血が這う家族
時刻は六時を過ぎ、日が落ちる気配はまだない。
紅い雫は点々と落ちる。
一定のリズムで刻まれ、テンポよく続き、それは決して尽きる事は無い。
その状態を吸血鬼だと例えたのは何時だろうか?それが吸血鬼だなどと笑っていたのは何時頃だったか。それすらも曖昧になって、現在進行形で繰り返される毎日をどうにかできれば、その誰かはもう少しまともに過ごせただろう。
それを彼女に言う事は無い。
肩代わりが出来るのなら。……そんな思いだけが日々募る。
「あっ、兄貴じゃん」
彼女は、悪戯っぽく微笑みながらその細腕を此方に延ばす。
二人部屋に当てられた彼女は、腕を振って此方にアピールをするのだが、その先には赤く細い血管のようなモノが繋がっているのが分かる。消毒液の何とも言えない香りと、人が織りなす喧騒。それは何時まで経っても変わらない。
静かであるはずの病院は騒がしさで満ち溢れている。
今日も、何処の誰かも知らない隣人が死んだらしい。
「元気そうだね。八重」
「超元気。このまま退院できるくらいに超元気」
そんな事を言って、パイプ椅子を指し示す八重。その様子は言葉通りに晴れやかでは有るが、その体は遜色なく健全ではない。
それを一番に理解しているのはほかでもない自分自身だろう。
それを理解している上で彼女はその表情を続ける。
短髪の妹は、日に日にその血色を白く彩を無くしている。
その癖、向ける表情は毎日変わる事がない。
元気だと言葉を向けながら、それとは対照的に体は衰えていく。
さわやかな表情を。
曇りさえ見えないその顔を。
「そか。良かった……ん」
「それよりも雑誌ある? やっぱつまんなくてさ! 大兄いも来てくれたんだけど、直ぐ帰っちゃったから」
「続が?」
「何でも、最近習い事に励んでいるみたいだよ? 弟子を放っておいて楽しい事しているんだって。だからモテないんだよ、兄貴と同様に」
青名続
俺のクラスメイトであると同様に、小学生からの知り合いであり親友。その頃から剣道を嗜んでおり、その腕前は剣道雑誌に取り上げられる程だ。試合を観戦した八重は、その技と迫力に魅入られ、いつの間にか弟子入りをしたらしい。
言葉だけの師弟関係だったが、その関係は今でも続いている。
「俺はモテモテなんです。アレと一緒にしないでいただけますかな?」
「……ほんとうかなぁ。ま、そーいうことにしておきますけど。……ね、兄貴」
「ん?」
「手、握って」
「ん」
か細い腕を取った。
気丈に振舞っていた身の丈以上の表情は、曇りなき晴天の様だった表情は其処にはなかった。それを見ないように目を伏せ、言われるままに手を握り続ける。
冷たい細腕には生気が無い。
それでも、それを温めるように手を重ねる。
圧し潰されるような現実が圧し掛かる。
それを認めたく無いからこそ、力は入る。
「これは今でも夢じゃないよね」
「ああ。紛れも無い現実だよ。大丈夫。お前はまだ生きている」
「……ならいいや」
いつも通りの言葉をかけ、俺は離れた。
年相応の不安を抱えている。それは気丈に振舞ったとしても現れる。それを理解して吐き出せるのは、ほかならぬ自分以外に居ない。
それは責任であり義務だ。
「ごめんね、手間かけて」
「気にしないで。それが俺の務めだからね」
魔法使いなら、全てを解決できると思った。
だが、彼等もまた全能ではない。有限だからこそ限られていて、限られる最善を求めている。
俺が魔法使いの弟子になった理由は此処に有る。ただでさえ停滞化する絶望を変えたかった。
毎日、変わらないように努める妹を、普通にしたかった。
それに犠牲が必要であったとしても、その犠牲が己一人程度なら払うつもりだ。
「兄貴。今の言葉はモテポイント高いよ」
「好感度をポイント化すんな。」
「兄貴。私、ハーゲンダッツが食べたい」
「元気になったら買ってあげるよ」
「超元気なんですけど?」
「超元気な奴に俺が見えたらね。医者を殴っても連れ出してやるけど。今は違うでしょ?」
「……ムウ」
「そんな顔をしてもだめ。だから」
現実は甘くない。
それをこの一年、身をもって知り続けている。
人は完璧になれない。神様だって怪しいのだから。解決法の兆しさえ見えなく、絶望だけが埃のように積もっていく。それでも考える事も、諦める事も出来ない。
時間は殆ど無い。
やれるべき事をしなきゃいけない。
「また明日。妹様」
「しょうがないなぁ。あ。今度あやしげも連れてきてよ?」
「あやしげは病院内で禁止されてんの。アイツは衛生的じゃないから」
「清潔です。ちゃんと毎日シャンプーしてるんでしょ?」
「それに、猫アレルギーで殺人なんてしたら俺が捕まる」
「捕まらないように努力しなさい。兄貴」
これ以上の努力を重ねれば、八重が普通になるのなら。
それでも笑って努力を重ね、何時か俺は普通に戻す。
「そんな努力はしないよ。んじゃ」
「……もうちょっといなよ、兄貴」
実に、鮮やかさを含めながら。
実に、不安の一切を持ち合わせていないように振舞う。
八重は、何時までも変わる事が無い。
「やる事があるんだよ。お兄様にはね」
限りない努力を続けよう。
有限の、時間の為に。