第5話 ストーカー
一本目の角を右に曲がり、更に二十メートル進むと今度は左に曲がった。
ここで美緒は初めて後ろを振り返る。すると圭一の姿が見えない。
「あれ、いない......とうとう見失ったか?」
美緒はホッとため息をつき、再び前を向いて歩き始めた。その途端、後ろから何やらバタバタと走り寄る音が聞こえてくる。
「何事?」
美緒は再び後ろを振り返ると、一目散に走り寄ってくる圭一の姿が見えた。よくよく見ればスーツの左肩が破れ、ワイシャツの胸付近には血が付いている。
電車に飛び乗って転倒した際、鼻血を出していたようだ。
そんな圭一が大事に手にしているもの......それはたこ焼だった。
「ちょっとお腹空いちゃって。たこ焼きは俺の好物なんだ。美緒さんも一個食べるか?」
圭一はたこ焼きを口に頬張りながら、別の一個を美緒に差し出した。
「結構です」
美緒は冷淡にそう答えると、圭一に背を向け、再び『競歩』を開始する。
美緒は少し意外な気がしていた。
圭一は高級車に乗り、女性にも人気が有って、何よりも頭の回転が抜群に速い。それは先日、自分を『BAR SHARK』まで連れ出した事が証明している。
美緒の中で圭一は非常に気高く、敷居が高い人間と位置付けていた。そんなイメージであった圭一が、美緒を追ってずたぼろになり、更には庶民の代名詞でもある『たこ焼き』が好物であると言った事に対し、美緒は明らかに違和感を感じていた。
この人にこんな側面があったのか......
人は他人の意外な側面を発見すると、今まで持っていなかった親近感を覚えるよう脳が設計されている。そのギャップが大きければ大きい程、度合いも増していく。
美緒がこの時圭一に抱いた違和感は、少なからず親近感へと変化していた。
もっともそんな心境の変化について、圭一はもとより、この時点では美緒本人も気付いてはいない。
二人は何事も無かったかのように、再び歩き始めた。
そして美緒の住むマンション......それはそこから大して離れてはいなかった。
緩やかな下り坂を抜け、たばこ屋の角を右に曲がるとそれはそこにあった。RC造のその建物は、土地柄もありモダンな造りになっている。若者向きな建物だ。
美緒はゆっくりとエントランスのある中二階に続く階段を上る。圭一も一定の距離を保ちながらそれに続いた。
美緒はそこで突然振り返る。
「まさか家の中まで入ってくるつもりじゃ無いでしょうね?」
「まさか。ストーカーじゃあるまいし。ハッハッハッ」
圭一は余裕の笑顔だ。
「......」
美緒は無言で降りてきたエレベーターに乗る。圭一も続いた。
圭一の左手には六個入りのたこ焼きがまだ三個残っている。焼きたてのたこ焼きからは、まだ湯気が立ち上っており、狭いエレベーターの中は見る見るうちにたこ焼きの匂いで充満していった。
「これ次乗る人、たこ焼き臭いだろうな? ハッハッハッ」
圭一はまたしても大笑い。
美緒は表情一つ変えることなく、自宅のある五階でエレベーターを降りた。当たり前のように圭一もそれに続く。
「もしかして私の家の前で寝るつもり?」
美緒はどこまでもついて来る圭一に呆れきった表情だ。
「まさか。美緒さんは501号室だろ。俺は502号室に住んでる。これは偶然だ。ほとんど奇跡だな。ハッハッハッ」
偶然の訳が無い。しかも502号室は女子大生が住んでいて、昨日も朝挨拶をしたばかりだ。
「昨日までここに住んでいた女子大生? あの娘なら昨晩引っ越したぞ。誰かに大金積まれて出ていったみたいだな。偶然にもタイミング良く俺が入居出来たって訳だ」
「......」
美緒は言葉を失った。
「今日はお疲れ! 何かあればいつでも声掛けてくれ。まあ、美緒さんの方から俺に用なんか無さそうだけどな。まあいいか。それじゃあお休み!」
圭一は502号室の鍵を開け、そそくさと部屋の中に入って行った。そして内側からガシャッ! という施錠の音が聞こえた。
「ふう......」
美緒は大きなため息をつくと、思い出したかのように自身の部屋に入ろうとした。
そしてそれはその時起こった。
「ブルルルルー......」
美緒のポケットに入れていた携帯電話に突如振動が起こる。着信を知らせるバイブレーターだ。
「誰? こんな時間に」
美緒は首を傾げながら携帯電話をポケットから摘み出す。そして液晶画面に目を向けるや否や、顔から一気に血の気が引いていった。
「あわわわわ......」
美緒は言葉にもならぬうめき声を上げるとともに、携帯電話を持つ手は俄かにブルブルと震え始めた。身体はまるで金縛りにあったかのように硬直していく。
「なっ、何で!」
携帯電話の液晶画面には、発信者の名前が表示されていた。
「斉田雄二」
何と液晶画面には、最愛の人であった雄二の名前が浮かび上がっているではないか!
携帯電話の振動は終わる事無く揺れ続ける。一向に止まる気配は無い。
美緒は意を決し、携帯電話を耳に当て、震える手で受話器ボタンを押した。
「お姉ちゃんは美緒さん?」
何と受話機の向こう側から聞こえて来た声は、少女の声だった。
「はっ、はい。そうですけど......あ、あなたは一体誰なの!」
「大牙は赤目が強いんだよ」
「あなた何を言ってるの? 何で雄二さんの電話から掛けてきてるのよ!」
身体の震えが止まらない。
「斉田雄二さんを食べちゃった悪い大牙達が、お姉ちゃんの所にも向かったよ。気を付けて。じゃあね」
ガチャ、ツーツーツー。電話は切れた。
「何? 何なの?......うわあ! いやー!」
辺り一面に響き渡る美緒の叫び声。それは体の芯から発せられる魂の叫びと言ってよかった。




