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反攻の代償

 石啓教暦1897年8月16日の9刻ごろ、〈王国〉第2軍集団司令官のザオ・キャッセル元帥は大きく息をついていた。

 〈諸侯連合〉空軍との会談で、同国の1個飛行軍を「義勇航空軍」扱いで〈王国〉に派遣するという確約をやっと取りつけたからだ。

 

 (祖国は滅亡を免れた。しかし犠牲を払い過ぎた)

 

 キャッセル元帥はその言葉を反芻した。脳裏に現在の戦況図が浮かぶ。

 

 タタ山脈から侵攻してきた〈帝国〉軍100万は、130万を投入した総反撃で何とかアテミ県まで追い返した。

 セレス港に上陸してきた〈帝国〉軍30万についても、何とかセレス県内に閉じ込めることに成功している。

 2週間で降伏するのではないかと囁かれていた〈王国〉であるが、何とか約1か月を耐え抜こうとしていた。

 

 しかしその代償はあまりにも大きかった。陸海空3軍を合わせた人的損害は総数98万で、過半が永久損失(戦死、捕虜、行方不明)だ。

 他にも民間人の損害が、推定で60万人以上出ている。

 人口4500万程度の中規模国家にとっては耐え難い人的資源の損失であり、戦後の復興に大きな陰を差すものと思われた。

 

 

 物的損害もまた酷いものだった。〈王国〉海軍及び〈王国〉空軍は、全滅や壊滅を通り越した「消滅」状態にある。

 

 まず海軍であるが、主力艦は全てセレス港で沈没するか〈帝国〉軍に集団降伏した。

 生き残った駆逐艦や潜水艦、及び旧式艦も〈帝国〉海軍の空襲と艦砲射撃で次々と被災し、息の根を止められた。現在の〈王国〉海軍戦力は駆逐艦3隻、潜水艦7隻、それに若干の魚雷艇や哨戒艇でしかない。

 40年かけて沿岸海軍から外洋海軍に脱皮した〈王国〉海軍は、他国の沿岸海軍にも劣る規模にまで落ちぶれていた。再建に何年かかるかは検討も付かず、或いは永遠に再建されない可能性もある。

 

 空軍の損害もまた、惨烈としか言いようがないものだった。合計2700機を数えた〈王国〉空軍のうち、現在の稼働機は100機に満たない。

 人的被害も酷いもので、4000人以上のパイロットや無線手や航法員が死傷した。

 空軍の再建は、〈諸侯連合〉から教官を招聘し、新しいパイロットを育てる所から始めざるを得ないだろう。無論機材も〈諸侯連合〉からの輸入品になりそうだ。

 そもそも空軍再建のための金が〈王国〉に残っていればの話であるが。

 

 海軍と空軍の恐るべき損失率に隠れがちだが、〈王国〉陸軍が被った物的損害も悲惨だった。

 開戦前にあった計4000の戦車や対戦車自走砲のうち、現在残っているのは合計511両に過ぎない。2個機甲師団を作ればそれで終わりである。

 現代戦に不可欠な機甲戦力は、少なくともこの戦争中には回復しそうに無かった。戦車自体を大急ぎで生産したとしても、それを動かす乗員がもういないのだ。

 



 (〈諸侯連合〉にはああ言ったが、我が軍が戦えるのは後1度が精々だろうな。その1回で勝利した後に講和するしかあるまい)

 

 キャッセルは司令官室内を歩き回りながら思った。

 〈諸侯連合〉との会談でキャッセルは、「〈王国〉軍の兵力は〈帝国〉軍を圧倒しており、現に随所で敵軍を追い返している」と述べた。

 空軍を派遣して貰う為にはそう主張する必要があったからであるが、実の所これは嘘ではないが真実でもない言葉の典型であった。

 現在の前線での〈王国〉陸軍の兵力は〈帝国〉軍の推定戦力110万に対しておよそ140万。確かに上回ってはいるが、大きく優勢とはとても言えない。

 

 しかも敢えて言わなかったことだが、この140万は非常に強引な方法で調達した戦力だった。

 元々東部にいたおよそ96万の〈王国〉軍は、セレス港の戦いと東部国境会戦とナサド会戦で合計37万にまで撃ち減らされていた。

 ならば何故ナサド県とセレス県での反攻作戦が成功したのかと言えば、西部から兵力を持ってきたからである。西部国境を守る第1軍集団150万のうち110万を東部に移送したからこそ、〈王国〉軍は反撃できたのだ。

 逆に言うと、今西部国境にはたった40万の兵力しかいないことになる。これ以上の部隊移動はどう足掻いても不可能だ。

 

 またこれも〈諸侯連合〉の前では言わなかったことであるが、〈王国〉は既に動員限界に達している。

 これ以上の数を動員すれば、〈王国〉は国民に生活必需品の供給さえできなくなるのだ。

 つまり前線にいる〈王国〉軍の数は、減る可能性こそあれ増える可能性は無い。失えばそれで終わりである。


 対して〈帝国〉は動員限界から遥かに遠い。というより新規の兵力を動員する必要すらない。国内の別の場所から兵力を移送すればいいだけである。

 


 現在〈王国〉政府は反攻作戦の成功に酔いしれ、〈王国〉領から全ての〈帝国〉軍を追い出すと豪語しているが、キャッセルはそれが不可能だと知っていた。

 そもそも「成功」に終わった反攻作戦で、〈王国〉軍は合計184万の戦力を投入し、そのうち40万余を失った。

 これまでの生き残りと新規動員兵力と西部から移送された部隊をかき集めた、なけなしの兵力。その2割以上を溶かしてしまったことになる。

 飛行機も戦車もない軍隊が、それらを潤沢に持っている軍隊に攻撃をかけるというのはそういうことなのだ。


 〈帝国〉軍の不意を突いた攻撃でこれであるから、完全に守りを固めてしまった現在の〈帝国〉軍に攻撃をかければ、どうなるかは想像がつく。〈王国〉軍は〈帝国〉軍陣地の前に死体の山を築くだろう。

 

 ならばどうするかであるが、徹底した防衛戦による一撃講和しか無いだろうとキャッセルは考えていた。

 まずは〈帝国〉軍が次にかけてくるであろう攻勢を何とか跳ね返し、〈王国〉軍の健在を知らしめる。続いて戦線が小康状態になった所で、〈諸侯連合〉の参戦をちらつかせて〈帝国〉を講和の席につかせるのだ。

 その過程で幾らかの領土や外交自主権の一部を失うかもしれないが、〈王国〉が滅亡を免れるにはこれしかあるまい。

 

 

 (勝てるのだろうか? できれば前の反攻作戦が成功したときに、政府は〈帝国〉への条件付降伏を行うべきだったと思うが)

 

 次にキャッセルは軍人にあるまじき感情が脳裏を支配するのを感じた。

 〈帝国〉軍が次に行うであろう攻勢の内容は2つ考えられる。1つ目はアテミ県から再びナサド市を目指すパターン。もう1つはセレス県から隣のイサガト県に侵攻するパターンだ。

 可能性としては2番目の方が高いが、〈帝国〉軍が裏をかいて1つ目を選ぶ、もしくは両方を選ぶ可能性もある。

 

 その為キャッセルは典型的な内線作戦の形で、〈帝国〉軍を迎え撃とうとしていた。

 具体的にはセレス県とアテミ県の〈帝国〉軍陣地を対抗陣地と守備隊で囲み、両県の間にあるナキナ市に機動反撃部隊を配置しておくのだ。

 作戦の第1段階では、自軍陣地を出て攻撃してくる〈帝国〉軍を対抗陣地の守備隊で受け止めて時間を稼ぎつつ、出血を強いる。

 と言っても〈帝国〉軍の兵力を考えれば対抗陣地はいずれ突破されるが、ここから作戦の第2段階に入る。

 対抗陣地守備隊を攻撃中ないしは突破後の〈帝国〉軍を、ナキナ市から出撃する機動反撃部隊で迎撃するのだ。

 敵がアテミ県から来た場合、セレス県から来た場合、両方から来た場合全てについて計画は作成済みであり、後は極端に言えば相手が動き出すのを待つだけだ。

 


 なおこの内線作戦を行う為、キャッセルはかなり極端な編成替えを行っている。

 対抗陣地に配備する合計50万からほぼ全ての車両を取り上げ、その車両群を機動反撃部隊90万に集中させているのだ。


 つまり機動反撃部隊90万はその名の通り高い機動力を持つ反面、対抗陣地に配備されている守備隊50万は自分の脚でしか動けないということだ。

 文字通りの歩兵部隊であり、事実上の捨て石であった。車両が不足している〈王国〉軍としては、こうするしか無かったのである。

 

 「外道の用兵だな」

 

 キャッセルは自嘲の呟きを発した。

 各守備隊には死守命令が出されており、キャッセルは彼らが全滅することを半ば前提として計画を立てている。

 薄く配置された各守備隊が機動反撃部隊の到着まで陣地を守ることはできそうにない。しかも彼らは事実上動けないと来ているからだ。敵の攻勢を最初に受け止めた守備隊は玉砕の運命を免れないだろう。

 ザオ・キャッセルの名は恐らく後世の歴史に、自軍に多大な損耗を強いた愚将として刻まれることになる。

 まあそんなことはどうでもいいが、部下将兵が哀れだった。できれば彼らに「絶望的な状況に陥った場合は降伏せよ」と命じておきたい。

 

 だがそれはできない相談だった。守備隊が早々に降伏してしまえば、機動反撃部隊の移動が間に合わなくなるからだ。

 守備隊にはどんな状況になろうと全滅するまで足掻き続け、犠牲になってもらうしかない。

 

 キャッセルは戦況図に置かれている守備隊を表す駒たちを見つめた。ちっぽけな木製の駒1つ1つに、数万の人命が略記されている。

 

 (彼らの犠牲を無駄にしないように最善を尽くす。私にできることはそれだけだ)

 

 キャッセルは胸中で呟いた。

 守備隊将兵に謝ったり、許しを乞うたりはしない。キャッセルはそこまで卑怯な人間では無かった。

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