ。

 皇帝の孫という血筋と外見以外に関する評判は、おおよそ芳しからざる人物である。

 

 〈帝国〉国内での評判は要約すると「我儘なお嬢様」というものであり、〈王国〉で彼女と会った人物による評価も大同小異だ。

 「見た目がいいし、頭も悪くない」という接頭辞が付くこともあるが、この接頭辞自体が何事かを物語っている。周囲の評判から考えるに、おおよそ軍の司令官に不向きな人物、それがカズリナだ。


 そのカズリナ・リーンが〈王国〉を仮想敵とする〈帝国〉アテスク方面軍司令官という要職についた。ここから導き出される結論は明らかだと、工作員たちは判断した。

 〈帝国〉には〈王国〉を相手に戦争する気が無いのである。

 

 

 「それで撃ちますか? 隊長?」

 「馬鹿を言え。撃つ意味がない」

 

 工作員の1人がどこか間の抜けた声で間の抜けた質問をし、隊長はそれに対してぶすりと応えた。 

 新任のアテスク方面軍司令官がもっと有能で好戦的な人物であれば、或いは撃ったかもしれない。だが現実に目の前にいるのは、美しさ以外に何の取り柄もなさそうなカズリナだ。

 いてもいなくても意味がない人物は、殺す価値も無いのである。

 

 また別の意味でも、カズリナを撃つのは論外だった。

 同じ血族の人間の大半から嫌われているとはいえ、カズリナは一応皇族だ。彼女が〈王国〉の手で殺害された等ということが公になれば、深刻な外交問題になる。

 それこそ〈帝国〉による〈王国〉侵攻の理由になりかねないのだ。

 


 「という訳で放っておけ。我々としては、あのお嬢さんの御多幸をお祈り申し上げてもいいくらいだ」

 

 こうして〈王国〉から派遣された工作員たちは、「〈帝国〉に〈王国〉侵攻の意図なし」という情報とともに帰還することとなる。

 

 彼らがもし、カズリナ・リーン大将が衛兵兼副官のハーリ・アコス中佐と交わしていた会話の中身を傍受していれば、それがとんでもない過ちであることが分かっただろう。

 しかし11小里(約3.7 km)向こうで行われている会話を盗聴する為の技術は〈王国〉にはなかった。


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