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三日目 高橋葵 3

 夕方とはいえ、屋上で寝るのが暑くなってきたころ、俺は水を飲もうと、体育館前の給水器まで来た。時間は六時半。あまり熱心でない部活の連中が帰り始めていたので、給水器は空いていた。

 冷たい水を飲み、体育館に何気なく眼をやると、灯りがついている。当然だった。この後、楽しい時間が待っているんだから。

 そんなことを考えていると、中から、ガシャン! という音がした。

 俺は首を捻って、体育館のドアを慎重に、少しだけ開けた。

 

 中にいたのは、葵と五人のバレーボール部員だった。一人は腕に包帯を巻いている。葵は座り込み、後の五人はそんな葵を見下ろすように立っている。近くにあるのは、乱雑に転がったボールと、横倒しになったボール入れ。さっきの音は、これが倒れた音だろうか。

 リーダー格らしき女が声をかける。


「あんた、最近夜練習してるんだって?」

「は、はい」


 葵の弱々しい返事に、一人がバアン! とボールを叩きつけた。ビクリ、と葵が身を縮める。


「誰がそんなことしていいって言ったのよ!」


 怒声が響く。言葉からすると先輩で、内輪の揉め事なんだろうな、多分。

 俺には関係ないことだが。

 先輩たちの葵をなじる声は続く。あんたは掃除だけしてればいい、だの。先輩の言うことは絶対、だの。醜い言葉が。

 葵には俺に見せていた元気はかけらもなく、ただ俯いている。


「あんたの連れにも言っとくわ。なんだっけ? 北見?」


 リーダーの言葉に取り巻きが頷く。


「そうそう、一年の」

「格好いいのよ。ちょっと近寄りにくい雰囲気だけど」


 そいつは光栄だが、あんたたちに言われてもまったく嬉しくないな。結構抑えるのに苦労するぜ。


「それはますます生意気ね。あたしからちゃんと伝えてあげる。高橋はもう来ない、って」

「やめてください!」


 その言葉に、ずっと俯いていた葵が大声をあげる。


「北見を巻き込まないでください!」


 その言葉に、俺は自分の間違いを悟った。

 友達だから、言ってきてくれるわけじゃない。友達だから、言えないんだ。

 俺に心配をかけたくないから。

 先輩たちはふん、と鼻を鳴らして、バケツを手にする。


「生意気言ってないで、掃除しなさいよ! 手伝ってあげるから!」


 バシャア、と音がして、葵がずぶ濡れになる。フロアに水溜りが広がっていく。


「ほら、これも捨てておきなさいよ!」


 ずたずたに切り裂かれたコートシューズが投げつけられる。


「う……うう、ああああ…………」


 そこで葵は崩壊した。顔から滴り落ちるものに、水以外のものが混ざる。


「嫌ならやめたらいいのよ!」


 あはははは、と耳障りな笑い声が響く。

 もう、限界だ。これ以上は見るに耐えない。

 ――俺には関係ない。

 内輪の問題だろうが、相手が先輩だろうが――俺にはまったく関係がない。

 だってな、友達が、泣いているんだぜ?

 俺は体育館特有の重たい扉を、力まかせに開いた。 

 ボールの音など比べ物にならないほど、重く、大きな音を体育館に響かせて、俺は歩みを進める。

 いい感じにアドレナリンが満ちている。全員の視線がこっちを向いているが、気にもならない。

 気になるのは、一人の視線だけだ。


「きた……み?」


 そいつは全身ずぶ濡れで、怯えたような瞳で俺を見上げている。いつもの奴とは完璧に別人だ。

 そんな顔すんなって。似合わないんだから。

 コツリ、コツリ、と俺の足音だけが響く。

 葵と先輩たちの間に入り、俺は鞄から取り出したスポーツタオルを葵の頭に放り投げた。


「拭いとけ」


 それだけ声をかけて、俺は五人と相対する。きっとすごい目つきだろうな、今。


「何よあんた!」

「北見良介。一年」


 怒鳴るリーダーに、俺は静かに答える。そのまま、胸倉を引っつかんで引き寄せる。


「俺のツレが世話になったみたいだな」

「ひっ……」


 眼前で俺の瞳を見て、何を思ったのか、リーダーは短い悲鳴を上げた。


「ちょっと! 何すんのよ!」

「女の子に手をあげるつもり!」


 あげるさ。俺はあんたたちみたいな女が大嫌いだからな。

 人が傷つくことなど考えもせず、自分の欲求のままに動く、クズが。


「あ、あんた……関係ないでしょ!」


 リーダーは怯えつつもまだ怒鳴る元気はあるらしい。


「関係あるさ。友達なんだから」

「あんた一年でしょ! それにこれは部内のことよ!」

「それこそ俺には関係ないな」


 あー、駄目だ。そろそろ抑えがきかねえや。もうお前喋るな。

 俺はリーダーを突き飛ばし、地面に倒れさせた。そのまま、拳を握りこむ。

 取り巻きたちがまた騒ぎ出した。


「あんた、こんなことしてただで済むと思ってんの!」

「先生に報告して、退学にしてやるからね!」


 いい年して何が先生に言う、だ。バカじゃねえのか。

 パン! と音を立てて俺は一人の頬を張った。顔に獰猛な笑みを作る。


「いいぜ、やってみろよ。退学にできるもんならしてみろよ!」


 俺の親父は研究で家に帰ってこない。あの女は遊んでて家に帰ってこない。

 俺が退学になって心を痛めてくれる家族は、いない。だから、別に困らない

「退学くらいしてやるよ! けどな、こいつにちょっかい出すのだけは許さねえぞ!」


 俺の怒号に取り巻きたちが数歩下がる。許す気もなく、俺はその広がった差を即座に詰める

「こいつはな! お前らとか、俺みたいな! 半端なクズとは違うんだ! すげえ才能があって、毎日頑張ってるんだよ!」


 順番に頬を引っ張ったいていく。全員が地面に座り込む。


「高橋葵!」

「は、はいっ!」


 フルネームで俺に呼びかけられて、反射的にか背筋を伸ばして、タオルで顔を隠したまま、葵が大声で返事をする。


「お前は何にも間違ったことしてないんだろ?」


 その言葉にコクリ、と頷く葵。まあ当然だ。だけどな、だったらお前がなんでこんな目にあわなきゃいけないんだ? 意味がわからない。


「だったら立て! 顔を上げて、胸を張れ! お前がこんなくだんねえ奴らに見下ろされるのは、俺が認めねえ!」


 葵が驚いたように、俺を正面から見上げる。弾みでタオルが落ちて、涙に濡れた瞳とぶつかった。

 俺は瞳に意志を込める。友達なんだから、通じるはずだ。

 すぐに葵は一度眼をこすって、立ち上がり、顔を上げ、胸を張った。

 俺と葵が、座り込んだ先輩たちを見下ろす。そうだ、これが正しい姿だ。


「ありがと、北見」


 礼を言う葵の瞳はもう濡れていない。しっかりと、先輩たちを見下ろす。傲然と、軽蔑の意志を込めて。


「あ、あんたのスパイクで、一人怪我してんのよ!」


 リーダーが座りながらも、葵の罪を責め立てる。何かと思えば、そんなつまらないことが始まりか。

 葵が俺を見てくるが、俺は葵に視線で自分で言え、と返す。今のお前なら言えるはずだ。しかしなおも葵は迷っている。

 しょうがねえな、ほんとに。踏ん切りのつかない奴だ。


「言いたいことを言えばいい。俺がついてる」


 俺の言葉で決心がついたらしい。じろり、と冷めた眼で告げる。


「怪我させたのは申し訳ないです。すいませんでした。でも、あたしたちはお遊戯やってんじゃないんです」


 俺は頬が緩むのを感じた。さあ、天才が、天才たる、瞬間だ。


「相手の球をとれずに怪我して、グチグチ言うくらいなら、スポーツなんかやめればいいんだよ!」


 おし、お見事。俺は内心で喝采をあげた。

 だが、葵はもう一歩先へ進む。今度は過剰に踏ん切りがついたらしい。


「北見、トス上げて」

「お? おう」


 言われるままにトスを上げる、葵が一番打ちやすい位置にあげるのにも、もう慣れた。

 ふわり、と葵の身体が宙を舞う。ああ、そういうことか。やればできるじゃん、お前。

 俺と同じ位の背丈。にも関らず、ありえないジャンプ力。

 そして、俺との練習で得た、正確なコントロール。

 天才ってのは、いつまでも同じ欠点を持っていたりしないんだよ。

 ブロックなど意味を成さない。普通の高校生ではまず届かない、遥かな高みから、それはフロアにほぼ垂直に打ち込まれる。

 恐ろしい音を立てて、ボールが叩きつけられ、跳ねた。

 これが、あんたたちが許さなかった、才能の輝きなんだよ。馬鹿なことをした、って思うだろ?

 ま、もう遅いけどな。

 呆然とする先輩たちに、葵は声をかける。


「先輩、あたし部活やめますね。先輩たちのアドバイス通りに」


 天才少女はくるり、と背中を向けて歩き始める。出口に向かって。

 俺も僅かに遅れてついていく。いや、いいなお前。最高だぜ。

 ドアの前で、葵は一度振り返った。


「助っ人なら、頭を下げて頼みに来たら、考えなくもないですよ?」


 嫌味な笑みは、葵に似合ってなかったが――

 妙に格好よく、見えた。

お読みくださりありがとうございます。

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