第2話 逃避
「猶予は無い。すぐに出発だ。今ここに居る事自体かなり危険だ」
「ちょっと待って。いきなりそんな事言われても......会社のプロジェクトの件だってあります。いきなり今出発するなんて急過ぎます」
美緒は動揺の色を隠せない。
「同じ事を言わせないでくれ。仕事を引き受けた以上、もう美緒さんの命は美緒さんだけの物じゃ無い。いいかい? 今命が失われれば、計画が取りやめになるんだ。美緒さんの願いを叶える事の代価は、美緒さんのその命だ。
命が失われれば俺達は求める対価が無くなる訳だから、計画を遂行する意味が無くなっちまうんだ。そうなりゃ美緒さんの望みである斉田雄二の敵もうてなくなるんだぞ。分かるだろう」
「......」
美緒は下を向いたまま小さく頷いた。
「それから美緒さんの仕事の事だけど、それは心配しなくても大丈夫だ。出社しなくても端末を使って部下に指示を出せばいい」
「出社しないで端末から部下に指示? そんな事あの女社長が許す訳無いじゃない。明日一日休んだだけでも間違いなくプロジェクトから外されます」
「それが大丈夫なんだって。もうあの女社長からOKとってるから」
「えっ。本当に? どうやって?」
「だから俺達は普通の探偵と違うって前に言っただろう。それはそういう事なんだよ」
「......分かりました。すぐに支度をしましょう。それでこれから私達は......」
「そうそう。ここからが重要だ。よく聞いてくれ。美緒さんにも協力してもらう必要がある」
「何でも言って下さい。私に出来る事なら」
「美緒さん。確か実家は栃木県の山間の村で、農家をやってるって言ってたよね」
「西那須野という所。農家です」
「宜しい。それでその村はとても小さく、近所付き合いが盛んで、もしよそ者が入って来たなら一発で分かるよな」
美緒は何となく圭一の魂胆が読めて来た。
「その通り。もしかして......」
「美緒さんの実家に隠れる事にした。勿論俺も一緒だ。美緒さんは自分の実家だから、家に帰るのは自然な話。
でも俺が美緒さんの実家に住みこむ事は実に不自然だ。それで美緒さん......斉田雄二と付き合ってた事はご両親に話してるかい?」
「話してないけど。それが何か?」
「田舎の人達は結婚が早いらしいな。みんな二十歳早々で結婚してるって聞いた事があるぞ。美緒さんは確か二十四歳だったよな。ご両親は早く結婚してほしくてしょうがないんじゃ無いか。
そうだ! こうしよう。俺は今日からあんたの婚約者だ。明日ご両親の所に挨拶に行く事にしよう。ちょっと遅い夏休みだ。一週間も居てあげればご両親もきっと喜ぶだろう。善は急げだ。今から実家に行く旨電話入れてくれ。今すぐだ」
「絶対に嫌! 両親を巻き込む何てとんでもない。他の場所ならばどこへでも行きましょう。実家だけは絶対にだめです」
美緒は断固として言い切った。目が吊り上っている。
「両親に危険が及ぶ事は絶対無い。殺人のプロは余計な殺しはしない。それは俺が一番よく分かっている。分かっているからこそ実家に行くと言っているんだ。ご両親を危険な目に遭わす事は無い。信じてくれ」
圭一の目に偽りは無かった。
「......」
美緒は言葉を発さない。
「俺を信じてくれ。お願いだ」
圭一は美緒に詰め寄った。
ここ暫く実家とは連絡を取っていない。何度となく野菜やお米などの食料品を送ってもらったが、最近は礼の電話すらしていなかった。
今更電話するのに少し気が引ける。ただ、今はそんな事言っていられる状況では無い。
「分かりました」
美緒は渋々携帯電話を持ち、そして実家に電話を掛けた。
「お父さん。久しぶり。うん私は元気......実は二人に会わせたい人がいるの......うん急に休みを取れたんで.....分かった。じゃあ明日朝行くからね。急でごめんね。それじゃ」
そう言い終わると美緒は電話を切った。
「宜しい。ではすぐに支度をしてくれ。俺は外で待ってる」
圭一はそそくさと部屋を出て行った。
部屋の中は美緒ただ一人......
見慣れた部屋の景色なのに、なぜか今日ばかりはいつもと違うように見える。
この部屋に戻って来る事はあるのだろうか?
再びこの景色を見る事があるのだろうか?
私の命を狙う者が目的を達成したら......それは私の死を意味する。
この人達が雄二さんの敵を討ったとして、その後に待っているのは......それも死。もし仮にそれ以外の選択があったとしても、雄二のいないこの世に未練は無い......自ら死を選びそう。
この後どうなろうとも結局待っているのは『死』ただそれだけだった。死ねば再びこの部屋に戻る事も無い。
美緒は身支度を進めながらも、目に映る全ての物を頭に焼き付けた。
「お父さん。お母さん。私、親不孝者だよね。ごめんね。何もしてあげれ無かったよね。私が生きている内に」
美緒の目からは自然と涙が溢れ出ていた。
「ごめんね。最後になってまた大嘘ついちゃって」
美緒は写真や手紙など、自分の過去を示すものは全てキッチンのシンクで燃やした。




