六日目 楽園のおわりかた 2
壇上へと近づき、まず俺は美香の前に立った。
いつもお洒落に気を使っている美香だが、今日は一段と気合が入っているように見える。
およそこんな地下には似つかわしくない、女の子らしい、女の子。
けれども俺は知っている。
美香が、それだけじゃない、芯が強くて優しい女の子だってことを。
正面から彼女を見ると、美香はごく自然に上目使いで見つめ返してきた。二人、ごく自然に笑みが浮かんだ。
「美香も色々振り回して悪かったな。昨日まで頼っちまった」
「まったくだよ。しょうがないよね、良介は」
言葉とは裏腹に、口調は相変わらず優しい。
「気持ちは、固まった? 大丈夫。誰を選んでも、何があっても、良介が望めば、これからもこの楽園は続くよ」
空真珠の葵光と空から降る陽の光、明るさを全身で受け止めて、いつも俺を助けてくれる少女はふわり、と微笑む。
「あたし達は今までずっと、一緒にいた。今もこうしているの。それが、答えだよ」
そして、笑顔とは裏腹に、瞳が真剣な色を帯びる。それを俺に向けるのは、初めてだな。
「大丈夫。こわがらないで。ちゃんと、良介の本当を聞かせて」
「ああ」
いつだって、美香は俺の味方だった。今のこの土壇場でも、自分のことは一つも言わない。
ただ、俺を気遣い、俺の負担を減らそうとしてくれる。
俺は、ごめんな、と真摯な謝罪を口の中でだけ、呟いた。
だって、俺が選ぶのは――
美香の脇を通り過ぎて、最後に貴子に声をかける。向けられる視線の厳しさはもう慣れた程度のものだ。
「さて、貴子」
「なに?」
いつもと同じ、端的な口調。それに俺は思わず苦笑した。
「お前にかける言葉はほとんどない」
「そう。いい答えと思うわ」
貴子が頷いて、続きを促してくる。
「じゃあ、どっちを選ぶの? 葵か美香か」
それは、貴子にしては珍しく、本当に珍しく。無理に突き放そうとしているのがはっきりとわかる少し早口な言葉だった。
俺の苦笑が、深くなる。
いや、何言ってやがる。俺が選ぶのは――
無表情で、思ったことを口に出さないくせに、友情には人一倍うるさい。
そのくせ、自暴自棄を自己犠牲って言葉で置き換えて。
異性と触れることを、心と身体を近づけることを、極端に恐れる。
どこまでも歪で、鏡に映したように俺にそっくりな――
「俺が言うのは二つだけだ。ロンドンには行くな。俺のいる東京に来い」
貴子、お前なんだよ。
俺が、これからも一緒に歩きたいと。隣に並んで欲しいと思うのは、お前なんだ。
でも、お前は感謝も謝罪も拒否するから。
俺はただ、誘うだけだ。
「何その答え」
貴子が、じろりと俺を睨みつけた。相変わらずとんでもない迫力だ。美香はよくこんな奴と渡り合えるもんだ。
「あのときみんなから出された問題から逃げ出して、今更何を言ってるの?」
貴子の声の調子が、次第に上がっていく。
「いやまあ、だからこれは追試みたいなもんだろ」
「今更そんな虫のいい話が通るわけないでしょう! 馬鹿も大概にしなさい!」
「じゃあなんでお前はここにいるんだ!」
貴子が怒鳴るのにあわせて、俺も怒鳴り返す。
今度こそ、絶対に、ひかねえ。
「お前だって、追試を認めてくれたから、ここにいるんだろ!」
前へ、一歩、進むんだ。
「やり直しするために、お膳立てしといて! 自分だけ逃げられると思うなよ!」
「いっつも逃げてたあんたに言われたくない!」
進んで、今度こそ掴んでみせる。
「逃げている自覚はあるわけだな!」
「混ぜっ返すんじゃない! この馬鹿! わたしとあんたみたいな歪な奴同士が、上手くいくわけないでしょう! そこから抜けるために、ここまで来たんでしょうが!」
今度こそ、貴子の心の底に、たどり着いて、掴んでみせる。
「俺たちはそうだよ! 歪だよ! だけどここまで来たじゃねえか!」
お前の本音を、掴んでみせる。
「だから――」
「歪なものを二つあわせれば! 真っ直ぐにもなれるだろうが!」
じゃなきゃ、ここまで来た意味がないだろう。
お膳立てをしたお前の動きも、まず示して見せた葵の決意も、動いてくれた秀司の思いも、傷ついて、それでも助けてくれる美香のすべても――
俺がここでまた逃げたら、無意味になるだろうが!
「お前は俺といろ! 俺たちは二人でいてもいいんだ! それでも楽園は続く! 今までほどそうそう集まれはしないけど、なくなるわけじゃねえ!」
「……っ!」
貴子が押されて一歩退いた。
「あはははは! 貴子の負けだね! 珍しいね!」
そこで、葵が笑い飛ばした。
「というかね、ここにいる時点で貴子に勝ち目はないの」
続いて美香が口を開いた。
「あたしたちは、良介が選ぶのを、待つだけ」
美香はまったく笑っていない。
「選ばれておいて、拒否するなんて、あたしも葵も、許さないよ?」
美香が睨みつけ――
言われて貴子はふう、と溜息をついた。
「参ったわ。わたしの負けね」
そのまま、俺を見つめてくる瞳は、先ほどまでの激情が嘘のように優しい。
「わたしでいいのね?」
「言っただろ」
「結構、きついよ?」
「知ってるって」
「迷惑かけるわよ、きっと」
「お互い様だろ」
そこまで言って、貴子が近づいてきているのに気づいた。
すぐ近くに、貴子の顔がある。白い肌が、僅かに上気している。
「ありがとう。わたしは歪んでるから、好きっていうのがどういうものか、まだちゃんとはわからないけど」
それは俺もだ。
「今、とても嬉しい」
それも、俺もだ。
黙って貴子を、引き寄せる。貴子は抵抗せず、身体を預けてくる。そして、
「さあ、じゃあ結婚式をしようね!」
美香の唐突すぎる発言と、
「おめでとう、二人とも!」
明るく祝福してくる葵によって、現実に引き戻された。
一人秀司が、満足そうに笑い声を上げた。
俺は現実に引き戻された挙句に、その突飛な言葉に混乱していた。
結婚式だって?
しかし隣の貴子は、表情を変えることなく頷いた。
「そういえばそんな話をしたわね、昨日」
したのかよ。お前達は何の話をしていたんだ。
「でも美香、結婚式っていうと語弊があるわね。昨日も言ったけど」
貴子の言葉に、美香は困ったように頷いた。
「うん、そうなんだけど。他にいい言葉も思いつかないしね」
それから、苦く笑う。
「まあいいじゃない。せめてそれくらいの負け惜しみはさせてよ」
その言葉に、今度は貴子が困った顔をして、頷いた。
「結婚式って何するんだ?」
俺より早く、秀司が尋ねると、美香が説明を始める。
「んっとね、昨日話し合ってたの。良介が誰を選んでも、この五人の友情は永遠だってことを誓おう、って」
俺は衝撃を受けた。それは秀司が言ってくれた言葉。美香も、葵も、そして、逃げようとしていた貴子も、そう思ってくれたのか。
「結婚式で誓いの言葉、ってあるでしょ? それをみんなでやろうって」
俺はその意味を理解した。確かに、結婚式としか言いようもないかもな。
それに空真珠の光に満たされたこの部屋は、誓いをするのにふさわしい。
「いいな、やろうぜ」
俺が頷いて、秀司も反対しなかった。
「じゃあ、約束どおり、あたしが司祭様をするからね」
美香が宣言し、貴子と葵が頷いた。秀司は複雑そうだったが、何も言わなかった。
俺に発言権はないだろう。
だけど、いい。それで構わない。
誓おう、永遠に続く、俺たちの友情を。
この楽園のおわりを宣言して――これからも続くための誓いを。
俺たちの心に、刻みつけよう。
「汝、辻秀司はここにいる四人と、健やかなるときも病めるときも、遠き場所でも近しき場所でもみなを愛し、みなを敬い、みなを慰め、みなを助け、その命続く限り、変わらぬ友情を守ることを誓いますか?」
秀司は一瞬眼を閉じ、そして美香を見つめた。
「俺は友情と愛情は両立すると信じています。ですから、はい、誓います」
届かなかったという結果がでてもなお、ぶれない想い、折れない心。それをしっかりと言葉で表現して――一人目が、誓った。
「汝、高橋葵はここにいる四人と、健やかなるときも病めるときも、遠き場所でも近しき場所でもみなを愛し、みなを敬い、みなを慰め、みなを助け、その命続く限り、変わらぬ友情を守ることを誓いますか?」
言われた葵は一瞬俺を見て、そして、美香と微笑みあった。
「はい、誓います」
その瞳に涙はなかった。この中で一番脆いはずの少女は、余計なことを一つも付け加えず、涙も見せなかった。
ただ、しっかりと、頷いて。
その表情はやっぱり、どうしようもなく格好いいまま――二人目が、誓った。
「汝、三島貴子はここにいる四人と、健やかなるときも病めるときも、遠き場所でも近しき場所でもみなを愛し、みなを敬い、みなを慰め、みなを助け、その命続く限り、変わらぬ友情を守り、北見良介を愛することを誓いますか?」
さらりととんでもないことを付け加えやがった。
それでも、貴子は今まで見たことがないほど、幸せそうに微笑んで。
ついでに俺と指を絡めてきて。
「あなたにとられたくないからね。頑張るわ」
一言毒を吐いてから、
「誓います」
宣言した。
貴子の手に触れるのは二度目だけど、やけに暖かかった。
楽園の中でもずっと纏っていた殻をようやく放りすてて――三人目が誓った。
「汝、北見良介はここにいる四人と、健やかなるときも病めるときも、遠き場所でも近しき場所でもみなを愛し、みなを敬い、みなを慰め、みなを助け、その命続く限り、変わらぬ友情を守り、三島貴子を愛することを誓いますか?」
美香の瞳が俺を見つめる。
貴子にはみんなの助けで勝てたけど、こいつにだけは敵わなかったな。どうしようもないほど強かで、でも俺に優しいやつだ。
ごめんな。それと、ありがとう。
言いたいことは色々あるけれど、それはこの二言に集約される。
そして、その二言を口にすることも、今の俺には許されない。ただ、心にその抱いた想いを刻み付ける。
「はい、誓います」
言葉にできないたくさんの想いを乗せて――四人目が誓った。
最後は美香自身の番だ。貴子がやるのかと思っていたら、美香は俺に向かって言ってきた。
「良介がやって」
そうか。あのときつかなかった決着は、ここでつくのか。
また俺に譲歩してくれるんだな。そして、それでも、永遠の友情を誓ってくれるのか。
万感の想いを込めて、言う。
「汝、榊美香はここにいる四人と、健やかなるときも病めるときも、遠き場所でも近しき場所でもみなを愛し、みなを敬い、みなを慰め、みなを助け、その命続く限り、変わらぬ友情を守ることを誓いますか?」
しっかりと、美香の眼を見る。美香も見つめ返してくる。
再び、笑みを交わしあう。
微笑みのまま、美香が口を開こうとして――不意に、それは零れた。
ひとつ、ふたつ、涙の雫がぽろぽろと。
ぽろぽろ、ぽろぽろと止まらずに、美香の瞳から涙が零れ落ちる。
「あ、あれ……? おかしいな。ちゃんと、言えるはずなのに」
ぶんぶん、と首を振る美香。
柔らかな笑顔は、いまやくしゃくしゃになっている。
それでも懸命に、誓おうとする。
「は、はい……ち……ちか、誓い…………誓い……」
けれどその言葉が限界だった。
脱力したように座り込み、両手で顔を覆ってしまう。
「う、うう……うあ、うあああああ……」
止めようもなく嗚咽を漏らす美香を、貴子が近づいて抱き締めた。
こいつがこんなことをするのは、初めてじゃないか?
「ありがとう、ありがとう、美香」
気がつけば貴子の瞳からも、同じものが零れていた。
「う、うん。ごめん……ごめんね、貴子。みっともなくて、ごめんねえ……」
俺は天を仰いだ。空は変わらず、どこまでも青く。少し、目に染みるくらいに明るい。
それでも、友情は続く。
続けなければ、ダメなんだ。
「大丈夫、もうちょっとしたら、ちゃんと……復活するから」
俺と同じ思いなのか、まだ俺にあわせてくれるのか。
五分ほどが過ぎて、美香は再び俺を見つめた。
「はい、誓います。絶対に、大丈夫だから」
その顔には涙の後があるけれど。
それでも美香は微笑んでみせた。今までと同じように、たくさんの優しさを乗せて。
五人目――最後の一人――が、誓った。
――これで、全員だ。
さあ、行こう。
楽園から一歩踏み出そう。
それでも、俺達の友情は永遠に続くと、信じて。
全員が、力強く、微笑んでくれたのがわかって。
俺の瞳からも、暖かいものが一滴、流れて落ちた。
それに合わせるように、俺の口からごく自然に言葉が漏れる。
「ありがとう」
誰からも返事はなかったが――
滲む視界の中で、壁の空真珠たちが、きらきらとその輝きを増した気がした。
次回最終話です。




