第1話 ペンギン
九月二十三日(日)二十一時
BAR SHARKで流れるBGMはビーチボーイズの『SURFING USA』この店での定番ソングだ。
薄暗い店内のカウンター席には三人の男女。背中を丸くし、何だか浮かれない様子。行儀のいいペンギンが、三匹椅子に座っていると言われたのなら、そのようにも見える。三人とも特に目をやる場所も無く、ただ何となく正面に並ぶボトルを眺めている。
アップテンポのBGMが妙に浮いた感じがするのは気のせいか......
左で神妙な顔をしているのは圭一。
無精ひげが疲れを物語っている。今にも鼻からずり落ちそうなサングラスを、指で持ち上げる気力も無さそうだ。見ていると今にも落ちそうでハラハラする。
続いて真ん中の席。
美緒は今日も顔が青白い。
普段からテンションの低い彼女は、見た目いつもと何ら変わりは無い。ただトレードマークの吊り上った黒眼鏡は、レンズが汗やら埃やらで、大そう汚れている。神経質な彼女も、疲れがピークに達すると、気にならないようだ。
右側で憮然としているのはポール。
両目の周りの深いクマは、ストレスの現われか。本人が誰かに殴られたとでも言えば、痣にも見える。 極度のストレスに加え、栄養のバランスも崩れているのであろう。
カウンターの内側では、初老の紳士が一人グラスを念入りに拭いている。臨時のバーテンダー......事件が起こる度、ポールに替わってカウンターに立つ。もう慣れっこだ。蝶ネクタイがよく似合うのは、この仕事に精通した人間の証。手慣れた手つきがそれを物語っている。
やがてポールがゆっくりと口を開いた。
「エマサン......一昨日から音信不通デス」
二人は正面を向いたまま、反応は無い。聞いているのかどうか。
「エマサン......肩に怪我してるラシイです。あと連れの少女もオオキバに咬まれたそうです。その連絡があって以降、全く連絡が取れなくナリマシタ。心配デス」
ポールは眉間にしわを寄せ、神妙な顔つきで語った。
「怪我して行く所と言えば......」
圭一の低い声。
「病院?」
美緒はお手拭きで眼鏡のレンズを拭きながら反応した。
「セントジェーン病院......デスカ」
心配そうなポールの声。
カシャ、カシャ、カシャ、バーテンダーのシェイカーを振る音が、静かな店内に響く。
得意満面の顔を絵で表現すると、大抵は鼻を高く書くものだ。このバーテンダーもシェイカーを振る時は得意満面。しかも本当に鼻が高い。一昔前は大そうモテたに違いない。
「はい。レディーファースト。お口に合うか?」
バーテンダーは、美緒に真紅のカクテルを差し出した。美緒はグラスを口にする。すると、
「美味しい」
「有難うございます。アメリカンビューティーという名のカクテルです。あなたのイメージにぴったりの酒です。この酒が似合う女性は、皆秘めた才能を持っています。『能ある鷹は爪を隠す』隠す必要など無いのに......なんてただの独り言です。気になさらないで下さい。ところで話は変わりますが、ダイイングメッセージの謎は解けたのですか?」
「ダイイングメッセージ?」
その時美緒は初めて顔を上げた。
バーテンダーは次の酒をシェイカーに注ぐ。カシャ、カシャ、カシャ、心地良い音が続く......
「......」
ポールは無言で一枚のメモを美緒に手渡す。美緒は目を細めてメモを直視する。
「しの......みさき......の......むこう......で......お、おきば......」
美緒はひとり言のようにメモを読み上げた。
「エマさんを極神島まで運んだ船頭が、最期に残したメッセージだ。船頭は何者かに殺された。胸を鋭利な刃物で一突きだそうだ」
圭一が補足する。美緒は島で起こっていた事を何も知らなかった。
「殺された......胸を一突き」
美緒はグラスを静かに置いた。表情が曇る。
「オオキバとは極神島に生息する毒蛇のコトです。コノ事件......常にこのオオキバが絡んできます。重要なカギと見てイマス」 ポール曰く。
バーテンダーはシェイカーの酒をグラスに注ぐ。相変わらず手慣れた手つきだ。
「はい。途方に暮れているあなたへ。ブルーラグーンという名のカクテルです」
バーテンダーは、静かに圭一の前にグラスを置いた。南国の真っ青な海が目に浮かんで来るような色だ。
「南国の海が救世主の到来を待っている。そんな気がしてくるのは私だけでしょうか」
圭一がカクテルに舌鼓を打つ。うまい......味、ビジュアル共に申し分無い。
美緒の頭の中はフル回転。一文字一文字入念にチェックする。
「これって......死ぬ前に苦しみながら言ったのかしら? しかも途切れ途切れで」
「ソノトオリです。胸を鋭利なハモノで一突きされ、嗚咽しながらのメッセージデス」
人は嗚咽しながら言葉を発しようとすると、どうしても舌が前に出る。舌が前に出ると、濁音を発しづらくなる。
オオキバ......もしかして!
美緒はある結論に達した。
「これ......多分、大牙って言ったんじゃないと思う」
圭一とポールは、それまで正面に向けていた顔を突如美緒の方に向けた。
「それって......どういう事だ?」
「この人......全然違う事伝えようとしてる......と思う」
二人は思わず身を乗り出した。
「だ、だからどういう事なんだ? 解る様に説明してくれ!」
「しのみさきのむこうで、おおきばじゃなくて......」
「オオキバじゃなくて! それで......それで何なんデスカ!」
美緒はダイニングメッセージの文字の下に、別の文字をペンで綴った。
しのみさきのむこうでおおきば......
しのみさきのむこうでぞおきばいばい
「死の岬の向こうで臓器売買が行われている。そう伝えたかったんだと思う」
美緒の目は下を向けたまま。しかし語気は強かった。
「なっ、何だって!」
「ゾッ、ゾウキバイバイ!」
二人は背筋に戦慄が走る。
もしそうなら......エマさんが危ない!!!
「はい。最後のカクテル......フィッシャーマン&サンです」
バーテンダーは緑に輝くカクテルを、静かにポールの前に置いた。
「フィッシャーマンと南国の太陽。切っても切れない仲です。南国の太陽の下にフィッシャーマンが現われる時が来た......そんな気がするのは私だけでしょうか」
ポールはそのグリーンに輝くカクテルを一気に飲み干す。いつしか顔は赤みを帯びていた。
その時だ。
ギー......
唐突に入口の扉が開いた。客か?
四人は興奮を押し隠し、開く扉の方向に振り返った。
すると、帽子を深く被った男が一人きょとんと立っている。良く見れば某宅配業者の制服を着ていた。手には小さな段ボール箱。
「宅急便で~す」
男は異様な空気を怪しんでいる様子は無い。よっぽど鈍感なのか?
「ああ......ご苦労さんです」
バーテンダーは至って冷静。荷物を受取り、伝票に判を押す。
興奮しきった三人ではあったが、とりあえず一旦口を閉じ、再び椅子に座り直す。夫婦喧嘩をしている時に、子供が突然起きて来たような気まずい空気が辺りに充満していた。タイミングが悪すぎる。
そんな空気を気に留める様子もなく、用が済むと宅配業者の男は足早に店の外へと出ていった。そして薄暗い階段を駆け上ると、目の前のごみ置き場に伝票をポイッと投げ捨てた。
外灯のちょうど真下には、一台のワンボックスが駐車されている。宅配業者の男はそのワンボックスへと向かっているようだが、到底宅急便の車両には見えない。男が近づくと、それを合図に複数名がワンボックスの前に現れた。
「間違いありません。桜田美緒を確認しました。あと男が二人いるのと、バーテンが一人。店の中は全部で四人だけです。扉を開けた正面のカウンターに三人が後ろ向きに座っています。簡単です。扉を開けると同時に撃ち殺しちまいましょう」
男は深く被った帽子のつばを上げながら語る。




