四日目 榊美香 3
俺が最低だった自分を思い出して無言でいると、美香も無言だった。
洞窟が行き止まりとなっていることを確認したときだけ、
「違うか」
「だね」
俺たちは言葉を交わした。
そのまま、位置を入れ替えて外に出る。空には、牡鹿山脈にあった黒雲が、こちらへと動いて来ていた。
「まだ大丈夫だよ」
美香に言われて時計を見ると、ちょうど正午だ。確かに、合流までにはまだ時間がある。
俺は今度は一番大きな口を開けている洞窟を選んで、入る。地面は先程と同じような状態だ。
「ねえ、良介」
「ん?」
俺が再び無言で歩き始めると、沈黙に飽きたのか、美香が声をかけてきた。
そして、結局は彼女から歩み寄ってくれる。
「なんであのとき、逃げたの?」
ぴたり、と俺は立ち止まった。振り返らず、答える。
「今更聞いて、どうする?」
「どうもしないよ」
美香の口調は沈んでいない。あくまでも、いつものままだ。思えば、この一週間、こいつだけがいつもの態度を見せている。
そしてやはりいつも通り、笑いをわずかに含んだ口調で続けてくる。
「下手くそだねー、良介。だから、サービス」
まったく。敵わないな。やっぱこいつは難度が高過ぎる。
俺が口を開こうとすると、美香が俺の背中を押してきた。
「ほらほら、いちいち足止めないの」
完全にやられっ放しだな。相手が貴子や葵だと、景気よく言い合うことが多いのに、どうにも美香相手だと上手くいかない。
これはつきあった影響か。それとも罪悪感かね。たぶん、両方なんだろうが。
しばらく歩いて、思い出したようにぽつり、と答える。
「あのときな、向かいのホテルにあの女が入っていくのを見たんだ」
なるべく、軽い調子で、答えないと。
「あのときの俺は、あの女と同じになるのが、すげえ嫌だった」
軽く、軽く。今はお前たちのおかげで、平気なんだ。本当だ。
「ああ、なるほどー。それで……って」
だけど美香は鋭い。俺の顔を見なくても、俺がどんな顔をしているか、想像してしまうくらい。
いや、本当にもう平気だぜ。口にすることだって、こうしてできる。
だからさ、そんな顔するなよ。
俺の背景をほとんど知っている少女は。振り返った俺の視線の先で。
止まるな、って言ったくせに。立ち尽くしていた。
「ごめん、あたし……地雷踏んだ?」
遠くで雷が鳴った気がする。
「んなことないって。もう立ち直ってるぜ? あの後、ちゃんとみんなが、俺の居場所を作ってくれたじゃん」
雨が降り始めた音も聞こえる。
「だからもう、平気だ」
それでも俺たちの声は洞窟に響く。
お互いの表情がわからないのは、どちらにとっても幸運かもしれない。
いや、でも、ホントもう大丈夫なんだ。あの後。あの、最低の日の後。みんなが俺を救い上げてくれたから。
美香から逃げ出した後、連絡もせずに一週間が過ぎた。美香からのメールにも、着信にも返事はしていない。
何をするのも億劫だった俺は、いたくもない家を離れて、船着場で海を眺めていた。ひとりでぼうっとしていると、わずかだが、安心できる。
だが、その安息はすぐに破られた。一つの着信によって。
発信先として出ている番号は、知らないものだ。
「はい」
「北見良介君ですね」
電話にでると、丁寧だが事務的な声がすぐに尋ねてきた。俺が頷くと、相手はやはり事務的な声で、すぐに学校に来て下さい、と言ってきた。
担任から、大事な話があると。
不思議に思いつつも、学校へ行き、呼び出された指導室に入ると、二人の人間が待っていた。
一人はやや年かさの男性。俺の担任だ。
そして、もう一人は若い見た目をした、少し派手な女。あの女だ。
俺が許可も貰わず、女の隣にあったパイプ椅子を壁際まで離して座ると、担任がすぐに口を開いた。
内容は、俺の予想もしないもの。
「北見。先週の終業式の後、君が女生徒とラブホテルに入っていくのを見た、という話がある」
……なんだと?
「これについて、君の話を聞きたい」
一体、何が起こったのか。わけがわからん。
「良介、正直に言うのよ」
こんなときだけ母親面するんじゃねえ。
俺が無言で二人を睨むと、担任が立ち上がって、俺に一枚の写真を突きつけた。
そこには、俺と美香が、雨を避けるために走ってラブホテルの軒先に入った瞬間が写っていた。
さて、どうするか。
突きつけられた写真を見て、俺は声を出さずに考える。
「ただ雨宿りのために軒下に入っただけです」
「嘘言わないの!」
とりあえず本当のことを口にしてみたが、担任よりも早くあの女が否定の声を上げる。
この野郎。俺は心中で毒づいた。
だが、担任は幾分冷静だったようだ。ゆっくりとした口調で、俺に尋ねてくる。
「それを証明できる第三者はいるか?」
いや、いるわけないだろ。どうやって探せってんだ。
「写真がある。北見の発言を証明する手段はない」
淡々と告げてくる。ドラマの取り調べみたいだな。結論の出ている出来レースか?
まあ、どうでもいい。最悪でも退学で終わりだ。それは別に構わない。あいつらと遊ぶ機会が減ってしまうのは残念だけどな。
それでも、あのとき振り返れなかった贖罪になるとは思わんが、これは俺だけで終らせたいな。美香まで処分されるのはごめんだ。
俺みたいなどうしようもない奴に、今までつきあってくれたんだ。これ以上巻き込むこともないだろうしな。
あの女の眼を見る。何かを期待している眼だ。まさか、こいつの仕業じゃないだろうな。そこまでクズとは……クズだな。
だけどまあ、誰の思惑でもいい。乗ってやるさ。
「俺が無理矢理美香を連れ込もうとしたんです。で、つい焦って走っちまって」
写真に写っているのは、美香の手を引いている俺だ。
胡散臭い証言で、さっきとまったく違うことを言っているが。
それでも、担任もあの女も、満足したように頷いた。やっぱり、出来レースかよ。
「よろしい。処分が決まるまで自宅で謹慎しているように」
その予定通りの言葉に、俺は返事をせず、ドアを開けて指導室を出た。
あの女が挨拶をしていたのか、少し遅れて出てきた。
「バカね、良介。見つかるなんて。こういうのはこっそりやるのよ」
嬉しそうに言ってくるそいつに、俺は悪意満面の笑みを向けた。
「自分は、見つからずにやっている、ってか?」
瞬間、女の顔が凍りついた。何か口に出すよりも早く、俺は追い討ちをかける。
「見てたぜ、俺が連れ込もうとしたとき、てめえも向かいのホテルに入っていくのをな」
「な、そんなわけないでしょ!」
学校の廊下で怒鳴る女。みっともねえ。うろたえているのが丸分かりだぞ。
「あたしは同窓会だったのよ!」
「だから? それを信じろと? まあどっちでもいいんだけどな」
俺のその言葉に、顔を真っ赤にしたそいつは、右腕を振り上げた。
「親に向かってなんてこと言うの!」
パン!
廊下に乾いた音が響く。女が俺の頬を打つよりも速く、俺が女を引っ叩いていた。
膝が崩れて、女が地面に座り込む。
「都合のいいときだけ親、親、言うんじゃねえ! 家族会議までしたのに、何にも変わらねえクソのくせによ!」
吐き捨てるように言って、俺はそいつを放って一人歩き出した。
「もとはといえば、父さんが悪いのよ!」
背中にかかった被害妄想は、無視しておいた。
廊下を出て、通学に使う正門からではなく、通用門から出ようとすると、外来用の駐車場から、一組の家族が歩いてくるのと鉢合わせた。
最悪なことに、美香の家族だった。美香は両親に支えられるようにして、力なく歩いている。
ふと、視線があった。
「……よう」
「なんか、久しぶりだね」
無理して笑顔をつくろうとする美香が痛々しい。だが、俺にはどうすることもできない。
「美香、知り合いかい?」
父親のその問いかけに、美香はうん、と頷いた。
「北見良介君」
その名前を聞いた瞬間、父親の顔色が変わった。母親が俺の視線を遮るように、美香の斜め前に出る。
親御さんは事情というか推論を聞いていて、美香は知らされてない、ってところか? あるいは、弱っていてちゃんと聞いてなかったのかもしれないな。
「貴様が、娘を!」
冷静に考える俺と対照的に、親父さんはつかつかと俺に向かってきていた。右手は握り拳になっている。あー、痛そうだな。
避けようと思えば避けられたかもしれない。けど、避けるわけにはいかない。
容疑は事実無根だが、美香を傷つけまくったのは、本当だからな。
親父さんの拳が頬を打つ。頭がくらくらした。美香が眼を見開いた気もしたが、よくわからん。
「貴様……! 貴様のせいで!」
「すいませんでした」
なおも激昂したままの親父さんに、俺は背筋を伸ばして、深く頭を下げる。他にできることなんてあるもんか。
「娘さんを傷つけたのは、お詫びのしようもありません」
さすがに頭を下げている人間を殴るつもりはないらしい。怒りは収まっていないだろうが、俺の横を通り過ぎてくれた。
「二度と娘に近づくな」
寛大な言葉だ。人間の出来た父親だ。それに、娘を案じて立位置を変えた、優しい母親。
美香がくれた心地よい時間は、こうやって、作られたんだな。
俺とは、違いすぎるわ、やっぱり。
「ねえ、良介。いったいどういうことなの?」
母親に腕を引かれて、ゆっくりと歩きながら、美香が俺に尋ねてくる。やっぱり知らないな。そのほうが都合がいいけどな。
「ああ。お前は何も心配いらない。ご両親に任せておけよ」
説教臭いな、我ながら。
美香が俺の前で立ち止まる。逆に俺は歩き始める。
「じゃあな。元気でな」
「え? どういう意味?」
俺の言葉にただならぬものを感じたのだろう。感情の機微にはやっぱり鋭いな。
「もう、会うこともない、ってことさ」
「え……」
美香が息を呑むのがわかった。俺は歩みを止めずに、門へと進んでいく。
「ちょっと、良介! わけわかんないよ! ちゃんと教えてよ!」
そりゃ無理だ。これ以上迷惑はかけられん。
「あたしたち、恋人なんだよ! なんで何にも言ってくれないの!」
そうだな。でも一つ訂正だ。恋人だった、なんだよ。もう。お前が今も恋人、って思ってくれるのはありがたいけど――俺には恋人を持つ資格なんてないのが、よくわかったからな。
「悪いな。もう、終わりにしようぜ」
俺は足を止めて振り返り、悪い笑みを作ってみせる。ここまできたら、徹底的に悪役をやらないとな。
美香の瞳が揺れているのが、離れていてもなぜかよくわかった。
「……あたしじゃ、駄目なの? 良介を、助けてあげられないの?」
ああ、わかっていたのか。俺の歪さを。でも、それでお前が傷ついたら意味ないだろ。
だから、悪い男は言うんだ。きっちりと、突き放すんだ。
「駄目だ。無理だ」
今度こそ、美香は完全に言葉を失った。それを確認して、俺は再び歩きだす。
ご両親が何も言ってこなかったのは。
最後に気を使ってくれたのか。あるいは、ひょっとしたら。
この、やりきれない気持ちを、わずかでも感じてくれたからだろうか。
もしそうなら……俺がしていることは、自己満足なだけじゃないよな。
俺は家に帰り、しかしあの女は帰ってこなかった。
いつものことだ。それはいい。だが。
俺は考える。あの写真はどこから出てきたのかを。偶然にしては、悪意に満ちすぎている。
退学になるのは構わない。だが、このまま見逃すほどお人よしではないつもりだ。
幸い、退学になれば時間はある。草の根分けてでも探し出してやる。
決意はあっても、方法はないまま、俺は暗い考えに取りつかれていった。
そして、三日後、唐突にそいつからの電話は来た。
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