七日目 そして、これからも続いていく物語
最後の日。その朝を俺はこれまでと変わらず、自宅のベッドの上で迎えた。
枕元のスマホを見ると、いつもと変わらない時間に目が覚めたことに気づく。
おお、習慣ってすごいな。昨日は色々ありすぎて中々寝付けなかったのに。というか、二徹かもしれんと思った割にいつの間にか寝ていたあたり、我ながら現金なもんだ。
数分待ってみてもモーニングコールはなかったが、その代わりだとでも言うように、
メッセージが別の人間から届いた。
それをさっと読むと、俺は身だしなみを整えて家を出る。
力強くペダルを踏みこむと、あっという間に自転車は加速する。
何度となく通った道。目をつぶってもたどり着く自信があるその目的地に行くことも、きっと今日で最後になる。
けれど、それは目的地が変わるだけで、目的はこれからも変わらない。
いや、目的は変わるのだ。それはきっと、後ろ向きな変化ではなくて――
よく晴れた日差しの下、目的の家に着くと、呼び鈴を鳴らすまでもなく、貴子は外で待っていた。
特にいつもと変わった様子はない。ただ服装は白いブラウスに、淡いグリーンのスカート、黒いタイツといつもより少し洒落っ気があるように見えなくもない。
「遅いわよ」
「いやいや、メッセージ見てすぐ来たわ」
「見ないと対応できないところが、まだまだね」
辛辣な言葉が飛んでくるが、それほど機嫌が悪いわけではないらしい。微笑みを浮かべたまま、停めた自転車の荷台に横座りする。
俺も頬を緩めて、何も言わずに自転車を再び動かしていく。
ぎゅ、と腰に回された腕に力が込められるのがわかった。
不安からではなく、甘えるように身体を傾けてくる。
やばい、すごい可愛い。
感じたことのない感情に、頬が熱くなるのがわかった俺は、風で冷やすかのようにスピードを上げていく。
別に約束なんて何もしていない。
でも、そこに行けばきっと会えるという確信がある。
この本当の最後の日だって、俺たちは一緒に過ごすという、確信が確かにある。
それは、後ろに座っている、俺が選んだ人が駆け回ってくれたおかげ。
言葉に尽せない感謝とともに、始めよう。
――最後の一週間の、最後の一日を。
『ようこそ御殿場海岸へ』
いつも変わらない、愛想のかけらも感じないアーチ型の看板をくぐり、自転車を停める。
すぐそばに見慣れた自転車があるため、俺の予想は外れていないことを確信した。
ただ、自転車の持ち主が、俺の予想と違った。
堤防の上、島がある方角を見つめていたのは――
風に揺られるつば広の白い帽子を押さえている、美香だった。足元には大きめのトートバックが置かれている。
ゆったりとした空色のワンピースは、腰のところでバックルの大きなベルトで止められていて、風に遊ぶように揺れている。
思わず隣に視線をやると、珍しく貴子が困った表情を浮かべていた。
「美香、おはよう」
背中に向かってかけられた貴子の挨拶に、そこではじめて気づいたように美香は振り返った。
二人で並んでいる俺たちを見て、微笑む。
「おはよう、二人とも」
軽やかな声とともに、美香は身体ごと俺たちを向いた。
「二人乗りで来るだなんて、つかまっちゃうよ?」
冗談めかして注意され、俺と貴子は同時に嫌そうな顔をした。
それを見て、美香はさらに笑みを深くする。
「まったく、初々しいカップルには、困っちゃうな」
「ん?」
「のろけなら電話でいくらでも聞いてあげるから、葵が来るまでにはそのつないだ手をちょっとはどうにかしたほうがいいと思うなー」
「……」
おっと。これは恥ずかしい。
いつの間につないでたんだ?
貴子にも自覚がなかったらしい。俺たちは思わず顔を見合わせて、肩をすくめた。
「その通じ合ってる感も遠慮してねー」
美香は容赦なく追撃してきた。
「おっ、やっぱり来てたか」
それから十五分ぐらいで、秀司がやってきた。こいつはホント平常運転に戻るのが早いよな。特に気負った様子もなく、よく見るジーンズに、ブランドロゴのワンポイントが入った白いTシャツ姿だ。
「お、葵が来てないのか? 珍しいなあ」
「だよな。あいつ朝強いのにな」
秀司が驚きを口にしたところに、俺が相槌を打つ。すると、これ見よがしなため息が聞こえた。
「まったく、あんたはねえ……」
「あはは。男の子はホント目が節穴だよねー。貴子、きっちり教育しないと苦労するよ」
「今までもさんざん苦労はかけられたけどね」
ため息の主である貴子に、美香が同調して、なぜか俺と秀司がディスられていく。どこがだ、と問いただしたいところであるが、聞くとさらに盛大なため息をつかれる気がしたので、黙っておく。
秀司も同じ判断をしたらしい。何とかごまかそうと美香に話しかける。
「ところで、その服可愛いな。似合ってる」
「とってつけたように言われても嬉しくないんだけど」
しかしその目論見は失敗したようで、美香はジト目で秀司を軽くにらんだ。
そしてそのまま俺を見て、さらに刺してくる
「まあ、女の子のお洒落を見て何も言わない人よりいいけど」
美香の圧倒的な攻撃力の前に俺と秀司は防戦一方である。
「そういえばわたしにも何の感想もなかったわね」
追撃してくるんじゃねえ。お前、そんなの求めたことなんて今までなかっただろーが。言えば言ったで切り捨てられるのが目に見えてるわ。
俺の表情から内心を読んだのか、またしても美香がジト目になる。
「そういうところだよ、良介」
「まったくね」
貴子も深く頷く。こいつら手組んだら最強過ぎない?
諦めの境地に達した俺は、しばらく貝になることを決意する。
そして――三十分が過ぎても、葵は姿を表さなかった。
次第にみんなの口数が減っていく。
確かに、みんなで集まる約束はしていない。
葵はああ見えてバレーボールの練習で忙しい。寮に入るから、引っ越しの準備だってある。
来ないことがあっても、理解できる。まったくもって理屈で言えばその通りだ。楽園から出て、何も変わらないなんてことがあるはずがない。
それでも、今日が最後の一日なんだから、俺は当たり前のようにあいつが来ると思っていた。
昨日、考えられる限り最高の結果だったからか、余計にショックがでかい。
秀司も口をへの字にして、黙っている。
だけど、貴子と美香は笑顔だった。
「結構意外ね」
「そうだねー。でも葵が一番最初だったから。これくらいはしてもいいんじゃない?」
「そうね。そういう意味では、案外わたし達まだ知らない面があるのね」
「それはそうだよ。だから、これからも続けていけるんだよ」
何を話しているか、意味がよくわからない。わからないが、俺は少し嫌な気分を振り払うことができた。その笑顔は、楽しさではなくて、優しさで作られている気がしたから。
「大丈夫だよ、良介」
俺の感覚を肯定するように、美香が微笑んでくる。
「ちょっとした乙女心だから。受け止めてあげて」
「ぐっどもーにーーん!」
美香の言葉にかぶせるように、いつも通りの元気な声が、アーチの方から聞こえてきた。
「おっはよー!」
自転車を停めて堤防を登ってきた葵が、改めて元気よく挨拶をする。まったく裏表を感じさせない、いつもの底抜けに明るい笑顔に、俺は心底ほっとしているのを自覚した。
「何やら珍妙な表情だねえ、良介」
身長はほぼ同じはずなのに、なぜかわざわざ下から見上げてニヤニヤしてくる葵。なぜか一本取られた気がして、俺は不機嫌を装って言葉を返す。
「うっせ。それより珍しく遅かったな」
「あはは。あたしってば、実は朝弱いからさ! ごめんね!」
笑い声とともに紡がれたのは、衝撃の発言であった。正直、葵が朝弱いなんてことは初めて聞いたし、知らなかった。
いつもモーニングコールをもらっていたし、覚えている限りこいつが遅刻したことはない。
「知らなかったでしょ、良介。あたしだって女の子だからね! ミステリーな部分は案外あるんだ!」
あまり男女を意識させない笑顔で、葵はニコニコしたまま背筋を伸ばした。見上げるのはもうやめたらしい。
「でもさ、こうやって新しい発見があると、新鮮で楽しいでしょ?」
背筋を伸ばし、視線をまっすぐ向けてくる彼女は――
「良介だって、きっとまだあたしの知らない部分がある。みんなもきっとそう。新しい一面を知って、自分の違う面を知ってもらうと嬉しいよね。
」
先ほどまでと違い、ハッとするくらい透明な微笑みを浮かべる葵は――
「あたし達って、自分のどんな姿でも、受け入れてもらえるんだって安心できる。だから、これからも続けていけるんだと思うな、あたし」
やけに大人びて見えた。
「で、今日は何しよっか?」
「最後の日だし、だべって、飯食ってでよくないか?」
先ほどまでの様子を微塵も感じさせず、いつもの調子で聞いた葵に、秀司が特にやる気を出すこともなく答える。正直俺も同感である。といっても単なるノープランなのだが。
だが、それに待ったをかけたのは美香だった。いつもと違う、積極的に場をリードしようとしているのが、新鮮だ。
「ぶぶー。そんなんじゃ駄目だよ。みんなどうせ何にも考えてきてないと思って、ちゃんとあたしが用意してまーす!」
宣言してごそごそとトートバックの中を探る。全員の視線が集まる中、彼女が取り出したのは――
空真珠。
それも、拾ったのは一つのはずなのになぜか五つある。さすがに形は不揃いで、ごく小さなものだが。
「これを使ってー! アクセサリーを作ります!」
おお、なんていうか美香っぽい提案だ。それにそろいのアクセサリーって、なんか親友感が出ていいかもしれない。なんで作ってこなかったんだろうな。
「おー! いい案だね! あたしは賛成だよ!」
「俺も賛成だ。いい案だと思う」
「俺もだ」
葵、秀司、俺が順に賛成を口にすると、貴子も頷いた。
「作るのはいいけれど、どうしたのこれ?」
「昨日いっぱいあったじゃない? もらってきちゃった」
俺と同じ疑問を口にした貴子に、美香はいい笑みのまま答える。
なあ、お前昨日すごい泣いてなかった? いつの間に壁から取ったの? ちょっとたくましすぎない?
みんな同じことを思ったのだろう、若干の沈黙が場を支配した。美香はあれ? というように俺たちを見まわし、そして高らかに宣言した。
「じゃあ、ここだとパーツなくしちゃいそうだし、貴子の家にレッツゴー!」
ごまかしやがった。そしてそのセリフはなんというか葵のキャラだと思う。
「ここに来るのも久しぶりだよな」
相変わらず生活の気配が薄い貴子の家のリビングで、秀司がこぼした言葉に全員が頷く。
「みんなの黒歴史が詰まってるもんねー」
「筆頭は家主だけどね」
「いやー、あたしも結構きつい思い出が」
自虐的な貴子の言葉に、美香が苦笑交じりに返す。
会話を聞きながら、俺は部屋を見渡した。
そうだよな。ここで初めて全員が集まって――全部、ここから始まったんだ。
何とも感慨深い気分に浸っている俺を誰も茶化さない。
ここから始まって、今日で終わりだったはずの楽園は明日も続いていく。
「ちょっとねー、色々用意したんだよ」
美香がトートバッグを逆さにする勢いでバラバラと色々なものをテーブルに並べていく。
空真珠以外に、組みひも、パラコード、革ひも、台座。色々だ。
「それぞれで空真珠を好きなアクセサリーにしようと思って。作り方は教えるよー」
美香の様子はいつもと変わらない。それに得も知れぬ安心感を憶える。
「いいな。全員ペアのアクセサリーだとちょっと恥ずかしいもんな」
秀司はいつも通りマイペースに、場を回してくれる。その変わらなさは美香に通じるものがある。
葵は珍しく静かに何を作るか考えているのだろう。美香とは真逆で、昨日は変わらない様子だったのに、今日は一番変わって見える。それでも、きっと本質は変わらない。俺達の仲間、高橋葵のままだ。
俺もとりあえず革ひもを手に取ってみる。
「良介、何作るか決まりそう? なんならあたしとペアリングでも作る?」
「……ちょっと、美香」
「なあにー? 何か問題でも?」
これまでなら興味なさそうに流していた美香のからかいに、貴子が低い声で反応した。そもそも指輪なんて難易度高すぎて作れないと思うのだが、そういう問題でもないのだろう。軽い口調で応じる美香に、貴子はさらに苛立ちを募らせていく。
「問題しかないわよ。タチの悪い冗談はやめなさい」
「えー、冗談じゃなかったら?」
「もっと悪いわよ!」
とうとう声を荒げた貴子に、美香はくすくすと笑顔を、ただどこか寂しそうな笑顔を向けた。
その表情のまま、俺の方へと視線を動かしてくる。
「ラブラブだねー、良介。離しちゃダメよ?」
「ああ」
もちろんだ、と頷く俺。そこで終わればいいのに、美香はさらに爆弾を投下する。
「貴子もね。離したらあたしが拾っちゃうからね」
「……離さないわよ」
真っ赤になりながら答える貴子に、全員が目を丸くする。こいつも変わった、ってことだよな。
そしてそれは俺もだ。大きく変わったという自覚がある。
「おお、大胆発言」
「美香らしくもない直接的な」
秀司と葵が完全に外野の発言をする。お前ら助けろよ。
俺が例によって沈黙を選択していると、貴子がだいたいね、と口を開いた。
「昨日あれだけはっきり答えは出たでしょ? なんでまだ混ぜっ返すの?」
「んー、半分はやっかみ?」
口に人差し指を当てて考える素振りつきで答える美香。貴子の額に青筋が浮いたのが見えた気がした。
「残りの半分は?」
「まだ負けたと思ってないから? 執着的な?」
ぶちり、と何かが切れる音がした。
「あんたそんな性格だった? 計算高いのは知ってたけど」
「自分でもびっくりだよねー。でもあんだけ大泣きしたのみんなに見られちゃったし? もう怖いものはないっていうか」
「あんたねえ!」
「なあにー?」
そこからは地獄だった。
怒る貴子に、のらりくらりと煽る美香。
とりあえずスマホで作り方を調べ始める秀司と、爆笑する葵。笑いすぎて涙まで出している。
誰の助けもなく、スマホに逃げることもできない俺が立ち尽くしていると、笑いを収めた葵が声をかけてくる。
「ほらね、知らない部分を知るって、楽しいでしょ?」
その言葉には頷くしかない。そうだな、だからこの楽園は続いていくんだもんな。
ほんと今日は全部お前が持っていくよな。
結局、アクセサリーを作り始めたのはそれから三十分ほどたってからだった。
そして、時間は過ぎていく。
「おわったー!」
「もうこんな時間か」
「お腹すいたねー」
「何か食べに行きましょうか。もう六時よ」
「お昼何食べたっけ?」
「そういや食べてないな。そりゃ腹も減るよな」
「何食べる?」
「味噌カツがいいなー」
「おお!地元飯だね!」
「全国的にはだれもここが発祥とは思わないだろうけどな」
「それは諸説あるわよ」
「ソースカツのが好きなやつもいるしな」
「俺が好きなのはソースカツサンドだっての」
「よく知ってるよ! でもとりあえず味噌カツで決まり!」
「最後だし、地元飯食べたいもんねー」
「いいんじゃない。行きましょう」
「あー、お腹いっぱい!」
「食いすぎだお前」
「見てるだけでお腹いっぱいになっちゃうよね」
「でもあの味ともしばらくお別れだからな。いいチョイスだった」
「そうね。でもまた、みんなで行きましょう」
「そうだな。約束だ」
「タイミング合わせようね」
どれだけ会話が盛り上がっていようとも。終わりの時は、すぐそこで。けれど、次への約束ができることが、心底嬉しい。
「それじゃあ! またな!」
「ひとまず元気でねー。また夏休みにでも。みんなちゃんとアクセサリー使ってね」
「夏といわず、試合見に来てくれてもいーよ!」
「ああ! またな!」
ひとまずの別れと再会を告げる親友たちに、俺は大きく手を振った。
そして、みんなの姿が見えなくなって、俺は隣に立つ女性に向き直る。
「じゃあ、また、だな」
「……そうね。とりあえずはいったん向こうに行くけど、夏には戻ってくるわ」
その表情には、寂しさはあっても不安はない。俺を受け入れるように、微笑みを浮かべてくる。
「ああ、待ってる。もう離すつもりはないから」
俺が抱き寄せると、貴子は抵抗せずに身を寄せて、背中に手を回してきた。胸元にあるそろいのネックレスがかちん、と音を立ててぶつかった。
「ありがとう。来年には受験もし直すから。離れないわよ」
「お前なら東京のどの大学だって行けるだろうに」
「いいのよ。決めたからには中途半端は嫌だもの」
「そうか」
「ええ」
お互いの口数が少なくなっていく。心地よい沈黙が俺たちを包む。
ふと、視線がぶつかる。お互いに逸らすことなく、どちらからともなく目を閉じる。
唇が触れ合う。お互いの腕に力がこもる。
一瞬とも永遠とも言える時間が過ぎていく。
空真珠が、あの日のように輝いた気がした。
これは、俺たちの高校生活最後の七日間の物語で――
――そして、これからも、続いてく物語だ。
完
拙作「楽園のおわりかた」完結となります。
ここまでお読みいただいたすべての方に、心からの感謝を申し上げます。
お楽しみいただけたのであれば、幸いです。
本作は某SNSサイトにて15年近く前に掲載したもので、特にエピローグに大幅な加筆・修正を加えたものとなります。
恋愛を主軸に置くのは苦手な自分としては、かなり挑戦的で思い入れのある作品です。
今の時代に刺さるような物語になっているかはわかりませんが、再び発表する機会を得たことに感謝するとともに、ご挨拶とさせていただきます。
それではまた、次回作でお会いしましょう。
あ、一本これ番外編があるんだ。需要があれば載せます。




