第七話 〜〜俺の興味のないところで色々動きがあるんですけど〜〜
今から一ヶ月前ーーー。
俺が引きこもり始めた日のこと。
腹を抱え、顔を青くして帰ったあの時だ。
セリナは俺の様子の変化を見て、今までになく心配したのだそうだ。
体調が悪い姿なんて初めて目にした。
そう、セリナは言った。
(あれはお腹を下したせいでげっそりしていただけだし、顔色が悪かった本当の理由はもっと別のところにあったのだが、言える雰囲気じゃないなこれ)
そして。
セリナは自分に何かできないか。
俺を助けてあげることはできないか。
必死になって考えてくれていたらしい。
この一ヶ月、セリナは俺の家へ何度も来てくれていたらしい。
言われるまで全く知らなかった。来たなら来たと、先程みたいに寝室に入ってくれば良いものを。
そう言うと。
「私だって、心の準備とかあるし。それに、扉叩いても声掛けても全然返事くれないから、それこそ私邪魔なのかなって思っちゃって。二人分のご飯作って、お兄ちゃんが出てくるの待ってたりとか何度もしてたのに。……お兄ちゃん、出てこないんだもん」
あちゃー。それは俺が悪いな。どうやったら気が付かないのか俺でも知らんが、酷いなおい。
「その、ごめんな。いやでも、安否確認しようとは思わなかったのか?変だと思ったら尚更部屋の中を確認するだろ?」
言うとセリナは首をすぐに振った。
「変なのはいつものことだもん」
「んー、ごめんね……そうだよね、本当ごめんなさい」
「それに、ぶつぶつ難しい言葉が扉の奥から聞こえてきてたから、一応生きてるんだなっていうのは分かってたもん。さっきもそうだったけど、お兄ちゃんって考え事してる時に邪魔されるのすっごく嫌うじゃない。私、本当に心配してたし、すぐに会いたかったけど、でも、迷惑掛けたくなかったたんだよ」
「…………そっか」
こいつ、こんなに気を遣ってたのか。
本当に優しさの塊だな、セリナは。
幼馴染みってだけでここまで心配してくれるなんてな。俺の本当の家族だってそこまでしてやくれない。引きこもったが最後。即刻、勘当されていたに違いない。
「そんなに気にかけてくれてることは正直、すっごい嬉しいよ。本当に俺には勿体ない。心配掛けさせて悪かったな。お前が幼馴染みで良かった」
「お兄ちゃん……。そうだよ。私、すっごく心配したんだから」
セリナはようやく少し笑った。
この世界に転生してから十年を軽く超え、もう後数年で二十年ともなろうか。
それぐらいの長い付き合いなのだ、彼女とは。
人間関係にあまり頓着しない、いや寧ろ興味ない俺でも、流石に付き合いの長い女の子に泣かれるのは胸に来るものがある。
この心苦しさは申し訳ないという謝罪の表れだと思うが、なんだろうな……。うまく言葉にできないが、俺が生きているうちはこれ以上泣かせたくないな。
そういえば、先月も泣かせてしまっていような。
なるほど、やはり罪悪感だなこれは。
そうして俺が一人反省の念を胸に抱いていると、セリナが俯きがちに俺を見てきた。
「ぁ……あのね、お兄ちゃん……。流石のお兄ちゃんでも分かっちゃってるとは思うけど……聞いて欲しいことが……ある……の」
セリナはもじもじしながらぎりぎり聞き取れる声で言ってきた。俺はそれに「ああ」とも「うん」ともつかない返事をしてしまう。
分かっちゃってる?聞いて欲しいこと?
それって俺のせいで苦労をさせたことだろ。
あらあら、耳まで赤くしちゃってこの子ったら。
なに、まだあるの……。
どうしたらいい?指詰めた方がいいですか?腹切った方がいいですか?でもなぁ、俺の体、刃物通らないしなぁ〜。
「セリナさん?先に謝った方がいいですか?もういくつごめんなさいしたら許してくれます?」
「え?え?」
俺が聞くとセリナは予想しなかった内容だったのか、二度見してからぱちぱちと瞬きしてきた。
瞬きするごとに「こいつ何言ってんの?」という視線に変わっていくのが分かって俺は居た堪らなくなった。
すると、セリナはふるふると首を振った。
「もうなんでそうなるのよ!いいから、ちゃんと聞いて!聞きなさいっ!」
「はい聞きます!」
左右に首をふるふる降っていたセリナはゆっくりと呼吸を落ち着かせていくと、整った顔を上げ、俺を真っ直ぐ見た。
「お兄ちゃん。私は……、セリナ・ワーグナーはアーロック・ザードのことをーーー」
ーーーーーーガンカンガンカンガンカンガンカンッッッ!!!!
「なんだ!?」
「あっ!ちょっと、お兄ちゃん」
俺は突然、聞こえてきたけたたましい打ち鐘の音に窓へと駆け寄った。音は町の至る所で鳴っているようだった。
すると丁度、俺の家の扉が勢いよく開けられる音がした。
「死にたがりは居るか!?」
駆け込んできて第一声を上げたその人物は実に柔らかそうな男だった。タイトに着こなされた仕立てのいい服に太身のその男は特徴を分かりやすく縁取りしており、雨に降られたかのように汗をかいてる。
「ここに居るが、何のようだ?」
男は額から滴る汗をビチャッと手で払う様に拭うと首を縦に振りながら俺の元へと駆け寄ってきた。このけたたましく鳴る鐘の音と関係があるのだろうか。未だに息を切らしている様子だ。
(んー、急いでるのは分かったから床を汗で濡らすのやめようね!)
「話はそのまま聞こうかワトソンくん」
「ワトソンって誰だ。俺はダンクトンだ。適当に名前を呼ぶなんて失礼な奴だな」
「おー近い近い!とりあえず、落ち着いて!」
どっちだって変わらないだろうと思う名前を名乗った太身のダンクトンは、ふぅふぅ息を漏らしながら汗を拭って、言われるまでもないというように落ち着きを取り戻していった。
(後で床を水の魔法で高圧洗浄しよう)
俺はそんなことを思いながら、なんとも言えない表情で膨れっ面を作っているセリナに手の動きだけでごめんと伝えた。
話の続きはまた今度。悪いな、セリナ。
「それで、俺に何のようなんだ?」
聞くと、鐘が打ち鳴らされる音にも負けない声でダンクトンは言った。
「戦争だ!!戦争が始まったんだ!」
「戦争?じゃあこの鐘は警報かなんかってことか?」
「常識知らずもそこまでいくと恐れ入るぜ。その通りだよ。時期に東からゼランダ軍が攻め込んでくるって話だ。このレトノアは王都から最も近い町だ。制圧して拠点にするつもりなんだろうさ」
必死になって捲し立てるダンクトンの話を聞きながら俺はあまり使っていなかった記憶を呼び覚ましていた。
ゼランダ軍って、確か海を越えた先にある国だった筈だ。ジオ・ゼランダだったか、ラオ・ゼラルーダだったか。正式名称は忘れた。
ゼフトラングダ大陸を代表する大国で、鉱物の採掘から広大な土地を活かした農作物の生産など、ゼランダ王国は国の特産品を活用した貿易を盛んに行っている。
大国であるが故に軍備は世界屈指とも言われ、魔法技術体系も他の国を凌駕していると噂されている。
ーーーらしい。
正直、俺はそんな噂を聞く相手がいないから知らない。全ては師匠から聞いた知識だ。
「何でそんな大国がわざわざランフラーブス大陸の小国を攻めてきてるんだ?」
「そんなこと俺にだって分からないさ!ともかく、そんな事情はどうでもいいんだ!避難しなきゃいけないのにわざわざお前のところに来たのは頼みたいことがあるからなんだ。時間がないんだ。頼む、聞いてくれ!助けてくれ!」
俺の質問を一蹴に伏して代わりに頭を下げてきたダンクトンは、それだけで切羽詰まっていることが伝わってきた。
変人、かつ死にたがりの不死身野郎として知られる俺に頭を下げてる時点で、俺はそれを断ることが出来そうもないと悟ったが、一応内容は聞いておくことにした。
「港町が陥落したって聞いたんだ。ゼランダ軍はそこから乗り込んで来たんだって話だ。でもそんなの信じられない!東端にある港町“マリン”は俺の故郷なんだ!あそこには家族も居れば、知り合いだって大勢いる。みんな大切な奴らばかりだ。あいつらは自国の軍事力が高いのをいいことに、正面突破して真っ直ぐ王都に向かってるらしい。俺がお前さんに頼みたいのは」
「人殺しか?」
「っ……」
俺が口を挟むと、ダンクトンは息を呑んだ。
こいつの話を最後まで聞くことはない。
目を見れば分かってしまう。
先程のセリナの、人を心配するような純粋な光がそこにはなかったのだから。
「なにも……殺せなんて言ってない。奴らをやっつけてくれって俺は頼みたいんだ」
「戦争を仕掛けてきている軍相手に、俺が行って無殺で仕留めて来いと?」
「……」
「ダンクトン、だっけ?さっき俺に助けてくれって言ったよな。時間がないって。それはマリンに住む町の人たちを助けて欲しいってそういう事を願って口にしたものじゃなかったのか」
ダンクトンは目を逸らした。
別に気持ちが分からないわけでもない。
家族や知り合いを思う気持ちと、その故郷に酷いことをしたというゼランダ軍への怒り。
両端に架けられている天秤の器は、きっと左右の吊り紐が絡まってしまっているのだろう。
だから、ゼランダ軍を倒して欲しい。殲滅して欲しい。そんな感情が彼の声から滲み出てしまっているのだ。
「俺だって……、あいつらが無事でいてくれることを祈ってる。今も生きてくれていることを信じてるさ。でもな、どうしたって、ゼランダ軍が憎く思えちまうんだ」
頼む。
頼むよ。
膝を着いてダンクトンは頭を下げてきた。
俺に縋るように手を握るその先から震えが伝わってきた。
(自分以外の誰かを気にかけてこうなれるのは、この人がちゃんとした人間だからなんだろうな)
俺はこの場を俯瞰するかのようにそんなことを思ってしまった。
生きることを目的とせず、命を終わらせることに時間を費やしてきた俺は、誰かをわざわざ気に掛けたり思いやったりなどとんとして来なかった。
胸を痛めるほどの人間関係を築き上げてきたこの男に俺は、単純に凄いなと思ってしまう。
一人が何よりも楽なのにな。
俺はついそう考えてしまうタチだ。
だからこそ、俺はそれを口にした。
「出来る限りのことはしましょう」
「死にたがり……おまえ」
「お兄ちゃんならそう言うと思った!頑張って!」
「ありがとう!ありがとう!ありがとう!ありがとう!」
俺がダンクトンの頼みを承諾すると、セリナとダンクトンは顔を綻ばせた。
「まあ、相手は世界有数の強力な軍隊のゼランダだし。もしかしたら俺を殺してくれるかもしれないしな。俺にとってもメリットはあるから大したことじゃない」
「やっぱりお前は変人だな、デ・ナウズ・ロック」
「どうせ死ねないんだから早く終わらせて帰ってきてよね」
全く勝手なことを言ってくれる。
正直、予想の上では万に一つもゼランダは俺に傷をつけられないだろうから、セリナの言う通り、早く帰ってくるのが時間の使い道としては正しいだろう。
「……多分、レトノアの住民の方が強いんだよなぁきっと」
「何か言った、お兄ちゃん?」
「ぁあっ!いや、なんでも!じゃあ、とりあえず、こっちに向かってるっていう軍隊を片付けて来るよ。その後、マリンに向かうでいいか?」
「ああ、それで構わない。……きっと、マリンは手遅れだろうからな」
セリナの言葉を誤魔化して話題を逸らすと、ダンクトンは悪い想像をしながら声を沈めていった。
「戦争の目的次第では、ゼランダ軍も無闇に人殺しをしない筈だと思う。魔族でない限り、虐殺はしないでしょ」
シェスロンの時はジランが人間を殺すためだけに魔獣やらを率いて襲撃をしてきた。だから、多くの死者が出た。
だが、今回は違う。
大国ともあろうゼランダが虐殺目的に侵攻を開始したとは到底思えない。
だから、住民達が生きている望みは高いと俺は考えている。
「とにかく、すぐにでもゼランダ軍の侵攻を止めてくる。とは言っても、王都の騎士団がもう向かってる気がするんだけどね」
そうして、俺が出て行こうとすると後ろから何者かに抱きつかれた。
回された腕を見るにセリナだと分かった。
ダンクトンでないことに心から安心したのは言うまでもない。
「おいおい、らしくないな」
「お兄ちゃん。お願い。誰も殺さないで」
茶化して言うと真面目な声が抱きつかれた背中に当てられた。
「絶対。人殺しはダメ」
「分かってる」
「絶対だよ」
「ああ」
「約束破っちゃ嫌だからね」
「はいよ」
俺は腕を振り解いて振り向くとセリナの頭を撫でてゆっくりと返事をした。
言われなくても、そんなつもりははなからない。
平和ボケした元日本育ちの俺は、そもそも人を殺す勇気など持ち合わせていないのだから。
「じゃあ行ってくる」
そう言って俺は、珍しく誰かのために魔法を行使しに行くのだった。