一組目(初恋)
あの頃は自分がいずれ女王になり、
心のままに生きることが許されないとは
「それでは、双方合意のもとでの婚約解消でよろしいですね」
半ば呆れ顔を隠そうともせず枢機卿が婚約者である、ガヴェン卿に問いかける。その横では法務部の長官が部下に婚約解消の書類を持参するように指示をしている。
「仕方がないけどね。君がリリアベルにもっと敬意を表して、側妃として迎えてくれるなら、こんなことはしたくなかったよ。僕だって王としての立場ってものがあるわけだし。リリアベルが産んでくれる僕の子供が庶子ってありえないと思わなかった?」
リリアベルか。ガヴェンに女がいることは、とうの昔に暗部より聞いてはいたが、国の重鎮が集まる円卓会議に、呼ばれてもいないのに押しかけて軽忽な提言するとは思わなかった。
とは言え、ここははっきりと告げるべきだろうとタティアーナは思った。
「何を酔狂な。其方は王にはなれぬことはわかっておろう。あくまでも王配として私の隣に立つことを許されただけだと。この国を、この王家を継ぐことができるのは私の産んだ子供だけで、其方の愛人が産んだ子など認められるわけがなかろう」
「そんなことは聞いてないよ」
「婚約宣誓書に書いてあったであろう。其方も署名の時に目を通したのではないのか?」
「あの本みたいなやつ?そんなこと書いてあったっけ」
「と言うか、そんな大事なことは言ってくれなきゃわからないだろう?」
確かに、王配を選定するにあたって内政に干渉するような野心的な家門や人は避けるよう申し伝えたが、ここまで話の通じない阿呆を選んでいいとは言っていない。
しかも、婚約が内定してひと月も経たずしてこれでは。王配選定の責任者である宰相を睨むと、顔色が悪くなるのが見て取れた。
白銀の髪に白藍の瞳を持つ『冬の女王』の二つ名は伊達ではないのだ。後で言い訳を聞いてやるから覚悟しておけ。
「とりあえず今は仮婚約期間だとはいえ、正式に婚約と同じ効力があります。解消のためには、ここに署名をお願いいたします」
法務部の長官が書類を携えて指し示すと、ごねもせず案外素直に署名をしている。
その姿に本物だったのだな。と思う。しかし、王配といえども差し出されたものに素直に署名をするのはやはり問題だ。
早くに馬脚を現したのを感謝すべきなのかも。
「後で何か下賜しよう。リリアベルとつつがなくされるがよろしい」
そう言うと、嬉しそうに礼をして帰って行った。不毛だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「さて、どうするのだ?戴冠式まで一年を切ったわけだが」
宰相を睨みつけて問う。
「タティアーナ王女様、この度は誠に申し訳がございません。まさか、あそこまでとは」
「いずれにせよ、早急に王配を選定しなおさければなりません。
手続きの時間を考えれば一刻の猶予もないかと」
「誰か条件に合う者を知らぬのか?容姿だけではなく知性も必要だ」
これといった決定打のないまま時間だけが過ぎていく。
『疲れた』タティアーナは俯き加減で額に手をりため息をついた。
ふと、目前に見事な白薔薇と薄いブルーの星型の花が生けてあるのに気がついた。
『あの花は、確か……懐かしい......いや、待て。だめだ、だめだ。
昔、拒絶されたではないか。だが、わずかでも望みがあるなら......』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
馬がいれば何もいらないと言っていた叔母が、カルビオン家の後妻に入ったのは、タティアーナが5歳の時であった。
それからは、毎年夏になると避暑を兼ねて叔母の元に遊びに行ったものだった。
カルビオン家は、広大な土地に千に近い軍馬を飼っていたが、
馬体も大きく気性の荒い馬が多かったので、タティアーナは馬場の柵に近づくことさえ禁止されていた。
そんなタティアーナの遊び相手になってくれたのが3つ年上のロドアルゴだった。
自分とは違う淡黄の髪に薄浅葱の瞳が初夏の爽やかさを思わせた。
軍馬の飼育をしている家門のせいか、叔父や嫡男である長兄、叔母までも気性の強さを隠さない。
その中でロドアルゴの穏やかで理知的、それでいて温かな佇まいは異質であった。今思えば、亡くなった母君に似ていたのだろう。
子供ながらにも整った顔立ちの従兄弟に会うと、自然と頬が赤くなったものだった。
そんな幼いタティアーナの手を引いて花の名前や食べられる木の実を教えてくれたのは、彼だった。
「ティア、走ると危ないよ」
「お従兄弟さま、お従兄弟さま。綺麗な花を見つけましたの。差し上げますわ」
手には薄いブルーの星型の花が数輪、握られている。
「ブルースターだね。綺麗な花はティアの方が似合うから髪に挿してあげよう」
「私に似合いますでしょうか?」
いつも優しい目をして微笑んでいたお従兄弟さま。『お従兄弟さま』そう言って後ろをついて回った幸せな日々。
あの頃は自分がいずれ女王になり、心のままに生きることが許されないとは思わなかった。
ロドアルゴが学園に通い始めた12歳の夏のこと。
従兄弟を探しに離れに行こうとして叔母に呼び止められた。
「王女殿下、ロドアルゴは来年、成人の儀を迎えます。なれば、今までのように、殿下に御目通りいただく訳にはまいりません事をご承知おき下さい。ですが、我がカルビオン家の臣下として、ロドアルゴは殿下に忠誠を誓う所存にございます」
優しくはあったが凛とした物言いであった。
この時、私は初恋と名前がつく前に恋心を断ち切られたのを悟った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「一つ、提案がある」
皆の目が一斉に自分に向いたのを見て続ける。
「カルビオン侯爵家の次男、ロドアルゴ卿はどうだろう。家門は侯爵ではあるが、歴史は古く軍馬の産出を家業としている。ロドアルゴ卿は、植物の品種改良を天職として研究に傾注しており社交の場には出たことはない。
叔母上が嫁がれてはいるが、後添いとしてでありロドアルゴ卿とは血縁はないので問題はないのではないだろうか」
静寂。ああ、気がはやりすぎたか。
ややあって宰相が口を開く。
「確かに。カルビオン家は貴族院にも参院しておらず、軍馬の育成のみに心血を注いでいる家門。家柄、知性、内政不干渉の観点からもロドアルゴ卿で問題ないかと思います。姻戚に当たられますが、枢機卿。教会としての見解は?」
「血縁でないということで教会は問題ないが、王配として姻戚関係が問題になるのなら教会が養子縁組しよう」
「では、他に候補者がいなければロドアルゴ卿でよろしいですな。各々持ち場に戻り、そのように勧めてくれ、時間がない。散会だ」
「カルビオン家といえば軍馬の品種改良に家名をかけ、決して表舞台に出ないことで有名でしたな。失念しておった」
「確か、ロドアルゴ卿は昨年、病気に強く生産性の高い小麦の改良に成功していて、農民の覚えがいい」
「何、難色を示せば王宮に研究所の一つでも作ればよろしい」
「庭師どもには悪いが、庭園のひとつも潰して畑にしても構わんだろう」
それからは皆、水を得た魚のように各々、意見を述べながら居るべき場所へと戻って行った。
静けさの訪れた部屋を午後の日差しが優しく照らしている。暖かい。
一人残されたタティアーナは、侍女に促されるまで
ぼんやりとブルースターの花を眺めていた。
縛りをかけた短編をいくつ書けるか挑戦です。