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同窓会

「ねえ加藤君、自衛官として戦争法についてどう思う?」


 十五年ぶりに出会った初恋の女の第一声がこれである。

 高校の同窓会だった。今まではずっと千葉県の習志野にいたのでご無沙汰していたが、運よく地元の師団司令部に異動になったのを機に、参加することにしたのだ。


 烏山(からすやま)かほりに会えるかもしれないと、期待していなかったと言えば嘘になる。実際、会場になった居酒屋の座敷で、十五年前より美しくなったかほりを見たときには、妻とふたりの子がある身でありながらときめいてしまった。

 宴会が始まって、ジョッキを二杯も空けると、かほりが隣に座ってきた。年がいもなく鼓動が速くなった自分を恥ずかしく思う。


「戦争法なんて法律ねえよ。安保法制だよ」

「あら、憲法九条を骨抜きにして、戦争ができるようにする法律じゃない。戦争法よ」


 高校のころ、頭もよく、スポーツもできて、はきはきしていて男ばかりか後輩の女子からも憧れられていたかほりが、頭の良さをおかしな方へ使ってしまったことに、いたくがっくりした。


「カボさん、俺の個人的見解じゃなくて自衛官として聞いてんだよな? 防衛省の広報室に聞いてくれよ」

「なあに、そう答えろって言われてるの? 自衛隊って、自分の仕事に関する法律について意見も述べてはいけない組織なの?」


 勘の鋭い女は嫌いだ。


「命令に服従する義務があるからな。『自衛官として』って聞いただろう。なら、組織の見解と同じだよ」


 かほりはひどく不満げな顔になった。


「防衛大学を出てると、そんな官僚答弁みたいなのも上手になるのね。高校生のときの、明るくてシンプルな加藤君も偉くなるとそうなってしまうのね」


 俺の想いを知っていて、こんな当てこすりをしてくるのか。

 シンプルとは単純バカということだろう。


「偉いってほど偉かないよ。三佐だからな」

「三佐って、旧日本軍で言う大佐?」


 そんなことも知らないくせに安保法制にケチをつけようというのか。


「少佐だよ」

「大した違いじゃないわ。けど、責任ある立場というのは間違いないわよね。加藤君が殺せと言ったら部下は殺すし、死ねと言ったら死ぬんでしょ? それを禁じてきたのが憲法九条なのよ」


 かほりの眼は酒で据わってきていた。何も知らないから、こんな極端なことが言えるのだ。初恋の甘酸っぱさは、すっかり発酵して苦くなっていた。だんだんイラついてくる。


「ええと、ただ死ねというのは正当な命令じゃないから、絶対に出さない。それに、誰彼構わず殺すわけじゃない。無力化といって敵が攻撃できなくなれば殺す必要もない。あと、武器を使えるのは正当防衛か緊急避難のとき、それと防衛出動で日本を侵略してくる敵に対してだけだ。カボさん、高校のときは成績良かったけど、自衛隊のこと何も知らないじゃねえか」


 焼酎のロックをあおる。かほりはプライドを傷つけられたのか、顔を怒りに歪めた。


「加藤君こそ、歴史に学んでないわね。旧日本軍は中国や沖縄で誰彼構わず殺してるじゃない。それが軍隊の本質なのよ。私は加藤君にそんなことをさせたくないの」

「自衛隊は何度も海外に行ってるけど、そんなことはしたことがない。それに、現実として規律を完全に守る組織なんかあり得ないぜ。日本軍だけ悪者にしてるけど、戦争を経験した軍隊は、どこの国だってやってる。それこそ中国だってな」


 歴史の話になると泥沼になるのは判りきっていたし、娑婆の人間(民間人)との論争は適当に流せと防大のときから言われていたが、もう止まらなかった。

 かほりもジョッキを一気に飲み干して、ドンと机に置く。


「そんな開き直り、汚いわ。みんなが悪いことをしてるから、自分もしていいの? そんな小学生みたいな理屈しか言えないのかしら。加藤君はずいぶん自衛隊の規律がご自慢のようだけれど、今度海外派兵でリビアに行くじゃない。そこで強姦とか起こるんじゃないの?」


 かほりがぴくぴくとまぶたを震わせながら、口元に蔑みを浮かべる。腹がふつふつと滾ってきた。


「俺の部下に、そんなことさせるかよ」


 言って、しまったと思う。防衛省が発表する前に、部外者に教えるのは褒められたことではない。かほりがきょとんとした顔になった。


「加藤君……行くの?」

「……まだ決まったわけじゃないけどな」


 ほとんど嘘だった。派遣命令が出されていないだけで、準備命令の編成表には名前が乗っているし、訓練も始めている。事故か急病にでもならない限り、まず行くことになるだろう。


「そう……」


 かほりがうつむく。言い過ぎたと思っているのか。


「まあ、カボさんが心配してくれるのは判ってるよ。さっきも言ったけど、俺がいるかぎり、絶対にそんなことはさせない」


 酔いの勢いも手伝って、かほりの肩にためらいなく手を置いた。

 いきなりぱあんと手を弾かれる。ざわついていた宴席が、しんと静まりかえった。


「気安くさわらないでくれる? それに、カボさんなんて呼ばれるほど、加藤君と親しかったつもりはないけれど」


 酔いも吹き飛ぶ豹変に、最初は驚き、だんだんと怒りがせり上がってきた。


「アカの腐れマンコが、いい加減にしろ! てめえらが何を知ってんだ? 俺らのことなんか何も知らねえだろうが。知ろうともしねえ脳なしが、口からクソ垂れ流してんじゃねえ!」


 日米共同訓練で覚えたスラングが、流れるように吐き出される。後悔する前に、顔へビールを浴びせられた。

 かほりが、顔を青白くしながらも眼を吊り上げて、肩を震わせている。ビールをかけられて少しは冷静になったが、とてもこのまま何事もなかったかのように飲む気にはなれない。


 一万円札を、ばあんと机に叩きつける。ビール瓶が倒れ、唐揚げの大皿が浮いた。かほりがびくりと身体を震わせる。


「帰る」


 かほりを必要以上に怯えさせてしまったことが、少しだけ気まずかった。

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