ラスト
「うぐぅううぅ……」
年頃の令嬢が出してはいけないような唸り声を上げて悶絶するアイリス。考えすぎて頭が重くなってきたのか、大きく頭を振って髪を乱してしまっている。
「やめ……おやめなさい」
取り乱す自分の姿を見て思わず低い声になったメリアリルは、すっと立ち上がってアイリスの頭を押さえにかかった。物理的に止められたアイリスはまだ唸っている。
「このままだと最悪軟禁されていつの間にか結婚が決まってそうです……」
正直に言って、軟禁というか家から出さないようにするのはあり得るのではないかと思ったメリアリルだが、今度は床を転げまわられそうなので言うのはやめておいた。自分の姿がそんな醜態をさらしていると思うと悪夢である。
さて、今までのアイリスの話を聞いてメリアリルは考えていたことがある。円満に、とは言い切れないかもしれないが、比較的軋轢を生まない方法を。まあ、そのためには少々問題があるのだが。
アイリスの頭を押さえるのをやめて彼女の隣に座り直したメリアリルが、指を一本立てて一つ方法があると言った。
「そ、それは?」
「自立をするのです」
「……自立?」
漸く唸るのをやめたアイリスが聞き返すと、メリアリルは大きく頷いて計画の説明を始めた。
アイリスはこのまま伯父に従って生きていくのをやめたい。しかし現状、家の力無しには生きていけない。ならば、一人で生きていけるような、あるいは恋人の彼と二人でやっていけるような基盤を作れば良いのだ。
そして問題というのは、アイリスにその基盤を作るだけの能力があるかということなのだが。
「お相手は会計士の息子なのでしょう? 本人も会計士に就くのかしら」
「あ、そうだって言ってました。今はお父さんの手伝いをしながら経験を積んでるところって」
「なら多分大丈夫でしょう。いいですか、アイリス・エイミール」
ひと呼吸おいて、メリアリルはアイリスの手に自分の手を重ねた。
「事業を立ち上げるのです」
アイリスは固まった。
何度か瞬きをした後、メリアリルの顔を凝視する。
「じ、事業?」
「そうです。自立には打って付けでしょう。それに事業なら会計の知識を持つ専門職は必要ですわ。その彼を専属にしてしまえばいいのです」
「ちょ、ちょっと待ってください。それで何で事業なんですか」
アイリスは両手を顔の前まで上げて一時停止を要求する。メリアリルは、少々先走りすぎたととりあえず目的を告げることにした。
「親ですら手の出せない立場を作るためです」
親の力を借りず一から自分で事業を立ち上げるのであれば、その経営に親が口を出したとしても聞く必要はない。更に、そこで得た金銭や伝手は自分たちのものである。
言ってしまえば事業でなくてもいいのだが、メリアリルが思う成功確率が一番高いだろう方法がこれだ。
しかし当然、事業を立ち上げるのに必要なものは沢山ある。
「事業っていっても、何のですか? わたしにそれが出来る才能があるとは思えないんですけど……。それに、立ち上げるための資金だってありませんよ」
ただの一学生であるアイリスが持つものなど多くはない。金銭に関しては最たるもので、元手が無ければ事業を立ち上げたところで売り出すものが作れない。
それにアイリス自身は、自分が商売になるような才能を持っているとは思えない。しかしメリアリルは、そんなことはないと真剣な顔でアイリスの才能を指摘した。
「私は、貴女には才能があると思っていますわよ。服飾の才能が。貴女、センスがいいのですもの」
一日一緒に過ごして、メリアリルはアイリスの私物をいくつか見ていた。自分が持つような最高品質ではないにせよ出来が良い物で、アイリスによく似合っていた。他にも、ハンカチに美しい刺繍が縫い付けてあったりした。
ちなみにメリアリルは良いものを見抜くことは得意だが、好みで選ぶ物のセンスは微妙である。
まっすぐに顔を見て褒められて、赤面しながら狼狽えるアイリス。褒められると思っていなかった人に褒められてとても動揺している。
「はわ……えっと……」
「それに、裁縫の腕も中々でしょう? 刺繍のようなものではなく、かなり実用的な。普段着るようなドレスを直したことはおあり?」
問われたアイリスは頷き、自分の物ならあると答える。
ほつれなどを直す他に、着るようにと渡された服のサイズが成長により合わなくなり、糸を全て解いて布を足したりして縫い直したこともあった。相応しい道具があれば、縫製は可能だろう。
貴族の女性が社交に出るときは、気合を入れた装飾の多いドレスを着る。しかし家にいるときなど、普段はそれほど窮屈な格好をするわけではない。
本格的に教わったわけでもないので一から作るのは難しいだろうが、令嬢が普段着るようなそれほど複雑でないドレス、または既製品のリメイクという形ならばアイリスの才能を生かせるのではないか。
本来ドレスの専門である仕立屋などと競合しなくて済むということもある。
もちろん、課題がないわけではない。
手作業ということになるのでそれなりの時間とお金が掛かる。また、従業員を雇わない限りアイリスが一人で作業をすることになる。
さらに、リメイクをするにあたって使用する布や糸、レースなどの材料も必要になる。その仕入れが粗悪なものではいけないし、良質なものを仕入れるためには店との伝手も重要だ。
アイリスがもっと服飾の専門的な知識を身に着けて経験を積めば、これは成功するとメリアリルは確信している。
そしてその経験の積み方だが。
「……さすが侯爵家ですね」
メリアリルの実家には、サイズが微妙に合わなくなったものや流行りから外れたものなど、着なくなったドレスや服が沢山あるという。それらを解いて、リメイクの練習に使っても良いというのだ。
メリアリルにしてもただ捨てるにはもったいないドレスを有効活用できるし、悪い話ではない。
長期休暇の際に泊まり込みでもさせて勉強させれば、上達するのではないだろうか。前提としてアイリスにやる気があればの話だが。
「勉強をさせてもらえるのはとても助かります。……でも、それじゃあお金は稼げませんよね」
「上手くできたものがあれば、私が買い取りますわ」
まずは、資金を集めるためにメリアリルの服や小物をリメイクして買い取ってもらう。それがある程度貯まれば、事業を立ち上げる。ちゃんとした腕があれば贔屓にしてもいいし、経営が不安ならメリアリルの実家が贔屓にしているアドバイザーを先行投資として付けてもいいと言う。
「まあもちろん、一番必要なのは貴女の努力です」
「それは、当然ですよね。……でもなんで、そんなに協力してくださるんですか?」
こちらに利がありすぎて正直怖い。メリアリルの方にも見返りがないというわけではないが、あまりにアイリスに協力してくれると言うので裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
「私、正しい努力をする人は好きですの。貴女とは貴族としての価値観こそ合いませんが、努力をする姿勢自体は認めていますのよ」
メリアリルが言う正しい努力、というのは、目標を見失わないこと、それを達成するために手段を選ぶことである。これは両親から教えられたことで、メリアリルの上に立つ者としての指標になっている。さすがに不正は認められない。
アイリスは目標が見えていても手段がわからず空回っていた。決して口にはしないが、それを見ていられなくて放っておけなかったのだ。メリアリルは案外世話焼きなのである。
「……嫌いな相手でも?」
「個人的な好き嫌いで良い人材との交流を断ち切るのはただの損です。客観視は大事でしてよ」
そこまで言うとメリアリルは立ち上がり、アイリスに向かって屈むと意地悪げに笑ってただし、と付け加えた。
「貴女が良い人材になればのお話ですけれど」
見下ろされたアイリスは、しばらくメリアリルの顔を見た後、下を向き顎に手を当てて考え込んだ。
「……わかりました、わたし、」
暫くして何かを決意したアイリスは拳を握って勢いよく立ち上がった。
しかしまだ目の前にメリアリルが屈み込んでいるので当然、
ゴンッ
見事に額を強打する結果になって、二人はソファーに倒れ込んだのであった。
少し時間が経った後。
「う、ぅん……」
「……いっ、た……」
気絶していたメリアリルとアイリスはほぼ同時に目を覚ました。
額を押さえながらソファーから体を起こすと、お互いの姿が目に入ってくる。
「……も」
「戻った!!?」
メリアリルの前にはアイリスの姿が、アイリスの前にはメリアリルの姿が。
二人とも自分の姿を見下ろしたり頬を抓ったりして現実かどうか確かめている。声もちゃんと戻っている。
暫くして夢でも幻覚でもないと確認できた二人は、顔を見合わせて手を取り合った。
「や、やったー! 戻れましたよ! ……めちゃくちゃ頭痛いですけど」
「戻れましたわね! ……ええ、とても痛いですわ」
喜び合うメリアリルとアイリス。しかし額の痛みがそれを邪魔する。あとで氷嚢をもらうことを決心して、今は元に戻れた喜びを噛みしめる。
「はあー……よかったあ……」
「ふう……とりあえず安心しましたわ……」
安堵の溜息を吐いてソファーに埋もれる二人。どちらからともなく、目が合う。
「……二度と起こってほしくありませんわね」
「わたし気を付けます……」
二度も衝突の元凶となったアイリスは縮こまった。
「あの、さっき言いかけたことなんですけど」
メイドたちに氷嚢を用意してもらい一息つくと、アイリスは先程止まってしまったことの続きを話し始める。
「わたし、やってみます。せっかく才能があるって褒めてくれましたし、このまま何もしないのは損ですもんね!」
それに、と言いぽっと頬を染めるアイリス。
「あの人と一緒にいられる未来が見えてきましたし。諦めたくないんです」
ニヤニヤするアイリスを見ているメリアリルは、少々面白く無さげだ。発破をかけたのも道筋を示したのも自分のはずなのに、やる気の源が自分の知らないものだというのがなんとなく気に食わなかった。
「……そうですか。精々頑張ってくださいませ」
突き放すようにメリアリルが言うと、途端にアイリスはむっと口を尖らせてメリアリルに詰め寄る。
「さっき協力してくれるって言ったじゃないですか! ここまでやる気になったんですから付き合ってもらいますよ、メリアリル様!」
がっしりとメリアリルの腕を掴んで宣言するアイリス。こうなったら意地でも付き合わせてやると強い視線をメリアリルに向ける。
さり気なく名前呼びをされたメリアリルは驚きに目を丸くしてアイリスを凝視する。
「…………ふ」
しばし見つめ合い、アイリスの熱意に負けたメリアリルは小さく笑う。体勢を整えてアイリスに向き合うと、不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「ではアイリス様、勉強も恋愛も、諦めることは許しませんわよ。この私が力を貸すのですから!」
お返しとばかりに名前呼びをされたアイリスは満面の笑みで答える。
「はい、もちろん!」
以降よろしくということで笑顔で握手をする二人。
しかし数秒後、同じタイミングで相手の手をぎりぎりと強く握ることになる。
今までを綺麗さっぱり水に流すのはまだちょっと難しい。
彼女たちが仲良くなるには、もう少し時間が掛かりそうだ。
次話は後日談。