第六話 〜〜こうなる前に死にたかったんですけど〜〜
「いつまでそうしてるのよ、もうっ!」
バンッと音を立てて開いた寝室の扉を俺は反射的に振り返った。するとそこには怒り浸透とばかりに部屋に踏み入ってくるセリナがいた。
(なんだい幼馴染のセリナさん。うちに来るんならもっと静かに入ってこいよ)
足音を聞くだけでも怒り浸透ということが分かる。だが、俺はすぐにそっぽを向いて掛け布団を深く被った。
今はセリナにかまっている余裕はない。しかし、彼女は違うようで。
「早くそこから出なさいっ!」
俺を包む布団を無理矢理引っ剥がそうとしてきたのだった。
「て、なになにちょおおおお!何してんのセリナ!ひひ引っ張るなバカ!」
布団を元から掴んでいたお陰で何とか奪い取られることなく、俺は引っ張り返す。
「何がバカよ!一月も引きこもってるくせにっ!その汚い布団洗うから早く退いて!!もお、手を離してよー!」
すると、セリナはもう一度布団を掴み先ほどよりも腰を入れて奪おうとしてきた。
「うおいおいおい、いくらなんでも乱暴すぎるだろ!いいよ、自分で洗うから!やめろー!やめてえ!やめなさいってセリナっ!セリナァア、良い子だからやめなさいぃいいいいいいい」
あれ、セリナってこんなに力強かったっけ?
嘘でしょねえ?俺の体勢と足場が悪いだけだと言ってくれよ、ねえセリナ!
「どうしてそんなに意固地なのよー。ずーぅっと寝てるだけなんてダメだってば。お風呂入ってご飯食べて少しでも外に出なきゃ」
「声音だけ優しくしても無駄だ!お兄ちゃんはちゃんと分かってるんだからな!さっきよりも手に力がこもって、ぁ危なっ!おおおおお、待て待て待てって!本当に、くそぉおおおおおどこでそんな腕力身につけやがった!」
めっちゃベッドの土台が軋んでる音がするんだけど!
魔法で身体強化でもしてるんだろうか。
「く、小癪な幼馴染みめ!こんなことをするためにお前に魔法を教えたんじゃないぞぉお!」
「魔法は今、関係ないっ!」
え、ウソ?
魔法使ってないの?
「お兄ちゃんがいつも家の中でぼけっとしてる間、私は家の手伝いで畑仕事してるんだらっ!魔法なしじゃ何も出来ないお兄ちゃんとは基礎が違うの!」
ぁー。
「お前コラっ!そーゆーこと本人の前でいっちゃダメだから!これでも必要量の筋トレしてるし、畑仕事はその、いや、だから……お世話になってるから手伝おうとかは思ってたけど、ほらでも、今更手伝うとか言えないし!しかも、俺が行っても役立たずだし、畑仕事に魔法使うとエーレアの反応でぇええええええええ、ぐぅううううこのっ、最後まで謝罪させーーー」
「言い訳しないで早く出なさいっ!!」
すると、一瞬手元を緩ませたセリナは、次いでぐっと強く布団を引いてきた。
やばい、とそう自覚するも既に遅く、握力の限界もあってか、俺を包んでいた掛け布団は呆気なく手から離れていってしまった。
「ーーーキャァアアアアアアアア!」
果たして、その悲鳴をあげたのはどちらだったか。
いや、まあ、俺も少しは声を漏らしたんですけどね。セリナがね、そのね、俺の真っ裸をね、見てさ。その悲鳴に掻き消されたよね。
「お兄ちゃんは、ちゃんと言ったよな。やめなさいって」
「……はい」
「自分で洗うとも言ったよな」
「…………はい」
「力尽くじゃなく、説得する方が良かったんじゃないか?」
「それはない」
「だろ。……あれ今なんて」
俺の裸を見て顔を真っ赤にしながら悲鳴をあげたセリナを寝室から一度追い出し、俺は服を着た後、セリナに説教をし始めた。……のだけど、いきなり反論された。この幼馴染み、勝手に人のことを兄と呼んでおきながら兄の言うこと聞かないんですけど。
「お兄ちゃんは私の話を聞いてくれないから意味ないって言ってるの」
「いや、いつも聞いてんだろ」
「うそつき」
「うそつきってなぁ、おまえ………」
「…………」
「…………」
被害者なのは俺のはずなのになんだこの重苦しい空気は。
苛ついているというか、本当に怒ってるという風な印象がセリナから伝わってくる。
こりゃ何を言っても噛み付かれそうだ。
でも、このまま黙っていても何も進展しないし、無駄な時間が過ぎるだけである。
……仕方ない。なるべく、穏便に、慎重にだ。
「なあ。まず何であんな事してきたか教えてくれない?その……ちゃんと聞いてるからさ」
するとセリナが、言いたいことはいっぱいあると言いたげなため息を吐いてから話し始めた。
「そんなの、お兄ちゃんを外に出すためよ」
出すためって、まぁ、引きこもりに対する強硬手段をと言うわけね。布団がどうとかってのは口実に過ぎないのは分かってたけど。
「外ね。俺を外に出してどうするつもりだったんだ」
「知らないよ。そこまで考えてない。とにかく、お兄ちゃんを外に出そうと思ったの。そしたら、お兄ちゃん、あんな格好でいるなんて思わなくって……」
「おい、思い出すのやめなさい。もやしっ子の俺の方が恥ずかしいんだからな」
「そんなこと言うんなら服くらい着ててよ!もうっ!」
そう言ってあからさまに目を逸らされた。
何で裸だったのか聞いて来ないあたり、変な推察をしているかもしれない。いっそのこと聞いてくれれば答えるのだけど。
ちなみになぜ裸だったのかというと、引きこもりを始めたその初日から服を着るのが嫌になり、不貞寝もとい、考え事をするだけならそれで充分だと思ったからである。実際、この体は飯を食わなくてもちょっとした空腹感を覚えるだけで死にゃせんからな。
「それで、何するはともかく。何でセリナは俺を外に出したかったんだ?何か用があったとか?」
「用は、特に、……ないけど」
「けど?」
歯切れ悪く答えるセリナに俺はその先を促す。
本音を言うなら、この時俺は用がないなら今からでも寝室に篭りたいと思ってしまった。
しかし、セリナは俺の追及が癇に障ったらしくキッと睨むように顔を上げてきた。
「なにそれ。本当にお兄ちゃんは。ねえ、心配を掛けてるって自覚ないの?」
心配?誰に?
と、俺が口にする前にセリナが口を開くのが早かった。
「なんでいつもいつも、そんな自分は関係ないって顔するのよ。ねえ、どうして?」
「いや、別に俺はそんな顔」
「してるっ!してるよ!お兄ちゃんはいつも何も見てない!何も聞こえてない!全部関係ないからそうしようとしないの!自分の事なのに分かんないの」
捲し立てるように言い返された俺は言葉に詰まってしまった。
俺は心の中で、んなこと分かるわけないだろと言い訳することしかできない。
セリナの様子が明らかにいつもと違う。
これまでのような、どうでもいい言い合いだとかそんなモノではない。セリナの感情が強く言葉に乗ってきていた。
「本当バカ。お兄ちゃんのバカっ」
「ぁ、あのな、確かに俺はバカだが、別に誰かに心配とか、そんなわけないだろ。な?それにだ。さっきも言ったけど、聞いてるし、今もお前を見てるだろ。めちゃくちゃなこと言ってないで、一回落ち着けよ」
「めちゃくちゃじゃないもん!だからバカだって言ってるの!」
えー。
ようやく舌が回り出したと言うのに俺の弁解はあっさり否定されてしまう。
「私、お兄ちゃんに何度も何度も話しかけたんだよ?でも、お兄ちゃん私の話聞いてくれなくて。そしたらもう無理矢理引っ張り出すしかなくなるじゃない!」
唐突に言われ、いつの話?と疑問符を浮かべそうになるのを堪えた俺は、それがこの一ヶ月の間のことだとなんとか察することができた。
「いや、だからってな」
「家にずっと閉じこもって人に心配掛けてたお兄ちゃんが悪いのよ!」
「さっきから心配、心配って。大袈裟だな。親も親戚もいない俺に俺の身をどうこう言う奴いないって。どうせいつものことだ、ってみんなも思ってるだろ」
今更言うまでもないが、俺が家から出てこないのはこれに限ったことではない。ジランを待ってた時も、その前も、またその前だって何度もあった。
自分で言うのも何だが、本当に、毎度のことである。
更に言ってしまえば。
俺は基本、家に籠るか、朝から晩まで町の外にある例の場所に入り浸るかのどちらかしかない。それしかないのだから俺と会う人間はほぼおらず、転生してから今に至るまで人付き合いをちゃんとしてきていない俺は誰かに心配をされる覚えは全くなかった。
誰かに恩を売ったとか、そう言うことか?
いやでもなあ。
死にたがりの不死身野郎〜〜【デ・ナウズ・ロック】〜〜なんて、厨二臭い変な発音の言葉で俺を知っている人間は多けれども、俺はそいつらを知らない。故に、どこの町で誰に何をしたのかなんていちいち覚えちゃいない。顔を見れば思い出すかもしれないが、死ぬこと以外興味ない俺である。恩を売るだのそんなのは決してないと思う。
つーことは、俺が死のうが生きていようが誰にも迷惑かけないしどうでもいいってことだ。
セリナは何をムキになっていると言うのだ?
「なあ、セリナ。いつも言ってるだろ。ほっとけって」
「……どうしてそういうこと平気で言うのかな。それが出来ないから、こうして私が来てるんじゃない」
「なんで出来ないんだよ。見て見ぬふりするだけだろ?付き合う相手はちゃんと選んで時間を大切にしろよ」
「バカっ!!」
そこまで言うと、セリナがいきなり拳を突き出してきた。
「っぶな!?」
グー!?この子、俺の顔面目掛けてグーで来ましたよ!?
「避けないでよ、バカァッ!」
「動物の本能として危険が来たら避けるだろ!」
「私のことなんだと思ってんの!どうして分かってくれないの!」
何度も拳を振るってくるセリナは、遂に机を回り込んできて俺の襟首を掴み引き寄せてきた。もう目が真っ赤じゃないか。
「心配しちゃいけない?会いに来ちゃいけない?ご飯作ったり、お話ししに来ちゃいけない?私のこと、そんなに邪魔?」
眦に涙を溜めるセリナを俺は引き剥がせなかった。
不味いと思うのは遅過ぎだろう。
どうやら先月まで花畑だった場所で俺は知らないうちに、埋まっていた吹き溜まりのような花火を幾つも踏み散らかしてしまっていたようなのである。残念ながら今の俺にはそんな荒地へ植える花を持ち合わせてはいない。
二つ年下の、俺よりも背の低い細身の幼馴染みに俺は気圧されて後ろ足で蹴った椅子がガタンと音を立てた。
「……」
セリナの見上げるようにして向けられる視線が、俺の居た堪れなさを煽り、一言もないまま時が流れていく。
そうして、先に口を開いたのはセリナだった。
「何で裸だったの?」
今、それを聞くのか。
思ったことが口を突くのなんとか堪え、代わりに愛想笑いを浮かべた。
「……ぁ、いや、……なんだ、ずっと家に居るし、外に出ることもないからさ。服着てるだけで洗濯しなきゃならないだろ?面倒だから、ベッドの上で布団に包まってそこでずっと考え事してれば良いかなって」
「良いわけないでしょっ!」
「すいませんっ!!!」
発言権を得てようやく呼吸が出来た俺は、気不味い空気を紛らわそうと舌を回したのだが、すぐに一喝された。
すると。
とんっ、と俺の貧弱な胸板にセリナが拳を下す。
とんっ。とんっ。とんっ。とんっ。
何度もセリナは俺の胸を叩いた。
思ってみれば、セリナがこうして俺を捕まえて感情を曝け出すなんて本当に珍しい。
笑ったり、泣いたり、怒ったり。
そんなのはよくあることだったが、今日の彼女はそのどれとも異なる気がする。
そう思うと、片手で胸を押さえて俯くセリナが急にしおらしく見えた。
やはり。
こんなセリナを見るのは初めてだ。
……それはそうだろう。だって、そうなることを避けていたのだから。
こうなる前に、俺は面倒だからといつも逃げていたのだ。話の流れを察し、話題を逸らし、茶化して、雰囲気を壊して姿をくらませていた。
だってそうだろう?気が触れている少女を諭すのは骨が折れるってものだから。
まったく。
今の俺に逃げ場所は無かった。
「……分かった。ちゃんと話聞くからさ。泣くなよ」
すんすん鼻を鳴らし、床を雫で濡らすセリナの頬を拭った。
正直言うと、真面目にセリナの話を聞くのも初めてかもしれない。頭の片隅ではいつも自殺の方法を考えていたからな。もしかしたら、時折、場違いな相槌も打っていたかもしれない。
聞いてないだの、見てないだのとは、セリナの観察眼にも天晴れである。
「……ありがとう。でも、その前にお兄ちゃん、お風呂入って来て。臭い」
ヒドイ……。
俺はなんとも言えない返事をし、身体を洗いに行くのだった。