悼み也や
朝。
変わらない蛍光灯と、繋がれた点滴が見える。
パイプ椅子に、一枚の手紙が置いてあるのに気付いた。
それは、初めて見る手紙だった。
いつも通り雑誌を眺める。
落ち続ける滴、周囲の談笑。
光が差し込む窓際が鬱陶しくてカーテンを閉めてもらいながら、私は、怠惰に生きる。
年々白く細く生きる気力とともに何かを失っていく細腕を見ながら、今日も何かを吐こうとして吐けずにいる。
なぜ人は生きるのか。
私が生きる価値はあるのか。
今日も答えは見つからない。ただ、眩しい日を遮りたい。
その日。
その時間。
何時ものように、訪問者が来た。
「遅れたか?」
竹刀袋を肩に掛けた、年以上に大人びた私の師匠。
大兄ぃこと、青名続
兄貴のクラスメイトであると同様に、小学生からの知り合いであり親友。
その剣筋は天部の際と言われる程に鮮やかであり、身のこなし方と力強さは芸術の域であるとまで言われた天才。力のこもった太刀筋と、細やかな技術で他を圧倒するセンスは、その界隈でも知らぬものが居ないらしい。
確かに、鮮やかな手際だった。
素人が飲み込み、それが生きがいとなる程に魅せられた。
私は屈託のない表情を見せ、何時ものように手を伸ばす。
「大兄ぃ。十分の遅刻だよ?」
「十分は遅刻の反中じゃねえんだよ。ちょっと野暮用があってな。人様を助ける慈善活動って奴は、御奉仕の精神って奴が必要なんだよ。まあ、なんつうかな。時間さえも奉仕した結果がこのありさま。……って事。おk?」
「ノット、おっけー」
兄貴の事を尋ねた。
兄貴は如何やら、野暮用があるらしい。
「厳しいお弟子様だな。……体調はどうだ?今日はまだ血を吐いていないか?」
大兄ぃが幼いころからの知り合いであるのは私も同様だ。兄貴同様、殆ど欠かすことなく病院を訪れていくれている。たくましい剛腕がいつも通りに花瓶の水を変える度、私は何時も笑ってしまう。
おとぎ話の獰猛そうで優しい怪物だと生意気を語ると、ぶっきらぼうに謝る。
「そんな頻繁に吐いているみたいに言わないでいただきたいです。私だってこれでも最強に元気だからね。今日だって、スニーキングミッション成功していたし」
「また購買まで言って来たのか?」
「そんなことしたらスキンヘッドに殺されるでしょ」
「それもそうだ」
元気である事を言葉で証明し、私はパイプ椅子を勧めた。
荒々しく座った大兄ぃは、足を組んで竹刀袋を傍に置く実物が収まっているらしい。真偽のほどは不明だけど、そんな話さえ私を楽しませる。
そんな話さえ。
私の生きる理由は2つある。
「調子はどう?大兄。県大会で、ヤバい奴とやり合ったって聞いたけど?」
「ああ。あの坊さんな。何も問題ない無かったぜ。右手が吹っ飛んだ以外は軽症だ」
「じゃあ、今大兄ぃの右腕はサイボーグなんだ。カッコいいね」
「無様な試合だった。お前に誇れる師匠としちゃあ失格だった。……スマンな」
「何を謝ってんの? 大兄ぃ。私は見られなかったけど。大兄は頑張ったんでしょ?」
「……ああ。頑張る事が何よりも大切だ」
人が生きる理由は人の数だけ違う。
そう誰かは言っていた。それによれば、私が生きる理由と、私の家族が生きる理由と、大兄ぃが生きる理由は違う。
「それよりも、大兄ぃ。私。ハーゲンダッツが食べたい」
「スキンヘッドに俺が殺されるな」
「いーじゃん。ちょっとくらい。私こんなにも元気だし」
「俺も自由奔放のお前が見たいんだがな。それは駄目だ。お前の元気は対外、ギリギリですよって言っているようなもんだからな。
バニラアイスをイチゴ色に染めて見ろ。俺がお前の兄貴に刺される。自分の兄貴を殺人犯にしたくないだろ?」
「大兄の脅し方って、中々に風流だよね」
「風流とはなんだ。風流とは」
「とっても面白いって意味だよ。大兄ぃ」
明確に違うらしい。
私の矮小な心臓が動いている理由と、大兄ぃがこうして生きる理由はどうしようもなく違っていた。
誰もが憧れるようなヒーローは、折れる事も無く結果を示し続けている。それは一度の敗北で折れる事は無く、私が勇気づけなかったとしても、自身の努力を怠る事は無いだろう。
対して私はどうだ?
私が生きる明確な理由はあるのか?私は何かを成して、この生に君を残し続けているのか?
私はきちんと生きているのだろうか?
「ねえ。大兄ぃ」
「ん?」
「私が生きる意味って、あるのかな?」
いろいろ不安はあるけれど、私はソレが怖かった。
私が、生きている理由は……。
「お前は十分に、俺が生きる理由だよ」
「……ありがと」
「お前の兄貴の方が、大半だろうがな。……家族ってのはそういうもんだ。お前が生きる理由があるのなら。
それは、お前が想っている以上に生きる理由だ。……だから、八重。
諦めるなよ。少なくとも、お前の家族はお前を諦めていない」
「大兄ぃ」
言葉は何時までも希望をくれる。
だけども、摺り切られた言葉は意味を無くしていく。
幾分も投げられた言葉は、私の心に響いてくれない。
「やっぱり、次郎がいい」
「それは止めときなさい」
また、濁した。
そんな自分が嫌になっていく。
夕刻。
日が落ちて、烏が鳴く。
雑誌を眺めていた大兄ぃが、壁際の時計を気にし始めた。
どうやらもうそろそろ時間の様で、それに気づいた私は声を掛ける。
「……そろそろ帰る?」
「ああ。ちょっくら事があってな」
「修行?」
「実務を兼ねた修行だ。……お前にはちょっと早いからな。もう少し、大人になったら話してやるよ」
「私も、大兄ぃの修行をしてみたいな」
それが何なのかを知らない。
だけども、それはきっと悲しい事なのは知っていた。
「八重。一つだけ言っておく」
大兄ぃがこちらを見て居た。
その表情がすごく怖くて、いつも通りに見えない。
それは師匠としての言葉か、それとも本心なのか知らない。
唯、それは何時も通りではなかった。
「もし、生きる選択肢を見せられて、それがどんなに眩しいモノであっても。……お前だけは変わるな。化け物だけには、ならないでくれ」
「……何それ」
「……いや、ゲームのセリフだ。超次元マッスル兄貴対戦って格ゲーの。今度調べてみろ?超絶笑えるぞ?」
「大兄ぃの笑える。は、当たり外れが多いからなぁ」
私は笑ってごまかす。
私だけは変わらずに居る。
私だけがいつも通りだ。
「大兄ぃ」
「なんだ?」
「私の生きる理由だって。兄貴と、奈々と、大兄ぃだよ」
「光栄だよ。弟子」
「だからハーゲンダッツ」
「駄目」
私は今日も何も成せない。
大兄ぃに用に打ち込む事も、兄貴の様に頑張る事も。
それでも私は誰かの理由になって、私を必要だと答えてくれる人はいる。
痛みが走る。
それが来る。
その度に、私は羨ましいと思ってしまう。
いろいろな事が出来たはずだ。
細腕を握りしめ、痛みを包み隠した。
私は、ソレでも生きている。
もし私が、人じゃなくなくっても。
私が手を伸ばして、何時ものように声を届けたのなら。
それは何時か、届くのでしょうか?