第2話 斉田雄二
最愛の人を失ったのだ。無理もない。
「極神島に行ったのは、仕事の為という事ですね。何か写真を撮りに行ったのでしょうか?」
「雄二さんはカメラマンと言っても、ただ写真を撮るだけではありません。
所謂スクープカメラマンと言うジャンルで、世の中では知られていない現実、事件などを世間に公表するという趣旨のカメラマンです」
「なるほど......では彼の行動を面白く無いと思っている人は、この世に沢山いるという事ですね。
極神島へ仕事で行ったというのも、そう考えるとそれを邪魔と考える人がいたかも知れませんね」
「雄二さんは出発前夜、これは自分が名前を売り出すチャンスと言っていました。すごい張り切っていました。
今は何も言えないけど、これを暴けば世の中がひっくり返るとも言っていました。
私本当に心配で心配で......勿論行くのを止めてほしいと何度も頼みました。
その度に、大丈夫だから心配しないでと、私の望みは結局聞いては貰えませんでした。
私の信じたこの人が大丈夫だと言うのだから......最終的に私は、雄二さんの仕事を応援する事にしました。
それなのにこんな事になって......雄二さんを殺した人間を私は絶対に許しません。八つ裂きにしてやりたい! 本当に許せない!」
美緒は拳を強く握り、震えていた。
最初冷静だったのが、語っているうちに悲しみの感情が蘇り、最後には怒りの感情へと変化している。
エマは美緒の性格を分析した。
心の中で膨れ上がった感情の矛先が、瞬時にどんどん別の方向に変化していく。
冷静な時、悲しんでいる時、怒っている時。
それぞれがまるで別人のようであった。
エマは構わず続けた。
「斉田雄二さんが極神島に行かれたのはいつですか?」
「確か日曜だったと思います。そう......八月十二日です。私達、夜空に浮かぶ月を見るのが大好きだったんです。
出発前夜、近くの公園でかなり長時間二人で月を見上げていました。はっきりと記憶に残っています」
美緒は込み上げてくる感情を必死に抑えながら、震える唇でエマの質問に答えた。
「極神島について何でもいいですから、雄二さんから聞いた事などで、知ってる事をお教えて頂けますでしょうか」
「雄二さんはあまり仕事の話をしない人だったので......
そう、確か極神島は小笠原諸島の約三十ある島の一つで、本土では殆ど知られていないと言っていました。
一部の書籍には、小笠原諸島は父島と母島以外全て、無人島と書かれているらしいですけど、それは間違いだとも言っていました。
あとは......そう、毒蛇が多く生息しているって言ってました」
「毒蛇ですか......事件と関係があるかも知れませんね。雄二さんが島に行ってからは連絡をとりましたか?」
「一日数回のメールのやりとりはしましたが、大事な仕事と聞いているので、こちらからは電話をしないようにしていました。
メールの内容は愛しているよとか、君に早く会いたいとか、そういった内容が中心でしたが、そう......
島の人は皆、本当にいい人達ばかりだというメールもありました。
あとは料亭の料理が美味しいだとか、綺麗な公園があるだとか......すみません。あまり参考にはなりませんね」
「そんな事はありません。非常に重要な情報です。
最後にメールされたのはいつですか? またそのメールはどんな内容だったですか?」
美緒は携帯電話をバッグの中から取り出した。そしてメールの受信履歴を検索し、エマに受信画面を見せた。
「最後のメールです。このメールが届く三日位前、仕事はもうすぐ終わるという話を聞いていました。
私、帰って来るのが本当に待ち遠しくて。うっ、うっ......すみません。確認して下さい」
美緒は涙混じりの声。最後の方はほとんど言葉になっていなかった。
エマは携帯電話を受け取る。
その内容は......
美緒、もうすぐ終わるよ。こっちは今、月が物凄い綺麗だ。美緒にもこの月を見せてあげたかったな......
エマは考えた......
この最後のメールが届いたのが、九月五日の二十二時三十五分。
斉田雄二が自殺したとされているのが、翌日の二十二時四十分。
このメールは、間も無く仕事が終わる事を美緒に告げる内容だ。特に不審な点は無い。
「このメールの事は警察に伝えたのですか?」
「もちろんです。でも自殺と断定したからと言って、全く取り合って貰えませんでした。遺書も無かったそうです。絶対おかしい」
「確かにおかしいですね。何かありそうですね」
「あっ、一つ大事な事を忘れてました。確か......島には自分を支援してくれる人がいる。そんな事も言っていました」
「島に支援者ですか......それはどんな人か言っていましたか?」
「いいえ。残念ながらそこまでは聞いていません」
「そうですか......支援者ですね。恐らく本土に居る雄二さんに、島の情報を流していた可能性がありますね。なるほど......分かりました」
エマはここで一旦メモ帳をテーブルの上に置き、顔を上げて言った。
「あなたの望み、約束通り叶えて差し上げます。期間は我々の取り決めにより、一か月。
今日がちょうど日付の変わった九月十一日なので十月十日の二十四時までに決着をつけます。
今回のご依頼が、斉田雄二氏を殺した人間の殺害となりますので、実行の際、美緒さんに立ち会って頂く形となります。
目途が立った時点でご連絡させて頂きますので、殺害する場所までお越し下さい。
今回の場合、極神島まで来て頂く可能性が高いかも知れません。それで宜しいでしょうか?」
エマは淡々と事務的に話す。
「分かりました。それで結構です。宜しくお願い致します」
美緒は躊躇すること無く即答だ。
「けんちん! 美緒さんを元の場所にお送りして」
「御意! 美緒さん行こう」
圭一は美緒に手を差し伸べる。
「結構です。まだ大江戸線の電車ありますから。東新宿駅まで歩いてすぐでしょう」
えっ?
思いもよらぬ美緒の発言に三人は動揺を隠せない。わざわざ目隠しをさせてここまで連れて来たのは、勿論この場所を特定させない為。
しかも念には念を入れ、車はあえて何度も右左折を繰り返し、更に遠回りもしてきている。
エマは圭一の顔をキリッと睨んだ。
ちゃんと目隠ししてたのか? と言わんばかりに。
美緒は二人の心の動きをすぐに悟り、そして言った。
「ああ......目隠しはちゃんとしていましたよ。あんな立派な目隠しは見た事がありません。視界は完全に妨げられていました。この方は何も悪くありません」
じゃあ、なぜここが東新宿駅の近くだと解るの?
エマと圭一は顔を合わせる。
美緒は席を立つ時、一度肩に掛けたハンドバッグを再びテーブルの上に置き戻す。
「まず車は代々木駅前の通りを、西方面に時速四十キロで約二十分走行後、左折しました。
計算すると、出発地点から二百二十二メートル。即ちそこはちょうど千代通りの入り口になります。
その後時速二十五キロで十秒走行後、再び左折。そこは首都高四号線にぶつかるT字路のはずです。
その後暫く道なりに走りましたよね。それまで無かった頭上からの振動音を感じ始めたのは、その地点からです。
その音は高架線を走る車の振動。即ち首都高四号線だとすぐに分かりました。
三分も走ると今度は、首都高を走る振動に加え、電車の走る音が聞こえてきました。
あの近辺で高速と電車が連続して並走するのは、JR総武線の千駄ヶ谷~信濃町間しかありません。
その後再び左折。左折直後、今度は道路の地面を掘削する音が聞こえました。
信濃町駅の横の外苑東通り北行き車線で昨日から一週間夜間工事を行う案内看板を偶然私は見ています。
外苑東通りを平均時速六十キロで十五分間北上。途中停車した信号の数からして、そこが外苑東通りであった事は間違いありません。
あの......ここらへんで止めて宜しいでしょうか? 私の計算ですと最後まで話すとあと十五分掛かります。それだと大江戸線の終電に間に合わなくなりますので」
美緒はテーブルに置き戻したハンドバッグを再び肩に掛け直す。
「けっ、けんちん。美緒さんのお好きな所までお送りして来い」
エマは動揺を隠せない。
「あっ、は、はい。美緒さん行こう。嫌だろうけど、また目隠ししてくれ」
圭一は慌てて美緒を出口に導く。
美緒は言われるがまま目隠しを被りそして言った。
「そうそう......圭一さんでしたっけ。あなたセレモニーホールの階段の手前で、私に盗聴器付けたと思うんですけど、どこに付けました? もう必要無いでしょう。外したいんですけど」
エマと圭一は再び顔を見合わせる。そして圭一が応えた。
「美緒さん。半分は正解だが、半分は不正解だ。確かにあんたの行動を知るために、盗聴器を使ったのは事実だ。ただあんたに付けたんじゃない。セレモニーホールでぶつかったのは確かに俺だけどな。
ただいくら俺でも、あそこであんたとぶつかるなんて想定していない。あまりに突然すぎて準備が間に合わん。
もっと簡単な人に簡単につけさせてもらった。お友達の妙子さんだったっけな。あんたが血相を変えて、階段を駆け上がって行った時、自分のバッグを投げ捨てて追い掛けて行っただろ。
もう必要ないので、妙子さんのバッグの内側に付けた黒い直径一センチ位のプラスチック製の盗聴器、外して構わんって伝えてくれ」
圭一は言い終わるや否や、ニタッと笑った。してやったりという表情だ。
そして美緒もニヤリと微笑む。
この勝負一勝一敗。
引き分けという感じなのだろうか......
いや、どちらかと言うと、プロのエマ達が、所謂素人の美緒一人に押されていた感がある。
桜田美緒の記憶力、洞察力、想像力......それらは明らかに凡人の域を超えていた。
それだけの頭脳を持った人間がなぜ自殺などしようとするのか?
そこは複雑怪奇に満ちた人間の心理。理屈で言い表せない部分と言えば、それまでの事だ。
帰り際に見せた美緒の微笑む顔......
それは悲しんでいる時、怒っている時の顔とはまるで別人だった。
とにかく賢く、そしてつかみどころの無い人間......それがエマ達の感じた美緒の第一印象だった。
やがて美緒はエマに向かって軽く会釈をすると、来た時と同じように圭一の腕を握り、共に扉の外へと出て行った。
「ポン!」
「ハイ」
エマはマジックミラーに視線を向けている。
「やっこさんもお送りして来い」
「カシコマリマシタ」
ポールは言い終わるか終わらないうちに、扉の外へと飛び出して行く。
続いて最後にエマも立ち上がり、部屋を後にした。
『導きの三姉妹』は笑顔を撒き続けている。
部屋内が真っ暗になった今もなお......