四日目深夜 辻秀司 2
きっちり五分で、俺と秀司は起き上がった。そのまま、漁船に乗り込む。エンジンをかけ、ライトを点ける。照らされた夜の海は、昼間の大雨のせいか、荒くうねっている。
秀司が計器を確認している間に、俺は埠頭と船体をつないでいるロープを外した。
ぐらり、と一瞬大きく船が揺れる。
それが落ち着いた頃、秀司が声を上げた。
「行くぞ。結構荒いから、揺れるわ」
「どんとこいって」
静寂を、回転数を上げたエンジン音が破る。騒音を撒き散らして、船は埠頭を離れていく。
秀司が真っ直ぐに神島を針路にとる。その動作の全てが、淀みない。
漁師を継ぐために努力した結果。確かにある、秀司が本気だったことの証拠。
思わず、俺は尋ねていた。自分の理由がくだらなさ過ぎて、ずっと聞けなかったその答えを。
「なあ」
「ん?」
「なんで大学行くんだ? どうやって気持ちの折り合いつけたんだ?」
「今更か? ってまあそうか。今更を吐き出してるんだもんな」
秀司は振り返らずに手元を見つめたまま答えてくる。
「俺が親父とさんざん揉めたのは知ってるよな?」
「ああ」
高校にも来なかったぐらいだからな。
「んでまあ、だからって素直に高校行けるはずもないわな」
「そうだな」
「でだ、俺は街をぶらぶらしてたんだ」
なんつーか、お決まりの不良だな。
「で、そこで美香と偶然知り合ってな」
……は?
「んで、かなり刺さること言われたんだよ。初対面だったのにな」
いや、ちょっと待て。秀司が学校来てなかったのは、入学してすぐだろ。
で、俺が美香と付き合いだしたのは、冬休みの前だぞ。
「お前、そんなに前から美香と知り合いだったのか?」
「ん? まーな」
俺の疑問に、秀司は軽い調子で答えてくる。
「お前が美香と付き合いだしたのはびっくりしたぞ。まあお互い私服だったから、同じ高校ってことも知らなかったんだけどな」
いや、俺もびっくりだ。というか。
「お前、そんでいつから美香が?」
船体ががくん、と揺れた。大きな波を通ったらしい。
秀司は淡々と、船を操りながら、返事をする。
「さあな。教えねえ」
はぐらかしたことが、答えだということくらいわかる。そんなこと、知らなかった。あのとき、秀司が教えてくれていたら。
美香と付き合うことはなかったはずだ。そして、もしかしたら、秀司と美香が付き合っていたかもしれない。
俺は、親友のことを何もわかってなかった。
「ごめん」
「謝るなって」
けれど、秀司はこんなときだけ振り返って、笑う。
「いいじゃねえか。結果として、五人の楽園ができたんだから」
「……そうだな」
お前にとっては、楽園なだけじゃなかったかもしれないけどな。でも、俺には頷くことしか許されてない。
潮風が、やけに眼に染みる気がする。
船を船着場に固定して、洞窟まで歩いていく。
船に積んであったヘッドライトの灯りを頼りに、俺たちは洞窟の中を進んでいった。
あの扉は開いたままだ。扉に埋め込まれた、この一週間の始まりに拾った空真珠は、どういうわけか今も輝きを放っている。
「もういらねえな」
秀司が呟いて、ライトを消した。俺もそれにならう。室内に満ちている青い光が、俺たちを迎えてくれる。
「へえ……」
秀司がその光景に感嘆の呟きを漏らした。漏れるままに、言葉が続く。
「なるほど。美香を説得するには、最高の場所だな」
「なんでだ?」
綺麗な場所なら、上手くいくのか? 多少はあるかもしれないが、そんな女でもないだろう。
秀司は俺の質問に驚いたように振り返ってきた。漏らすつもりはなかったのか。
俺が無言でいると、観念したように頭をかいて、再び口を開く。
「美香は、神戸のデザイン事務所に行くのは知ってるな? なんでかわかるか?」
「いや」
「美香は空真珠のアクセサリーを作りたいんだよ。それで、この廃れていっているだけの街に、活気を取り戻したいんだってさ」
そうなのか。知らなかった。仮にもつきあっていた、ってのに。そんなでっかい夢があることすら、知らなかった。
「だけどよ、空真珠って」
「普通まだら色だな。今まで、誰も名物にできなかったくらい」
俺の言葉を秀司が引き継いだ。それから、けどな、と続けてくる。
「それでも、やりたいんだってよ」
「……すげえな。強いのは知っていたけど。すげえよ」
俺の素直な感想に、秀司は嬉しそうに頷く。
「だろ? で、俺は言われたんだよ。絡まれているところを助けた後で。初対面で」
秀司の口からでる、美香が言った、痛い一言。
「あなたいい人みたいだから、真面目に言うけど。どうしようもないから、暴れているなんて、カッコ悪いよ、ってな」
それは、秀司の心に突き刺さったんだろう。同い年の女の子に言われたその言葉が、秀司を学校へ引き戻した。
けど、何でそんな美香が、俺にあれだけ尽くしてくれたんだ? その疑問を口にすると、秀司に凄い眼で睨まれた。
「さっきの続きやるか? おい」
言って、秀司は奥へと歩き始める。俺もそれに続く。そのまま、一段高い場所に上って、答えが返ってきた。
「夢は夢だ。それと、好きな人への気持ちはまったく別のもんだ。どっちも美香の、欲しいもの、さ」
秀司は苦く笑う。
「俺だって、美香が好きだ。けど、俺のやっと見つけた夢はあいつと違う場所でしか得られない」
だから、俺は北海道に行くんだ。美香に続いて進路を決めた親友は、苦く、けれど誇らしげに、言った。
「お前はどうしたいんだ?」
秀司の質問はだから、俺にはとても痛い。
まだ将来のことは、答えられない。でも。
「お前らと、ずっと、この友情が続けばな、って思うよ」
それだけが、今の目的だ。離れてもなくならない。永遠の友情を。
秀司は笑わずに、頷いてくれた。そして、乗ってやる、って言ってくれる。それから、美香もなんだかんだ言いながら、乗るんじゃねえ? と助言してくる。
お前、ほんと美香のことよく知っているのな。
俺の想いをよそに、秀司は釘を刺すのも忘れない。
「けどな、良介。一番手強いのがいるだろ?」
「わかってる」
秀司が何を言いたいのか、わかっている。
「貴子は、いなくなるぜ」
知っている。どこまでも、俺と同類のあいつは。
――同類だからこそ、消えてしまう。
だけど、俺は力を込めて、言う。
「たかが京都だろ?」
しかし、その言葉すら、秀司は首を振って否定する。
「それは半年だけだ。九月から、あいつはロンドンだ」
ロンドン? なんだそれ。聞いてないぞ。
「貴子がお前に教えるわけないだろ」
「……まあ、な」
貴子と俺は同類だ。知り合って、遊べば遊ぶほど、そう思う。
俺の歪さは、葵が、美香が、秀司が、そして貴子が、楽園の中で治してくれたけれど。
貴子はまだ、それを持っている。だから、あいつはこう思っているはずだ。
――自分は友人のために全力を尽くす。犠牲になってもいい。だが、友人が自分のために犠牲になってはいけない。
あのとき、俺を叱り、なじった言葉は、全て貴子自身にも突き刺さっていたはずなんだ。
「逃げるつもりか、あいつ」
思わず呟いたその言葉に、俺は自分で確信する。そうだ、貴子は逃げるつもりだ。
終わるだけの一週間を変えて、これからも続くための一週間に。
けれど、そこに自分だけは含まれない。なぜなら自分は、歪んでいるから。
「悪い、秀司」
「帰るか?」
「ああ」
時間は午前三時過ぎ。徹夜になっちまうけど、あいつと話す時間を作らないと。
洞窟を出ると、秀司のスマホに着信があった。貴子だ。
スマホを渡されて、俺が出ると、貴子はいつもと同じ、平淡な声をかけてきた。
「あんたたち、どこにいるの?」
「神島」
「は? ああ、秀司の船ね。夜中に馬鹿を全開にしないの」
状況の把握が異常に速いのは流石だな。
「悪い。心配かけたか?」
「それは大丈夫。二人とも寝ているから」
お前は寝てないわけだな。
「今から戻る。お前が起きているならちょうどいいや。話があるんだけどな」
俺の言葉に帰ってきたのは沈黙。電波が悪くなってしまったのか、とアンテナを確認しようとしたところで、貴子の声が聞こえた。
「あたしには、話すことはないわ」
それは、拒絶の言葉。歪なものが、まだそこにある証明。
「葵に感謝を。美香に謝罪を。きちんと伝えたみたいだし。ここで幕にしてもいいくらいよ」
貴子は珍しく饒舌に背景を語る。俺を引き上げた同類は、自らが引き上げられることを拒む。
強いから。芯が入っているから。
「前にも言ったはずよ。感謝も、謝罪も、あたしにはいらない」
俺のように膝を崩さず、歪でも、一人凛として立つことを選ぶ。
「じゃあね。馬鹿はほどほどにして、帰ってきなさい」
俺に反論を許さず、電話が切られた。秀司が、困った顔でこちらを見てくる。
「駄目か?」
「ああ、やっぱり、どうにもならないな」
俺はスマホを秀司に渡しながら苦笑した。
「でもよ、どうにもならない、で済ますつもりはないんだよ。これだけは」
まだ暗い空に、星も見えない曇り空に、俺は誓う。
「なんのために、お膳立てに乗ったと。お前を最後にしたと思っているんだ」
あのとき、お前が楽園をくれて。あのときだけじゃなくて、いつも俺を助けてくれて。
だから、絶対に。
「絶対に、お前を引き上げる。逃げられるなんて、思うなよ」
お膳立てには感謝してる。だけどな、今度は俺が返す番だ。
お読みくださりありがとうございます。
面白い、続きが読みたい、と思ってくださった方はぜひブックマークや(・∀・)イイネ!!をお願いします。
皆様の評価がモチベーションです。
よろしくお願いします。




