四日目 榊美香 6
外では雨が激しくなっているのかもしれないが、俺たちにはもうわからない。懐中電灯の明かりを頼りに、進んでいくだけだ。十分に歩く広さがあったはずの地面は、徐々に海水が染み出してきている。雨の上に、満潮かもしれないな。
天井からは相変わらず水がゆっくりと、ぬかるみに波紋を立てるために落ちてくる。
戻るべきか。だが、まだ時間はある。
俺が迷いながらもまた一歩を踏み出そうとしたそのとき、再び雷の光が一瞬洞窟を明るくした。
時間はあるが、まずい。もう限界だ。
「戻るぞ」
「えー。まだ大丈夫だよ」
美香が不満の意を表明するが、俺は心中で却下する。ちょっと危なすぎる。
だが、悪いことは起きるものだ。俺の判断は保留せざるを得なくなった。
懐中電灯の光が、突然消えたことによって。
「きゃっ!」
突然訪れた暗闇に美香が小さく悲鳴をあげ、俺のシャツを掴む。マジかよ。
「電池が古かったか?」
「うーん、あのお店じゃ無理ないかもね」
お前冷静だな。いや、俺もパニックにはなっていないが。
だが実際問題、どうする? 暗闇の中で立ち止まり、俺は考える。何か、方法はないか?
ポケットを探り、スマホを取り出して画面ライトを点ける。大した灯りではないが、ないよりはましだろう。
ついでに、反対側のポケットに入れていた空真珠を取り出す。何も変わらない。相変わらず光は発していない。
あのとき、なんで光ったんだろうな?
余計な事を考えたのがいけなかったのか。それとも、悪いときには悪いことが重なるとでもいうのだろうか。
俺は美香と位置を入れ替わろうとして失敗し、滑る地面に足を取られた。
「……っと!」
必死でバランスを取って踏みとどまる。だが、持っていた空真珠がすっぽ抜けてしまった。
ばちゃり、と音を立てて、入り込んできた海水が作った水溜りに落ちる。
「あーあ」
美香が俺を責めるように呆れた声をあげる。が、悲劇は更に続いた。
美香と俺が空真珠を拾おうと、同時に動いたせいで、俺たちは結局転んでしまったのだ。
「ごめーん」
「おい」
誠意の感じられない美香にとりあえず突っ込んで、俺は立ち上がり、続けて美香を立ち上がらせた。
まあ横倒しになっただけなので怪我もなさそうだ。二人とも多分愉快な格好になっているがな。
そして、気づく。多分?
頼りないとはいえ、頼みの綱だったスマホは画面がひび割れ、灯りは――見事に消えていた。
「……真っ暗だな」
「……真っ暗だねー」
二人して乾いた笑いを上げる。恐らく、引きつっていただろう。
「悪いことは重なるもんなんだな」
「ホント、そうだね」
「美香のスマホは?」
「実は今日持ってないの」
「……さて、どうすっか」
「どうも何も、ねえ?」
いや、ねえ? とか言われても、俺も困る。
悪いときに悪いことは重なるもんだ。まったく痛感した。身をもって体験した。たった今。
しかし、その悪いことだらけの先に、奇跡は起きる。
古い雨水の成れの果て、天井から落ちる水滴。
その一粒が、ぴちゃん、と音を立てる。地面に落ちたのとは、違う音を。
水滴を浴びた空真珠が不意に輝きを放つ。
海水に落ちた海の宝。真珠に、空を冠としてつける、それは。
空からの恵み。雨水をその身に受けて。
青く青く。抜けるような空の色を輝きに変えて、洞窟を照らしていく。
その輝きは一筋の光となって、道を示す。
空真珠が、その輝きが示す先は、洞窟の更に奥。
俺と美香は言葉もなく、その光を視線で追う。
引き返すなんて選択肢はもう、消えていた。
「美香」
「いいよ、行こうよ」
青く照らされた表情は柔らかく、包むような微笑。
俺はいつもこの微笑に甘えてきた。
あのときだって。葵が追いかけて、結局二人とも戻ってこなくて。
それから、はじめての集合をしたとき。
美香は、時間通りには来なかったけど。やっぱり来ねえよな、なんて俺の諦念を覆すように。
三十分遅刻して。でも、けれど。
「おはよう、良介」
って、見慣れた微笑を浮かべて、言ってくれたんだ。
わかっている。俺は甘えている。
美香の優しさに――美香をたくさん、傷つけたのに――俺はまだ甘えてる。
でも、それも、三日後には終る。
だから、俺はまた甘えることにする。
「よし、行くぞ」
――進もう。光の指す場所へ。
空真珠が放つ青い光に導かれるように。あるいは、誘われるように、俺たちは慎重に歩を進めた。スニーカーに水が染みるが、それを気にする余裕もない。
時間にしたらおよそ数分でしかなかっただろう。それでも俺は、ついに、という感想を抱いた。
空真珠の光が、一枚の扉に注がれている。周囲の石となんら変わらないが、精緻な彫刻がなされている。この紋様は、海と、神島だろうか?
扉の中央から少し右側にある窪みに、空真珠をはめ込む。ぴったりだ。
がこん、と何かがはまる音がして、真珠はその光を収めていく。再び暗闇に飲み込まれる俺たち。
しかし、ゆっくりと開いていく扉の向こう側から別の光が差し込んでくる。
太陽の光では断じてない。青い、空真珠が放つものと同じ色の光が、暗闇を切り裂いて俺たちを照らす。
その光に導かれるように、俺達は中へと足を踏み入れた。
「うわあ……」
美香が感嘆の声を洩らした。俺も無言で、その光景を見つめる。
中は洞窟の中にあるとは思えないほど、静謐で、澄んだ空気に満ちていた。部屋は恐ろしく広く、円形の広場がある。天井は部屋の端にずらりと並ぶ柱に支えられているのだろうか、しかし山頂まで届くのではないかと思えるほど、高い。
そして、部屋の壁面には、大小様々な空真珠がちりばめられており、そのそれぞれが淡い、空色の輝きを放ち、空間を明るく満たしている。
「すごい……すごい!」
美香が興奮したように走り出す。俺も慌てて走る。
確かに、すげえ。
こんなのは、見たことがない。壁まで走って、柱に手を置いた俺は、さらに驚愕の事実に気づく。
この柱は、天井を支えているんじゃない。教科書に載っている、神殿の柱みたいな形だが――これは、石を削ってそう見せているだけだ。
この部屋は、地下に建てられたのではなく、地下をくり抜いて作られている。
一体、いつの時代にこんなことが出来たというのか。
あのとき、偶然、拾った空真珠が。こんなすごいものを見せてくれるなんて。
俺と美香は、しばらく一言も喋らなかったが、間違いなく同じ気持ちを共有していた。
――ここに来られて、よかった。
最後の一週間で、何にも代えられない想いを持てて、よかった。
広場の奥、一段高いところに美香が上る。
俺も僅かに遅れて上った。二人が並んで、扉を見る。視界に広がるのは、空に満たされた静謐な部屋。
ああ、すごい。すごい。すごい。他に言葉が出てこないくらい、すごい。
みんなにも、見せてやらなくちゃな。
そう思い、美香に戻ろう、と告げようとして――俺の腹にちくり、と何かが押し当てられた。
「動かないで」
同時に美香が、硬い声を上げた。
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