第3話 柿本圭ニ
やがて美緒は頃合い良しと見て、会議室の外に声を掛けた。
すると美緒の部下と思われる若い女性社員が、出席者全員に試作品を配って回る。
出席者は全員配られたジェラードを試食。しかし反応を示す者は居なかった。水を打ったような静けさだ。
先程退室を命じられた出席者の事もあり、下手に意見し、君子の怒りに触れる事を皆恐れていた。
そんな中、口火を切ったのはやはり君子だった。
「まあ味は合格点だろう......商品化を認めてやる」
「有難うございます」
美緒は無表情のまま淡々と答える。
「ただし条件がある。この資料を見る限り、リスクの大きさの割にはコストが少し掛かり過ぎている。商品の品質を維持したまま十パーセントコストダウンしろ。出来るか?」
「はい」
「いつまでにその根拠出せるか?」
美緒は考えた......
自分が生存していられるのはあと二十二日。途中で誰かに引き継ぐ位なら初めからやらない方がいい。
生きている内に全て完結させる!
美緒は顔を上げ、そして力強く言った。
「二十日間下さい」
出席者からはどよめきが起こった。その期間で出来る訳無いだろうと言わんばかりのどよめきだった。
何か秘策でもあるのか?
君子は一瞬眉を潜める。
「よし分かった。それで進めてくれ。あと桜田。お前だけ残って。それ以外は解散」
出席者は一斉に立ち上がると、おのおの美緒の顔を睨みつけながら会議室を後にしていった。
やれるもんならやってみろ......そんな気持ちの現われが表情に滲み出ている。
『妬み』という感情は、人間誰しも多かれ少なかれ持ち合わせているものだ。今日の出席者も決して例外では無かった。
一方美緒と言えば相変わらずの無表情。全く気に留める様子もなく、唯前をじっと見詰めていた。
会議室の中は女社長と美緒の二人だけ。逃げ出したくなるような重い空気の中、君子は淡々と話し始めた。
「この企画は見ての通り、誰一人歓迎しちゃいない。もしこの企画が失敗したら私の顔に泥を塗る事になるんだからね。分かってるわね?」
「はい」
「お前に一人助手をつけてやる。入って!」
すると、扉は微かな音を立てながら静かに開いた。
その向こう側に立っていたのは、上下ブランド物のスーツに短髪で顎鬚を生やした一人の男。
美緒の顔色がキリっと引き締まる。
「お前にこの人を助手につける。我が社の有力な取引先のエキスパートで輸入品販売のプロだ。プロジェクトの全てにおいてこの人の意見を聞きなさい。あとは全てあなたの自由にやって結構。以上」
「はじめまして。営業企画課の桜田美緒と申します。宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しくお願いします。柿本圭二と申します。何でもお申し付け下さい。企画が終わるまでは一秒たりともお側を離れない覚悟でおりますので宜しくお願い致します」
今、目の前に立つ男。
それは紛れも無い圭一だった。
一体何の為に?
それにどうやってもぐり込んだの?
彼らの言葉を借りるなら『並み以上の知識と実行力を持ってる』それが答えなのであろう。
二人は君子に挨拶を済ませると、足早に会議室を後にした。
会議室には君子ただ一人。相変わらず机の上に左肘を立て身体を斜めにし、何か物思いにふけている様子だ。
全てを手にした金山君子であっても、物思いにふけて考える事などがあるのであろうか。
「二十日間ねえ......」
君子はうわ言のように呟いた。静寂が会議室を包み込む。
一方、会議室を後にした二人はと言うと......
圭一は美緒の側をひと時も離れる事は無かった。それは正に『密着』と言ってもいい。
会議室のある二十四階のすぐ下の二十三階。そこに営業企画課のオフィスがあった。上座には美緒の机があり、その下座に六人が三人づつ向かい合うように机が置かれている。
圭一と美緒との距離は五十センチと離れてはいない。
その他のプロジェクトメンバーはと言うと、一人はひたすら調べ事をしており、もう一人はひたすら電話を掛け続けている。
それぞれがこのプロジェクトの重要性を理解し、自分の出来る事を最大限に行っている様子だ。
圭一もその例外では無かった。どこで得た知識かは分からないが、スペインの農場別の特性等、細かく調査した内容に基づき、美緒に的確なアドバイスを行っている。
もっともこれらは全てポールが調べた事ではあるが......
また、周囲はと言うと.....
「柿本圭二さんって意外とイケメンじゃない?」
同じフロアーの女性社員の中で、圭一が密かなブームとなっていた。
ただ圭一はそんな事には全く関心が無い様子。他の女性社員には目もくれなかった。




