十組目(交渉人)
拝啓、婚約破棄されましたけど元気です
「それでは、双方合意のもとでの婚約の解消でよろしいですね」
「いやいやいや、ちょっと待って。話が違うでしょうよ」
そう言って異を唱えるリリがアルの交渉人の前に立ちふさがった。
彼を睨みつける大きなブルーの瞳は全てを凍りつかせるように冴え冴えとしていた。
気の強そうな赤毛は巻き毛で、いくらブラシでといても、まっすぐに伸ばそうとしても直ぐ戻ってしまう。本人と一緒で強情なのだ。
年より幼く見える愛らしい顔をしていながら、幼馴染のイネスの交渉人(見習い)としてこの場に立っていた。
本来ならまだ単独交渉はできないのだが、マスター(上司)より委任状をもらっている。
もちろん、幼馴染の依頼ということで気合は入っていたが、ここで結果が出せれば下級交渉人になれるとあって気持ちの入り方が違っているのだ。
「これは、アル有責の婚約破棄だし。慰謝料発生物件よ。聞いてないの?」
アルの交渉人が、困惑した顔をしてアルの顔を覗き込む。
目が泳いでるアルの淡い茶色の髪は今流行りの髪型で服も当世風だけど、商人の息子にしては愚直すぎる。
親の決めた婚約とはいえ、商団の嫁となるべく、見習いがてらアルの地元に居を移したイネス。
その時に婚約破棄で落ち込んでいた私を、イネスが専属の交渉人として同行を勧めてくれたのだった。
その私が、まさか今ここでイネスの婚約破棄に立ち会うとは思わなかった。
「もしかして、話してないの?本当のこと。だとしたら交渉人法違反で、今後、あんたは交渉人を立てられなくなるけど。いいの?商団が交渉人なしにこの先商売できるわけないでしょ?」
アルの顔色が青くなる。どうもそこまで大事だとは思っていなかったようだ。
『だから女に付け入れられんだよなー』イネスもあきれ顔だ。
「このままそちらの彼が違反で訴えることも可能だし、リリが訴えてもいいけど、おじ様の顔を立ててあげるから、今、話し合いしてくれば?あなたもそれでいいかしら」
イネスは面倒くさそうにアルの交渉人に提案すると、憮然としながらも、アルと共に別室へ向かった。
「いや~、ここまで世間知らずとは思わなかったよ」
「本当。親が決めた婚約者とはいえ、この地方では割りと大きい商団だし、おじ様には懇意にしてもらってたから……。正直、これほどまでとは思わなかったわ」
出されたお茶お飲みながら、お菓子をほうばるイネス。
気さくな仕草とは裏腹な、うっとりするほど綺麗なストレートで、プラチナブロンドの髪をしている。瞳は青といってもリリとは違うアイスブルーだ。
美人で大人っぽい雰囲気のイネスは、幼い時からリリの憧れだ。
「それよりアルの相手ってどんな人?見たことある?」
「うーん、あるけど」
そのまま黙ってしまったイネス。しばらくして重い口を開く。
「学校で一緒だった『聖女のダフネ』って覚えてる?」
「あー、あの『壊し屋ダフネ』」
了解しました。
聖女を思わせるような儚げで清廉な雰囲気のダフネ。
私たちの関心が恋愛に傾く頃、彼女の評判は一変した。
彼女が関わったカップルはことごとく別れるのだ。ダフネのせいで。
清楚な美少女の仮面に大概の男はだまされちゃうのよね。
私もやられた口だから。未だに思い出したくない黒歴史。
婚約中の彼を物の見事に略奪されましたよ。
イネスと違って、一応恋愛の末に婚約したから、結構引きずりました。
というか、まだちょっと引きずってるかも。
ダフネって別れさせた後、その男と付き合うわけじゃないんだよなぁ。
略奪すれば彼女の興味は移り、男はあっさり捨てられる。
ペレラもせっかく私と別れたと思ったのに、直ぐダフネに捨てられてた。
大方『そんなつもりじゃなかったの』とでも言われたんじゃないのかな。
ダフネの噂は知らない訳でもなかろうに、騙されるなんて救いようがないよ。
俺だけは違うって思っちゃったのかな?そうだったなら、その自信はどこからか聞いてみたかった。
ま、私はその後、イネスについて王都を離れることができたけどさ。
ペレラは今も同じ街にいる訳だけど、どうしているのかな?
「見た目も雰囲気もあんな感じ」
うんざりしたようにイネスは言う。
「そういえば、ダフネってロチャ商団の次男坊と婚約してなかったっけ?」
「そうなんだけどさ、破談になったよ」
婚約してるのに、いつもの悪い癖が出てうちの従業員の婚約者に手を出したのがバレて、婚約は破談、すったもんだの挙句、年の離れた辺境の金持ちの後妻に送り込まれることになったとイネスから聞いた。
「ん?ちょっと待って!もしかして、その従業員って私のこと?」
「そうだよ。じゃなきゃ、見習い中のリリをこんな所まで連れてこないって」
イネスってば涼しい顔をしてえらいことを言う。
「前から問題あったからね。今回は上級交渉人のウーゴさんにきっちり締めてもらったの。リリのことだから、もういいのとか言いそうだったんで」
「おかげでトラブルメーカーを嫁にもらわずに済んだってロチャ商団から感謝されたみたい。その後の西地区の取引が有利にできたってウーゴさん喜んでたよ。
で、ついでにダフネの家から慰謝料とロチャ商団からお礼の品をもらっといたって。王都に来たら手続きしてって言ってたよ」
どうりで。ただの見習い交渉人が、いきなり幼馴染とはいえトバル大商団のお嬢様に単独同行するって、普通はありえないもの。
「ハァ~。でも慰謝料とかって助かる。さすがはウーゴさん。結局、ペレラからはあんまり貰えなかったから」
私たちの話が一区切りついた頃、彼らは戻ってきた。
アルはかなりしょげた様子で、交渉人にかなり絞られたようだった。
『自業自得だよ。いつも自分のいいように話が進むわけないじゃん』
アルの交渉人って中級って言ってたけど。アルの家のお抱え交渉人じゃないのかな?
よく見れば、着てるのはアルの家のお仕着せじゃない。
チョコレートをもっと濃くしたような色の髪の毛も、商団のお抱えにしてはラフすぎる。
けど、猛禽類を思わせるような金色の目が目を引く、ちょっといい男だ。
おっと、いけない。交渉に集中しなきゃ。イネスに不利な条件で署名なんてさせられない。
———二時間後、ほぼ、こちらの条件で婚約破棄と慰謝料の請求ができた。
当たり前だけど、こちらに非は一つもなかったし、その割にペナルティが軽かったからだ。
イネス曰く———父親の親友であるおじ様を思ってのことらしい。
それと、憶測なんだけど、交渉人の彼が、上手くこちらよりにアルを誘導しているような気がした。
交渉を早く切り上げるのも交渉人の務めだから、依頼主が大損しない限り、押すところと引くところの見極めも腕の見せどころになるのだけど......。
「あ、それと、ギルドのパーティーに貸し出ししている付与魔法のついた剣とか鎧だけど、あれ、嫁入り道具の一部なんで、返してもらうわね。もし、今まで通り貸し出したいなら、使用料の7割払って」
交渉も大詰めになった頃、イネスが言った。
付与魔法のついた武器全般は、イネスが嫁入り道具の一部として持ってきたものだった。
ダンジョンが数多くあるこの地方で、高価な付与魔法のついた武器や防具の貸し出しは、いい商売になった。イネスは手始めに、近隣のギルドに交渉して始めた事だが、今ではアルの実家、ホルヘ商団の主要部門になるほど急成長した。
「そんな、暴利だよ」
「引き上げれば0ですけど。そちらの方が良ければそれで」
部屋の空気が凍りつくような冷めた口調でイネスは答える。
人の善意にすがりつく男ってイネスが一番嫌うんだよなぁ。
「買い取りたいっていうなら、中古扱いでこの値段なら」
そう言って提示した金額にアルは目をむいた。
いや、その金額は妥当だと思うよ。むしろ、安いっていうか。
アルの顔が引きつり、今更ながら逃がした魚は大きいと思っているのかも。
「私も、この値段なら妥当だと思いますよ。むしろ良心的というか、安いと思います。何もしないで3割の収入があるならいいんじゃないですか?今まで、ただ同然で手に入れたもので商売してた訳ですし」
アルの交渉人が辛辣。怒ってるのかな?やっぱり、嘘の申告をして交渉させようとするなんて、交渉人のプライドがズタズタよね。
アルが黙って頷いたから、すかさずそれも条件に書き入れた。
言っちゃなんだけど、イネスは私と気さくに話しているけど、平民とはいえ王都を仕切る大商団のお嬢様。そこらの田舎貴族が太刀打ちできないほどの権力とお金を持っているのだ。
今度の婚約の話だって、アルとイネスの父親同士が親友でなければありえない組み合わせだということに今更ながらに気がついたか。遅いけどね。
「それと、ホルヘ商団は今日限りで辞めます。わかるよね、元婚約者がいつまでも側にいたら、彼女にどう思われるか」
「これからはアルの未来の婚約者を仕込むしかないよ」
アルの父は今回のことを重く見て、後継は弟に譲ると言っていたが、短気を起こさないようにイネスが頼んでいたみたい。
が、今みたいなことをやっていると跡取りも危ういだろうな。
交渉はすべて終わり、こちら側の満足のいくものだった。まあ、イネスの寛容さがあったおかげだけど。
二人が署名をし、私と彼が交渉成立の魔法をかけて終了である。ご苦労様。
表に出ると昼はとうに過ぎていた。
イネスと、お昼はこれからどうしようか、買って帰る?という話をしてると
「ねえ、リリはこれからどうする?私は、いま進めてる事業のことで王都に戻るけど、交渉はウーゴさんより上の人に頼む事になると思う」
ちょっと言いずらそうに告げてきた。わかりますよ、自分の実力くらい。なんたって(見習い)ですからね。
それにしても、イネスは仕事をしてる時が一番輝いてる。本当は、今は仕事が楽しくて、誰とも婚約なんかしたくなかったのかも。
「先ほどは、ありがとうございました」
不意に後ろから声をかけられた。アルの交渉人だった彼だ。
「別に何もしてないわよ。違反したのは彼。あなたは巻き込まれただけなんだし」
イネスは肩をすくめて言った。
「そうは言っても、見抜けなかった交渉人を雇う人はいないと思うけどね」
自虐的に彼は言うと無造作にポケットに手を突っ込んだ。
仕事用のカードを二枚取り出すと、私とイネスに渡した。
「王都の人だから、もう会うことはないと思うけど、何かあればよろしく。最近、独り立ちしたばかりなんだ」
カードには中級交渉人『ダリオ=メルカド』とあった。
「そうだ。リリ、彼にお茶をご馳走になりなさいよ。今日のお礼に。私は直ぐに王都に戻らなきゃいけないけど。マスターには1週間ほど休んでから戻るって言っとくわ」
「ちょっと、イネス」
言いたいことを言うだけ言ってイネスはあっという間にいなくなった。
『もう、縁結びでもしようっていうの?』
ダリオと二人取り残されてしまった。
「「あの——」」
同時に声が出て顔を見合わせて笑った。
「もし、時間があればお茶をどうかな。それとも遅い昼食の方がいいかな?お礼もだけど王都の話が聞きたくて」
はにかみながらお茶に誘う彼が、なんかかわいいと思った。
イネスが辞めた今、ホルヘ商団にいる必要もなくなったし、1週間ほど休めって言われたし、お茶くらいならしてもいいよね。
だって、今の私は婚約破棄されてフリーなんだしさ。
名前のご指摘ありがとうございました
途中で名前変えると碌なことがないと痛感しました
(他にも多数ありました)




