五日目 三島貴子 エピローグ
どのくらい呆然としていたのだろうか。気がつけば、日はすっかりと昇り、朝の訪れを告げている。
どこに行くのも億劫で、座り込んだままの俺のところに、足音が近づいてくる。
貴子、なわけはないな。
「あ、やっぱりここだ! ぐっどもーにん!」
「探したぞ、おい」
明るい声を上げて葵が、呆れた声とともに秀司が。
「おはよう、良介。昨日は拳で友情を語り合ったんだねー」
そして、悪戯っぽく笑いながら、美香が現れて――
全員が表情を凍りつかせた。あれ?
「何が、あったの?」
しゃがんで俺と視線の高さを合わせて、美香が尋ねてくる。もしかして俺、ひどい顔か?
「いや……」
「大したことじゃない、ってのはなしだよ?」
美香に逃げ道をふさがれてしまった。葵と秀司が、立ったまま俺を見つめる。
頭の中で声がする。
――ちゃんと言えよ! 困っているって! 力を貸してくれ、って言えよ!
――――俺たちは、友達だろうが!
それは確かに俺の口から出た叫び。それはあいつにかけた言葉だけど、あいつにだけ、適用する言葉じゃない。
みんなに、そうして欲しい。
きっと、みんなも俺がそうすることを許してくれる。
だから俺は、あいつ以外の全員に、頼ることにする。あいつを、連れ戻すために、力を貸してもらうことにする。
「ちっと、困ったことになってさ」
言葉は弱々しく、けれど瞳には力を込めて、全員と視線を合わせる。誰も笑わない。茶化さない。ただ、俺の言葉を待ってくれている。
「助けて、くれないか」
一瞬の間も置かず、全員が力強く頷いてくれて、不覚にも俺は、泣きそうになった。
「なるほどなー。やっぱ強敵だよな」
「貴子って頑固だもんね!」
俺の話を聞き終えて、秀司と葵が口々に感想を述べる。美香は、黙ったままだ。
黙って立ち上がり、神島を見る。
「あたしにも、教えてほしかったな」
そのままぽつり、とこぼした言葉に、葵がぶんぶんと首を縦に振って同意する。しかし美香は、珍しく混ぜっ返さない。
振り返って、ふわり、と柔らかい笑みを浮かべ、俺を見つめる。
「やっぱり良介はあたしが譲歩しないとダメダメだね」
辛辣な言葉にはわずかの嫌味も込められていない。なぜか、それがわかる。
「あたしに任せて。あのとき、貴子があたしの頼みを聞いて、助けてくれたように」
眼の前の少女は、俺の元彼女で、秀司の想い人で。
「今度はあたしが、あの子の叫びをちゃんと聞きとって、助けてあげる」
楽園のメンバーの一人で。
「それで、あたしと同じように、おもいっきり悔しがらせてあげるから」
メンバーの中で唯一、貴子に対抗できる人間。
榊美香。
彼女は昔と同じように、今も柔らかく、俺を包みこんでくれようとしていた。
美香は葵の携帯を借りると、すぐに発信した。そういやこいつ、携帯忘れたとか言っていたな。
「あ、貴子? あたしあたし。美香だよ」
意外にも貴子は葵からの着信をとったらしい。あいつなら、葵が一人じゃないことなんて、すぐにわかるだろうに。
「昨日はごめんね。ガールズトークもせずに寝ちゃってさー。無茶苦茶疲れてたんだよー。自分でもびっくり」
美香は朗らかな調子で貴子と喋っている。
「え? そんなことないよー」
何かを笑って否定して――
次の瞬間に、俺が今まで見たこともないような、真剣な表情に変わる。
「あたしは、話したいなー、貴子と。色々、ね」
ふと秀司の表情を覗くと、何か満足気だ。もしかして、秀司はこの表情で、痛いことを言われたのだろうか。それは、結構な衝撃だっただろうな。
「うん。うん。そりゃそうだよー。でも、良介には教えないよ。ちゃーんと、女の子同士の、話をしよ」
声はあくまで明るく、しかし顔は笑っていない。
だから美香だけが、唯一貴子に対抗できる。あの無表情で計算高い、才媛に。
対抗できるだけの強かさを、その奥底に、確かに持っている。
そして、声からも明るさが、笑いが消える。
「まだあと二日、あるんだよ? あたしと喋らずに幕だなんて、ちょっと甘いよ」
ごくり、と葵が唾を飲む音が聞こえた。俺も喉がカラカラだ。昨日突きつけられたナイフなんて比べ物にならないくらい鋭い刃を、美香が抜いた。
「色んなことに決着つけさせようと動いてたみたいだけど、貴子が自分だけ逃げられるほど、あたしは優しくないんだー」
口調が、含まれた明るさが元に戻っていく。
「うんうん。あたしが優しいのは良介にだけ。じゃ、今から行くから、待っててねー」
ピッ、と音を立てて通話が切られる。俺たちが何というか、美香の暗黒面を見せつけられて固まっているところに、美香はいつもの悪戯っぽい笑いを寄こした。
「どうしたの、みんな? 石化してるみたいだよ」
「いや、石化もするっての」
俺が何とか返すと、美香はジト目でこちらを見てきた。
「ヘタレだねー。そんなのだから貴子にやられるんだよ? 良介」
さて、じゃあ行ってくるね、と美香が歩き始めると、葵も続いた。
「葵?」
「あたしも行くよ!」
美香が尋ねると、葵ははっきりと返事した。
そして、歩きながら俺に視線を一瞬向ける。
「あたしはもう負けちゃったんだけどね! やっぱりここは行っとかないとね!」
明るい、純粋に明るさを見せようとする笑顔。
「あたしだって、女の子だからね! ここで行かなきゃ、女がすたるよ!」
その裏では、涙を見せないように、歯を食いしばっているんだろうか。
美香は納得したように何も言わず立ち止まり、葵が俺に喋り終えるのを待っている。
けど、その終わりは葵らしく、さっぱりとしたものだった。
「じゃあね、良介! 吉報を待て!」
言い終えて、さっさと歩きだす。今度は美香が慌てて追う形になってしまった。
女性陣がいなくなって、ずっと黙っていた秀司が俺に声をかけてきた。
「で、感想は?」
「……言葉もねえよ」
答えに満足したのか、秀司は歯を見せて笑った。
「あいつらが開いてくれるのは扉までだぜ? 入ってちゃんと言うのは、やっぱお前なんだ」
不意にバン! と背中を叩かれた。
「今日は休みでいいだろ。俺はちょっと、準備するわ」
なんの? とは聞かない。聞かなくてもわかる。勝率が下がったのに、不満も言わない。
一度決めたら、ぶれない奴だな。その強さを、見習わねえとな。
「どの扉に入るのか、ちゃんと決めとけよ」
去り際に言われたその言葉を、俺はしっかりと受け止める。
「わかってる」
本当の意味での決着を、つけなきゃな。誰かとじゃない、俺自身との。
みんながいなくなった船着き場で、俺はゆっくりと歩き出す。
走る力はまだないけれど。一歩、一歩と。
――前へ。
俺は夜の街を一人で歩いていた。まばらな明かりが、嫌でもこの町の状態を思い出させる。
この最後の一週間で、一人で街を歩く時間があるなんてな。身から出た錆だということがわかっていても、苦いものを感じずにはいられない。
東京に行くことを決めたから、誰も選ばないことを、選んだ、か。
確かにその通りだと思う。つまりは逃げていたんだ。楽園をみんなで作って、その居心地の良さに甘えて、俺は何もしなかった。楽しかったけど、それだけしかしていない。
この一週間も、楽しいことだけして、それで、終わるはずだった。どこかで諦めていた。
けれど結局、貴子がお膳立てをして、まず葵が動いた。
先へ進むために、決着をって。それで俺も腹を括ったんだ。ここにきて、ようやく。
美香が付き合ってくれて、秀司も動く決意をして。
ただ、貴子だけが拒絶した。
すべてのお膳立てを整えて、そして自分だけは逃げ出そうとしている。
俺が、ちゃんとあいつを再び押し上げ切ってなかったから。楽園を作っただけで、止まってしまっていたから。
結局俺って、一人では何にもできないんだな。
こんなザマで、よくみんなの好意を拒絶してきたもんだ。
一人でいると、反省することばかりが浮かんでくる。
壊れたスマホを交換して、再びあてもなく歩いていると、変えたばかりでデフォルトの着信音が鳴った。
「こんばんは、良介」
電話は、美香からだった。
「明日の昼に、神島の洞窟に三人で待ってるから。ちゃんと来てね。もちろん、秀司もね」
ってことは、貴子を説得したのか。すごいな、やっぱり。
「ちゃんと答えを用意してきてね」
やっぱり、そうだよな。もう誰かを選ぶのは怖い、なんていうのは許されないんだな。
「ねえ、良介」
俺の思いを見透かしたように。今まで俺が散々傷つけた少女は、言ってくる。
「前も言ったけど。つきあうのって、誰かを好きになるのって、怖いことじゃないんだよ」
俺を励ましてくれる。
「良介の答えがどうなるか、わからないけど。ちゃんとあたし達は受け止めるから」
俺を許してくれる。
「一歩、進もうよ。進んでも、楽園は振り返ればきっと、そこにあるよ」
「……ああ」
どうしてこいつはこんなに優しいんだろう。
それが好き、ってことなんだろうか? 俺にも、あるんだろうか。
そんな、相手のすべてを受け入れる度量が。覚悟が。
圧倒的なまでの想いの強さが。
瞼を閉じて、浮かんでくるのは五人で遊んでいる光景。それが、一人、二人と消えていく。
やがて残るのは俺だけだ。それが、来週からの俺の世界だ。
そこに、光が灯る。ゆっくりと、人の形を作っていく。
その姿は――
そこで、メッセージの着信音が響いた。
差出人は貴子。いつも通り、びっしりと持ち物から、乗らなきゃいけない船の時間まで書いてある。
明日か。
明日、六日目。
最後の一日を残して、すべてに決着をつける。
そうしたら、最後の一日は、みんな笑うだけで過ごして、これからも俺たちの友情は続くんだ、って。
確信できるような結末に、なればいい。心から、そう願う。
「いや」
そこで自分の弱気を否定するため、声に出す。誓いの言葉を。
「願うんじゃない。掴むんだ。今度こそ、しっかりと」
口にすると、さっき瞼に浮かんだ姿が今度はよりはっきりと見えた気がした。
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