番外編 秀司と美香
番外編です。秀司と美香の出会いです。
その日も、俺は一人で夕暮れの街を当てもなく歩いていた。
街の名は神津市。人口十万人ほどの、いわゆる地方都市だ。もっとも、その人口は年々減っている。いつ好転するかもわからない不景気が特に名産のない街を直撃し、更に燃料高が漁業に壊滅的なダメージを与えた。若者は進学や就職で街を離れ、多くは戻ってこない。
すぐにではないが、ゆっくりと過疎に向かう街。
シャッターが下りたままの、昼でも薄暗い商店街を抜けて、何をするわけでもなく、ただ歩く俺の名前は、辻秀司。
この何もない故郷で、親父がやってきた漁師を継ぐはずが、何の因果か叶わなくなってしまった、出来損ないのドラ息子だ。
中学を卒業と同時、つまり先月、俺は親父から大学に行くため、勉強するように告げられた。
だが俺自身は、高校を卒業したらすぐにでも後を継ぐ気でいた。親父の漁に出て行く背中は格好良かったし、古くてもきちんと整備された漁船は我が家の誇りであり、俺の自慢でもあった。
後を継ぐことに何の疑問もなかった。むしろ望んでさえいた。手伝いだって、ずっとしていた。後継者不足に悩む業界で、まさか実の父親からNOを突きつけられるとは思ってもいなかった。
「何でだよ!」
怒鳴る俺に親父は優しく言ってきた。
「秀司、もう漁師じゃ食えない。苦労するだけだ。お前は大学に行って、ちゃんとしたところで働くんだ」
もちろん、俺は納得できなかった。
「ふざけるんじゃねえ! 俺はあの船で、親父の後を継ぐんだ!」
俺は怒声と共に親父に飛びかった。
後はもう、ただの殴り合いだ。漁で鍛えている親父はその気になればすぐにでも俺を黙らせられただろうに、当初何もしてこなかった。
いつまでも諦めない俺を見て、すまねえな、という声が聞こえた。
そして、ただ一発の拳に、中学生の俺は抗うこともできずに地面に這いつくばった。
身体も痛かったけれど、無力な自分がどうしようもなく、惨めだった。
こうして、俺は当初とは違う目的で、高校に通うことになった。
けれど、心の整理はつかず、納得もできないまま。
俺はこうして、せっかく入学した高校にも行かず、黄昏の街を一人歩いている。
中途半端なのは、わかっているけれど――
どうしろってんだ?
いつも俺は何か目的があってぶらぶらしているわけじゃない。ただ、同じように暇とやりきれない気分を持て余している奴らと喧嘩になることはそれなりにある。ほぼ数日に一回といったところだ。
もちろん、相手が大勢だったら逃げることもあるが、同い年くらいの奴に負ける気はしなかった。俺は親父の手伝いをしていて、そこらの高校生なんて問題にならないくらい、鍛えられていたから。俺と五分に殴り合いができるのは、親友の良介くらいのものだ。
けれど、その良介は真面目に高校に通っている。ここにはいない。
それを思うとわずかに寂しいが、それは俺の我儘ということもわかっている。
「今日は、退屈だな」
誰からも絡まれることなく、日が暮れてしまった。俺は不満を口に出した。
まったく、我ながらどす黒い言葉だ。
その癖、自分から誰かに難癖をつける気もない。どこまでも中途半端な俺自身を思い、自嘲の息を一つ吐いた。
鬱々としたものを抱えたまま、来た道を引き返そうとすると――
「ちょっと! やめてよ!」
若い女性の声が響いた。ゲームセンターのすぐ脇の路地だろう。
俺は歪んだ笑いを浮かべて、走り出した。
当たりをつけて飛び込んだ路地では、三人の高校生がいた。詰襟の学生服。近くの工業高校のものだ。
何かスポーツでもやっているのか、全員それなりに体格はいい。
その三人に囲まれて壁を背にしているのは、やはり高校生。俺が通うはずの高校の制服を着ている。肩までの髪は栗色で、軽く巻いてある。
お洒落な女子高生、と言っていいだろう。
だけど、俺の目を引いたのはそんなところではなかった。
薄く化粧をした、整った顔にある、大きな瞳。その瞳はこの異様な状況に揺れてはいるけれど――
何かが違う。
理屈では説明できない。確かに言えるのは、俺は彼女に見惚れた。
一瞬か、永遠かすらわからない時間、俺は見惚れていた。
「何だテメエは!」
男の怒鳴り声が、ようやく俺を現実に引き戻す。
俺は邪魔をされたことに、得も知れない怒りを覚え、怒鳴り返す。
「うっせえな! 女囲むなんてダッセェことしてんじゃねえ!」
俺の言葉に、路地の空気が一変した。男たちは視線を女から俺へと移し、身体ごと向き直る。
「てめぇ……」
リーダー格らしい男が何か言おうとするが、俺に待つ義理はない。
最初に声をかけてきた、つまり一番近くにいた男の顔面を手加減なく思い切り殴る。係留用のロープで擦れて硬くなっている俺の拳は痛んだりしない。
それでも、俺は別に格闘技を習っているわけじゃない。二人目の拳を避けることができずに、殴られた。
だが、頭に血が上っているせいか痛みは感じない。ただ怒りの衝動だけが強くなる。
その衝動に身を任せ、殴り返す。
また殴り返される。それを受け止めて殴り返す。
路地に鈍い音が響く。ちらり、と視界の端で女子高生が去っていくのが見えたが、もうどうでもいい。
景色が赤く染まる錯覚を覚えながら、俺は三人と殴り合いを続けた。
気がつけば、俺は肩で息をして、三人は地面に倒れていた。
俺が荒れた息を整えていると、背中から声がかかった。
「あの……」
振り返ると、路地の入り口にさっきの女子高生が立っていた。
「帰ったんじゃなかったのか」
「お礼ぐらいは言わないと、不義理かな、て」
呆れた声を出す俺に脅えた様子も見せずに、彼女は答えてきた。
「ありがとう。あたしは榊美香。あなたは?」
「辻……辻秀司」
あれだけ暴れた俺に怯えることもなく、まっすぐに見つめてくる。
その瞳に魅入られるように、俺は名乗っていた。彼女が何を考えているかはわからなかったし、今になっても、わからない。
ただ、その時の俺は、見惚れていたという気恥ずかしさを隠すために、ぶっきらぼうに答えただけだった。
「何で戻ってきたんだ? 俺が負けていたらロクでもないことになってたぞ?」
しかし美香という少女はひるまなかった。そうだね、と頷いてから更に言葉を続けてきた。
「でも、あなたは勝った。あたしも、勝つと思ったから、戻ってきたんだよ」
「なんだそれ? 意味わかんねえ」
「わかんない? 本当に?」
俺の吐き捨てるような言葉は美香の心に刺さらず、逆にその大きな瞳で覗き込まれた。
「色々イライラしてる眼、だよ」
「え?」
「あなたの眼」
言葉を飲み込めずに呆然としていると、美香はまた微笑んだ。
「助けてもらったお礼したげる、行こ」
そう言い放つと、俺がついてくることを確信しているかのように、美香は回れ右をしてさっさと歩き始めた。
俺はあまりの急展開に反論すらできず、慌てて美香の後を追った。
美香に連れられて入ったのは駅前のファーストフード店だった。もう七時近いが、制服を着た高校生でごった返している。
美香は混雑した店の中を馴れた足取りで進み、あいている席に着く。ちなみにお礼と言うことで、二人分のコーラは美香のおごりだ。
「それで、秀司君は何にイライラしてるの?」
美香は大きな瞳で、俺を探るように覗き込んできた。
「別に」
俺はそっぽを向いて、ぶっきらぼうに返す。なんだか詰問されているみたいだが、お礼なんだよな?
だが、美香は俺の返答に満足しなかったらしい。ふーん、と言って、再び口を開く。
「あたしは、イライラしてるんだ」
その意外な言葉に俺は彼女を見つめた。この可愛くてお節介な少女が、イライラしているようには見えなかった。
けれど、それが嘘ではないことは明らかだった。美香の顔に笑みはなく、瞳は強い意志を湛えていた。
「あたしは、この街にイライラしてる。現実に、ムカついているの」
俺は息を呑んだ。店内の喧騒が一切聞こえなくなる。
――俺と、同じだ。
いつの間にか俺は、美香から眼が逸らせなくなっていた。
「だからあたしは、この街を変えたい。もっと活気のある、楽しい街に」
それは、俺も思っていること。正確には、思っていた、ということ。
漁師を継ぐことで、成し遂げたかった。
神津市を、このゆっくりと死に至る街を、楽しかった子供のころみたいに――
俺はいつの間にか、拳を握り締めていた。もちろん、眼前の鋭い少女がそれを見逃してくれるはずもない。
美香は再び笑みを浮かべると、一つのものをテーブルに置いた。
まだらな青に彩られた、小さな真珠がついた首飾り。
それは、神津市の名産、空真珠。真珠のように輝かず、けれど空の青を持つこの名産品は、あまりにも不安定なまだら色にしかならないために、特産にはなっていない。なりえない。
その空真珠をシンプルな台座につけて、革紐を通しただけの、簡素な首飾り。
お世辞にも美しいとは言い難いそれをテーブルに置いて、彼女は微笑んだ。
今までで一番、魅力的な笑顔で。
「だからあたしは、行動するの。この空真珠で、この街を生き返らせるような、綺麗なアクセサリーを作ってみせる」
「無茶だろ……」
今まで誰も思いつかなかったわけじゃないだろう。それでも、無理だったんだ。
空真珠じゃ、食えないんだよ。漁師で食えないように。
しかし、言葉に出さない俺の反論を、美香は笑顔で否定した。
「無茶でも、やるの。やらなければ、何も変わらない」
再び、笑みが消える。
「あたしは普段こんなにお節介じゃないんだ。でも、あなたはいい人みたいだから。真面目に言いたくて」
美香の言葉が、初対面のはずの少女の言葉が、俺の心に突き刺さる。
「どうしようもないから、暴れているなんて、カッコ悪いよ」
俺は答える術を持たなかった。彼女は、言いたいことを言って満足したのか、立ち上がった。
「あなたも、あたしと同じように、この街を何とかしよう、って思ってくれそうだったから。勘違いだったら、ごめんね」
何も答えない俺に、彼女はじゃあね、とだけ声をかけて、店の出口へと歩いていった。
俺は彼女に声をかけることもできず、ただ自分に向けて、小さく呟いた。
――カッコ悪いな、俺。
次の日、俺はそこに立っていた。
初めて袖を通した制服に身を包み、校門の前で大きく息を吸い込んだ。
何をすればいいかなんて、すぐにはわからないけど。
まずはここから始めてみようと思う。
――暴れているだけなんて、カッコ悪いからな。
吸い込んだ息を短く吐く。
吸い込まれるように深く、強い瞳を思い出す。
彼女と出会えた奇跡に感謝をして――
――俺は、一歩踏み出した。
番外編、いかがでしたでしょうか。
よろしければ別の拙作もお楽しみいただければ幸いです。
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