第五話 〜〜魔法がよくわからなくなったんですけど〜〜
もう二度と魔法を飲み込むのはやめよう。
特に、自然現象を間接的に操作する奴は特にやめておこう。
そう胸の内に決意したのはもう、一月も前のこと。
あの後、情けないことに腹を下し、一週間ほど腹の調子を壊してしまったのである。今はもう、寝込んでいたお陰で調子はすっかり戻っている。
ではなぜ、二週間も更に家に閉じこもって布団に包まり永遠と虚空を見つめているのかというと……。
それは単に魔法を使って得た結果が急速な下痢作用と、それによる二次災害で自身に多大なる羞恥心を植え付けることが分かったからであり、実際、もう立派な大人の仲間入りとされる年に成長した俺は、前世の年齢と合わせてとても恥ずかしくて外に出られる気分になれないからである。
いや、漏らしたのを幸い誰かに見られたわけじゃないんだけど。でもさ、川辺で一人下着とズボンを洗う哀しさと言ったら、ね。
「何で俺はまだ生きてるでしょうか……。社会的に死んだも同然なんすよ、これ。なんで、あれで死ねなかったんだよ」
胃の中でとんでもない威力を発揮する魔法を使ったというのに。
ショックで体を動かす気力すら湧かない。
「核爆弾並みの作用が起きるはずだったのに、どうなってんだよ。下痢が怖くてもう一回やる気も起きない。いっそのこと核爆弾か、放射能液を飲んで死にたい」
魔法でなく、科学ならこの体に多少なりとも致命傷を与えられないだろうか。
しかし、この世界には科学の発展はとても脆弱で、世界の基準となる考えは全て魔法を基点として考えられているのだ。故に、この世界には電子部品や精密機械などない。
どうしてこの世界は魔法技術がベースになったのかと言うと、単に魔法現象を引き起こすエーレアが発見されたからという訳ではなかった。
人は頭を使わない限り、当たり前を当たり前とし、それについて何故という疑問符を付けない生き物だ。
分かりやすい例で言うなら、ニュートンが適切かもしれない。
ニュートンが重力という力の作用を提唱するまで人々は地面に足を着いて歩くのが当たり前で、物を手放せば下に落ちるものだと思っていた。だれもそこに不思議を感じなかった。そういうものだとしていたのである。言われて初めて人々は固定観念の視点を動かした。
つまり、この世界は文明が発展する前から一早くその固定観念を捨て去ることに成功していた世界なのである。
その発端となったのは、【火】である。
地球の歴史でも火は重要なファクターだった。火を扱うことが出来たから人間は生き延びることが出来たとさえ言われている。
この世界はその火との関わり方が違っていたのである。
火が持つ効果を解明したのが俺たちの世界だったとするなら、火という実態を解明したのがこの世界だ。
え?どうゆこと?日本語でおk……。
そう思うかもしれない。
みんなは火のことをなんだと思っているだうか?
物体の酸化現象に伴う燃焼反応とでも考えているだろうか?
残念ながら、そう言うことじゃない。
それは火を捉えきれていない答えだ。
火とは何か。
それを説明できるだろうか?
答えはノー。
完全解明は現代では不可能。
実際問題、地球では火という実態が何なのか分かっていないのだ。火の通電実験を用いた仮説としては、プラズマだろうという説が濃厚らしい。しかし、そこまでである。言明は出来ていない。
一方、この世界ではエーレアという特殊物質の存在により、その正体は明らかになっている。
火は人間が最も原始的に引き起こせる最古の魔法である、と遙か昔の研究者が解き明かした。火を象っている実体は、エーレアの持つ電子の位相転換が行われている反粒子なのだそうだ。エーレアの魔素の持つ価電子、いわゆる魔荷の存在をその時から観測し、解き明かしていたというのだから昔だなどとは侮れない。
そうして、この世界は火が魔法の一種であるということを基準にし、魔法技術を発展させていった。火が生み出す力に執着せず、火を生み出す力に視点を置き、追及したのだ。
地球の場合、火から生み出す力を用いて産業が発展していったというのに……。
俺はこの事実を知った時、たった一つのモノの捉え方でこうも答えが違うのかと感心した。エーレアという物質は本当に地球に存在しないのか?そんなことも考えてしまったほどだ。
魔法に関する研究技術は目を見張るものが多く、あのニュートリノでさえこの世界は容易に観測していた。それこそ、地球では謎多き物質だ。ニュートリノとエーレアの関係性はとても密接で、だからこそ人は魔法を使えるのだと証明されている。
だがそうであっても、やはり暮らしやすさは地球の方が上なのは否めない。なぜそう思うのかは現代人なら分かるだろう。異世界で暮らすとなると、前世の記憶が邪魔になることが本当にあるんだよ。ほんとーに!
それでも電子機器一つなく、挙句、自転車すらないレトロなこの世界は、どうしても馬鹿にはできないのだけれど。
「魔法が使えたって電子機器作れないし、そもそも部品ないし、半導体とかどうしたらいいんだってハナシ……」
ライターほどの大きさの火を指先にポッと出す。
法則に従ってエーレアをコントロールすれば魔法なんて簡単に使えてしまう。魔法という法則もそうだが、よく火の解明に時間を費やしたよな。
師匠曰く、物事の見方はあるがままをただ捉えるのではなく、存在そのものを理解することが大切。なのだそうだ。
物の見方。それは表面的な情報のことを言う。つまり、見た目で判断できるのはその事物の【状態】まで。
では、もう一つ。
存在そのものとは、内面。その【成り立ち】を理解するということ。
ーーー事物を成立させている内容を解き明かせ。
言うのは簡単だが、それが最大の難点なのである。
対象から得られる情報の大半は、目の前に起こる事象からである。内包している性質までを見透すことなんて初見はもちろん、時間を掛けたって出来ないことさえある。
「……完全に人の領分を超えてるっての」
この身体、人類よりも上位の存在が作ったんだぞ?どうしろってのよ。
昔は怖くて反論できなかったが、今師匠がこの場にいたら真っ先に口を挟んでいるところだ。
俺の体は、頑丈で傷一つ付けられない。寿命があるかどうかもわからない。であるからして、故に死ねない身体、と俺は考えている。
しかし、先月の自殺で死ねなかったことを考慮するに、単にそれだけではないことが明らかになってきた。いや、浮き彫りになってしまったと言ったほうがいいか。
エアルストラスト現象を胃袋の中で起こしたというのに、腹を下す程度しか影響がなかった。
おかしいどころの話ではない。
どういう理屈でそうなったのかさっぱりわからない。手のつけようのないブラックボックス……。
魔法発動による効果が、まず俺の体に然程の影響を与えられなかった。体内のエーレアと体外のリーフすら魔法に強制吸収され、人体の循環限界を超えた量のエーレアが体に雪崩込んだ筈である。普通なら体内外のエーレアを一気に失った時点で脳に多大な損傷を与え、死に至る。しかし、俺はずっと意識を保ったまま一歩も動かず、直立不動だった。
そして更に、本題のエアルストラスト現象自体の影響を全く受けていなかった件について。
消失したエーレアを急速に回復しようとするエイレンパルス作用により、枯渇状態から一気に飽和状態へと変動するエーレアは価電子の異常反応を引き起こし、光の粒子へと形を変えながら衝撃波を伴い一帯を破壊していくはずだった。だが、その影響すら人体の外に出ることはなく、胃の中に収まってしまっていた。
俺が周囲の環境を気遣って障壁を張った距離までだいたい五十歩くらいだけれど、エアルストラスト現象により破壊の跡が残されたのは、俺を中心に両腕を伸ばした程度の範囲のみ。周囲のエーレアは魔法によってしっかりと変動していたようだが、何故エイレンパルス作用が途中で収まってしまったのか全くの不明だった。
何がどうして?
本来であれば、人体がエーレアの影響を受けて細胞諸共光の粒子へと丸ごと返還され、それでも尚有り余る衝撃は障壁まで一瞬で届き、辺り一帯を見るも無惨な光景へと変えているはずだった。
「…………」
予想される現象と影響が全て違った。
腹を下すだけだなんて、そんな馬鹿なことがあるはずがない。
ユーストラル限界の可能性も低い。そもそも、パラグラムエンドブラムは半永久的術式であり、スタンドアローンだ。魔法発動に敢えてスターターを用いたが、俺の力を注いだのはそれだけ。術式に通うエネルギーは俺の意思は反映されていないはず。それに万が一、ユーストラル限界が胃の中で発生していたとしても、エアルストラスト現象はその範疇に無い。現に小規模ではあったがエアルストラスト現象は発生していた。第一、体内での魔法発動のコンフィデンスは過去、既に試して失敗している。その原因こそ、ユーストラル限界だった。
……あの失敗は忘れよう。
エアルストラスト現象は地面を穿つ他に、俺に作用していたものがあった。
発生直後、視界の揺らぎ。
胃の中でなんとも言えない、圧力のようなものを感じた。
だが、それだけ。
何が起こってそうなったんだか。
死を予感させる痛みなど感じもしなかった。
だとすると、こう考えるしかなくなる。
この身体は、何らかの法則を捻じ曲げている。または、事象を何らかの法則に従って変換しているかだ。或いは、魔法とは違う別の法則が働いているか……。
仮説がファンタジー過ぎてアホみたいだ。
こんな仮説を立てることになるなんて、本当に厄介な体である。
「この体……寿命はあるといいなぁ……。無限に等しかったらどうしよう……、心が死ぬわ…………」
俺の意識を閉じ込めるこの身体は、まさに生き地獄を味合わせる檻だ。
神の目的が全く分からない。
分からない。
ーーー分からない。
ーーーーーーーーー分からない。
すると、扉の方から声が飛んできた。