第2話 目隠し
「お初にお目に掛かる。自分はこういう者だ」
男は濡れた手で名刺を差し出した。名刺には『EMA探偵事務所 営業 藤堂圭一』と記されている。
本来書かれている住所、電話番号などは一切書かれていない実に殺風景な名刺だ。
自殺しようとした人間に、営業と名乗って声を掛けてくるような輩だ。どうせろくな者では無かろう。殺風景な名刺はそんな裏付けに違いない。
雨風は一向に衰える気配を見せなかった。二人は髪の毛から顔に滴り落ちる滴を拭うこともせず、互いに睨み合っていた。
そして再び圭一なる男が口を開く。
「自殺するのも結構。でもその前にやっておく事があるんじゃないか? どうせ捨てる命だ。その命我々が貰ってやる。
その替わりと言っては何だが、あんたのやり残した事を替わりにやり遂げてやろう。あんたにとって悪い話じゃ無いと思うがな」
「あなたは一体何を言ってるの? 意味が解らない」
呆れたようなその言い方は、付き合ってられない......そんな意思表示でもあった。
しかし圭一なる男は、そんな美緒の反応に動揺することも無く、何食わぬ顔で言葉を続けた。
「あんたの命と引き換えに、あんたの望みを叶えてやると言ってるんだ。もともと捨てる命だろ。
リスクは無いんじゃないか? 斉田雄二ってあんたの恋人だったんだよな。
あれは明らかに自殺じゃなくて他殺だ。仕返ししたいんだろう? 仇討ちしたいんだろう?」
「なっ、なんでそんな事まで!」
「そりゃ知ってるさ。俺たち探偵だもん」
「......」
美緒は一瞬言葉を失った。しかし唾を飲み込んで、落ち着いてこう聞き返した。
「雄二さんを殺した人を殺してくれるというのですか?」
「それがあなたの望みならばそう致しましょう」
「......」
この男は今の自分の境遇を全て知っているように思える。
自分が亡くなった雄二さんの恋人であったこと。それすら身近なごく一部の人しか知らないはずだ。
雄二さんの死因が自殺ではなく、他殺の可能性が高い事。そして出来る事なら雄二さんの仇討ちを自分が取りたいと思っている事。
一体どこまで調べたのだろう......
そして......
今この男は、私の命と引き換えに、雄二さんの仇を取ると言った。
私の命をとる?
普通に考えれば、私を殺すという事だ。それでは電車に飛び込もうとした自分を助ける意味が解らない。
誰の手を汚す事もなく、自ら死のうとしていた人間をわざわざ助けて、その後『あんたの命をとる』などと言うこの男の言動は、支離滅裂と言わざるを得ない。
美緒の出したファイナルアンサー......
それは意外とあっさりしていた。
「分かりました。この命あなたに差し出します」
美緒は力強く言った。
唯一この男の言動で納得出来た部分......
それは『捨てようとした命。リスクは無い』その一言だった。
もうどうなってもいい......そんな投げやりな気持ちもあったに違いない。
自分の命と引き換えに、雄二さんの仇をとってくれる......
俄かに信じられるような話では無いが、まんざら嘘を言っているようにも見えなかった。
「よろしい。早速で申し訳ないが、我々のボスに会ってもらう。詳しい話はボスに聞いてくれ」
「分かりました」
時刻は夜の十一時半。
雨脚は一向に収まる気配を見せない。
豪雨と強風......この二つが合わさると、傘が全く用
を足さない。これを証明するかのように二人はすでにずぶ濡れになっていた。
「早速ですまんが、この目隠しを被ってくれ」
圭一は内ポケットから大きな黒の目隠しを取り出し、美緒に手渡した。
材質はフェルトのような生地ではあるが、目の周りを生地で完全に覆うように出来ており、目隠しと言うよりはゴーグルに近い。
この目隠しを被れば、三百六十度視界は妨げられる。
「なぜそのようなものを被る必要があるのですか?」
「これから行く場所は極秘だ。悪く思わないでくれ」
「分かりました」
手渡された目隠しを被ると、暗黒の世界が広がった。美緒は必然と圭一の腕に手を掛け、身を委ねた。
一本の傘の下で、男と女が腕を組み、歩き始めれば、誰が見てもそれは恋人同士。
女が目隠しを隠すべく、俯き加減でいる以外は......
しかし夜半でこの雨。更に傘を前向きに差し出している為、周囲からは目隠しをしている様子など見えはしない。
そして歩き続ける事一分。圭一は突如立ち止まった。否応なく美緒も足を止める。
カシャ......
車のドアロックを解除する音だ。
「ここからは車で移動する」
圭一は助手席に美緒を導いた。
「......」
美緒は無言で指示に従い座席に座る。
車の中は外に比べ、明らかに気温が低かった。直前までエアコンが掛かっていたことは明らかで、それはこの男がここで自分を待ち伏せしていた事を証明していた。
圭一が車のキーを回すと、エンジンは重低音を轟かせる。右側から座席に座っているので外車である事は間違い無さそうだ。
美緒は冷静に推理した。
自分はお通夜の後、友人二人と神楽坂から東西線で高田馬場まで行き、その後山手線に乗り換え、自宅のある原宿駅の一つ手前の代々木駅で下車している。
この男の車がここに駐車されている以上、この男の移動手段は車であり、一緒に電車に乗ってつけて来たとは考えられない。
お通夜の時点では、今晩妙子の家に泊まる事になっていた。
その予定を変更し、自宅に帰るという事を二人に告げたのは、神楽坂から乗った東西線の中だ。しかも下車した駅は、いつもと違って一つ手前の代々木駅。
なのにこの男は、自分が代々木駅で降りることを知っていて、ここで待っていた。
盗聴器!
そうとしか考えられない。
ではいつ自分に盗聴器を?......
美緒は冷静に今日一日を振り返った。
盗聴器を自分に付けるチャンスがあったとしたら?
美緒は記憶を辿る。
あの時だ!......
数時間前、お通夜の会場で自分が混乱して走った時、確か階段の手前で男とぶつかった。
盗聴器を付けるチャンスがあったとしたら、あの時しか無い。
今思い返せば、この男の服装と似ていた気がする。あの時の男が、この藤堂圭一だったに違いない。
美緒は思わず薄ら笑みを浮かべた。