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曇った「群青」

 石啓教暦1897年8月10日の朝、ハーリ・アコス中佐は最新の戦況図を見ながら顔を引き攣らせていた。


 〈帝国〉タタ方面軍はナサド市近郊まで進撃したがそこで敗北し、現在は後方のアテミ県まで後退している。

 各部隊は〈王国〉軍の熾烈な反撃に今も晒されており、状況によってはタタ山脈までの後退も検討される。

 これまでに破壊された戦闘車両の数は4000を超えており、死傷者は10万5千人以上。


 タタ方面軍は増援と補給を切実に要請しているが、補給路が山岳地帯を通っているため、陸上輸送がうまく行っていない。

 現在の輸送は空輸頼みといっていい状況で、戦線を維持する為の弾薬や食料、医薬品類を送るのがやっと。反撃作戦の為の兵力集積など夢のまた夢。

 それが単独で〈王国〉首都まで進んでやると豪語していたタタ方面軍の現状であった。 



 またセレス港方面の状況も大してよくなかった。セレス港及びセレス県全体の占領まではできたが、そこで各部隊はいきなり現れた〈王国〉の大軍による猛反撃を受けたのだ。

 現在セレス港方面軍は、艦砲による支援が得られる場所まで後退せざるを得なくなっている。海まで追い落とされなかったのは、不幸中の幸いであるが。

 

 アテスク方面軍司令部に集まってきた報告を総合すると上記のようになる。開戦から3週間で〈王国〉を打倒するという「群青」作戦の予定は、完全に崩れ去ってしまったのだ。

 

 「お考えの通りでしたね。殿下」

 

 アコス中佐はいつの間にか隣で同じ戦況図を眺めていた上官に、力ない口調で言った。

 アコスの上官は「群青」作戦の危険性を最初から懸念していた1人だが、事態はまさしく彼女の予想通りに動いていた。

 

 「全く以て私の予想通りの状況だが、予想が当たったからと言って嬉しくはないな。私は一応、味方の敗北を喜ぶ程には人間が腐っていないのだ」

 

 上官の方はというと、聞いてもいなければ言うべき状況でも無い言葉を吐きながら深く頷いた。

 こういう態度のせいで彼女は必要以上に周囲から嫌われるのではないかとアコスは思うが、それを口にはしなかった。

 

 「最悪だ。陸海空合わせて200万人近く投入したのだから、他にやりようはあっただろうに」

 

 アコスの上官、アテスク方面軍司令官のカズリナ・リーン大将はいつもながらの完璧な美貌を曇らせながら、続いてぼやいた。新緑の色をした瞳には紛れもない焦燥と憂いの陰がかかっている。

 

 


 「一応明るい材料としては、〈王国〉軍の戦力を大きく削り取ったことです。海軍と空軍はほぼ全滅させましたし、陸軍についても我が方が受けた損害の何倍も敵に与えています」

 

 アテスク方面軍とタタ方面軍の連絡将校を務めるアナトラ・サミル少佐が、無理やり作ったと思しき明るい表情とともに言った。

 〈帝国〉軍が受けた人的被害はタタ方面軍とセレス港方面軍を合わせて約13万9千。

 対して上げた戦果としては捕虜30万余を獲得した他、〈王国〉軍の遺棄死体20万前後を確認している。


 これに負傷者を足せば、〈王国〉軍が受けた人的損害は〈帝国〉軍の10倍弱に達するだろう。サミル少佐は図表を手に述べた。

 地図上では大きく後退したように見える〈帝国〉陸軍だが、実際の戦闘の様相はそこまで酷いものでは無さそうだというのだ。

 


 海と空の状況は更に良いと、サミル少佐は続けた。

 〈帝国〉空軍は400機ほどの損害と引き換えに推定3000機の〈王国〉機を撃墜ないし地上撃破し、同軍をほぼ消滅させた。

 開戦初日にセレス港で壊滅した〈王国〉海軍については語るまでもない。

 彼我の損害比率から見ると、〈帝国〉軍は大勝したと言って過言ではないと。



 「戦争は別に損失と戦果を比べるゲームでは無いからな。戦略目的を達成できなかった以上、我々の負けと判断するべきだろう」

 

 アテスク方面軍司令部の空気は一瞬明るくなったが、司令官御自らが吐いた正論のせいで台無しになった。

 発言内容自体は至極正しいのだが、もう少し言いようはあるだろうとアコスなどは思う所である。



 「予定表では、我が軍はとっくに〈王国〉首都に〈帝国〉旗を掲げていなければならなかった。〈諸侯連合〉の戦争準備が整う前に〈王国〉を叩き潰すのが、あの馬鹿げた戦争計画の目的だったからな」

 

 アテスク方面軍司令官、カズリナ・リーン大将が更に吐き捨てた。

 「群青」作戦は1か月以内に〈王国〉を打倒する為の戦争計画として作られたものだ。対〈王国〉戦争が始まってから〈諸侯連合〉が戦時体制に入るまでの時間は最短でそれ位だろうと、〈帝国〉は予測していたのだ。

 

 しかし案に相違して、「群青」作戦はとても1か月では終わりそうに無かった。

 〈王国〉首都は、タタ方面軍の現在の前線から見て120里(約480 km)の彼方にある。セレス港方面軍の前線から見ても85里(約340 km)向こうである。

 しかもこれら方面軍はいずれも敵の半包囲下にあり、迂闊に突出すれば戦線が崩壊する危険がある。後1週間で〈王国〉首都に到達するなど、到底不可能であった。

 

 「せめて限定攻勢くらいかけられないのか? 例えばセレス港方面軍とタタ方面軍を海沿いに繋げるといったような」

 

 アコス中佐はサミル少佐に質問した。

 「群青」計画の一環として実行される筈だったタタ方面軍とセレス港方面軍の連結を、規模を縮小してでも実行できないものだろうか。

 これが成功すればタタ方面軍への海路輸送が可能となり、同方面軍への補給や兵力増強が一気に楽になる。



 「それは無茶です。空軍も海軍も爆弾を使い尽くしてしまいましたし、陸軍の砲兵にしても今は頼りになりません。これで攻勢作戦を行えば膨大な損失が出ます」

 

 だがサミル少佐は先ほどとは打って変わった悲し気な表情で現実を告げた。

 空軍はナサド市近郊からアテミ県へのタタ方面軍撤退、海軍はセレス港方面軍の橋頭保維持の為に、それぞれ手持ちの爆弾をほぼ全て投射してしまった。

 参謀本部では爆弾の内地からの移送及び生産増強を行っているが、これが奏功し始めるのに2週間はかかるというのだ。


 つまり両方面軍は後2週間の間、これまで「空飛ぶ砲兵」として活躍してきた空軍及び海軍航空隊の支援が得られないということだ。

 しかも主力のタタ方面軍は必要な規模の砲兵隊を欠いているし、セレス港方面軍にしても砲弾の大半を射耗した。

 

 濃密な火力支援が必須とされる攻勢作戦をこの状態で行うのは自殺行為であると、サミル少佐は言った。

 両方面軍の連結はやろうと思えばできるかもしれないが、その過程でとても許容できない規模の人的損害が発生するだろうと。

 

 「爆弾や砲弾の使用量がこれだけ多いとはな」

 

 アコスは唸った。

 最初から不安点が多かった「群青」作戦であるが、まさか爆弾の在庫切れで頓挫の危機に瀕するとは思わなかったのだ。

 空軍も海軍航空隊も、予想される消費量の3倍の爆弾を用意して、「群青」作戦に臨んだのだから。

 

 しかし現実は現実であった。空軍は規模がやたら大きいタタ方面軍の支援に便利遣いされ、手持ちの爆弾全てを投射してしまった。海軍航空隊も似たようなものだ。

 こうなると頼れるのは砲兵火力のみとなるが、特にタタ方面軍の砲兵は数が少なく、あまり頼りにならない。

 しかもその砲兵も数が少ない割にはやたら大量の砲弾を射耗していた。厄介な敵新型対空砲の陣地を射撃して味方機の攻撃や空輸活動を支援するという、理屈は一応通っているが妙な任務に使われたからだ。

 


 「一応、銃弾や迫撃砲弾は陸路での輸送が確立しましたので、タタ方面軍は防御火力についてはそれなりの発揮が可能です。ここ4日の間で後退が止まったのはその証拠と言えますね」

 「セレス港の方の状況はどうなっている?」

 「こちらも今以上の悪化はしないものと考えられます。戦線の幅がこの程度であれば、海軍の艦砲による支援が受けられますので。ただ海岸から一定以上離れると……」

 

 「……ああ分かった。状況を整理すると、どちらの方面軍も防御以外の行動は取れないということだな。もう時間切れが迫っているというのに」

 

 アコスとサミル少佐の会話の中身を、カズリナが短くも忌々し気に纏めた。現在の〈帝国〉軍は両戦線とも膠着状態に陥っているということだ。

 この状態で〈諸侯連合〉が参戦でもしてくれば目も当てられないことになるが、状況を覆す手立ては一向に見つからない。

 


 「できればやりたくは無かったが、やむを得んか。」

 

 カズリナが長い銀髪を苛々とした様子で弄びながら呟いた。

 新緑色の瞳には憂愁とともに意思の光がある。何かを決意した表情であった。

 

 「アテスク方面軍の行動方針を牽制攻撃から本格的な攻勢に変更する。第1段階の目標はグラートン線突破。第2段階の目標はサズハリ市の攻略だ」

 

 カズリナは地図を指揮棒で指しながら言った。

 アテスク方面軍は現在〈王国〉北西部に設けられた要塞地帯、グラートン線への攻撃を行っている。

 と言っても参謀本部から来た命令は「牽制攻撃」なので、現在までアテスク方面軍は散発的な砲撃と威力偵察しかしていない。

 

 その行動方針を変更する。カズリナはそう述べた。

 アテスク方面軍の総力を挙げてグラートン線を突破し、続いて〈王国〉中央部の大都市サズハリ市まで進むというのだ。

 

 

 「できればもう少し、タタ方面軍の助けになるような行動を取って頂きたいのですが」

 

 そこにサミル少佐が異議を唱えた。

 サズハリ市は現在タタ方面軍が半包囲されているアテミ県から遠く離れている。そんな所に攻め入るのではなく、もう少しタタ方面軍の近くに進んで、敵戦力を引き付けてほしいというのだ。

 連絡将校という彼の立場を考えれば、真っ当な意見ではあるのだが。

 

 「タタ方面軍の救援だと? サミル少佐、貴官は大切なことを忘れていないか?」

 

 対するカズリナの返答はそれであった。

 本人的には率直な感想を述べただけなのだろうが、わざと反感を買おうとしているようにしか見えない。現にサミル少佐は、あからさまに不快そうな表情になった。

 

 「小官が何を忘れていると?」

 「タタ方面軍がそもそも何をしに〈王国〉領に進んだのかということだ。別にアテミ県で包囲される為に攻め込んだ訳では無いだろう」

 

 カズリナが苛立たし気な表情で言った。

 サミル少佐の顔が更に不機嫌になるのを無視して、彼女は話を続けた。

 

 「我が軍はあくまで、なるべく短期間で戦争を終わらせる為に行動している筈だぞ。私のアテスク方面軍がタタ方面軍の近くに進んで敵の一部を引き付ける? それはただの弥縫策であり、最善でも消耗戦になるだけだ」

 

 「し、司令官。もう少し仰りようというものが……」

 

 サミル少佐の提案をカズリナが真っ向から否定したのを見て、アコスは少々慌てながら言った。

 カズリナが何を言いたいかは分かるし多分悪意も無いのだろうが、言い方があまりにも悪すぎる。

 



 「……続きを仰ってください。アテスク方面軍司令官閣下」

 

 数瞬の沈黙が流れた後、サミル少佐が言った。

 機嫌は直っていないようだが、少佐が大将に面と向かって口答えする訳にもいかないと悟ったのだろう。

 

 「現在の〈王国〉軍は海空軍のほぼ全てを失い、陸軍についても推定70万から120万の損失を東部で出している。これはまあ、さっき貴官が教えてくれた通りだ」

 

 カズリナの方はというと、アコスの配慮が伝わっているのかいないのかよく分からない口調で、現在の状況を述べた。

 聞きようによってはサミルに対する配慮というより侮辱に聞こえるのが、彼女の人徳の無さというものだろう。

 

 「しかし東部にいるタタ方面軍とセレス港方面軍は、合計150万以上の敵軍に包囲されているという。これは何を意味すると思うか、サミル少佐?」

 「戦果報告が間違っている……とは思えませんね。捕虜30万以上を得たのは収容所管理者が確認していますし、遺棄死体20万についても保守的な数字の筈です」

 

 突然親し気に質問された形のサミル少佐が眼を白黒させながら答えた。

 カズリナが別に自分を侮辱しようとしていた訳では無く、ただ意見に反対していただけだと気付いたようだ。

 

 「その通りだ。それで〈王国〉の最大動員兵力は、人口から考えるに300万前後と考えられる。では現在存在が確認されている150万の敵軍はどこから現れたと思う? まさか天から湧いて出た訳でもあるまい」

 

 カズリナが話を続ける。

 総動員時の〈王国〉陸軍は最大で東部に50万前後、西部に200万前後存在し、他に中央予備軍が60万人程度。これが戦前の予測だった。

 しかしこの予測と、実際の戦果報告及び敵の現有推定戦力を付き合わせると重大な矛盾が出てくる。

 

 敵東部軍の戦力が50万程度だとすれば、タタ方面軍とセレス港方面軍は既に敵軍を消滅させたことになるのだ。

 だが彼らは以前として〈王国〉東部で敵の大軍と対峙し、苦戦を重ねている。これは何を意味するかというと……

 

 「まさか……」

 「そういうことだ。我が軍は簡単な手品にまんまと引っ掛けられた訳だ。策士策に溺れるとはまさにこのことだ」

 

 カズリナが頷きながら続きを言った。

 

 「敵は開戦前、もしくは開戦直後に西部の軍を東部に移動させたのだ。敵西部軍は今や抜け殻に近い状態になっている筈だ。我がアテスク方面軍はそこを衝く」

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