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四日目 榊美香 7

「美香?」

「もう一度言うね、良介。動かないで」


 尋ねる俺を無視して、美香は自分の要求を繰り返す。俺の腹に当てられているのは、果物ナイフ。

 なんでそんな物騒なもの持っているんだ?

 というか、なんでこんなことをする?

 俺の疑問を見透かしたように、美香が俺を睨みながら、言ってくる。


「なんで? って思うでしょ?」

「ああ」

「あのとき、貴子の家に行ったとき、あたしがどんな気持ちだったかわかる?」


 あのときは駄目人間だったからな。正直よくわかってないな。言ったら刺されそうだが。だが、美香はそれもお見通しらしい。


「わからないよね、良介には。あたしがはじめての集合のとき、どんな気持ちで行ったかも、わからないよね?」


 俺は無言。もちろん、それが答えだ。


「あたしは、悔しかった。何も、良介に何もしてあげられないことが。貴子ほど、良介が心を開いてくれないことが」


 いや、それは誤解だ。俺はずいぶんお前に助けられたんだ。


「あたしを捨てたのに、平然と仲間に入れてくれた、良介の中途半端な優しさが、あたしに思い知らせたの」


 ナイフに込められた力が僅かに強くなる。


「あたしは、良介に近づけないんだって。貴子には勝てないんだ、って」


 その表情は厳しい。だが、瞳は悲しく揺れている。二年分の、悲しみで。


「あたしが一番に進路を決めたのだって、良介があわせてくれるたらいいな、って。ちょっとだけ、願ったのに。それも意味のない期待だった」


 だから、逆に考えることにしたの、と美香は暗い笑みを浮かべた。はじめて見る、強かだと思っていた少女の、脆い表情。


「一番、一番忘れられないタイミングで、良介を裏切ろう、って」


 ふふっ、と美香は声を出して笑ってみせる。


「そうしたら、良介は、みんなばらばらになっても、あたしを忘れないでいてくれるでしょ?」


 壊れてしまっているのか。俺が壊してしまったのか。

 そうだろうな。他に理由なんてありようもないからな。

 だったら、責任はとらなきゃな。刺されるのも、しょうがないか。

 確かに、俺が悪いんだから。

 ――なんてことは、もう、言えないんだ。そんな考えはもう、持っちゃいけないんだ。

 あのとき、俺は誓ったんだ。

 もう自虐的なことはしない、って。考えないって。助けてくれた、みんなのためにも。

 そしてそのみんなには――お前も入っているんだ、美香!


「俺を裏切って。それで俺が覚えてたら、満足なのか?」

「このままずっと、どうにもならないよりは、よっぽどいいよ」

「この一週間を、そんな幕引きにしたいのかよ!」


 突然の俺の怒声に、美香の手が僅かに揺れる。しかしすぐに収まり、美香も叫んでくる。


「しょうがないじゃない! あたし辛かった! ずっと苦しかった! 卒業しても、離れてからも! こんなどうにもならない想いを抱えてるのは、イヤなの!」


 とめどなく零れる、負の感情。それが美香の本音なのか。

 でも。悪いのは俺だとしても、美香が本当に苦しかったんだとしても。


「じゃあ、みんなでいるのは、楽しくなかったのか? 満たされなかったか?」


 それを否定する理由には、ならないはずだ。だってお前は、わざとは遅刻はしても、来なかったことは一度もないじゃないか。

 いつでも、無理を押してでも、来てくれていたじゃないか。


「みんなで遊ぶのは楽しかったよ。だから辛かった。貴子が作った空気が楽しいのが、苦しかったよ」


 美香の瞳に感情が戻る。それは、哀しみでしかないかもしれないが。


「ねえ、良介。あたし、本当に良介が大好きだったよ。だからせめて、良介の心にあたしを刻ませてよ」

「もう、刻まれてるさ」


 即答した俺の言葉に、美香がびくり、と震えた。今度は手だけではなく、全身が。


「……嘘つき」

「嘘じゃない。美香のくれた暖かさがあったから。俺はみんなのありがたさがわかったんだ。じゃなきゃ、美香と会う前に俺はちゃんと、歪じゃなくなってたさ」

「…………」


 黙る美香に向けて、俺は続ける。青い輝きは、変わらず部屋に満ちている。


「お前に会えたから。お前とつきあったから。俺は真っ直ぐに戻ろうと思えたんだ」


 嘘じゃない。葵は俺に真っ直ぐな輝きを見せてくれた。秀司は俺の歪みを無視してくれた。

 そして貴子は、どこまでも俺と同類だから。

 歪な俺を、直そうとしてくれたのは、お前なんだ。

 お前がいてくれたから。真っ直ぐに俺と向き合ってくれたから。

 お前が、きっかけなんだ。今なら、確信を持って、そう思う。

 無言の時間が訪れる。その時間を破るように、かしゃん、と金属の音を響かせて、ナイフが地面に落ちる。


「ほん、とう?」

「ああ」

「じゃあ、あたしのしたことって、無駄じゃなかった?」

「ああ」

「あたしにもまだ、チャンスがあるのかな?」


 でも、ここは否定しなきゃいけない。


「それはわかんねえ。まだ、誰かを選ぶってのは、正直怖い」


 その言葉に、美香は笑みを浮かべた。微笑なのか、苦笑なのか、俺には判断つかない。


「そこはある、って言うところだと思うよ。良介は、まったく」

「悪い」


 俺の精一杯。短くも、心からの謝罪を――


「いいよ、貸しにしとく」


 ずっと俺が悲しませてきた少女は、柔らかく受け入れてくれた。

 そして、悪戯っぽく言ってみせる。


「まったく、良介は。結局あたしから歩み寄らないと、駄目なんだから」


 どこまでか本気で、どこまでが演技だったんだろうか。全部本気だった、なんて思うのは。ちょっと自意識過剰だろうしな。


「でもちょっとは前向きになったみたいでよかった。あそこで馬鹿なこと言ったら、本気で刺すつもりだったんだけど」


 美香は悟らせない。悟らせてくれない。ゆるやかに、そして強かに、自分の思い通りに状況を動かそうとする。


「これからもよろしくね、良介」


 ウインクする美香は、ちょっと小悪魔みたいで。そしてとても魅力的だった。

お読みくださりありがとうございます。

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