四日目深夜 辻秀司 1
秀司はヒロインではありません(当然)
風呂上りは牛乳だ。もちろん、手は腰だ。一気に飲み干し、ぷはっ、と息を大きく吐いてから、俺はわかりきっていることを秀司に尋ねる。
「で、連中は?」
「まだ風呂」
「女って風呂が長いよな」
「そうな」
風呂上りの火照った身体を冷ましつつ、俺たちはぼーっ、と待合室で置物のようになることにした。
美香の作ってくれた鍋は美味かった。基本は昆布出しの水炊きだが、水菜を大量に入れてあっさりと仕上げる。それを七味を効かせた特製の醤油だれにつけて食べる。
「うんうん! 美味しい!」
「そう? よかったー」
「いや、葵。お前食いすぎだから」
「それ以上背を伸ばしたいのか?」
「こらー! レディに向かって失礼だぞ!」
だらだらと会話はするものの、誰の箸も止まらない。
結局、鍋は三度、補充された。
朝から歩きまわって、風呂にも入り、腹いっぱい飯を食べたら、眠くもなる。まったく理にかなっている。自然の摂理だ。
と、いうわけで俺だけでなく女性陣三人もあっさり泊まっていくことを宣言。秀司の家は古くからの漁師なためか、貴子の家ほど広くはないにせよ、五人くらいは簡単に泊まることができる。
「……好きにしてくれ」
この段階で、秀司のマジっぷりはゼロに近くなっていた。いやむしろ、マイナスかもしれん。
「女の子同士のお喋りするからー。覗いちゃ駄目だよ」
言われなくても覗かんわ、と反論する俺たちを無視してさっさと客間へと引っ込んでいく美香。それに続く葵と、貴子を見送って、俺たちは顔を見合わせた。一応、と秀司に尋ねる。
「なんつーか、どうする?」
「んー。結構どうでもよくなってきた」
やっぱりか。まあ、お前がそれでいいなら、いいんだけどな。
などと、俺も投げやりな考えを浮かべたが――
――ちゃんとしなさい。びびるんじゃない。
誰かの声が響いた気がした。
――終わるだけの一週間の持つ意味を変える、チャンス。
そうだな。そうだ。みんな俺のために集まってくれたんだから。俺がちゃんとしなくちゃな。
「なあ、外歩かないか?」
俺が言おうとしたことを、秀司が先に言ってきた。さすがに長い付き合いだな。
考えることは、一緒か。
投げやりだった秀司の瞳は、いつの間にか、また確固たる意志を浮かべていた。
秀司の家はもちろん、港に程近い。神島へ渡る船着場ではなく、漁港だが。港には灯りを落とした漁船がいくつも停泊している。盗難防止のため多めに設置されている街灯の灯りに照らされて、少し幻想的だ。普通は夜だけの光景だが、この二、三年は昼間でもかなりの数が泊まったままになっている。よく見れば、手入れもろくにされていないことがわかる。
「また増えたか?」
「ん? お前来るの半年ぶりくらいか。だったら、そうだな」
主語を省いた俺の疑問に、秀司は軽い調子で答えてくる。
「うちもだいぶ厳しい。もう漁師じゃ食えないな」
それは知っている。高校入ってすぐに、少しでも何とかしようとして、お前学校にも来てなかったもんな。
「それでも大学行かせてもらうんだから、ありがたいと思わなきゃな」
結局秀司の努力は無駄に終わった。親父さんに高校行け、と殴られ、散々揉めたらしい。そして、秀司の親父さんは無理に無理を重ねて、秀司の進学資金を作っている。
昨日も今日も、明日も。プライドを捨てて、遠い街に出稼ぎに行くことだってある。
だから、秀司は受け入れざるを得なかった。漁師を継ぐのを諦めて、大学で勉強することを。そして、いっぱしの、普通の会社員を目指すことを。
だけど秀司は、その中間、大学で海のことを勉強する道を選んだ。親父さんを安心させ、会社員になれるように。でも、必死で頑張れば、もしかしたら、この海に帰ってこれるように。
その決断は、美香に続いて早かった。
絶望と、不満と、感謝とわずかな希望。秀司の言葉には、それらの想いがすべて込められている。
だから、俺は頷くだけだ。
「そうだな」
「で、お前は? 何か見つかったのか?」
そして秀司にそれを聞かれるのはきつい。俺はただ、出て行くだけだからな。
「いや、まだだ。つぶしが利くように、って思って経済学部にしたんだけどな」
「何のつぶしだよ」
いや、それを言われると返す言葉もないが。
「妙につっかかるな?」
「たまには痛いことも言っとかないといかんだろ? 親友なんだから」
俺の言葉に秀司はあくまで軽く返してくる。
「うわ、その台詞ハズいっての」
「いや、俺って結構熱いの似合わねえ?」
「無理。だいぶ無理」
ははは、と笑い合う。まあ、こんなのは枕だ。色々痛いこと言ってくれるのはありがたいしな。
ふと、秀司の足が止まる。俺もあわせて立ち止まる。そこは、一隻の漁船の前。
秀司の家の、漁船の前だ。
「なあ、良介」
来るのか? ここが話すための場所か。秀司らしいな。
「葵、振ったんだって?」
待て、待ってくれ。そんな話題かい。つか、なんで知っている?
「いや、俺お前の一番の男友達。超相談されちゃうポジションなんだけど」
口に出した俺の疑問に、秀司は少し呆れたように答えてくる。
「あー、葵って相談しそうだよな。そうだよな」
「だろ? まあ美香と貴子はそんな相談してきてないから、安心しろ」
「そりゃどーも」
葵一人で十分だ。勘弁してくれ。
「で、振ったんだろ?」
「まあ、そういうことになるな」
言い逃れする意味もない。俺は頷いた。秀司も頷いて、続けてくる。
「なんで今更?」
「まあ、そうなんだけどな」
初日に同意したはずのことに、今は俺が反論する。
「今更でも、ちゃんとしとかないと先に進めない、って気づいてな。まあ葵に言われたんだけどな」
「そっか。葵も納得してるなら、いいんだけどな」
秀司が一歩だけ漁船に近づく。白い、けど汚れている船体を掌で撫でて、再び俺に視線を向ける。
これが、今日の核心だ。そんな予感がした。
「じゃあ、美香とは? 決着、つけたのか?」
この問いに答えたら、何かが変わってしまうかもしれない。秀司と築いてきたすべてのうちの、何かが。
それでも秀司は全く笑ってない。だから、俺は答えなくてはならない。
秀司は、親友だから。ずっとずっと、歪だった俺と気にせず一緒にいてくれた。
一番の、親友だから。
誠意を持って、真実を――
先に進んだ結果が、変わる何かが、いいことじゃないとしても。
息を吸って、息を吐く。それを何度か繰り返す。秀司は黙って俺の言葉を待っている。
そして、俺は、最低なことを言う。
「いいや、多分ついてねえ」
俺の言葉を予想していただろう。けれど秀司は、殴りかかってはこなかった。
「そうか」
ただ、はっきりとわかる、失望の息を大きく吐いただけだ。
「やっぱり、今更、か」
秀司の溜息交じりの言葉が、俺の胸を抉る。殴られたほうがましだ。
「今更じゃねえ。俺はつけようとした。美香はそれを拒否した」
「それで煙に巻かれて、満足して。また美香に甘えたわけか?」
ほんと容赦ねえな。美香のこととなると。
ああ、わかっていた。俺にもちゃんと届いていた。秀司が、美香を好きなんだ、ってことは。その気持ちの強さは。
「そうだな。また甘えちまった」
「おい」
ぐいっ、と胸元を引っ掴まれた。さっきは殴ってこなかったのに、今度はこの反応だ。まったく、誠実すぎるくらい、誠実な奴だ。
それでもこいつは、俺のために自分の気持ちを抑えてくれていたんだ。ずっとずっと。
「俺と、美香は本音を言った。言い合った。決着は、つけさせてもらえなかったけど。それだけは、本当なんだ」
そう信じたい。傲慢だとしても。全部が全部、そうじゃなかったとしても。
美香はちゃんと本音を言ってくれたと、信じたい。
「そうか」
秀司は相変わらず静かに呟いて――
いきなりというか、覚悟していた通り、殴ってきた。
「……ってえな!」
「何ボケたこと言ってやがんだ! この中途半端野郎が!」
殴られたことで僅かに空いた、俺たちの距離。それを詰めるように、秀司が一歩踏み込んでくる。
そこを、俺が殴り返した。秀司が口元を拭いながら、睨みつけてくる。
けれど、眼は逸らさない。
「てっめ!」
「サンドバッグになるわけねえだろ!」
お互いの胸を片手で掴んで、もう片方の手で顔を殴りあう。静かな漁港に、鈍い音が連続する。
「てめえが! フラフラフラフラしてやがるから! あいつがどんだけ泣いてると思ってやがる!」
「うっせえ! お前だって! なんも動かなかったじゃねえか!」
叫びは理由を知っていることばかり。それでも、今は感情だけが爆発する。
「動いてどうすんだ? 美香とも、お前とも気まずい感じになるわけか? そんなダッセェことできるかよ!」
「最後なんだよ! 動けばいいだろ!」
俺の言葉が、秀司を、俺を突き刺す。その変えられない事実が、俺たちを無力感で一杯にする。
「前も言っただろ! 最後に動いて! 今更どうするってんだ!」
秀司の拳が痛い。秀司を殴る拳も痛い。涙が出てくるほど、痛い。
けど、無力なままじゃ、駄目なんだ。来週から、後悔しないために。
俺たちは、絶対に、乗り越えるんだ!
「最後の一週間だ。でも、これからも続いていくために。続けていくために! 俺たちは膿を出し切るんだよ!」
「勝手なことばっかり抜かすんじゃねえ!」
ガツン! とお互いにいいのが入ってしまった。ふらつきながら、俺たちは大の字に倒れる。
しばらく、二人の荒い呼吸だけが響く。
それが、落ち着いてきた頃。寝転がったまま、秀司が話しかけてきた。
「なあ……ほんとに続けて、いけるのかねえ。俺たち」
「正直わかんねえ。つか、動かなかったら終るだけだろ?」
俺の返事に秀司は、へっ、と息を吐いた。
「頼りねえなあ。つーか、中途半端だなあ」
「うっせえな」
「まあ、しょうがねえか。良介だしな」
「悪いな」
いや、ホント、悪い。でもお前にも、わかってほしいんだよ。何もかも、なくなるリスクをしょってでも。
だって、今のままなら。来週には何もかもなくなってしまうんだから。
賭けるのが二日分の楽園なら、そう悪い賭けでもねえだろ?
「しょうがねえな。乗ってやる。アホみたいに勝率低いけどな。どうせ俺とお前だけは、永遠の友情だしな」
臭えな。
でも、ちょっと染みた。瞳から溢れそうになるものを、堪えなきゃならないくらいには。
永遠、か。ありがてえよ。賭けには勝ったみたいだな。
秀司は気にも止めず言葉を続けてくるから、俺の顔が秀司に見えないのは助かる。
「に、しても。お前らが見つけたものを見てからだな。ちっとでも勝率上げたいし」
「何なら今から見に行くか?」
「はあ? どうやって?」
「船ならあるじゃん」
秀司の家の、船が。秀司は運転できるしな。
「お前、馬鹿だろ?」
「お前もだろ?」
俺の返しに、秀司は声を上げて笑った。からりとした、いつもの笑い声だ。
そして俺の親友は。ずっと続くと、唯一断言してくれる親友は。
馬鹿を拒否しない。
「いいぜ、行こうぜ。けど、五分休ませてくれ」
「五分だけだぞ」
俺たちは寝転がったまま視線を合わさず。けれど、確かに何かを合わせて。
ゆっくりと、眼を閉じた。
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