アテスク方面軍始動
ザオ・キャッセル元帥が苦悩していたのと同じ日、アタス・キルマ〈王国〉軍少尉はいつもの日課をこなしている所だった。
小隊全員に点呼を取り、下士官たちに兵の士気が緩んでいないかを確認する。続いて行軍演習の代わりに塹壕内を速足で歩き、自分や下士官兵の体力低下を防ぐ。
その次に他の小隊長たちと会い、それぞれの小隊のパトロール区間を調整する。下士官たちはその間に兵を訓練しているので、小隊長同士の話が終わり次第兵の練度や健康状態についての報告を聞く。そんな所だ。
キルマ少尉の小隊が配備されている場所、グラートン線と呼ばれる巨大要塞線の中では、そんな日常が繰り返されていた。
はっきり言って平時の訓練と何ら変わらない日々を、キルマ少尉とその部下たちは送っていたのだ。
とてもここが〈王国〉と〈帝国〉の境界線とは思えない。ただの巨大な演習場にいるようだった。
何故かと言えば相手の〈帝国〉軍が攻めてこないからである。
〈王国〉・〈帝国〉戦争勃発の報告を最初に聞いたとき、キルマ少尉は今にも〈帝国〉軍の猛烈な砲爆撃が始まるものと覚悟していた。
地形が平坦な西部国境から侵攻してくるであろう〈帝国〉軍を受け止める為の壁として、このグラートン線は建設されていたからだ。
しかし予想に反して、西部国境の〈帝国〉軍は殆ど攻撃を仕掛けて来なかった。疎らに砲撃を加えてきたり、時々思い出したように戦車がやって来る程度だ。
その砲兵や戦車にしても、とても本気で攻撃してきているようには見えない。砲撃は数発撃って終わりだし、戦車もこちらが応射を加えるとすぐに退散していく。
将兵の士気が非常に低いか、敵指揮官が臆病なまでに消極的な人物であるとしか思えない動きだ。
〈帝国〉には〈王国〉と本気で戦争する気が無いのではないか。そう疑いたくなるほど、西部国境における〈帝国〉軍の動きは低調だった。
キルマたちが首を傾げている間に、激戦は西部ではなく東部で始まった。セレス県への〈帝国〉軍上陸を皮切りに、彼らは東部国境各所を突破してきたのだ。
〈帝国〉軍はどうやらそのまま南東部にある〈王国〉首都を落とす計画だったようだが、〈王国〉軍はその意図を挫くことに成功した。
更にザオ・キャッセル元帥の第2軍集団による反撃が奏功し、現在の〈帝国〉軍は攻勢発起点近くまで押し戻されている。
少なくとも〈王国〉軍参謀本部発表によればそうなっている。
どこまでが本当でどこからが嘘や誇張なのかは不明だが、敵が東部から攻めてきたことと、〈王国〉首都が未だ陥落していないことは事実だろう。キルマはそう判断していた。
首都が陥落したのなら降伏命令が来る筈だし、グラートン線に配置されていた部隊はどんどん東方に輸送されているらしいからだ。何が理由かは知らないが、〈帝国〉軍は東部を主攻方面に定めたのだ。
「少尉殿、各分隊は皆意気軒昂であります。むしろ心配なのは慢心ですな。〈帝国〉軍は案外弱いのではないかという話を、兵どもがしている始末でして」
「まあ敵を過度に恐れるようになるよりはマシだ。9日前の攻撃成功で、皆自信を付けたようだな」
小隊長同士の会合を終えたキルマに、小隊付下士官のヨサメル・イザン曹長が連絡に来た。
その内容にキルマは概ね満足して頷いた。指揮官は慎重であるべきだが、兵は自信過剰な位がちょうどよい。キルマはそう考えていた。
なお9日前の攻撃というのは、戦争が始まる前から存在する〈帝国〉の国境監視所に〈王国〉軍4個中隊がかけた夜襲である。
その国境監視所自体に戦略的価値は無かったが、〈王国〉としてはとにかく〈帝国〉領に〈王国〉軍が越境攻撃をかけたという実績を作りたかったらしい。
この攻撃で〈王国〉軍は37人の将兵を失ったが、目標の国境監視所を一時的に占領することに成功した。またその過程で敵兵推定80人を死傷させ、11人を捕虜にすることにも成功している。
つまりは一応の勝利を収めた訳だ。
名前もつかないであろうちっぽけな戦いではあるが、〈王国〉軍が世界最強を謡われる〈帝国〉軍に勝ったのは間違いない。この戦いで、グラートン線に勤務する将兵の士気は大いに高まった。
この国境監視所での戦いの後、〈王国〉軍は当然ながら〈帝国〉軍の報復攻撃を警戒したが、結局は杞憂に終わった。
次の日の昼間に〈帝国〉軍は〈王国〉軍が既に放棄した国境監視所を奪い返しに来たが、それだけだったのだ。〈王国〉側の国境監視所への攻撃は来なかったし、砲爆撃の激化すらなかった。
〈帝国〉軍は意外に弱いのではないかという噂が、主に下士官兵の間で囁かれ始めたのもこの頃からである。
参謀本部発表によれば、東部に向けられた〈帝国〉軍の大規模な攻撃を〈王国〉軍は食い止めた。そこに自分たちがいる西部での夜襲成功が加わる。
しかも少なくとも西部の〈帝国〉軍は、低調を通り越して戦意が無いのではないかと疑われる程に消極的だ。
これらは〈帝国〉軍が開戦前に言われていたような強い軍隊ではないことを示しているのではないか。下士官兵たちはそう考えるようになっていた。
何しろ報道でも自分たちがいる前線でも、〈帝国〉軍は停滞ないし後退を続けているのだから。
一方、より正確な情報を受け取っているキルマたち士官は、〈帝国〉軍をそこまで侮っていなかった。
報道では〈帝国〉軍はアテミ県及びセレス県まで後退したと言っている。しかし裏を返せば、彼らは〈王国〉領であるその2県を完全に掌握したということだ。
〈帝国〉軍は東部国境を突破して居座り続けており、更に〈王国〉最大の軍港であるセレス港を占領してしまったのだ。
報道では〈王国〉軍の防衛成功や反攻による領土奪回だけを声高に謡っているので、あたかも〈王国〉軍が連戦連勝しているように聞こえる。
しかし報道の行間を読むと、〈帝国〉軍は〈王国〉領に確実に食い入っていると分かるのである。
〈帝国〉軍が〈王国〉領2県を占領している一方で、〈王国〉軍は散発的な夜襲以外の越境作戦を何も行えていない。それが報道を深読みすれば理解できる、この戦争の現状であった。
キルマにはそれ以上に気掛かりなことがあった。戦争が始まってからというもの、〈王国〉空軍の姿を見ないのだ。
実に消極的な動きしか見せない西部の〈帝国〉軍だが、偵察活動だけは活発で、95式攻撃機や94式重爆撃機の写真撮影機型を毎日のように飛ばしてくる。
その偵察機たちに対して〈王国〉空軍が迎撃を行う様子を、キルマは一切目にしたことが無い。またこちらの偵察機が〈帝国〉領に対して索敵活動を行う所も一度として見たことが無い。
いかに休眠状態の戦線とは言え、些か不自然だった。単に空軍が東部に移動しただけならいいのだが。
(アテスク日報が正しいのでは無いだろうか)
イザン曹長の報告を受けつつ、キルマは内心で疑っていた。
「アテスク日報」社は戦争勃発による情報管制の中、真っ先に報道禁止命令が出された新聞社だ。
つまり公式にはもう存在しないメディアなのだが、有名なリーナ・カタン記者を始めとする同紙関係者は弾圧に屈さず、今も報道活動を続けている。
「アテスク日報」は地下新聞として毎週(流石に日刊はできなくなった)発行され続けており、知識層及びキルマたちのような下級士官によって回し読みされていた。
少なくとも〈王国〉政府広報よりは信用できる情報が載っていると囁かれていたからだ。
そのアテスク日報には以前、「〈王国〉空軍は開戦後5日で壊滅した」という記事が載っていた。
同紙の記者が多数の空軍関係者に取材した結果、〈王国〉空軍保有機のほぼ全てが〈帝国〉軍に撃墜ないし地上撃破されており、パイロットの大半も戦死したという情報が寄せられたというのだ。
〈王国〉政府はこの記事について「事実無根の報道であり、〈帝国〉のプロパガンダ」であると発表したが、具体的根拠は示さなかった。
当然、〈王国〉上空を飛び回っているのが〈帝国〉空軍機のみであるという事実についての、筋の通った説明も無い。
これだけでも疑わしいのだが、政府広報よりアテスク日報が正しいという傍証は他にも存在した。
グラートン線の広域通信機では東部からの味方霊波信号を拾えるのだが、開戦後1週間で海軍と空軍が使っている波長の信号が来なくなったのだ。陸軍の通信は以前と同じように拾えるにも関わらずである。
これは現在の〈王国〉海軍と〈王国〉空軍が通信できない状態、もしくは通信しても意味がない状態にあるからではないか。キルマたち下級士官はそう疑っていた。
〈王国〉空軍そして恐らく海軍は、アテスク日報が言う通り緒戦で壊滅してしまったのではないかと。
「そして先週の記事だ」
報告を聞き終えたキルマはイザン曹長に聞こえない程度の小声で呟いた。
キルマが手に入れたアテスク日報の最新版には、〈王国〉軍と〈帝国〉軍それぞれの被害についての情報が載っている。そしてその内容は〈王国〉政府の発表とは大きく食い違っていた。
〈王国〉政府はこれまでの戦いで敵兵100万人以上を死傷させたと主張し、自軍の損害は軍事機密につき非公表としている。
対するアテスク日報は〈王国〉軍が〈帝国〉軍に与えた被害は、最大限に見積もっても20万程度だと発表していた。
〈王国〉政府の戦果発表は前線からの曖昧な報告を、重複や誤認も含めて単純に合算したもので、まともな検証が行われている様子は無いというのだ。
敵野戦病院の規模や敵戦死体の数を見るに、〈王国〉軍が上げた実際の戦果は公表されている数字の1割から2割程度である可能性が高いと、アテスク日報は報道している。
一方非公表とされている〈王国〉軍の被害だが、これもアテスク日報に載っていた。
野戦病院関係者への取材によると、〈王国〉軍の野戦病院にはこれまでに累計40万を超える負傷者が運ばれてきているという。
これに戦死や捕虜を足すと、〈王国〉軍が受けた損害は最低でも70万。先週のアテスク日報はそう報じた。
〈王国〉政府は例によってこれを「〈帝国〉のプロパガンダをそのまま報道している」と決めつけたが、代わりに自ら集計した数字を発表することはしなかった。とても国民に公表できない数の損害が出ているのではないかと疑われても仕方がない。
また開戦以来、グラートン線の野戦病院や軍病院に多数の負傷者が運ばれてきていることも、アテスク日報が出した数字の信憑性に拍車をかけていた。
わざわざ東部から西部に負傷者を運んできているということは、東部の病院施設では捌き切れない数の負傷者が出ているからとしか思えないからだ。当然、それに比例する数の死者や行方不明者も出ているだろう。
自室に戻ったキルマはいつものようにこっそりと、通信機の波長を〈帝国〉からの対〈王国〉放送に合わせた。この放送がアテスク日報紙と並ぶ、〈王国〉軍士官の情報源である。
〈帝国〉の放送を聞くことは公式には禁止されているが、その禁止令は全く守られていなかった。
確かに敵国のプロパガンダ放送かもしれないが、〈王国〉政府広報よりは信用できる。皆が内心ではそう思っているのだ。
「〈王国〉軍の皆さん。今日も皆さんにお会いできて嬉しいです。だって皆さん、〈王国〉軍なんかにいたら、いつ死ぬか分かりませんからね。私達、とても心配しているんですよ」
「本当にそうです。皆さんが〈王国〉軍にいる限り、この放送を聞くのはこれで最後かもしれません。そうなったら私達、悲しいですよ」
通信機からは2人組の女性の魅惑的な声が聞こえてくる。キルマは目を細めた。
〈王国〉の政府広報にもこれ位の茶目っ気があれば、或いは国民ももう少し真面目に聞いてくれるかも知れないのだが。
「今日の私達は〈帝国〉南東部のテナ州捕虜収容所に伺っております。テナ州はとてもいい所ですよ。果実酒を沢山出荷していますし、美味しいお茶の産地でもあるんです」
「ああ駄目ですよ。〈王国〉軍の皆さんはお酒もお茶も貰っていないんですから。〈王国〉の政治家さんは密輸品を買えますけど、軍人の皆さんには手に入りませんよね」
「そうでしたね。この捕虜収容所に来ればお酒もお茶も買えるんですけどね」
2人の女性は軽快に掛け合いを続けている。その内容にキルマは笑いながらも眉をひそめた。
兵士や一般市民に対する嗜好品の配給が止まったことを話題にしているということは、〈帝国〉軍は〈王国〉軍の内部事情をかなりよく知っているらしい。
ということは以前彼女たちが語っていた〈王国〉軍の大損害も、アテスク日報が言う通り事実なのだろうか。
出し抜けに耳障りな警報が鳴り響いたのはその時だった。
キルマは慌てて通信機のスイッチを切ると、部下たちのもとへ走った。一体何が起きたのだろう。
走るキルマを唐突に、巨大な揺れが襲った。グラートン線全体が巨大な見えない手で揺さぶられているようだ。
キルマは壁のコンクリートに亀裂が走り、続いて無数の破片が飛んでくるのを、呆然としながら見ていた。
〈帝国〉軍第201親衛砲兵大隊を指揮するルイド・サッケン中佐は、地平線の彼方に伸びていく黒煙の筋を満足げに見ていた。大隊が放った18発の砲弾が、敵要塞のどこかに着弾した証拠である。
「前線観測班より本部。敵要塞砲台への弾着を確認、効果絶大」
「よし、このまま連射しろ。グラートン線を瓦礫の山に変えてやれ」
サッケンは薄笑いを浮かべながら命じた。
この瞬間の為に自分は長く退屈な軍隊生活に耐えてきたのだ。好き放題やらせてもらうつもりだった。
(これだ。これこそが砲兵だ)
指揮車の壁越しに聞える砲声を聞きながら、サッケンは更なる笑みを浮かべた。
隣では部下が薄気味悪そうな表情を浮かべているが、どうでもいい。今自分は冴えない軍人人生の中で最高の瞬間に立ち会っているのだから。
サッケンが指揮する第201親衛砲兵大隊は、30寸(約45 cm)列車砲18門を装備する部隊である。
言うまでもなく、世界最強の火力を持つ砲兵大隊だ。何しろ30寸砲弾の重量は230貫(約1380 kg)にもなるのだ。
普通の野戦重砲のおよそ25倍の重さの砲弾を、2倍の距離まで届けることができる。それが30寸列車砲の威力であった。
その30寸砲18門が更に咆哮する。指揮車両の中にいるサッケンにも、砲声と振動がしっかりと感じ取れる程だ。
「敵要塞で大規模な爆発を確認。弾薬庫に命中した模様」
「見たか〈王国〉軍。これが〈帝国〉軍列車砲部隊の力だ」
更なる戦果が報告され、サッケンは快哉を上げた。
10年近く日陰者でいた列車砲であるが、兵器としての価値を失った訳では無い。サッケンは確信した。
正しい戦場さえ与えられれば、列車砲部隊は存分に働けるのだ。
「3番偵察機より連絡です。6の4地点に敵要塞砲らしきものを発見したとのことです」
「よし、第2中隊はそいつを叩き潰せ。第1、第3中隊は兵舎への射撃を続行」
サッケンは素早く命じた。
グラートン線の兵舎は分厚い鉄筋コンクリート製で普通の野戦重砲では抜けないが、30寸砲なら話は別だ。同じく分厚い装甲で守られた要塞砲についても同様である。
どこの世界の要塞も30寸砲弾の直撃など考慮されておらず、当たれば1発で破壊可能であった。
「6の4地点の敵要塞砲を破壊。兵舎15個の全壊を確認しました」
連続した砲声の後で歓喜に満ちた報告が来る。これまで無用の長物扱いされていた30寸列車砲は、大戦果を上げつつあった。




