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リビア

「馬鹿野郎! 何で報告しねえんだよ!」


 会議用天幕の中で、怒声をあげるのはもう何回目か。俺の前には、四科長(兵站幕僚)の池内二尉がうなだれている。今日支給されるはずの燃料が、手続きの不備で届かないのだ。

 リビアに来て二週間になるのに、一日も怒鳴らずに済んだ日がない。


「で、あと何日持つんだよ」

「……掌握してません」


 池内がぼそりと吐き出す。

「馬鹿野郎! てめえに馬鹿野郎と言うのは何回目だ! 階級章外せ! 日本へ歩いて帰れ! 陸士(二等兵)でもてめえよりマシだ!」


 池内は無表情のまま黙っていた。黙っていればいつか嵐は通り過ぎると、そんな最低の処世術しか身につけていない。そしてむかつくことに、俺は池内だけに構っていられるほど暇ではない。結局、池内が見込んだとおりになるのだ。


「中隊長……一週間の消費量からすると、三日は持つと見積もられます」


 補給陸曹が、おずおずとファイルをめくりながら報告する。


「会計班長! 今から買い付けできるのか」

「契約している店に在庫があれば、今日にでも。しかし、なかった場合はトリポリまで行かなければなりません」


会計班長の永田一尉が、眼鏡を光らせて冷静に答えた。

 復興支援群が駐屯している国境沿いのガダミスからは往復で二日がかりだ。首都のトリポリまで行って買えないということはないだろうが、ギリギリすぎる。


「ちっ……オーストラリア軍に頭下げとくか。ちくしょう、こんなことで借り作らせやがって」


 ガダミスの復興支援にはオーストラリア軍も参加していた。

 池内は、何も答えずうつむいたままだ。また怒りがふつふつと湧いてくる。池内ごときを怒鳴りつける俺の小物ぷりにも腹が立つ。


「中隊長」


 会議の席で声をあげたのは、第一作業小隊長の空野だった。


「このあと自分、オーストラリア軍に調整に行きますんで、一緒に乗りませんか」


 普通はそんなことはしない。中隊長には中隊長専用の車とドライバーがある。指揮官に自分の足がなければ、指揮が自由にできないからだ。


「は?」


 空野は、何かを訴えるような眼で見つめていた。新米小隊長時代に、俺に文句を言いたいときには、たいていこんな眼をしていたことを思い出す。

 舌打ちしそうになるのを、なんとかこらえた。


「おう、いいぞ。会議は終わりだ。会計班長、すぐに在庫を確認しろ。三科長(作戦幕僚)はオーストラリア軍に今から行くと言っとけ。敬礼省略だ」


 号令をかけようとしていた副中隊長が、肩透かしを食らったような顔になる。俺は誰よりも早く、大股で会議用天幕から出た。

 アフリカの太陽は、痛いほどに熱い。何しろ今の気温は五十度を超えている。気温が高いと感情の動きも活発になるのか、ほとんど俺は瞬間湯沸かし器になっていた。


「中隊長、モータープール(駐車場)に行きましょう。ドライバー待機させてます」


 後ろから空野が追いつく。空野はいつも、先を読んで効率よく動けるように段取りをしている。おかげで空野の行動に不満を持ったことは一度もない。


「判った」


 並んで、鉄条網で囲んだ宿営地の中を歩いていく。

 俺も空野も無言だった。だいたい、空野の言いたいことは判る。しかし、こういうときは黙っているものだ。


 OD色(オリーブドラブ)の高機動車や七三式小型トラック(パジェロ)が整斉と並んでいるモータープールに着くと、一台のパジェロがエンジンを回していた。


「どうぞ」


 空野が、副官のように後部ドアを開ける。俺が乗りこむと、ドライバーの士長があからさまに驚いた顔をした。


「中隊長も同行する。出発しろ」

「は、はい」


 助手席に乗った空野が、ドライバーに命じると車は静かに動き出した。

 宿営地の入口には警衛所を設置して、出入りする人間を管理している。警衛は俺の顔を認めるといそいそと敬礼をして、不法侵入する車両を止める拒馬(きょば)をどけた。車輪がついているので、車は止まるが人力で簡単に動かせる。


宿営地を出た車は、砂漠の一本道を走り始めた。日本では見ることのない風景に、来た当初は物珍しく眺めていたが、すぐに飽きた。


「中隊長、空挺団にいたときと全然変わらないスね」


 ぼんやりと砂漠を眺めていると、助手席にいる空野が話しかけてきた。顔は前方を向いたままだ。


「四十近くになっても、血の気はおさまらねえってか」

「まあ、判りますよ。実任務だし、こんなつまらないことで業務が止まったら、日本が舐められますからね。たぶん自分だって怒鳴ります」


 最初になだめられて、機嫌の悪い息子たちを相手にしていたときのことを思い出す。苦笑が浮かぶ。


「まあ……でもみんなビビりますからね。悪い情報、上げにくくなりますよ」

「情報上げて怒りゃしねえよ」


 俺だって、厳しい上官がいたときは、ひとつ報告を入れるのに高い精神的ハードルを越える作業が鬱陶しいと思っていた。空野の懸念は判る。


「判ってますよ。池内は幹部の同期なんでよく知ってるんスけど、昔からああいう奴です。でも、自分の話は聞くんで、池内に言いたいことがあるときは、自分に言ってください。池内のせいで中隊長が嫌われたらもったいないッス」


 会議のときの幕僚が、軒並み緊張しているのは判っていた。それでも、まだ許容範囲だとは思っている。息をつく。


「判ったよ。最近はアンガーマネージメントとかうるせえからな。まったく、世知辛え」

「自衛隊だけ別世界というわけにはいかないッスからね」


 極端に態度を変えるのも醜いので、池内に関しては空野の提案に乗ることにする。


「なんとか無事に帰りたいスね、中隊長」

「そうだな」


 フロントガラスの向こうに、オーストラリア軍の宿営地が見えてきていた。

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