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初日・夕方

ジャンルの分類にとても迷う。

 ゴンッ


と、鈍い音が学院の廊下に響いた。


 ある二人の少女の頭が勢いよくぶつかった音である。

身長にそれほど差がなかったため額同士を激突させる結果になり、反動で後ろへ傾いだ彼女たちはそのままばたんとひっくり返った。しかしあれだけ激しくぶつかったにもかかわらずうめき声ひとつ上がらない。どうやら二人とも気絶してしまったらしい。

 周囲にいた数名の生徒たちは突然の衝突事故に数秒硬直したものの、気を失った彼女たちを放置するわけにもいかないと手分けして医務室へと運び込んだのであった。


 仲の良くないことで割と有名な、侯爵令嬢メリアリル・バーチェスと、子爵令嬢アイリス・エイミールの二人を。





「…………痛い……」


 目を覚ましたメリアリルが額に感じたのは、じんじんとした痛みと、軽い圧迫感を伴う冷たさだった。

しばらく額の痛みに思考を邪魔されながらも、体の下のシーツの感覚や視界に入るカーテンで、自分が医務室のベッドに寝かせられているらしいと理解する。圧迫感と冷たさの元は乗せられている氷嚢のようだ。額の一部が熱く、腫れている感覚もある。


 額がとても痛いのは何故なのか。

思い出せるのは、直前の授業で先生に呼び止められて話をしていて、次の授業に遅刻しそうだったこと。しかし淑女たるもの、いかなる時も優雅にと教えられてきたメリアリル。走るなど見苦しい真似はせず早歩きで廊下を急いでいたのだが。

その途中、廊下の角で誰かと思い切りぶつかってしまった、のだと思う。直後に気絶でもしてしまったのか、それより後の記憶は無い。それほどの衝突だったようだ、この痛さも納得である。


 思わず溜息を吐いたメリアリルが覚えたのは、微かな違和感。体の感覚がいつもと微妙に違う。


「……何かおかしいわ、……?」


 呟いた声に明らかな違和を感じて、ゆっくりと起き上がる。

体を起こして視界に入ってきたのは、癖のある、くすんだ金色の髪。頭の後ろに違和感があるのは、リボンか何かで結んでいるからだろうか。


メリアリルの髪は、ストレートで艶のあるダークブラウンである。決してブロンドなどではない。


「………………」


 髪を摘まんで、しばらく沈黙。

そういえば声も違和感があった。自分の口から零れたのは、どこか甘さのある高めの声。良く言えば可愛らしいが、悪く言えば威厳が無い。


 明らかにこれは自分の体ではない。

ぶつかって目が覚めたら他人の体になっていた。理解を超えた出来事にメリアリルは目を見開き、指一本も動かせないままベッドの上で固まっていた。


 落ち着きなさいメリアリル。いかに理不尽で不可解な出来事に遭遇しても思考を止めてはならないのです。考え続ければ打開策が見つかる、はず。まずは正確な状況の把握から。

最初に、この体は自分のものではない。では誰のものだろうか?

自分が他人の体にいるのだから、逆に自分の体にその他人が入っているのは当たり前である。たとえ、その事象自体がどれだけ非科学的な出来事であったとしても!


 若干の憂鬱さを感じながらメリアリルが思考を始めていると、カーテン越しに困惑した声が聞こえてきた。


「ど、な……なにこれ……!?」


 ……聞き覚えのある声だ。こういった気の抜けた口調ではないが、よく聞く、いやむしろ毎日聞いている。

高すぎず低すぎず、落ち着いた声音だと思っていたのだが。口調が変わればこうも変わるものなのか。

 聞き覚えがあるのも当然だ。聞こえた声は、メリアリルのものである。


 絶えず聞こえてくる困惑の声と、髪や服を触っているのだろうごそごそという音。

しばらくそれを聞いていたメリアリルはふと真顔になると、隣接しているベッドとを仕切るカーテンに手を掛けた。

シャッとカーテンをスライドさせれば、隣のベッドでぺたぺたと顔や体を触っていた人物はこちらを見てピタリと動きを止めた。


ダークブラウンの長い髪、オレンジ色の瞳。そこにあったのは今朝も鏡で見たメリアリルの姿、そしてそれに乗り移ってしまった誰かである。

驚きに目を見開き口も開いた表情の『彼女』。間抜けに見えてしまって非常に不愉快である。


 私の体でそういう表情をしないでもらいたい、と思わず眉根が寄る。

貴族の令嬢としてのプライドがあるメリアリルにとって、自分の姿で品の無い表情をされるのは我慢ならないことだ。それと雑に触りでもしたのか、綺麗に結ってあった髪も一部崩れてしまっている。すぐにでもメイドに結い直させたい。身だしなみの乱れに視線が鋭くなる。


 間抜けな表情のままこちらを見たり手元を見たりと落ち着きの無い彼女は、癖なのか指に髪を巻き付けては離し、また巻き付けている。

 どこかでその癖を見たことがある気がして、メリアリルは記憶を辿った。……一人、いた。その人物の髪は癖のあるブロンドの髪、瞳の色はまだ確認していないがここまで合致すれば当たりだろう。ちなみに彼女の瞳は薄茶色である。


 元庶民の子爵令嬢。その立場や振る舞いの不慣れさもあって、現在は落ち着いているものの一時期は学院でひどく浮いた存在だった彼女。……自分とは何かと反りが合わず、互いに良い印象は持っていない同い年の令嬢。彼女の名は……。


「……アイリス・エイミール」


さらに口が開いた。


「その間抜け顔をおやめになってくださる? 私の見た目が台無しですわ」


急激に下降していく機嫌のままにそう告げれば、相手は暫く呆然としていたものの、ようやく状況が飲み込めたらしい。彼女(アイリス)の体に入ったメリアリルに震える指を突き付けて叫んだ。


「…………バーチェス侯爵令嬢!?」

「人を指すのをおやめなさい」


 メリアリルの声で悲鳴が上がった。





 幸いにも医務室に人はいなかったらしく、みっともない悲鳴を聞かれずに済んだ。

とりあえず落ち着いたアイリスと顔を突き合わせて、現状の確認をすることにする。


「衝突した拍子に、お互いの中身が入れ替わったということね」


 理屈が全くわからないとはいえ、メリアリルが言ったことが全てである。今のところそれ以外の異常はなさそうだが、唯一にして最大の難問がそれだ。少々の身体的な違和感は我慢するしかないだろう。


「そ、そういうことになるんです、よね……」


 おどおどと見上げてくる自分の姿(アイリス)に、メリアリルの不機嫌さは増していく。第三者からするとメリアリルを睨みつけるアイリスという、二度見どころか三度見するほどの光景だが、メリアリルにとっては嫌いな相手が自分の体に入ってみっともない動作をしているという不愉快さが頭を占めている。だからといって睨みつけていても元に戻るわけではない。


「……今は、確執は置いておきます。冷静なお話をいたしましょう」

「……そうですね、できればいいですけど」

「一言余計でしてよ」

「…………む」


文句を言いたげに頬を膨らませるアイリスだが、すぐに表情を戻した。メリアリルに口で勝てないのと、これ以上小言を言われたくないのもあるだろう。頭の良さという点ではアイリスはメリアリルに大きく劣る。


 ともかく、現状把握の続きとする。アイリスのほうも衝突によって入れ替わりが起こったことに疑問はないらしい。

……そういえば、ぶつかって気を失うほどの衝撃が起きたのは何故だろうか。メリアリルは早足だったとはいえ、不意にぶつかったとしても相手が倒れるほどの速度は出ていなかった。メリアリルに非はなさそうだ。ということは。


「あなた、廊下を走っていたでしょう」


う、と声を漏らして縮こまったアイリスの態度は、わかりやすく図星であることを示していた。

再び指に髪を巻き付け始めた彼女を見下ろして、メリアリルは口元を手で隠しながら小さく溜息を吐いた。それにびくりと肩を震わせたアイリスは、慌てて弁解、メリアリルからすれば言い訳を始めた。


「だ、だって忘れ物をしちゃったんです、それで教室に戻ってて」

「忘れ物をする時点で貴女の怠慢です」

「ううぅ……」


正論を真正面から叩きつけられて呻くアイリス。制服のスカートは握りしめられてぐしゃぐしゃになっている。


「それは……そうなんですけど……。わたしただでさえ成績悪いし、忘れ物したらもっと悪くなっちゃうし……」


 彼女は元は庶民である。市井で簡単な読み書きや計算などの最低限の教育は受けたが、当然のことながら貴族が持つべき教養を習う機会など無かった。下地がある生まれついての貴族たちとはどうしても差がついてしまう。

本人も成績が悪いのは自覚しており、どうにか最底辺から抜け出そうとは思っているらしいのだが、要領が悪いのか未だに抜け出せる気配はない。


「遅刻もしたくなくて、…………走って、ました……」


 がっくりと肩を落として落ち込むアイリスを見下ろすメリアリルの視線は絶対零度である。忘れ物をし、遅刻しまいとはしたなくも走っていたアイリスにぶつかられてこの状態になってしまったのだから、そういう態度を取られても文句は言えないだろう。


「まあ、起こってしまったことを言ってもどうしようもありませんわね。……ああ、許したわけではありませんから勘違いしないように」


 いくらか視線の冷たさを和らげたメリアリルの言葉に少し浮上したアイリスだったが、続いた言葉にまた肩を落とすことになった。

顔や態度に出やすい彼女にもう一言が出そうになるが、さっき自分が言った言葉を思い出してぐっとこらえる。冷静なお話を、と。メリアリルはぽすんと自分のほうのベッドに座り、ひと呼吸する。


「ですが可及的速やかに戻りたいのは貴女も同じでしょう? しょげている場合ではなくてよ」


むむ、と真面目になるアイリスを見て、自身も元に戻る方法を考え始めるメリアリル。

とはいえ、すでに戻れそうな方法は考えついている。この状態になったのは強くぶつかったせい。ならば……


「もう一度強くぶつかればいい、のでしょうけど」

「えっ」

「何か文句がありまして?」


 メリアリルが出した結論にぎゅっと眉を寄せて嫌そうな顔をするアイリス。彼女がそんな顔をする理由はわからないでもない。

もう一度気絶する勢いで、つまり、もう一度たんこぶをつくる勢いでぶつからねばならないのである。しかもそれを意図的に。


「…………」

「…………」

「……痛いですよ」

「そうでしょうね」

「まだぶつかったところ痛いのにもう一個たんこぶをつくるんですか」

「私も嫌ですけれど、やってみる価値はあると思いますわ」


メリアリルのほうもまだ痛みは引いていない。その上たんこぶを追加でつくるなんて嫌に決まっている。しかし一番有効であると考えられるのだから提案しているのだ。


「……じゃ、じゃあ、どうぞ。ぶつかってください」

「…………何故私が。貴女がぶつかれば良いでしょう」

「ええっ、だって言い出したのそっちじゃないですか!」


 ぎゅっと目を瞑ったアイリスに、何を言い出すのかと言わんばかりの目を向けるメリアリル。目を開けて思わず立ち上がったアイリスは、非難を込めてメリアリルを睨みつける。

表面上は涼しい顔をして、メリアリルもアイリスを睨み返す。

 確かに言い出したのはメリアリルだが、実は人生で一度もわざと人にぶつかったことがないためどうすればいいかわからず内心困惑している、という状態だった。しかしそれを目の前の相手に見抜かれるのはプライドが許さない。強くぶつかればいいのだから、アイリスにやらせたところで何も問題はない。ただ弱みを見せたくなかっただけである。


 睨み合う二人。

不意にアイリスがメリアリルの肩を両手で掴み、額に狙いを付けて頭を反らせる。しばらくその体勢で力んでいたかと思うと、ゆっくりと力を抜いて項垂れた。緊張が解けた両者の、細く息を吐く音が揃う。


「絶対、寸前で、止める……」


メリアリルがやったとしても同感である。誰だって痛い思いはしたくない。

アイリスは肩から手を離し、倒れ込むようにベッドへ腰を下ろした。


「加減してしまってぶつかって、もしそれでちゃんと戻れなかったりしたら痛い思いをするだけですわね……」


 メリアリルは頬に軽く手を添えてほうと溜息を吐く。その上品な仕草を見たアイリスがすっと真顔になった。本当に最低限の貴族マナーは必死で身に着けたとはいえ、普段からそれができるわけではない。それをこうも自然に自分の体でやられると何とも言えない気持ちになる。見慣れている自分の姿のはずなのに見慣れない。違和感がすごい。


 微妙な空気のまま、時間が過ぎていく。ふと見た時計は、今日の授業がとうに終了している時刻であることを示している。いつまでも医務室にいるわけにはいかない。

額強打での試行を諦めた二人は、のろのろと疲れた顔同士を見合わせて頷いた。


帰ろう。

心が通じ合う。そして重要なことに気付く。


「……もう今日は帰り、かえ……。……えっわたしバーチェス様としていなきゃいけないの!?」

「…………ああ、そうですわね……。私も貴女でいなければなりませんの……?」


 中身が入れ替わっているとはいえ、外見上は普段の彼女たちである。帰るにしても、これから誰にも会わないというわけにはいかない。帰路につく間にも誰かと会うかもしれないし、寮に帰れば世話をするメイドもいる。

 ましてメリアリルは家格の高い家のご令嬢である。日常的に多くの人の目にさらされる立場ゆえ、どこで誰に見られても良いように、完全なプライベート以外では気を抜かないよう育てられている。

貴族として成熟していないアイリスがそんなメリアリルの立場になるとなれば、悲惨なことになるのが目に見えている。

アイリス本人ももちろん理解しており、絶対無理、と言いながらぶんぶん首を振っている。


「無理、ではありません。や、る、の」


ずいっと顔を近づけて凄むメリアリル。かなりの無茶ぶりをしているのは彼女も理解しているのか、顔が青白い。

アイリスも顔を青くしながら、ぎこちなく頷く。ついでに涙目だ。


 力なく立ち上がるメリアリルにつられ、アイリスもなんとか立ち上がる。ベッドの荷物置きには、クラスメイトが持ってきてくれたのだろうか、彼女たちの鞄が置かれていた。自分のものではないけれど自分のものである鞄に複雑な表情をしながら医務室を後にする。

 そうして、何の解決策も見いだせないまま、二人は帰寮するのだった。


 今日はもう放課後であるし、会話をするのはメイドたちくらい。まだどうにか誤魔化しはきくと思いたいが、明日以降もこのままであるのなら……。


「……考えたくありませんわ」


メリアリルは憂鬱になった。


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