ぼくはネコのふくたでにゃんこ
ぼくのなまえは、ふくたでした。
ふくたは、ふくのかみのふくに、たろうのた。かにちゃんというおんなのこのところへやってきたネコのぬいぐるみで、とてもたいせつにしてもらって、がらすのけーすのなかにいました。
かにちゃんとは、こどものときはなんでもあそんだものです。わるさをしておかあさんとおとうさんにりょうほうからこっぴどくおこられて、ほんのちょっとのいえでをしたときだって、ぼくはかにちゃんといっしょでした。ちかくのこうえんまでいえでをして、さむいおそとで、かにちゃんはぎゅっとぼくをだきしめて、それからいえへかえったのです。
かにちゃんがしょうがっこうをそつぎょうしたとき、ぼくはがらすのけーすにはいりました。まだぬいぐるみとしてはきれいなほうで、まだ、だっこしてもらっても、みみをちょっとくらいひっぱってもだいじょうぶなんだけど、かにちゃんがおとなになりたかったみたい。
おとなになったかにちゃんは、それでもときどきぼくをがらすのけーすからだしてだきしめてくれたり、じっとみつめてくれたりはします。けれど、ぼくはやっぱりぬいぐるみなので、いつでもだっこをしてくれたり、はなみずとかよだれをつけてもらったって、ちかくにいるほうがいいなあ、なんておもっていたのです。
かにちゃんがおとなになって18ねんめ、おとなになったかにちゃんのおともだちが、そのおともだちのこども、あかちゃんをつれてかにちゃんのおへやへあそびにきました。
そのあかちゃんがおへやにはいってきたとき、ぼくのなつめのかたちのめと、あかちゃんのまんまるにすきとおっためがあいました。ぼくはわかりました。このあかちゃんのところへ、いくんだって。
あかちゃんがぼくをずっとみたまま、がらすのけーすにてをおいたままになっちゃったので、かにちゃんはおともだちのうちへぼくをかしてあげることにしました。
かにちゃんのおともだちのうちは、おともだちも、おともだちのだんなさんもはたらいていて、0さいのときからあかちゃん、ゆうちゃんはほいくえんにあずけられてひとりぽっちでした。
だから、ほいくえんにおむかえがきていえにかえると、ちっちゃなゆうちゃんはぼくをずっとだきしめて、ひみつのおはなしをなんどもしました。
かにちゃんのおともだちとおともだちのだんなさんは、おかねのこととかゆうちゃんのきょういくほうしんのちがい、とかでよくけんかをしていて、どなりあったりもするのでゆうちゃんはそういうとき、ぼくをだきしめるちからがとてもつよくなるのでした。ほんとはけんかなんかしてほしくないよね。
ゆうちゃんがぼくを「にゃんこ」とよぶようになったのは、もういつからだったかわかりません。もともとはかにちゃんのおともだちとだんなさんのことばだったのか、ゆうちゃんのほいくえんのひとたちのことばだったのか、えほんだったのかも。
ふくのかみのふくと、たろうのたの「ふくた」もよかったけれど、「にゃんこ」はネコすべてをあらわすなまえなので、ぼくはそのなまえもきにいりました。
かにちゃんのおともだちとおともだちのだんなさんは、ぼくとひみつのおはなしをしたり、じぶんたちよりべったりくっついているぬいぐるみのぼくとゆうちゃんのことをしんぱいして、あたらしいぬいぐるみをかってきたり、そのあたらしいぬいぐるみをゆうちゃんのみえるところにおいて、だいぶぼろぼろになったぼくをそっとすててしまうためにゆうちゃんからかくしたりもしました。ぼろぼろになったのをかにちゃんにかえせないのはわかっても、ひどいよね。
そういうときは、ゆうちゃんはわんわんないて、いえをぜんぶしらべてまわってぼくをソファーのうらからみつけてくれました。あのときはうれしかったなあ。
そういうことがあってから、ゆうちゃんはぬいぐるみのぼくとのひみつのおはなしをけっしてかにちゃんのおともだちとおともだちのだんなさんにはみせないようになりました。ほいくえんでおきたいやなことも、おやにはぜんぜんはなさなくなっちゃったんだ。
ゆうちゃんがしょうがくせいになって、がくねんがあがっていくと、ぬいぐるみからそつぎょうをした子どもたちからからかわれたり、おやからいつまでこどもでいるの、っておこられたりで、ぼくとべったりもよくないといわれるのはゆうちゃんにもわかってきました。だけどゆうちゃんにはぼくしかいなかった。そのころのおともだちは、いっしょにいてもあんまりたのしくないことばかりする、ってことをぼくだけがきいていたんだ。
おともだちにもおやにもぬいぐるみをそつぎょう、といわれるので、ゆうちゃんはとうとう、すんでいるいえのベランダからぼくたちぬいぐるみをみんなそとへおとしたときもあったなあ。すぐにぼくたちがおちているところへとんできて、ごめんね、ごめんねってゆうちゃんはないていた。
ほんとにベランダからおちたかったのは、ゆうちゃんだったっていうこと、ぼくはしってるよ。あのときばかりは、ぼくたちがいちどこわれたらもどらないおにんぎょうさんのほうじゃなくて、ぬったらなおる、ぬいぐるみでよかったっておもったよ。ゆうちゃんがおちるのじゃなくて、ほんとによかった。
ちゅうがくせいになったら、ゆうちゃんにもほんとになかよくなれるおともだちができた。ぼくは、よるにゆうちゃんがねるとき、そっとひみつのおはなしをするくらいになって、こうこうにゆうちゃんがはいったときには、もうめったにおはなしをすることもなくなっていったね。
だけど、ゆうちゃんがしごとをするのでおやからはなれて、ひっこすときもぼくはいっしょだったよ。そして、しばらくするとゆうちゃんには、かざってあるぼろぼろでくたくたのぼくをみてもバカにしない、いいひとができたんだ。
いま、ぼくはゆうちゃんとゆうちゃんのいいひとがあたらしくすみはじめたおうちの、ほんだなのいっとううえのだんに、かざってもらっている。うん、がらすのけーすのなかよりはずっといいし、さすがにぼくももうぼろぼろでくたくただから、あたらしいあかちゃんやこどもたちへのぷれぜんとにはなれないよ。
かにちゃんはげんきかな。ぼくは「ふくた」で「にゃんこ」で、ほんとのネコではないけれど、ネコのぬいぐるみらしくやってこれたかな。ゆうちゃんは、もしじぶんがしんじゃったときにはかんおけにぼくもいれてほしいみたいだから、あのよへいったらいつか、かにちゃんにもあえるのかな。ゆうちゃんとわかれてごみばこいきとか、にんぎょうくようよりはいいなあ。
そんなことをかんがえながら、ぼくはきょうもほんだなのいっとううえのだんで、のんびりねころんでいるのです。