憤怒
それから三十分後、副長を乗せたパジェロとアンビ(救急車)が到着した。
「中隊長! 大丈夫ですか」
「俺は……いい。先に石田を運んでくれ」
砂から引きずり出した石田を、隊員たちが担架でアンビに乗せる。
「空野二尉は……重傷と聞きましたが?」
定年まであと二年の副長は、誰もいない砂漠を、きょろきょろと探している。
「判らねえ。おそらく、テロリストどもにさらわれた。MG(機関銃)を撃つ音が聞こえたからな」
空野の血を吸った砂漠は、何事もなかったかのように元の静寂に戻っていた。
「えっ……!」
副長の顔が引きつる。当然だ。今まで日本は幾度も海外派遣に参加してきたが、車のバッテリーを盗まれたり宿営地に迫撃砲が撃ち込まれることはあっても、隊員がIED攻撃を受けたりさらわれたりするような事件は一度もなかった。
どこの国にも起こりうる事案だったのかもしれない。最大限そういったことを避けるために知恵を絞ってきたが、どうしても最後は運頼みになる。
それは承知していた。自分ひとりの知力体力ですべての事象に対応してやろうなどと考えるほど傲慢ではない。
しかし、俺にできることはなかったのか。
アレックス中佐から聞いたIED情報を伝えていたら、少しは警戒して、このような眼に遭うことはなかったのかもしれない。
そもそも燃料を借りにオーストラリア軍のところに来なければ、こんなことにはならなかった。
池内。
あいつがマヌケなことをしなければ。
頭の中が熱で一杯になったところで、我に帰った。
部下のせいにしたところで、俺は責任を逃れられないし、逃れるつもりもない。
帰ったら、本国に即報告しなければ。
海外派遣の今後にも関わる大事件になるだろう。リビアから帰るハメになるかもしれない。警務隊や陸幕から根堀葉掘り聞かれるに決まっている。
そのことを思うと、すべてを投げ出したいほどうんざりした気持ちになった。
俺は、空野をみすみすさらわせておいて、まだ自己保身を考えている。
「くそおっ!」
砂を思い切り蹴り上げた。
リビアから帰るもクソも、空野を置いて帰れる訳がない。
左腕がほとんどなくなる重傷で、重機関銃で撃たれ、さらわれた。生きている可能性は、極めて低い。
しかしそれでも、空野と約束した。恋人と、父親に、空野の生きた証を伝える。空野の上官として、最後の仕事だ。
そして、テロリストに襲撃される可能性を最大限考慮した警備計画を練らねばならない。中止になるという前提では行動できない。空野をさらわれてなお、命令があるまでは任務達成のために仕事をしなければいけない。
そんなことが、人間の精神で可能なのか。空野を、入隊以来つきあってきた仲間ではなく、ただの機能、数字として見ることができるなら、可能かもしれない。
かほりのメッセージが、不意に思い浮かぶ。
奥さんと子供さんを悲しませるような、彼になっていませんように。
自意識過剰の、自己陶酔の過ぎる戯れ言と思っていたが、物理的な重さを感じるほどに肩にのしかかってきた。
俺は、妻と子供たちが誇りと思えないような、俺になりたいと、腸が焦げるほどの熱で思っていた。