酩酊
宿営地に帰るなり、復興支援群長の荒木一佐の天幕に殴りこむ。
「群長、明日からの作業は中止、空野二尉の捜索に警備中隊の全隊力を使います」
荒木一佐は一瞬だけ眼を見開いたが、座ったまま机に肘をつき、顔の前で指を組んだ。
「概要は副中隊長から聞いている。幕僚案は判った。全般状況を報告しろ」
焦燥を無理矢理に押さえこんで、深く息をつく。そして、燃料が足りなくなったこと、オーストラリア軍に依頼に行ったこと、その帰りにIED攻撃を受けたこと、空野と石田が重傷を負ったこと、そして空野がさらわれたことを報告した。
群長は俺の説明をひととおり聞くと、机を眼を落としたまま沈黙を続けた。
今、頭の中では群長が最良の行動方針をすごい速度で組み立てているのだろう。俺は黙っていた。
しばらくして、荒木一佐が顔を上げた。
「空野二尉の捜索は現地警察に任せる。今日から、復興支援群のすべての部隊が宿営地を出ることを禁ずる。本国へは、派遣の終了を具申する」
それを聞いた途端、熱で頭が真っ白になった。
「何を言ってるんですか! 空野を置いて帰るんですか? 警察? 相手は重機関銃を持ってるんですよ。警察なんかで相手にできるわけないじゃないですか! 俺たちは、何のために武器を持ってきてるんですか! こんなときに使えなかったら、木銃持ってきてりゃいいんですよ! 宿営地から出るな? テロリスト相手に、尻尾を巻いて震えてろってんですか。恥ですよ。日本軍は腰抜けだって世界にさらすんですか!」
思いのたけをぶちまけた俺を、群長は強い視線で見上げていた。
「気がすんだか」
「済むわけないでしょう! 空野を置いてくなんて許しませんよ。群長の指示にはひとつも同意できません」
「私の決心に、おまえの許可も同意もいらん」
そのとおりなのだ。部下がどう思おうと指揮官の決心ですべてが決まる。それが自衛隊、世界の軍隊の約束事であるし、そうでなければ正しく動けない。
言葉に詰まる。身体が熱で震える。理屈では判っていてもどうしても従えない。空野は俺と石田を守るためにテロリストの前に身をさらしたのだ。そんな部下を見捨てて日本に帰るなど、絶対にできない。
「警備中隊は俺が指揮官です。俺が責任を取ります。空野を探しに行かせてください。死んでも殺しても、全部俺が背負います。お願いします!」
最敬礼で頭を下げる。荒木一佐が立ち上がる気配がした。肩に手が置かれる。
いきなり、天地が逆転した。頭から、地面に叩きつけられる。
「ぐうっ……」
痛みに耐えて身体を起こすと、胸ぐらをつかまれた。そのまま、宙を舞う。背中を強打した。肺が縮んで、息ができないほどの痛さだ。
そう言えば、荒木一佐は防衛大学校で柔道部だった。
胸ぐらをつかんだ片手で、身体が浮くほど持ち上げられる。
「指揮官の責任と権限を奪うな。群の行動のすべてを背負うのは、私だ」
静かだが、底力のある声だった。
手を離される。どすんと尻餅をついた。
「加藤三佐。気持ちは判る。私もそうしたい。だが、本国のこと、帰ったあとのことも考えねばならん」
そんなのは空野を救ったあとに考えろ、と喉まで出かかった声をかろうじて止めた。
「今なら被害は最小限に抑えられる。それに、他国で自衛隊が敵を殺すことを許容できるほど、日本国民が成熟しているとは思わない」
「だから何ですか。何を言われたって、自衛隊がなくなるわけじゃないでしょう。仲間を見捨てて帰るような自衛隊を、誰が尊敬するんですか」
荒木一佐は、哀れむような眼で俺を見下ろした。
「ご苦労だった。現在時から、すべての作業を中止する。医官から鎮静剤をもらって、今日はゆっくり休め」
群長が机に戻る。
「以上だ」
もう俺の話は聞かないと、全身で示していた。
「うっ……」
全身の痛みにうめき、立ち上がる。
「要件終わり、帰ります」
よろよろと、群長の天幕を出る。
鎮静剤など飲む気はない。この怒りを、鎮めたくはない。
「中隊長……」
副長が、心配そうな顔で見つめていた。あれだけ派手に怒鳴り散らし、ぶん投げられまくれば外には丸聞こえだろう。
「空野は探さないそうだ」
「えっ……」
驚きの中、わずかに浮かんだ安堵に、イラッとくる。
「そして、今から全部隊のすべての作業を中止すると指示を受けた。俺は考えることがある。副長が下達してくれ」
「は、はい」
俺は、自分の天幕へと大股で歩いて行く。
実際、どうすればいいのか。空野を救うためには。
そもそも空野は、左腕をほとんど失った状態で、生きているのか。
なるほど、群長は「最小限の犠牲」を考慮して、復興支援群の損害を最小限に抑える、最良の判断をしたわけだ。
クソ食らえだ。
内閣総辞職になろうと知ったことか。空野の、俺たちの命は政治の道具じゃない。
地面の砂を、思い切り蹴り飛ばす。
天幕に入り、簡易ベッドに寝ころがる。狂おしいほど酒が欲しい。
すぐに、酔いで楽になろうとした自分を恥じる。
しかし、頭の中がぐちゃぐちゃで、このままでは眠れそうにない。
スマホを取り出す。リビアに来て以来、何度となく繰り返した、妻や子供たちとのメールのやりとりを見返す。
まるで当直で三、四日留守にしている程度のやりとりに、今日の朝までは安堵を感じていた。
今は、違う。今の俺は、今朝までの俺ではない。いらつきが止まらない。
かほりのSNSアプリを立ち上げる。
メッセージを打ちこむ。
今日、部下がテロリストにさらわれた。
送信ボタンを押そうとして、かろうじてとどまる。大事件になる情報漏洩だ。
言いたいことも言えない。個人としての思いを吐き出すこともできない。
日本から持ちこんだ、焼酎の五合パックを取り出す。
初めて開封する。一気に、喉へ流しこんだ。
胃が、痺れるようにしみる。
「ふう……」
大きく息を吐く。痺れた頭が、先ほどまでの苦しみを、膜が張ったようにごまかしていくのが判る。
すべては、明日からだ。
そんな考えすら甘っちょろいと痛感したのは、次の日の朝だった。