六日目 楽園のおわりかた 1
土曜日。最後の一日前。
俺は秀司と一緒に、三人より遅い便で神島に来た。空は明るく、よく晴れている。
小春日和というやつで、感じる空気も暖かい。満開の桜の木が、神島にはほとんどないのが残念だ。
「いい顔になってるな」
秀司が会うなりかけてきた言葉が、俺を力づけてくれる。
ほんと、俺にはもったいないくらい、出来た親友だ。
「当然だっての」
俺がニヤリと笑って見せると、秀司はただ、頷いた。
その後は無言で、洞窟の前まで並んで歩いていく。
「俺から先に報告しとく」
入り口の前で立ち止まり、秀司が口を開いた。視線をしっかりと俺に合わせてくる。その顔にはクマが浮いていたが、瞳は力を失っていない。
「お前の選択肢は、三つのままだ。俺は、ダメだった」
俺は黙って頷いた。他にどうしようもない。俺には、口を開く資格がない。
「それでも、マイナスにはなってねえ。この場所を壊すことにはなってないから、安心しろ」
厳しい表情。感情を必死に抑えているのが、伝わってくる。
それでも遠くを見ることなく、俺を見据えて、秀司が言う。
「あとは、お前次第だ。今回は期待させろよ」
俺はまた黙って頷いた。他にどんなことも口にしない。
言葉にせずとも、秀司には伝わるはずだ。俺はこれからの行動で、それを伝えるんだ。
外がどれだけ暖かくても、洞窟の中は暗く、ひんやりとしている。懐中電灯を照らして、先へ進むと、相変わらず不釣合いな扉が照らし出された。奥からは、電灯の光が必要ないくらい、明るく、柔らかな青い光がこぼれてきている。
その光に照らされるように、長身の少女が立っていた。そのシルエットを作るのは言うまでもなく、葵だ。今日という日に不釣り合いなぐらいスポーティーな出で立ちに、大きめのボストンバッグ。試合にでも行くつもりか?
それにしては珍しくうっすらと化粧をしているように見えなくもない。
「おっはよー! 二人とも!」
洞窟の中に元気一杯の声が響く。俺と秀司が思わず顔をしかめてもお構いなしに、葵は明るく続けてくる。
「あたしは、もう負けてるからね! ここで待ってたんだ!」
カラリとした言葉には似つかわしくない、それは、敗北宣言。悩める俺のために、選択肢を減らす、宣言。
「あお……」
「ええい! みなまで言うな! あたしは約束したでしょ? これからも友達として、よろしくね! って!」
言って、くれたな。確かに。
だから、その言葉を守って、ここにいてくれたっていうのか? まったく真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐな奴だ。
「あたしは、だから、ここから、あんたの隣に並ぶのさ!」
極上の笑顔と共にそう言って、秀司と逆側、俺の左隣に並んでくる。そして、扉に手をかけて、葵が俺をいざなう。
「覚悟はいいかい?」
俺は躊躇わずに、頷いた。
扉をくぐり、部屋に入ると、奥の一段高い場所に、二人が並んで立っていた。楽しそうに、なにやら喋りこんでいる。
「おはようさん」
「おっさん臭いね!」
俺の挨拶に真っ先に反応したのは隣にいる葵だった。
高橋葵。
将来有望すぎるバレーボール選手で、三人の中で最初に知り合った女性。明るい性格の裏に、繊細な女の子らしさを持っている。正直、この中で一番真っ直ぐで、性格がいいと思う。俺に、真っ直ぐな眩しさを教えてくれた女性だ。
「もう昼よ」
「お前が指定したんだろうが」
しなくてもいい突っ込みをしてきたのは、三島貴子。二番目に知り合った。
俺と同じく、親に問題があって、歪んだ性格をしていた少女は、今は前よりもずっと真っ直ぐになっている。
けれど、前よりも、というだけの話だ。そんなところまで、俺と同じ。お互いを眩しく思って、お互いをその歪んだ世界から追い出そうとして、失敗している。
俺と最も近い位置に立つ、楽園をつくり、すべてをお膳立てして――
すべてから逃げ出そうとしている女性。
「おはよう、良介。昨日は眠れた?」
「眠れるわけねえだろ」
「そうだね。ぐーすか寝てたようじゃ、話にならないよ」
ニッコリと棘を刺してきたのはもちろん最後の一人、榊美香だ。
俺の元彼女で、俺の歪さに正面から向き合ってくれた人。迷惑ばかりかけて、傷つけてばかりだったのに、まだ俺の側にいてくれる。
こいつからは、本当に色々なことを教わった。
さて。
俺の答えを出すときだ。
俺はまず、葵に声をかけた。
「ありがとうな、葵。色々馬鹿にもつきあわせたよな。朝も起こしてもらったし」
「ま、いいってことさ! 今更だね!」
葵はカラリと笑ってきた。そして、笑顔のまま、続けてくる。
「それにお礼には、まだ早いよ!」
葵が秀司に目配せをしたのがわかった。秀司はすぐに反応し、壁際の少し大きな空真珠を押し込む。
ゴウン、と音がして、部屋の中央に、スイッチのような突起が姿を現した。
俺はといえば、事態を追いかけるので精一杯だ。
その俺の横で、葵がボストンバッグを開けた。取り出したのは、バレーボール。
それを持ったまま、歩き出す。俺とスイッチからほぼ等距離の位置に。
そして、ボールを俺に投げてきた。
「良介、トス上げて」
「は?」
わけがわからず尋ね返す俺に、葵は僅かに苛立った様子を見せた。
「いいから、トス上げて!」
結局その剣幕に押されて、俺はトスを上げる。もう何百回もやってきたんだ。葵の好きな位置、高さは良く知っている。
その俺の自信を裏付けるように、葵は高く飛び、ピンポイントでボールにたどり着く。
「ちぇえええりゃああああ!」
気合の声と共に放たれるのは、天才のスパイク。
強烈にして、正確無比な、日本人離れした珠玉の力。
バアン! と派手な音を立てて、スイッチが揺れる。
トン、トン、とボールが跳ねる音だけが、室内に響いた。
その弾む音が小さくなり、やがて聞こえなくなる頃――
ゴウン、と大きな音がした。
音は部屋が揺れているかのように、大きくなっていく。
いや、実際に、部屋が揺れている。
「何だ?」
俺は思わず口に出して、そして気づいた。
青い光に満たされた部屋に、見慣れた光が差し込んできていることに。
その光の方向、天井を見上げると、音に合わせるように、空が顔を見せていた。
「な……!」
俺は、絶句した。こんなものが、いつの時代に作られたというのか。
そして、こんな仕掛けをいつ、だれが見つけていたというのか。
地下の部屋から、明るい空をたっぷりと見つめてから、俺は葵を見た。
「驚いたでしょ? これがあたしからの、最後のプレゼントだよ」
その言葉で、俺は悟った。だから、秀司は寝ていない。きっと葵が化粧しているのもそういうことだ。
疲れを微塵も感じさせることなく、日の光をの下に姿勢よく立つ葵は、やっぱり、いつかと同じように、格好よかった。
俺が見惚れていると、明るさと脆さをあわせ持つ少女は壇上を指差す。
「見てみなよ、良介。二人とも綺麗でしょ? あんたの言葉を、待ってるんだよ」
そう言って、見事な笑みを浮かべる、この親友に、
「ありがとう」
心からの感謝を、贈る。




