出国
国際活動教育隊での教育を終え、リビア復興支援群は朝霞駐屯地で編成完結式をした。俺は警備中隊長だ。空野は指揮下の第一小隊長。防衛大臣がじきじきに、激励の言葉をかける。任務終了の暁には天皇陛下に帰朝報告をするということで、今から柄にもなく緊張していた。
そのままバスに乗って、入間基地へと向かう。そこには、俺たちをリビアへ運ぶC130が待っている。
バスの周りには隊員の家族が集まっていた。もちろん、妻と央と永人もいる。
永人をいつものように片手で抱き上げる。
「夏休みが終わるまで、お父さん帰ってこないぞ。寂しいか?」
からかうように笑いかけると、永人は顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。
「ちょっと、その言い方」
妻が睨みつける。そう言う妻の眼も潤んでいた。
「元気でねえ」
央は相変わらず寂しげなそぶりも見せず、微笑みさえ浮かべている。こいつは大物になる。
「まあ、心配すんな」
央の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。みんなの前で妻とキスをしてもいいと思ったが、やはりやめておいた。
「じゃあ、お母さんの言うことをよく聞くんだぞ」
「いやだ」
抱っこから下ろした永人が、腰に抱きついてくる。
「いいかげんにしなさい。お父さん、お仕事に行けないでしょ」
妻が永人を引きはがす。撫でてやりたかったが、未練が残ると思い手を振るだけにした。
「行ってきます」
大型バスに乗りこむ。朝霞駐屯地のほとんどの隊員が、見送りに来てくれている。編成完結式をやった東部方面総監部前の儀仗広場から、バスが出る。妻も央も永人も、大きく手を振っている。窓越しに、敬礼を返した。
駐屯地北側の朝霞門までの沿道を、隊員たちが埋めて拍手で送ってくれる。
出征というのはこうでなくっちゃな。
言葉の綾ではない。リビアは独裁政権が倒れた後、イスラム過激派が国を乗っ取った。そこへ大地震だ。
業務の名前としては国際貢献だが、警備中隊が必要で、武器も携行する。それほど現地の治安は悪い。
かほりじゃないが、中隊が発砲したり発砲した結果生じた出来事の責任は俺にある。今更ながら割に合わない仕事だと思うが、ここまで来たらしょうがない。そのときが来たら訓練どおりやるだけだ。
朝霞門の警衛が、捧げ銃と栄誉礼のラッパ吹奏で送ってくれる。普段なら将官や大臣クラスのためにしかするものではない。俺には一生縁のないものだ。
粋なはからいにテンションが上がってきたところへ、嫌なものが眼に入ってきた。門のすぐ外に、横断幕やのぼりを掲げた連中が、十数人ほど集まっていた。
海外派兵反対だとか、あなたは血に濡れた手で子供を抱くのですかとか不愉快な文字が書かれた横断幕を見て、本当に嫌な気持ちになる。ひとのことを何だと思っているのか。
連中は何だかわめいているが、白ヘルメットの警務隊が守る柵から飛び出そうとしないチキンどもだ。軽蔑しか湧いてこないが、群衆の中に見覚えのある顔があった。
かほりだった。
「海外派兵反対!」
かほりの声が、窓ガラスごしに届く。眼が合った。かほりも俺に気づいた。
お互い、眼をそらすことができなかった。かほりの眼に、涙が浮かんでいた。
バスは妨害されることもなく、駐屯地前を走る川越街道を西へと曲がった。
すぐに、かほりたちは見えなくなった。
バスの中は、誰もしゃべらなかった。デモ隊について話すやつらもいない。
スマホを取り出し、かほりのSNSを開く。
トップページにアップされていたのは、朝霞門を出ようとする俺たちが乗ったバスだった。
こう書いてあった。
自衛隊のリビア派兵反対デモに参加している。
私の知り合いもこのバスに乗っている。
彼とは考え方は全然合わないし、久しぶりに会ったときにはケンカになってしまったけれど、国家の愚策の犠牲になってほしいとは決して思っていない。
無事に帰ってきてほしい。そして願わくは奥さんと子供さんを悲しませるような、彼になっていませんように。
彼のような犠牲者を出さないために、私たちは声を上げ続けなければならない。
まだ死んでない。
ずいぶんと失礼で肥大した自意識がぷんぷんと臭う文章だ。しかし、腹を立てる気にはなれなかった。
かほりに死んでほしくないと思われていることが、正直なところ嬉しい。
苦笑が浮かぶ。俺はどれだけ単純なんだ。女にとってみたらこんなにちょろい相手はいないだろう。
けれども、生きて帰ってやろうという気持ちが、今まで以上に強く強く燃え上がってきていた。