ナサド市包囲戦
リラ・カタン2等兵は〈王国〉東部、セレス港とタタ山脈の間にあるナサド市という街に軍用トラックで運ばれてきていた。
臨時の分隊を組まされた後で降りてみると、街の外周部には突貫工事で作られた無数の塹壕とトーチカが並んでいた。その中に入って敵を迎え撃てというのが、リラに新しく与えられた任務だったのだ。
(勘弁してほしいよ)
重い背嚢を担ぎながら、リラは内心で嘆息した。所属部隊の全滅を経験しただけでは、まだリラに課せられた試練は終わっていないらしい。
続いてリラは身震いした。あの時の、最悪の悪夢をも上回る情景が鮮明に蘇ってきたのだ。
リラが所属していた歩兵中隊はセレス港救援の為に敵制空権下を戦車に跨乗して突っ切り、当然のごとく壊滅した。中隊員162名のうち、生き残りはリラを含めて8名。
リラが破壊された戦車の中にあった無線機を修理できなかったら、その8名も含めて全滅していただろう。血と肉片と泥に塗れたリラたちが味方車両に拾われたのは、夜になってからであった。
そのセレス港も今や陥落した。明確にそう報道されている訳では無いが、新聞や無線放送の中でセレス港に言及するものがなくなったということは、つまりそういうことである。
新聞記者である母親の職業柄、リラはよく知っていた。〈王国〉における報道機関というのは何を報道するかではなく、何を報道しないのかを決める場所なのだから。
つまりあの154名及び戦車の乗員たちは何の意味もなく死んだ訳だとリラは思う。
爆弾で粉々にされた者。燃える戦車の中で生きながら焼かれた者。機銃弾で全身を引き裂かれた者。片脚を吹き飛ばされ、救援が来る直前に失血死した者。リラが目の前で見せつけられたそれらは完全に無駄な犠牲だったのだ。
「敵機来襲! 全員地下壕に隠れろ!」
そしてナサド市のこの有様であった。〈帝国〉軍機が昼夜となく訪れては、あらゆる軍事施設に爆弾を落としていく。
どうやら〈王国〉空軍は東部の制空権を未だに取り戻せていないらしい。
(つまり、あのビラの中身は事実に近いってことだな)
リラは先ほどこっそり読んでから破り捨てた紙切れの中身を思い出した。
〈帝国〉軍機はしばしば、爆弾の代わりに脱走や降伏を促す宣伝ビラを落としていく。
上からは所持している所を見つけ次第銃殺するという通達が来ているが、この通達は実質的にビラを読めと言っているようなものだった。禁止されればやりたくなるのが、人間の性というものだからだ。
下士官や士官ですらビラを真剣に読んでいる所を、リラは何度も目撃している。
もしビラの内容を知った全員を銃殺したりすれば、戦わずしてナサド市防衛軍は壊滅だろう。
そのビラの中には、以下のようなことが書かれていた。
1.〈王国〉陸軍の東部国境守備隊は全滅した。東部国境沿いのアテミ県全域とナサド県の北半分は、既に〈帝国〉の支配下にある。
2.諸君らの後方にあるセレス港及びセレス市もまた、既に〈帝国〉の統治下にある。最高責任者のカセス・コッテス中将は戦死が確認されている。
3.〈王国〉海軍は開戦初日に〈帝国〉海空軍との交戦で全滅した。今〈王国〉領海内にいるのは〈帝国〉海軍のみである。
4.〈王国〉空軍も現在は壊滅状態にある。諸君らの上空を1機も〈王国〉空軍機が飛んでいないのがその証拠である。
5.以上の事実より、直ちに〈帝国〉に降伏することを諸君らに勧める。戦って無益な死を迎えるのではなく、生き残って祖国再建に尽力することが真の愛国者の道である。
〈王国〉第2軍集団司令官のザオ・キャッセル元帥はビラのこうした内容について、敵が謀略の為に流した偽情報だと発表している。
しかし誰も彼の言葉を信じなかった。ナサド市守備隊自体が敗残兵の寄せ集めだからである。
例えばリラと分隊を組む上等兵の1人は元々海軍兵士だった。彼は初日に敵の雷撃を受けて沈没した巡洋艦に乗っており、ボートで辛うじて脱出したらしい。
その後で海軍がどうなったかは知らないが、多分全滅したのだろうと上等兵は言った。〈帝国〉軍に発見されないよう山伝いに逃げている途中、〈帝国〉軍機の大群が〈王国〉軍艦隊に襲い掛かる様子が見えたと。
次に分隊長である。リラが属する分隊は兵曹や曹長がおらず、アサズ・サーテスという伍長が分隊長になっている。
そのサーテス伍長は東部国境守備隊の全滅は事実だと、分隊員たちにこっそりと語った。
彼の所属師団は山を超えてきた〈帝国〉軍機甲部隊によって、いつの間にか包囲されていたという。
師団は何度か解囲を試みて〈帝国〉軍に突撃したが、圧倒的な砲爆撃で死体の山を作るだけだった。包囲環はどんどん縮まっていき、師団は最終的に大隊程度の規模になり果てた。
土地勘があるサーテス伍長は他の60名程とともに包囲環を抜け出したが、途中で〈帝国〉軍機の空襲を受け、最後は12名に減っていた。
自分が生きてナサド市に辿り着けたのは奇跡としか言いようが無いと彼は語った。
そしてもちろんリラ本人は、セレス港救援に向かった部隊がどんな結末を迎えたかを知っていた。
辛うじて味方と合流したリラが第58連隊第2大隊(リラが所属していた大隊)本部はどこかと聞くと、そんなものはもう無いという吐き捨てるような言葉が返ってきたのだ。
それは大隊本部がやられたということかとリラが聞き返すと、返事の代わりに返ってきたのは憐れむような視線だった。壊滅したのは大隊本部ではなく、大隊そのものだったということである。
リラが次に、それなら第58連隊本部はどこなのかと問うと、傍にいた全員が虚空を見上げた。連隊本部、いや連隊全部が「そこ」に旅立っていったらしい。
つまり〈帝国〉軍がばら撒いたビラの内容のうち、少なくとも1. 2. 3. は事実なのだ。
とすれば4つ目、〈王国〉空軍の壊滅も真実である可能性は高いとリラには思える。
敵の空襲がこんなに来る一方で、味方の迎撃機は全く見えないのもその傍証である。敵機のプロペラ音を聞きながらリラはこっそりとそう思っていた。
「〈王国〉軍の皆さん。白旗を掲げてこれから指示する場所に集合してください。皆さんは十分に戦いました。これ以上戦って無駄死にする必要はありません」
「〈帝国〉軍は捕虜を丁重に扱います。暖かい食事も寝床も用意しておりますし、負傷者の治療も万全の体制で行います。負傷した戦友の為にも、ここは勇気を出して降伏を選ぶべきです」
「皆さんは現在、我が〈帝国〉陸軍の包囲下にあります。このまま抵抗を続けるなら、遺憾ながら皆さんを殲滅せざるを得ません」
更なる傍証が、今度は空から降ってきた。いつものように爆弾が炸裂した後に、降伏勧告が聞こえてきたのだ。どうやら〈帝国〉空軍機が拡声器を使って放送しているらしい。
「畜生、俺たちを舐め腐りやがって」
リラと一緒の地下壕に逃げ込んでいた少尉が悔し気に言った。放送が地下壕の中からでも聞こえるということは、流している〈帝国〉空軍機は相当な低空を低速で飛んでいるということだ。
そんな真似ができるのは、〈帝国〉軍が〈王国〉軍の対空戦力を完全に無だと見ているからだろう。ナサド市の〈王国〉軍にはもう、戦闘機はおろか対空砲さえ残っていないのかもしれない。
サザ・ノハリ中佐は低空飛行する94式重爆の機上から、ナザト市の様子を眺めていた。
さっきまで降伏勧告をがなり立てていた拡声器のスイッチは既に切られている。後はどの程度の抵抗を〈王国〉軍が示すかを観測するのが、ノハリに課せられた任務だった。
(思ったより、降伏する奴が少ないな)
照準器を望遠鏡代わりにして地上の様子を見ていたノハリは思った。
眼下の〈王国〉軍陣地からは白旗を上げた人影が散発的に出てきてはいるが、その数はノハリの予想よりずっと少なかったのだ。
現時点で大脱走が発生して〈王国〉軍が組織的に崩壊することを期待していた〈帝国〉軍としては、期待外れの結果であった。
「まあいい。ならば無理やりにでも降伏させるだけだ」
ノハリは続いて独白した。
現在〈帝国〉陸軍はナサド市を北から半包囲している。ナサド市には大きく分けて6本の主要交通路があるが、そのうち南部の2本を除く4本を既に押さえた形だ。
この南部の残り2本を爆撃で破壊したり空挺部隊で占領することは可能だが、〈帝国〉空軍は敢えてそうしていなかった。
〈王国〉軍を今の時点で完全包囲すれば、彼らは市街地に立て籠もっての自暴自棄な戦いを試みる可能性があるからだ。
代わりに〈帝国〉陸軍は〈王国〉軍を東西から攻撃し、徐々に南部に向かって押し出そうと考えていた。
最終的に〈王国〉軍は残った2つの道路から逃げようとするだろうが、脱出の為集まった彼らを待っているのは〈帝国〉空軍の絨毯爆撃だ。
こうして敵の戦力と精神を削りとった後で再度降伏を勧告し、ナサド市を攻略する。これが現時点で〈王国〉軍が降伏しなかった場合の作戦案である。
なおナサド市の〈王国〉軍がそれでも降伏しなかった場合、セレス港から北上した部隊と合わせた陸軍部隊が彼らを殲滅する手筈になっている。
もっとも、最終案が実行されるまで長引くことは無いだろうと、ノハリは推測していた。南部に押し込んだ後、これから爆撃を行うと通達すれば、彼らは今度こそ降伏するだろう。
「それはどうですかね? 連中の士気は意外と高いみたいですよ。案外、全滅するまで戦うかもしれません」
指揮官機に乗り込んでいる陸軍連絡将校がノハリの言葉に反応した。〈王国〉軍はノハリが考える程には弱くないというのだ。
「まあ、それはそうかもしれませんが」
ノハリは首を微妙に捻った。セレス港攻撃に続く大規模出撃となった、東部国境戦役を思い出したのだ。
この戦いにおいて〈帝国〉軍はまず徹底的な航空撃滅戦を行い、アテスク半島全土から〈王国〉軍機を駆逐することにした。
最初ノハリは、これを楽な任務と予想していた。激烈な抵抗が予想された初日のセレス港空襲が、被撃墜16機という軽い損害で済んだからだ。
〈王国〉空軍は機材も練度も〈帝国〉空軍に劣る二流空軍であり、もはや勝ったも同然。セレス港空襲を終えたノハリはそう思っていた。
しかし案に相違して、アテスク半島の〈王国〉空軍は頑強に抵抗した。
最初の1日で〈帝国〉空軍は〈王国〉空軍機2000機以上を撃墜ないし地上撃破したが、自らも300機近くを喪失したのだ。
民間用を含む全ての飛行場を破壊してもなお、〈王国〉軍戦闘機は野戦飛行場から離陸を続け、〈帝国〉空軍に手痛い損害を与えた。時には越境して〈帝国〉領内の飛行場に爆撃や地上銃撃を仕掛けてくることさえあった。
〈王国〉空軍は最終的に50機程にまで撃ち減らされてイテカ諸島に退却していったが、それは彼らがほぼ全滅するまで戦い続けたことを意味する。
〈王国〉軍のシグル1型戦闘機やゼードラ双発戦闘機は〈帝国〉の96式戦闘機に性能で及ぶべくも無かったが、それでも彼らは最後まで奮戦したのだ。
その後〈帝国〉軍は何はともあれ航空撃滅戦に成功したと判断、タタ山脈から地上侵攻を行うが、ここでも〈王国〉軍は頑強に抵抗した。
国境にいた約70万の〈王国〉陸軍は〈帝国〉軍100万を相手に、組織的戦闘力を喪失するまで戦ったのだ。制空権を完全に握られ、戦力でも大差をつけられながらである。
ノハリ自身も、この初日から東部国境戦役にかけての戦いで乗機を合計2機失っていた。
最初はナサド市周辺への航空撃滅戦を実行していた時で、護衛の96式戦闘機が一時的に離れた所をゼードラ双発戦闘機1個小隊に襲われた。
多数の1寸半(約22.5 mm)弾を受けたノハリ機は、基地帰還後に修理不能と判定され、部品取りの為に解体されることになった。この時の戦闘で副操縦士と航法員が重傷を負い、軍病院送りになっている。
ノハリはその後、新たな機体と補充要員とともに戦闘を続行したが、またも乗機を失った。東部国境戦役の後半、タズハカ会戦における大勝後のことである。
〈帝国〉軍が包囲していた敵軍に対する絨毯爆撃を行っていたノハリは、誤って敵新型高射砲陣地の真上に飛び込んでしまったのだ。
複数の5寸(約75 mm)砲弾の炸裂で右翼端を捥ぎ取られたノハリ機は急造の前線飛行場に着陸した所を、敵長距離砲によって破壊された。
この時は乗員に死傷者が出なかったのが幸いだが、機体が全損する被害を受けたのは事実だ。
〈王国〉軍は決して一流の軍隊では無かったが、〈帝国〉軍が考えていた程に弱くも無かったのである。戦いが全体としては大勝に終わったことで、つい忘れられがちなことであるが。
「お、陸軍の連中が攻撃を始めましたね」
副操縦士が言った。確かに地上では〈帝国〉軍の86式戦車と91式装甲輸送車が、東西から敵を挟撃する形で前進を始めている。
制空権を握られた敗残兵の群れに対する機甲部隊の攻撃である。今度こそ、すぐに勝負はつくものと思われたが。
「うん、どういうことだ? 随分と苦戦しているみたいだぞ」




