第2話 鉄格子
エマはLEDライトを前方に照らし、一歩一歩慎重に歩を進めた。何が突然目の前に現れるか分かったものでは無い。
やがて最初の分岐が現れる。耳を澄まし音を聞き分けた。進むべき道標は太鼓の音だけだ。
「良し。こっち!」
エマは分岐の地点の壁に蛍光テープを貼り付けた。帰り道洞窟内で迷ったら命取りになる。
その後も立て続けに分岐が現われる。その度にエマは耳を澄まし、進むべき道を選択した。蛍光テープの貼り付けも忘れない。
洞窟奥へと進み続けて三十分。
気温は徐々に下がっていき、この付近では肌寒ささえ感じる程だ。その反面湿度は極めて高い。地下水の湧き出しが原因か。
ドンドコドコドコ ドンドコドコドコ......
音の発信源はいよいよ真近に迫っていた。もう波の音も風の音も船の焼ける音も届かない。聞こえるのはエマの足が地面を蹴るその音と太鼓の音だけ。
そして最後のカーブが現れる。それは緩やかな左カーブ。左側の壁に、背中をするように横向きで慎重に進んだ。
「あれ?」
それまで快調だったエマの足が、突如その歩みを止めた。
「何だこれは?」
エマは目を細めてその先に立ちはだかる黒い塊を注視した。それが何であるかは明白だった。
鉄格子......ここまで来てこれか。
この洞窟に入ってから初めて見る人工的な造作だ。さすがのエマも疲れの色を隠せない。
思わずその場にしゃがみ込みたい気持ちにかられる。しかし休んでいる暇などは無かった。
この先で行われている儀式?
それが終わってしまったら元もこうも無い。
ここが正念場......「よし!」
エマは三歩後ろに下がる。そして全身の力を込め、鉄格子に肩から体当たりした。
ガツン! 鈍い音か響き渡る。
鉄格子は案の定、びくともしない。ぶつけた肩だけが虚しくジンジンと痛んだ。
痛たたた......やはりダメか。
鉄格子は真っ赤に錆び付いてはいるが、行く手を阻むというその役目を果たすには、十分過ぎる程の頑丈さを誇っていた。
ここに鉄格子が設置されている理由......
それはこの先で見られてはまずい事が行われているという事の証。
そしてこの先に進もうとしている自分......
招かれざる客である事は言うまでも無い。
この先にこの事件の核心がある!
エマは勢いよく立ち上がると、鉄格子を端から端まで隅々まで見渡し、その構造を隈なく分析した。
上下に張り巡らされている鉄格子の鉄棒と鉄棒の幅は凡そ十五センチ。
一本切り落とせばその幅は三十センチに広がる。
私のスレンダーなボディだったら、一本切り落とせば抜けれるかな? 最近ちょっと潮風の賄いもの食べ過ぎてるからお腹の辺りがちょっと不安?
エマはその場にしゃがみ、口にLEDライトを咥え、ナップザックの中を照らした。そして奥から鉄鋸を取り出す。
備えあれば憂い無しと......
エマがいとも簡単に背負っているこのナップザック。その中身はあらゆる状況を想定し、それらに対応出来るだけの道具が揃えられていた。運搬の負荷を考慮し、その全てが軽量化されている。
とは言え、その重さ約十キロ。成人男性でも歩いて数分で息が上がる。幼少より合気道で鍛え上げたエマのその体だからこそ成せる技なのかもしれない。
エマは鉄棒に鉄鋸の刃を当てる。鉄を切断する際に発する音は大きい。聞かれたら一大事だ。エマは太鼓の音に合わせて削り始めた。
ギー、ギー、ギー......
耳に障る実にいやな金属音だ。しかし手応えは十分。
鉄鋸を左右に動かす度に鉄の粉塵が宙を舞った。鉄棒の太さは直径凡そ二センチ。決して細くは無い。
「あらよっ、あらよっと」
エマは全身の力を込めて鉄棒を削っていく。
鉄鋸を握っている手は、いつの間にか充血し真っ赤になっていた。手の皮が剥がれないのが不思議な位だ。手に豆が出来そうだ。エマの額からは止めども無い汗が流れ落ちていた。
そして削り始めて三分。
ペキッ!
鉄棒は呆気無く切断された。
「ふう。これで良しっと」
エマは額の汗を拭い、呼吸を整えてから鉄棒と鉄棒の隙間三十センチに頭を入れた。いやがおうにもおでこが錆びだらけの鉄棒にこすり付けられる。おでこが錆びだらけだ。
初めに頭が抜け、続いて上半身。最後にお尻が引っ掛かったが、体をくねらせ何とかクリアー。
「あいたたた......お尻痛い。嫁入り前なのに」
エマは満を持して鉄格子の先へと進んだ。
地面は石で敷き詰められ、その間をぬう様に湧水が流れている。無数の小さな小川が流れているようだ。
五メートル程先に五十センチ四方の穴。洞窟の出口か? 光はその穴から差し込んできている。
また進むにつれ、その穴の先から聞こえて来る音はどんどん大きくなっていく。
エマは足音を忍ばせ、慎重に一歩一歩進んだ。
そして出口であるその穴から恐る恐る顔を出すと、そこには想像を遥かに超えた異様な景色が眼下に広がった。
「こっ、これは!」
穴の先の空間の広さは学校の体育館程度。壁伝いには五メートル程度の間隔でこうこうと燃える松明が置かれ、眩いばかりの光を発している。洞窟に差し込む光の正体は松明の炎だった。
良く見れば、松明の炎は全て一方向に向かってゆらゆらと揺れている。どこからか風が吹き込んできている証拠だ。




